第7話 変化

 次の日、目覚めると身体がスッキリしていて驚いた。


「お兄ちゃん! おはよう!」

「サクラ、おはよう」

「うん? どうしたの?」

「ああ、今日は凄く気分がいいんだ!」

「そうなの? なら、サクラも気分がいいの!」


 朝から俺が元気よくラジオ体操をすると、同じようにサクラもラジオ体操を真似て一緒に準備運動をした。


「あらあら、元気ね」

「おばあちゃん。おはようざいます! 何だか、凄く調子がいいんです!」

「あら、それはよかった。だけど、あまり無理しちゃダメよ」

「はい!」


 学校はないので、バイトに行く前に、サクラを幼稚園に連れていく。

 お迎えは祖母に頼むことになるが、連れていくのは俺の役目だ。


「先生! おはようなの!」

「おはようございます。早苗先生!」

「えっ? あっ、はい。おはようございます。えっ? えっと、御手洗さんですよね?」

「はい! いつもサクラがお世話になっています」

「あっ、いえ、いつもはしんどそうにしていたのに今日はよく眠れたんですか?」

「そうみたいです。凄く調子が良くて」


 いつもは挨拶もそこそこにサクラを預けてバイトへと急いでいたので、こうやって話もしていなかった。


 たった5分早く出ればいいだけなのに、要領が悪いせいで、なかなかそれも難しかった。だけど、今日は調子が良いので、5分早く家を出る事ができた。


「園でも心配していたのでよかったです」

「そうなんですか?」

 

 早苗先生は短大で保育科を卒業して、幼稚園に勤めだして2年目の若くて可愛い先生だけど、そんな先生に心配してもらえていたなんて考えてもなかったな。


 まぁ、余裕が全然ないから無理なんだけど。


「はい! サクラちゃんは大丈夫って言っていたんですけど、お兄ちゃんが体調が悪い時は塞ぎ込むこともあったので」

「えっ?」


 幼稚園の中に入っていくサクラの後ろ姿を見て、僕はサクラに気をつわせていたんだと思い知る。


「これからは大丈夫ですから!」

「それならいいんですけど、お体にはくれぐれも気をつけてくださいね」

「はい! ありがとうございます!」


 サクラや早苗先生に心配をかけないためにも、もっと冒険者として成長しよう。

 そうしたらスキルをたくさん取って、体調も良くなる気がする。


 幼稚園から、バイトに行くと、いつも見ていた景色がまるで違って見えた。


 裏口から入ると厨房があり、ランチ時間になれば戦場のように忙しくなる。


 だけど、店に入った瞬間に何をすればいいのか、頭の中が整理されて動く事ができた。


「えっ? あんた」

「おはようございます! 坂口さん!」

「えっ? 私の名前」

「すみません。いつもは余裕がなくて、挨拶もちゃんとできなくて」


 少し小太りなベテランパートの坂口さんは、俺の挨拶に驚いた様子だったが、次には微笑んでくれた。


「なんだい。そんな良い顔もできるんじゃないか! いつものどんよりとした辛気臭い顔はやめとくれよ。今の方がずっといいよ。おはようさん」


 そう言って肩を優しく二度ポンポンと叩いて、挨拶をしてくれた。

 なんだか、いつもと違うバイトの始まりに少しだけ胸がスッと軽くなる。


 ランチの時間になって、押し流されているような忙しさの感覚をいつもなら味わうのに、今日は不思議と頭がすっきりしていて、周りの状況が把握できた。


「これが……地頭が良くなったってことなのかな?」


 今まで怒られてばかりだったことの意味が、急に理解できた。


 どうしてあの時あのタイミングで皿を出さなければならなかったのか。どこにどのタイミングで料理を出すのか、そして、ソースの量が多すぎたことや少なすぎたことも、今はちゃんとわかる。


「ああ、そうか……。これじゃ、怒られて当然だったんだな」


 自分が今まで何を間違えていたのか、ようやく納得できた。少し悔しい気持ちもあったが、それ以上に、理解できたことが嬉しかった。


 厨房での動きがよくわかる。次々に正確にこなしていく。今日は一度も間違えていない。


 注文の流れが頭に自然と入ってきて、どのテーブルに何を持っていけばいいのか、迷うこともない。頭の中で完璧にシミュレーションできる感覚だ。


「ソース……あ、これくらいだな。これがちょうどいい量だ」


 出されたハンバーグにソースをかけると、その量がぴったりと適量だと感じた。今まで何度も失敗して怒られてきたはずなのに、今日は何も迷わない。


 しかも、直感が鋭く働いているのか、周りのスタッフの動きを見て、誰がミスをしそうかもわかるようになった。


「あ、そっちミスしそうだな」


 先輩が皿を持つ手が少し不安定に見えたので、すっと手を伸ばしてサポートした。結果、その皿は無事にテーブルに届けられた。


「……なんで、今こんなことできるんだろ?」


 自分でも驚くほどスムーズに仕事ができている。まるで今までの自分が別人だったかのように感じるくらい、周りの状況がよく見えて、自然に動けていた。


「御手洗君、今日はなんか調子いいね」


 いつも厳しいレジ打ちの山田さんがニッコリと笑ってくれた。


「ありがとうございます、山田さん。いつも教えてもらったおかげです。もうすぐ一週間が過ぎるので、ちょっと慣れてきたみたいです」

「うんうん。だけど、慣れてきた時が一番ミスが多くなるからね。気をつけなさい」

「はい! いつも教えていただきありがとうございます」

「ああ、困ったら聞いてね」


 いつも厳しく言われるだけだったのに、褒めてくれて、助け舟まで出してくれた。


 自分が出来なくて、不貞腐れて、態度が悪かったんだ。


 それが理解できると、いつも怒られる理由があり過ぎることに反省が浮かんできた。


 仕事だけじゃない。笑顔を作って雰囲気もよくしよう。


 周りにいる人をよく見て学ぶんだ。いつもより自分を認めてもらっただけで満足しないで、努力をしよう。


「ありがとうございます」


 急にこんなに仕事ができるようになるなんて、自分でも信じられない。だけど、いつもよりも周りの雰囲気が良くなって嬉しい。


 これまでの辛さが少しだけ報われた気がした。


「もっと頑張れるかもな……」


 そう思いながら、次のオーダーに向けて動き始めた。

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