第3話 嫌なやつ

 15時が近づくと、ようやく厨房の忙しさが少しずつ落ち着いてきた。


 ランチタイムのピークが過ぎると、店内の騒がしさも少し和らぐ。僕は汗でベタベタになった制服の袖で額の汗を拭い、無言で皿を片付け続ける。


「御手洗君、そろそろ上がっていいよ」


 ベテランパートさんの冷たい声が聞こえてくる。今日はこれで終わりだが、また明日も同じだと思うと気が重い。


 僕は軽く「お疲れ様です」とだけ言って、エプロンを外しながら休憩室へと向かった。


 ちょうどその時、午後からのシフトに入る学生たちがやってくる。


 制服を着たまま談笑している姿が見える。イケメンの大学生、伊勢谷隆イセヤタカシが僕を見つけると、さっと険しい表情に変わった。


「お、優太じゃん。今日もとろくさい仕事してんじゃねぇだろうな? お前、いつも陰気で見ててウザいよ」


 彼は冷ややかな視線を投げかけながら、僕の方へ近づいてきた。僕は何も言わず、エプロンをたたんでロッカーにしまおうとしたが、伊勢谷はさらに皮肉な笑みを浮かべる。


「おい、聞いてんのかよ。本当に使えないよな。だからバイトでも底辺なんだよ」


 心の中で何度も耐えるように言い聞かせていた。彼の言葉はいつもきつくて、反論する気力さえ湧かない。だから僕は無言でその場を離れようとした。


「隆君、やめなよ」


 その声が背後から聞こえてきた。振り向くと、午後シフトの中で唯一の優しさを持った存在、美人の女子大生、御影椿《ミカゲツバキ)さんがいた。彼女は僕の方を見て、優しく微笑んでいる。


「優太君、いつもお疲れさま。隆君の言うことなんて気にしちゃダメだよ」


 彼女の言葉は、まるで優しい光が差し込むようだった。僕の中に溜まっていた重い気持ちが、一瞬だけ軽くなった気がする。御影さんはずっと忙しい中でも僕に気をかけてくれていた。


 特に、誰からも冷たく扱われる僕に対して、いつも暖かく声をかけてくれる。


「ありがとうございます、御影さん」

「チッ! おい、椿、仕事の時間だぞ」

「はーい。それじゃ」


 御影さんは優しい笑顔で、別れを告げてくれる。


 伊勢谷の冷たい言葉を忘れさせてくれるような、御影さんの優しさが伝わってくる。この店を出たら、また現実に戻る。


 それでも御影さんの存在が、ほんの少しだけ僕の心を救ってくれた。


「また明日も頑張ろう。次はダンジョンだ」


 彼女の声を思い出して、僕は店を後にした。


 バイトが終わった後、僕は冒険者ギルドに足を運んだ。


 今日もバイトでクタクタだったけれど、ダンジョンに向かう前にどうしても武器を見直しておきたかったからだ。


 今使っているヒノキ棒では、さすがに次のダンジョンでの戦いに不安がある。


 もっといい武器があればいいが、僕の予算ではどうにもならない可能性が高い。それでも、何かしらの改善が見つかればと期待しながら、ギルドの武器ショップに入った。


 店内はいつものように、たくさんの武器が並んでいる。目に入るのは、輝く剣や頑丈そうな盾、どれも僕には手が届かないものばかりだ。


「いらっしゃい、ユウタ君! どう? 壊れないヒノキ棒は?」


 カウンターの向こうから、にこやかに声をかけてくれたのは、冒険者ギルドのショップ店員をしているカリンさんだ。


 目鼻立ちがハッキリとした美しい女性で、鑑定のスキルを持つ。

 僕の武器の選定を手伝ってくれた。年齢は僕と同じくらいか少し上だろうか? いつも明るくて親切な人だ。


「えっと、壊れないのはありがたいのですが、今日は何か他にいい武器を見つけに来たんです」

「やっぱりか〜うーん、でもね! 壊れない武器って、それだけで価値があるんだよ」


 それはなんとなくわかる。


「でも、次のダンジョンに挑むのは厳しそうなので、今のヒノキ棒をもう少し強いものに変えられたらと思って……」


 僕はカリンさんに今の状況を伝える。彼女は軽くうなずいて、目を輝かせながらカウンターの後ろの棚を見回した。


「うーん、だけど、君はファイターだったよね?」

「ええ、そうです」

「ちょっと前にね。テイマーなのに、スライムと戦っていたハゲたオジさんがいたんだ。その人は壊れない杖を持ってスライムと戦ったんだよ」

「えっ? 壊れない杖でスライムと?」

「うん。おかしいでしょ? だけどね、不器用で真っ直ぐで、優しいその人はスライムのために強くなっちゃってね」


 スライムのために壊れない杖で強くなった? 凄く変な人だと思う。テイマーは本来、前線で戦わない。テイムした魔物に戦わせて自分は後ろで命令するだけだと思っていた。


「君のヒノキ棒は折れずに頑張ってくれてるんじゃない? 君の頑張り次第じゃないかな? 強くなれるのかは」


 自分の頑張り次第で、どうにでもなるか。


 僕はお金のことを考えて、苦笑いを浮かべた。


 何を贅沢を言っているんだろう。ダンジョンで何も得られていないのに、まともな武器を買うよりも、強くなる方が先ってことか。


 カリンさんはそんな僕の様子を見て、優しく微笑んだ。


「でも、初心者には大変かもね。でも、無理して高い武器を買わなくても、今持ってるヒノキ棒でも、レベルが上がってスキルが使えるようになれば、強くなれるね」

「スキルか」

「それに武器として、工夫して使えるかもしれないよ。例えば、強化したり……」


 彼女はそう言いながら、カウンターの下からいくつかのアイテムを取り出した。それは武器の強化アイテムや、修理道具のセットだ。


「これを使って、ヒノキ棒を強化することもできるよ。もちろん、強化するにも多少はお金がかかるけど、新しい武器を買うよりはずっと安く済むし、今の段階ではこれでも十分戦えると思うわ」


 僕はカリンさんの提案を聞いて少し安心した。新しい武器は無理でも、今の武器を少しでも強化して次の戦いに挑むのは現実的な解決策だ。


「ありがとうございます。だけど、まずはこいつで頑張ってみます!」

「そっか、でもいつでも強化するなら声をかけてね。一応説明だけしておくから」


 カリンさんはうなずいて、僕に強化アイテムの使い方を丁寧に説明してくれた。


「頑張ってね、ユウタ君。いつか、もっと強い武器を手に入れられる日が来るよ。でも今は、無理しすぎないことが大事だから」


 彼女の言葉に背中を押され、僕はヒノキ棒を握りしめた。この最弱の武器でも、工夫と努力で乗り越えていける。


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