第22話 重陽の節句 ※作者お気に入りの一話
本日はいよいよ重陽の節句である。
旧暦の9月9日は、現代の10月の中旬ごろにあたる。
朝から収穫したモチ米を使って、みんなで丸餅を作り始めている。
俺は専属侍従のウサギリやオクウ達が手分けをして、準備を手伝っていると聞いて、各所の裏方を見て回ることにした。
先日から、正式に俺の専属侍女となったウサギリは、モチ米の炊き出し係に参加している。
盛んに煙が発つ炊事専用の小屋に、松葉杖を手に向かうと数人の侍女たちが忙しそうに、炊き上がった米を蒸らしに走り回っている。
その中にウサギリを見つけたので、近づいてみた。
俺に気付いた何人かの侍女達は慌てて頭を下げていたが、気にせず作業に戻る様に促すと、再び忙しなく働きだした。
ウサギリを見つけると、竹筒で出来た火吹き棒を片手に、何やら炊き出しの火加減を真剣に確認していた。
「大変そうだね」
俺はなるべく邪魔にならないようにと、ウサギリの後ろから当たり障りない言葉を掛けた。
ところがウサギリは驚いて、跳ね上がる様に後ろにいた俺の顔を見るなり、いきなり跪いてしまった。
「ヲシリ様、ご用を蔑ろにして申し訳ありません!」
俺は慌てて、フォローした。
「ちゃんと今日の許可を得てるんだから大丈夫だよ。ところでどうしてもって話だったから、見に来たんだけど…やっぱりみんな忙しそうだね」
「はい。この行事の裏方の取り仕切りまでが、本来のわたしのお役目でしたから。こう見えて三年もやってるので万全ですわ」
などと言ってるそばから、炊き出しの釜が吹きそうになり、慌てて火加減を調節し始めていた。
(これは長居したら、邪魔なだけだな…)
俺はみんなに頑張るように、労いの声を掛けるとその場を離れることにした。
後ろから、ウサギリの声が聞こえてきた。
「今は手放せませんが、今夜の宴は初めて参加させて頂くので、楽しみに致してますわ」
そんな声に片手で手を振り返して、その場を後にした。
(確かオクウは餅
炊事小屋近くの庭の片隅では、力自慢の侍従達が競うように臼に入れた蒸しあがったモチ米を、杵で
みな上半身裸だが、その中でも目立ちまくっているのは…やはり俺の専属侍従見習いのオクウだった。
オクウはやはり
更に力任せに振る杵の音が派手に鳴り続けていて、餅
(なんかの競技じゃないんだから…)
俺はそんな光景から逃げるように、王家の待つ控えに向かった。
午後からは庭に能舞台を設けて、夜の薪能奉納儀式に備えていた。
夕刻になると、王家の一族や地元の名士が呼ばれ、例の庭師と息子の宮大工も参内していた。
王家の一族は能舞台を正面に、一段高い雛壇にマス席が設けられていた。
一段高く席を設けているのには、王家の威信のためだけではない。
社交の場として顔を合わす者達が、挨拶を奏上するのに一々庭に平伏して、装束を汚したりするのを避けるためでもある。
そもそも薪能は悪鬼を祓い、五穀豊穣の感謝を神様に奉納するので、禊や穢れを祓う儀式でもある。
庭師の親子二人は、儀式が始まる一足先に姿を表して、俺に対して挨拶と祝意を奏上した。
俺はまず年配の庭師に対して声を掛けた。
「このたびは盛大な薪能の準備、ご苦労でした。庭に咲く大輪の菊を中心として、庭の草木と舞台が見事に一体化していて、素敵な儀式会場になりましたね」
実はこの庭師の親子も、毎年薪能奉納儀式の準備を行うだけで、例年ならば帰されてしまうそうだ。
「それと歩行訓練の折に、時々庭の手入れをしているのには気が付いてました。今まで挨拶が出来ずにいました」
俺は日頃の感謝を込めて、労いの言葉を掛けた。
庭師は頭を下げて奏上した。
「勿体なきお言葉にございます。
そして傍らで頭を下げている息子を見遣りながら、改めて奏上した。
「この者は拙息の『ハヒキ』と申します。宮大工なる故、此度の能舞台と雛壇を設営いたしてございます」
俺は宮大工のハヒキに対しても、感謝の気持ちを込めて挨拶をした。
「
宮大工のハヒキは、深々と頭を下げて奏上した。
「
本当に満面の笑みを浮かべて、面を上げた。
大人の満面な笑みっていうのも、悪くないなっと思いながらも、フッと前世での生活を思い出していた。
(俺はあの現代社会を過ごして、ここまで素直な笑顔を見せることがあっただろうか?)
俺は二人の人柄を再確認すると、敢えて褒美とは言わずに、今後は毎年末席にて自分の仕事ぶりを確認する様に言い渡した。
当然、事前にデヲシヒコの承諾は受けている。
特に宮大工のハヒキは、俺に対して跪いて感謝を述べていた。
「今後、
親子二人は感謝の意を示しつつ、長居は失礼にあたるとばかりに、早々に控えの末席に戻っていった。
俺はホッコリとした気持ちで親子を見送った後、デヲシヒコを見ると満足気に頷いていた。
やがて酒宴が饗され始めた。
あちらこちらで話し声や笑い声が交わされながら、実りの山海の幸と共に、丸餅を頬張り、酒杯を酌み交わしている。
今年は豊作だった様で、そこかしこから景気の良い話が聞こえてくる。
そうした歓談の中でミノタロのところにも、見慣れぬ父娘が挨拶をしていた。
そしてミノタロが、デヲシヒコに父娘を紹介していたのだが、なにやら揉め事に発展しそうな雲行きである。
(俺が首を突っ込んだら、益々ややこしく成りそうなんだよな…)
目敏くマリアと目が合ったので、コッソリとこちらに呼び寄せた。
「お兄様が…いえミノタロ兄様が、お付き合いしたいという娘とその父親を、
(さすがに婚約者でも有るまいし、わがままにも程があるでしょ…)
俺は呆れ顔で一連のやり取りを想像しながら見ていると、父娘は不機嫌そうな面持ちで招待席に戻っていった。
するとミノタロも父娘の後を追って、招待席に座り込んでしまった。
(王家の威信を示す儀式の場で、あれは一番やっちゃ駄目なヤツだな…)
案の定、デヲシヒコは渋い表情で招待席を…ミノタロを睨め付けていた。
(こんなことで“人守”の件を蒸し返されなければいいが…)
やがて余分な灯りは消されて、赤々と空を揺らめかせる松明の火が、広々と明るく照らす満月の元、灯りのコントラストを生み出していた。
一同は手にしていた酒杯を膳に戻して、祭事儀式の始まる能舞台に視線を集めていた。
そして幽玄の間にて、薪能が行われた。
幕の外に雅楽の一団がいるのだろう、静かな音色から演目は始まった。
生前の薪能と言えば能面を咥えた、豪華な衣装で舞台を演じる姿を思い浮かべるが、この時代はみな顔にも
一応ストーリーがあって、悪鬼を神が払い五穀豊穣を皆で喜ぶ趣向だ。
しかしながら、ここ
つまり神も悪鬼も、頭に角を生やしているのだ。
(かなりシュールだよな。きっとお祖父ちゃんのプロデュースなんだろうな…)
一応は“牛の神”は金色に縁取られた衣裳を纏っており、舞踊も優雅な動きに徹している。
それに対して、悪鬼の方は炭で汚した蓑装束で数人が派手に踊っている。
衣裳は闇に溶け込む様で、松明に明々と照らし出されていて独特の悪辣さを表現している。
やがて雅楽の音が激しさを増すと、優雅に踊っていた“牛の神”が、牛追い棒を片手に、悪鬼を祓うような振付けに変わった。
すると悪鬼たちは舞台から飛び降り、観客に踊り掛かるような仕草を交えつつ、能舞台をぐるりと踊りながら回り始める。
観客たちは嬉々としながら、酒杯の酒や丸餅を近づいて来る悪鬼たちに振りかける。
舞台からは“牛の神”も、激しい動きで悪鬼たちを祓い清める様に、牛追い棒を振り回す。
(クライマックスだ!)
俺はこんなにも素朴なはずの、能楽に見入っていた。
雅楽に銅鐸の音が重なり合う中で、悪鬼たちは舞台の周りから捌けて行った。
舞台の中央では、牛の神が動きを止めたところで雅楽の音色も止まり、薪能は終わりを告げた。
ワァーァーァーァーァーァーァーァーァーァーァーッ!!
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ!!
周囲の観客からは、割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。
舞台上の“牛の神”はデヲシヒコの前まで進み出て、牛追い棒と共に一掴みの稲束を献上した。
デヲシヒコが恭しく、それを受け取ると薪能奉納の儀式が恙なく終了した。
そんな興奮冷めやらぬ雰囲気の中で、今渡された稲束を俺に差し出して言った。
「ヲシリよ、来年はそなたがこの稲を受け取るか?」
俺はまだまだ貫禄が足りませんと、謙遜する様に見せつつ本気で固辞した。
空気の澄んだ夜空には満月が天頂に差し掛かり、普段から煌めく星々や天の川銀河の中にあって、一際と明るく地上を照らしていた。
そんな中で誰かが満月を指さし、大声でこんな事を口にした。
「見てみろ!月の中でも、ウサギが餅を突いてるぞ!」
あちらこちらで、他愛のない会話が始まり出していた。
俺はそんな光景を目にしながら、独り言ちていた。
「きっと、この
そしてこんな祭事が、千年も二千年も続いてくれたら良いのにと、本気で願わずにはいられなかった。
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