第17話 ミノタロという異母兄
因みに、この時代にもちゃんとした履物が有る。
木製のソールになめし革を取り付けたものが、割と一般的に使われている。
庭を散策するならサンダル感覚で使えるので、かなり使い勝手がいい。
外出時には、藁で編んだ襷みたいな物を木製のソールごと足に結んでしまうと履物が脱げづらくなる。
しかし本日は夜明けから歩行練習を始めるために、松葉杖を使いながら素足で降りていく。
足の裏の肌感覚が、歩行の練習に不可欠だと考えているからだ。
秋も深まりつつあるため、早朝の庭土はひんやりと冷たい。
(転生したあの日から、二ヶ月間か…比較のしようがないから分からないけど、順調に回復してるのだろうか?)
きのうの不様な練習結果を思い出すと、不安が頭を
あと数ヶ月で歩行の目途が立たなければ、ミノタロが元服の儀を取り行った後に、
平行棒にたどり着くと早速、昨日のように右手から棒を握りしめた。
左手の方は握っているだけで、十分に握力が伝わっていない気がする。
前回は右半身の力に頼り過ぎていた。
室内での鍛錬でも、念入りに左の筋肉を付けるべく四苦八苦している。
なるべく体の重心を中心に整えて、目線を前方に向けて、胸を張るように右足を出した。
(昨日は足元を気にするあまり、前屈みになり過ぎてたんだ。だから左足より前に足が踏み出せなかったに違いない)
そんな事前に済ませていた、脳内シュミレーションの結果である。
歩幅は小さめに左の足を前に引きずる様に踏み出す、やっぱりシッカリと地面を踏みしめる感覚がしない。
膝を滑らかに持ち上げられる様に、左大腿筋の筋トレメニューも取り入れるようにした。
しかし一朝一夕に筋肉が付いている訳も無く、相変わらず左足を前に引き摺るのが精一杯であった。
ついつい足元が気になって前屈みになってることを思い出して、改めて姿勢を整えた。
萎縮しがちな気持ちを振り払って、右足をさらに前に踏みしめる。
(やったー!成功だ。三歩まで進めたぞ…)
そんな思いもつかの間、直ぐにバランスを崩して平行棒にしがみ付くように膝を崩してしまった。
なにが悪かったのか分からないまま、また一からやり直す。
何度目かの転倒の折に、再びあの牛の彫刻が目に入った。
本当に写実的に彫り込まれた牛は、彫刻の中では活き活き歩みを進めているような躍動感を想起させる。
俺は暫らく目を閉じて、再度チャレンジしようと体勢を起こすと、向こうから異母兄のミノタロがやって来るのが見えた。
お互いに目が合うと、何気なく会釈を交わして、それぞれが自分の鍛錬を始めた。
何度か以前の部屋にお見舞いに来てくれたが、こうして庭で会うのは初めてだ。
(きっと毎朝欠かさずに、鍛錬を続けてるんだろうなぁ…)
ミノタロは、デヲシヒコによく似ていると思った。
その恵まれた体格に鍛えられた筋肉、そして全身に隈なく入れられた
まだ髭を蓄える年齢ではないが、あんな立派な髭を蓄える様になったら、今後は益々デヲシヒコに似ていくことだろうと思った。
片手には青銅の剣を携え、俺のリハビリの傍らで素振りの鍛錬を始めた。
やはり毎日の鍛錬なのか、その太刀筋は綺麗に体重が乗っていて、一振り一振りが重そうだ。
俺も負けていられないと歩行練習を続けるのだが、二歩三歩と進むたびに
最初は見て見ぬふりをしていたミノタロだったが、途中で剣の素振りを止めるとこちらに近づいて来た。
(歩行訓練を手伝ってくれるのかな?やっぱり
そんな風に思っていたのだが、手に持っていた剣をこちらに向けて言った。
「ヲシリ殿、歩く練習などよりも、剣を振る練習をするほうが大事ですぞ」
????????????????????
(どういう理屈なんだろう?)
俺が戸惑っていると、ミノタロは手にしていた剣の柄を突き付けて言った。
「
そして俺が手に取れるように、青銅の剣を傍らに立て掛けていた。
(あぁ…やっぱり嫡子、庶子で後継者が選ばれるのが気に入らないんだろうなぁ)
既にミノタロこそが後継者に内定してる事を伝えたいと思ったが、デヲシヒコからの王命で話せないことが歯痒かった。
「ハハハハ…ミノタロ様も無茶を仰る。逆に歩けるようになってからでなければ、そもそも剣を握ることも出来ませんよ」
この険悪なムードを
「ミノタロ様?今まで“様”付けで呼ばれたことなど、有りませんでしたな」
こちらを不審そうにジロリと睨み付けてきた。
「あ…あぁ…ミノタロ兄様と申し上げた心算だったのですが…。ご存じの通り、
(ちょっと言い訳として厳しいかな?)
俺は付け加えるように話を続けた。
「それに兄様は間もなく元服されると聞いております。元服後は
(王族は元服を迎えると、みんな
しかし元服を前にミノタロの言動が、良くない方向に向かっていることに不安を覚えていた。
(まぁ反抗期ってことなら年相応に真っ只中で、一過性のことなんだろうけど…)
「それなら尚更だ。“善き”思い出作りにも、是非とも一度くらいはお手合わせして頂きたい。ヲシリ殿はそちらの手摺り棒に背を預ければ、木剣くらいは握れるでしょう」
そこまで言うと、近くに控えていたミノタロ専属の侍従を呼びつけ、木剣を二本持って来るように命じていた。
(本気か?そんなまともに立てない相手に勝ったところで、何も誇るべきところ等ないだろうに…)
俺はなるべく穏便に済ませたいと、先程傍らに立て掛けられた青銅の剣を右手で握り、平行棒に背を預けて剣を構えることにした。
明らかに大振りな青銅の剣は、いまの小柄な12歳の子供の体躯にはアンバランスだった。
しかし木剣の模擬試合などと言う、無茶振りに付き合うよりは余程マシだと思った。
俺は右の握り手に合わせて、左の握りを添えるように剣を持ち上げた。
(くっ!なんて重いんだ…)
俺は何とか剣を正眼に構えることが出来たが、その剣先は定まらずに力無くフラフラと揺れてしまう。
(これを持ち上げて振り下ろしたところで、とても素振りになんて見えないだろうなぁ…)
改めて学校教育で学んだ剣道の授業を思い出しつつ、剣先が定まるのを待った。
額からは汗が滲み、幾筋かが滴っていく。
早朝の涼しい風が、額の汗をひんやりと冷やして通り過ぎていく。
すると一瞬剣先が定まった。
あれほど不相応に重かった剣の重さが、程良い重量感まで軽くなったように感じられた。
俺はただひたすらに、その正眼の構えを取り続けた。
…そして…。
静かに剣を下ろして、傍らに立て掛けて戻した。
今の俺には、この剣で素振りをすることは、とても無理だと悟ったからだ。
俺はミノタロに向き直って、正直に告げた。
「やはり
俺はそこまで告げると、改めて平行棒の間に身体を移した。
今は本当にやらなければならないのは、あくまで歩行訓練なのだから。
ミノタロもその姿を見て何を思ったのか、青銅の剣をその手に戻して自分の素振りの鍛錬に戻っていった。
ちょうど二本の木剣を持ってきた専属の侍従が、ミノタロから何やら耳打ちされると、一礼して木剣をその手にしたまま姿を消して行った。
その朝はお互いの鍛錬に汗を流して、無事に終わった。
すると縁側の手前には、いつの間にか水桶と手拭いが用意されていた。
その向こうには、侍従長のカラスさんと同年代位の侍従が、並ぶように控えているのが目に映った。
俺は部屋に戻る前に、水に濡らした手拭いで丹念に汚れた足裏を始め、身体の汗や汚れを落として部屋に戻った。
部屋に戻ると、朝の食事が用意されていた。
俺は隣に控えるカラスと同年代の侍従を見比べながら訊ねた。
「おはよう、カラス。ところで隣の侍従はどなたでしょうか?」
カラスは畏まって、奏上した。
「おはようございます、ヲシリ様。こちらは『カシハテ』と申しまして、新しくヲシリ様の専属侍従に任じられた者でございます」
そして隣に控える初老の侍従に後を促した。
カシハテと呼ばれた、新しい専属の侍従も畏まって奏上した。
「おはようございます。ヲシリ様、事故後は初めての御挨拶となります。
(なるほど…この年代の侍従ともなれば、名前を知らないこと自体が不自然になるんだな。失敗したっていうか、失礼なことしちゃったなぁ…)
ただ全ては伝わっているようで、特段に驚いた様子も見せずに平静に対応してくれていた。
そんな様子を見ていたカラスは、話題を変えるように話を引き継いだ。
「今朝は大変でございましたな。しかしあの立ち回りには、このカラスも関心させられました」
そうだ!と俺も思い出して応えた。
「一部始終を見ていたのなら、助けてくれても良かったんじゃないか?王命が無かったら…伝えて解決するんだから」
カラスもさすがに苦笑いしていた。
「もちろん木剣の試合となれば、
俺はそれには、寧ろ呆れながら訊いてみた。
「木剣の模擬戦くらいは、兄弟間のスキンシッ…やり取りの範疇じゃないかな?あまり過度な対応はしないでくれ。あと
しかしカラスは残念そうに、首を振って答えた。
「あの場でミノタロ様の指示に従っていたのは、彼の専属侍従です。まずは彼の侍従から
俺は驚いて改めて訊いた。
「あの木剣を指示通り用意したのは、あの侍従自身だろ?駄目なことならその場で注進しなければ、それこそ職務怠慢じゃないか」
カラスは答えてくれた。
「それこそ
「じゃあ…今回の出来事について、カラスも報告するのか?」
カラスは静かに頷いていた。
それよりも先に、聞いて置かなければならない事が有ることに気が付いた。
「そう言えば、今後はカラスが専属侍従になると思っていたのだが?」
カラスは申し訳なさ気に答えた。
「
俺は改めて新任の専属侍従を目にすると、やはりベテランの風格を感じる。
「今日からよろしく、カシハテ。
「噫ああっ。このカシハテ、身命を賭して
カシハテは承知しているかの様に、穏やかに微笑みながら平伏した。
用意されていた食事を摂り終わると、カシハテは手慣れた手付きで膳を下げていた。
俺は食後のルーティーンを済ますと、改めて平行棒での歩行練習を進めた。
しかし一朝一夕で成果が望めないとは知りつつも、遅々として成果が進まないのは精神的に堪えつつあった。
その日も夕日が沈むまで、鍛錬に没入したのであった。
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