第2話 僕の家族
ダンジョンでの疲労を感じながらも、僕は何とか帰ってきた。扉を開けると、目の前に飛び込んできたのはサクラの笑顔だ。
「お兄ちゃん、おかえり!」
彼女は小さな体をいっぱいに使って、僕に抱きついてきた。その純粋な笑顔を見るたびに、僕の心は癒される。
無事に帰れたことに、胸をなでおろしながら、僕は彼女の頭を優しく撫でた。
「ただいま、サクラ」
サクラは満面の笑みを浮かべ、僕を見上げている。
その愛らしい顔を見ると、どんな疲れも一瞬で吹き飛ぶ気がする。
「おばあさん、帰ってきました」
リビングに入ると、そこには僕たちのもう一人の家族、70歳になる義理の祖母が待っていた。彼女は優しく微笑みながら、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
サクラは祖母に駆け寄って、手を取る。
「ユウタさん、本当にお疲れ様。無事に帰ってきてくれて安心しました」
上品な雰囲気で、祖母の声には年齢を感じさせる穏やかさがあった。
彼女は僕たちの保護者であり、支えてくれている大切な家族だ。
祖母は遅くに娘さん、つまり僕の義母となる人を授かり、幸せな家庭を築いていた。しかし、義母の旦那さんが亡くなり、義理の祖父が亡くなり、さらに娘さんも事故で失った祖母にとって、僕たちは残された最後の家族だった。
「ありがとうございます。サクラも、ちゃんと待っていてくれたんだな。ありがとう」
「うん! お兄ちゃん! ご飯食べよう!」
「えっ? 先に食べてって言ったのに」
「ご飯は家族で食べましょう」
「そうだよ。お兄ちゃんとご飯食べたい!」
二人の気遣いに僕は涙が流れそうになる。
祖母も葬儀が終わるまでは呆然としていた。
だけど、葬儀の日に、僕とサクラが抱き合って泣いた日から、祖母の涙を見てはいない。
今は、家のことやサクラの世話をしてくれている。そのおかげなのか、少しずつ元気を取り戻してくれていると思う。
祖母が家でサクラを見守ってくれているおかげで、僕も心置きなく仕事に出ることができた。
「ありがとう。ご飯にしよう」
僕がそう声をかけると、サクラは元気にうなずいて、祖母と一緒にキッチンへと向かった。僕たちの三人暮らしは不思議なものだ。
サクラは幼いけれど、祖母と僕と一緒にいることで、少しずつ強くなっていく。祖母もまた、サクラの笑顔に救われながら、僕たちを支えてくれている。
「この生活を守らなきゃ……俺が頑張らないと」
僕は改めて心に誓った。
サクラと祖母、二人の笑顔を守るために、どんな困難があろうとも乗り越えていく。そして、もっと強くなり、もっと稼いで、二人に安定した生活を送らせてあげたい。奇妙な三人暮らしだけど、僕たちはこれからも支え合って生きていく。
「さぁ、今日は何を食べようかな?」
僕はサクラと祖母の後を追いかけ、食卓へと向かっていった。
テレビをつければ、ニュース番組がいつものように、ダンジョン関連の話題を報じている。
テレビの前で、僕はぼんやりとそれを見ながら、毎日の生活を思い返していた。
「今日も、全国各地のダンジョンでエネルギー採取が進んでいます。現在、ダンジョンからのエネルギー供給が、我々の生活を支える大きな柱となっていますが、依然として危険な作業環境が問題視されています」
画面には、ダンジョンの奥深くで働く冒険者たちの映像が流れている。
薄暗い空間の中、冒険者たちはヘルメットをかぶり、慎重に進んでいる姿だ。
採取されるエネルギーや資源が、人々の生活を豊かにしているというニュースの内容はもう何度も聞いたことがあるけど、その裏側にある危険や、底辺労働者としてのイメージは一度も話題にならない。
「今年も多くの冒険者がダンジョンでの事故に遭い、数名が命を落としました。政府はさらなる安全対策を講じる予定ですが、実現までには時間がかかる見込みです」
ため息が漏れた。
結局、ダンジョンは人々の生活を支えている一方で、そこに挑む者たちは命を危険にさらしながら、汚れた場所で働いている。
ニュースキャスターは軽い口調で、いつものように事実を淡々と伝えているが、現実はそんなに簡単なものじゃない。
「……結局、俺もその一人だよな」
僕はテレビを消して、しばらく部屋の中の静寂を感じながら考え込んだ。
二人は、すでに眠りについて、僕は狭いアパートの中から窓の向こうを見た。
昼間はバイト、夜はダンジョン。何とかして家族を支えようと必死だが、どれだけ頑張ってもその厳しい現実が変わることはない。
世間は、ダンジョンでの仕事はしたくない仕事に分類されている。
ただ、それでもやらなきゃならない理由がある。
誰もやらないからこそ稼ぐことができる。
サクラと祖母を守るため。彼女たちに安定した生活を提供するため。僕はこれからもこの危険で汚れたダンジョンに足を踏み入れる。
「もっと、もっと強くなりたいな。あの人のように」
不意に、僕はダンジョンの事件で救ってくれた男の人を思い出す。
物腰が柔らかで、優しいあの人は僕にとって憧れの人だ。
「やっぱりヒノキ棒じゃモンスターを倒すのは難しいよな。もっといい武器を手に入れるためにもバイトも頑張らないと。もう寝よう」
布団に入れば、すぐに眠気がやってきた。
♢
厨房の熱気が肌にまとわりつく。
揚げ物の油の飛沫が飛んできて、腕がじんじんと痛む。
それでも手を止めることはできない。ランチタイムのピークに突入し、次々とオーダーが飛び込んでくる。
ハンバーグの注文がひっきりなしに入り、焼き台の上にはずらりとハンバーグが並んでいる。
人気のハンバーグチェーン店の厨房としてバイトをしている。僕はフライパンを持ってその焼き具合を確認する。もう何個焼いたか分からない。
「何やってんの! 遅いよ!」
厨房のベテランパートさんからきつい声で叫ばれる。
皿にハンバーグを盛り付ける手が一瞬止まるが、すぐに動かし直す。自分でもわかってる。遅いんだ。でも、体が限界に近づいてるんだ。
午前中からの作業の疲れが重なって、頭の中はぼんやりしている。ミスだけはしないように、ただそれだけを考えている。
「早くしないと、お客さん待たせてるんだから! それくらい自分で気付けないの?」
冷たい視線が突き刺さる。ベテランパートさんはいつもこんな感じだ。何かあるたびに僕を叱りつけてくる。
たとえミスしていなくても、「陰気」、「動きが遅い」、「手際が悪い」そんな言葉が浴びせられる。返事をしようとしても、喉が渇いて言葉が出ない。
汗が背中に流れ落ちる感覚がする。フライパンを持つ手もじんじんして、もうすぐ力が抜けそうだ。
「すみません……」
それでも謝るしかない。何度も謝っているうちに、自分が何を謝っているのかも分からなくなってくる。
厨房の奥では、オーブンから出てきたハンバーグの香ばしい匂いが充満しているが、その香りを楽しむ余裕なんて全くない。
早く次の皿に盛り付けて、ホールに持っていかなければならない。
「これ、ちゃんとソースかけた? 適当な仕事するんじゃないよ、客に迷惑かかるんだから」
今度はレジ店員のおじさんに怒られた。
ベテランの中でも特に厳しい人で、何をしてもケチをつけてくる。
僕は彼の指摘を受けて、手元のハンバーグにもう一度ソースをかけ直す。
確かにちゃんとかけたはずなのに、少しでも自分の行動を疑わなければならない状況が悔しい。
ホールからはお客さんの声がかすかに聞こえてくる。
「早くしろよ」「まだなのか」という言葉が耳をつんざく。それを聞いたおばさんが、さらにイライラを募らせて僕に向かってきた。
「もう、使えないわね! どれだけ時間かけてんのよ、もっと要領よく動けないの?」
その声が背中に突き刺さるように感じる。
僕は反論する余裕もなく、ただ手を動かし続ける。皿を洗う、ハンバーグを盛る、次のオーダーを確認する。その繰り返しが永遠に続くように思えた。
厨房の時計を見ると、まだ15時までには時間がある。
疲れ果てた体で、あとどれだけこの忙しさに耐えられるだろうか。全身が汗でベタついて、足も限界に近づいている。
それでも、ここで頑張らないと、家に帰ってサクラや祖母に申し訳が立たない。
僕が厨房でどれだけ辛い目に遭っていようとも、彼女たちを守るためには、このバイトを辞めるわけにはいかない。たとえ、どれだけおばさんやおじさんたちに冷たくされても……。
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