第23話 元服前に側室を娶るのは間違っているだろうか

 どうやらミノタロの鍛錬は早朝に限られている様なので、その時間帯は屋内での筋トレに励むことにした。


 朝の食事を摂り終えると、午前の時間帯にいつもの“りはーびり”で、たっぷりと汗を流す。


 ここのところ、自分の身長がミノタロと比べるまでも無く、低いんじゃないかと気になっていた。


 もちろん、昔の平均身長が低かったことくらい知っている。

 しかし、あのミノタロの体格を見てると、決して現代に劣ってるとは思えなくなる。


 マリアに聞いても、相変わらずの答えしか返ってこない。

「お兄様は身長なんか気にならないくらい素敵ですわ」


(それって身長が低いって認めちゃってるよね…)


 こんな時に新しく任命した、専属侍女のウサギリの出番だろう。

 俺はウサギリに同じ質問をしてみた。


 ウサギリは首を軽く傾げて、頬杖を突きながらこう答えた。

「背の高い方には、剣術に長けた者が多い気がしますわ」


(それって剣術自体に身長やリーチの、アドバンテージが有るからなんじゃない?…っていうか見事に質問を躱されてしまった!)


 そこで俺はこの国が、宇志うし國であることを思い出した。


(そうだ!いままでこの時代に合わせた生活を送っていたから、気が付かなかったけど“アレ”が有るんじゃないか?)


 確か畜産が軌道に乗ってるはずだ。

 今は労働力としてしか活用されてないけど、それ以外の活用について聞いたことがない。


 そこで専属侍従のウサギリに、日常生活以外で初めての任務を与えることにした。

 つまりの作成である。


 それを聞いたマリアは、牛の乳を飲む話を聞くと、慌てて反対し始めた。

「そんな物を飲んでは、になってしまいますわ!いくらでも乳母めのとはおりますので、マリアが集めて参りますわ」


 しかし俺が運び込ませた例の青銅の祭器を見ると、さすがに唖然としていた。


 まぁ実際は祭器を満タンにする程は必要ない。

 一日2リットルとして、精々一週間以内に飲み切る計算で、ちょうど祭器の半分も満たせば十分である。


(確か牛乳パックの裏には“生乳煮沸3秒殺菌冷所保存”って、書いてあった気がするよな…)


 幸い畜産業も軌道に乗っているので、生乳の確保は容易であった。

 祭器も元々、煮沸を目的に作られたものだ。


 侍従の手を借りて、青銅器に半分くらい牛乳を搾り集めて貰った。

 それを炊事場で沸騰したら、近くの小川で冷やして貰う。

 この時期の河川を始め、水温は非常に低い。

 宮に運び入れたら、冷所保存…井戸水で冷やすのだ。


 この日も歩行訓練の後に、お楽しみの牛乳を試飲する日が来た。


 そしてこの一瞬のために作ってもらった、ジョッキみたいなで一杯を飲み干すのだ。

 何故か、左手は腰の辺りに添えている。


「ゴクッゴクッゴクッゴクッ…プハー美味い!」

 まるで、どこかのビール会社のテレビCMみたいな動作になってしまった。

 ただ実際には、生前の牛乳と比べると、大分癖のある味だった。


(たぶん、乳牛と呼ばれる品種とは違うんだろうなぁ…)


 最初はそんな風に思っていたが、飲み慣れてくるに従い、この味が大自然を感じさせる良い味に感じられてくるのだから、人間の味覚など当てにならない。


 それから、初めてを摂った。


 この時代は一日二食が基本なのだが、この成長期に栄養摂取は重要だ。

 そこで午前の鍛錬の後に、焼き魚や焼き鳥に加えて、茹でた野菜のメニューを追加して貰った。

 もちろん締めは、牛乳を一気に飲み干すのだ。


 その後は、再び“りはーびり”に精を出す。


 専従侍女のウサギリも、最初こそは俺の非常識な要望や行動に対して、若干引き気味で対応していた。

 しかし王族はそんなものだと慣れてくると、俺の無茶振りにも素直に従ってくれるようになっていた。


(本当に柔軟性が高いなぁ…)


 そんな日常が当たり前の様に感じられ始めた頃になって、急遽“王族会議”があるとマリアが伝えに来た。


 最近は介添えなしの移動にも慣れてきてたが、久しぶりにマリアの介添えで“王の間”に向かうことになった。


 すると“王の間”には上座にデヲシヒコが座り、向かいの席にはマリアの母親ミナミが座っていた。

 俺はいつもの上座の脇に座ると、マリアは向かい側の母親の隣に座った。

 下座には何故か?長男のミノタロが控えていた。


 何か自分だけ場違いなんじゃないだろうかと周囲を見渡したが、各々が一様に思案気で空気が固まっている様であった。


 おもむろに、デヲシヒコが口を開いた。

「皆が揃ったようなので、御子ミノタロよ。先程の奏上を改めて申してみよ」


「先日の重陽の節句の折にご紹介いたしました、商家の長『シヲツチ』の娘、『トヨタマ』をに迎えたいと存じます」


 に迎えるとは、平たく言えば結婚しますってことだ。


 この時代の結婚は一夫多妻だ。


 それは王族に限ったことではない、広く一般的なことの様だ。

 ただし、男は甲斐性などという言葉があったように、妻に迎えるにはそれなりの経済的基盤が必要となる。


 また多妻になるには、その時代背景の事情があるのだ。

 この時代の出産は、母子ともに命懸けである。

 特に結婚適齢期の低年齢化が、母体に過度な負担を掛けることになる。

 また自然分娩であるため、出産後の新生児の生存確率も決して高くはなかった。


 また生計が狩猟か?耕作か?を問わずに、重労働なために男児の出生は、将来的に家の生計を左右する一大事である。


 そして数十年前の様に戦争が起きれば、男性から命が失われてしまう。

 そのため、戦争直後には男女比が異常に女性過多となることが多い。

 こうした社会通念が固定化されるのは、法も宗教も特段の縛りのない社会に於いては自然の摂理ともいえる。


 しかし逆に王族ともなると、その一夫多妻の内容も一味違ってくる。


 王家の血統が重んじられる以上は、誰でも自由に結婚と言う訳にはいかない。

 また結婚すると、宮内に個別の私室が与えられる。

 よって妻を“室”と呼ぶのだ。


 また正室は、大抵の場合に王家同士の政略などの政治力学から、事前に決められていることが多い。

 要は幼少の頃より、許婚いいなずけとして、将来の正室の地位を約束されている。


 しかしあくまでも世継ぎが誕生して、初めて正式に正室と認められる。

 それまで側室であったものが、世継ぎの問題で正室に取って代わることは少なくなかった。

 よって本来であれば正室を娶った上で、妻方の実家からの圧力や配慮からも、世継ぎが誕生してから側室を迎えるのが通例である。


 しかもミノタロ自身は知らないが、数か月後の元服の暁には“人守ひともり”の任官を控えている。

 つまりは正統なる王族の血が正室から生まれずに、その側室から生まれることになるかも知れないのだ。


 デヲシヒコは自身の考えを述べる前に、全員の意見を奏上するように求めた。


 先ずは何を置いても実の母親のミナミからである。

「ミノタロよ。先ずは何故、そのトヨタマなる者を室として、宮に上げたいのか申しなさい」


 それに対して、ミノタロは言いにくそうに、暫らく下を見詰めていたが、意を決したように発言した。

「実はこの夏の事です。宇志うし國の市に御幸した折に、商家の接待を受けまして、その場に居りましたトヨタマに心奪われ…その一夜を共に致しました」


 俺を含めて男性陣からは、どうせそんな事だろうという視線で見詰める中で、女性陣からは何とも冷たい視線が突き刺さっていた。


(この寒さは初冬って訳だけじゃないよな…)


「じ…実は重陽の節句より前に妊娠したとの知らせが入りまして、責任を取って室に迎える旨を、約した次第にてございます」

 何とも締まらない調子で、皆の前で告解した。


 さすがは女性陣。


 母親のミナミを筆頭に明け透けに、いつ一夜を共にした?とか、その後の逢瀬は?とか、妊娠の報告はいつ在ったか?など…矢継ぎ早に質問するたびに、指折り何やら計算している。

 そこにマリアも普通に加わっているのを見て、女性の恐ろしさを垣間見た気がした。


 一通りの尋問…っと言うか質問が終わると、母親のミナミは溜息を吐きつつ言った。


「この話、真偽のほどは計れませんね。いくら王族の御幸が頻繁に行えないとはいえ、妊娠しできてしまう時は妊娠しできてしまうものです」


(俺も話を聞きながら、周期とかを計算してたけど…そんなに都合良く妊娠するものかな?)


 そんなミノタロの逢瀬のことを、他人事のように聞いていた。


 女性陣からの意見が一通り終わると、デヲシヒコは俺に意見を求めてきた。

 下座からは、ミノタロの眼光が鋭く俺に突き刺さっていた。


「それでは根本的な質問をよろしいでしょうか?取り敢えずは王家の対面ということで、その女性を室には迎えずに示談とか子供の認知のみで、一旦は棚上げにしておいて貰います。側室に迎えるのは、元服の儀ひいては正室をお迎えになってからに出来ないのでしょうか?」

 俺は別の角度から、提案をしてみた。


 すると今度はミノタロから、厳しい反論が飛び出した。

「まだヲシリ殿の年齢では、分からんのも無理はないが、は真実の愛に目覚めたのです。決して政治の都合で結婚するのではない。もしもトヨタマが妊娠せずとも、婚姻の儀を奏上するつもりでございました。それほどにお互いに信じ、愛し合っているのです」


 そして改めて、デヲシヒコに向かって、正対すると重ねて述べた。

「この婚儀が王家ゆえに認められないのであれば、は王族の地位を捨てて、市井で生きていく覚悟にてございます」


 ミノタロは深々と、デヲシヒコに平伏して奏上した。


(寧ろ王族を捨てたミノタロに、トヨタマって女性が本当に付いて来るのなら、それは本物かも知れないな…)


 そんな無責任な考えが頭に一瞬過ぎったが、ここで王族を離れてしまうと“人守ひともり”への任官の道も途絶えてしまう。


 それに許嫁いいなずけを差し置いての結婚となれば、許嫁いいなずけの実家を蔑ろにする様なものである。

 平たく言えば外交案件で、ヒビを入れる行為と映るであろう。

 俺にとってはそもそもが、ミノタロの許嫁いいなずけが誰なのか?全く知らない状況である。


(俺が積極的に藪をつつく真似をする必要はないもんなぁ…)


 デヲシヒコに向かって、助け船を求めるように視線を遣ると、それを受けて目を瞑り八束髭に手を遣り、暫しの沈黙の後に重々しく口を開いた。


「ミノタロの気持ちの程は良く分かった。但しあくまでも、婚儀の件を急ぐ存念ならば、王族の籍を捨てる覚悟をせよ。一週間の猶予を以って、再度“王族会議”を開く。それまでは各々が熟考しておくように」


 デヲシヒコが大声で決議をすると、その日の“王族会議”は散会となった。



 俺はミノタロの真剣な恋心を、尊重してあげたい気持ちと現実の狭間で、揺蕩うように思考が定まりを見せぬままに、私室へとゆっくりと進むのであった。

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