第18話 深夜の惨劇
その日の鍛錬はギリギリまで汗を流したが、日没サンセットでやむを得ず終わりにすることにした。
部屋の傍らに延びる縁側には、いつの間にか水桶と手拭いが用意されていた。
(カシハテさんが、早速気を利かしてくれたのかな?)
俺は手拭いを水桶に浸して一絞りすると丹念に汚れた足裏を始め、身体の汗や汚れを落としてから、松葉杖を手に部屋へと戻った。
部屋に戻ると、見知らぬ侍従さんが食事を用意して待っていた。
「お疲れ様です、ヲシリ様。本日よりこちらの部屋を担当をさせて頂きます、侍従の『ロイロト』と申します。以後よろしくお願いします」
見た目30~40代だろうか?
落ち着いた雰囲気を纏う新任侍従の男性は、キチッとした正座のまま挨拶を述べた。
「よろしく、ロイロト。今後ともいろいろと頼むことがあると思うけど、よろしく頼むよ。ところで縁側の水桶もロイロトが用意してくれたのかな?」
ロイロトは、静かに肯定の意を表するように頷いた。
俺はその動作を確認すると、続けて言った。
「ありがとう。ところで専属侍従のカシハテが、どこに居るか知ってるかな?何しろ転居したばかりで、何がどこにあるかも分からない。ぜひ協力してくれ」
(これからお世話になるんだから、信頼関係は構築しておいた方が良いだろうからね)
「
ロイロトはそれだけ答えると、深々と一礼して静かに部屋を後にしてしまった。
(まぁ、ゆっくりと信頼関係は築けば良いかなぁ?)
俺は準備されている食事の御膳に目を遣ったが、今は運動をし過ぎていて食事が胃を通りそうもない。
取り敢えず、今は睡魔が勝っているので寝床を目で探した。
縁側に接する“続きの間”と反対の方向に、もう一つ別の部屋があった。
早速、そちらの部屋を覗いて見ることにした。
(こっちが寝室専用なのかな?)
“寝室の間”は二段になっていて、奥の方が一段高くなっている。
境には御簾のように、透けて見える薄手の生地が垂らされていた。
(蚊帳の役割も兼ねてそうだな)
その一段高くなった場所には、既に寝具が整えられていた。
さすがに寝室らしく、あまり物が置かれていない。
せいぜい燭台の灯りと、呼び鈴と思われる紐があるだけであった。
燭台の手前には、唯一の備品として火種が点いた香箱が置かれている。
(香はアロマテラピー効果が期待されるのかもな……)
香を焚いて布団に横になると、日中の疲れからか直ぐに眠りに落ちていった。
ZZZZZZZZZZZZzzzzzzzzzzzzz…。
深夜にフッと、目が覚めた。
自分があまりにも早い時間から、眠りに就いていたことを思い出した。
(そう言えば、食事も摂らないで寝ちゃったんだっけ……)
俺は身を起こそうとすると、どこからか甲高い笛のような音が聞こえてきた。
(何の音だろう?)
俺は静かに香箱から火種を手にすると、燭台に灯りを燈した。
深夜の屋敷はまさに静寂に包まれているといった感じで、小さな笛のような音はどこからか微かに響いている。
不意に何かしらの気配を感じた。
(あれ?何が気になっているのだろう……)
燭台を手に取って辺りを照らしてみた。
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
真に驚いた時には、声も上げられないと実感した。
俺が目にしたのは、呼び鈴の紐に巻き付くように伝い降りてくる、一匹の大きな毒蛇であった。
(まだらの紐……いやハブだな……)
俺は蛇という生き物が赤外線を見て、体臭を舌で嗅ぎ取ることを思い出していた。
(香を焚き染めておいて、正解だった……)
俺はジリジリと後ずさりながら、松葉杖を後ろ手に探った。
今の運動能力では、一瞬で相手の攻撃の範疇から外に逃げるのは難しい。
俺は松葉杖を逆さに構えて、取り敢えず御簾の外に逃れることを考えていた。
ハブはかなり攻撃性の高い動物だ。
そして、身を丸めると数メートルは飛び掛かるだけの能力を秘めている。
ハブの鎌首がこちらから逸れた瞬間に、素早く御簾の外にすり抜けた。
しかしこんな薄っぺらな布切れ一枚の間仕切りじゃあ、あまりにも心許ない。
(何とかして気付かれる前に、追いやらねば……)
俺は息を最小限度に留めつつ、ゆっくりと慎重に御簾の中へと松葉杖だけを差し入れていく。
松葉杖のY字部分をハブの鎌首に押し当てると、進行方向を上向きに変えるようにゆっくりと押し返した。
どうやら呼び鈴の穴から入り込んだようだ。
呼び鈴の穴は紐を通すには、余りにも大きく設えている。
(恐らくは人為的に、作為的にだ……)
俺は松葉杖で届くギリギリまで追い返すと、相手を元の穴に戻る様にタイミングを見計らって強く叩きつけた。
ハブが身を翻して、呼び鈴の穴に戻って行くのを目にした。
「ぎゃあああああああああああ!」
その一瞬の後に、恐ろしい断末魔が聞こえてきた。
深夜の叫び声は静寂を打ち破り、まるで非常ベルのように屋敷中に響き渡った。
俺は大声で叫んで、人を呼んだ。
暫らく外から騒がしく音がすると、侍従長のカラスが扉の外から大声で呼びかけてきた。
「
云うや否や直ぐに扉を開いて、部屋に飛び込んできた。
俺は急いで指示した。
「とにかく部屋に灯りを集めてくれ。それと……あの呼び鈴の先には猛毒をもった蛇がいるはずだ!迂闊に部屋には立ち入らないように手配してくれ」
カラスさんは頷くと、直ぐに外に飛び出して侍従達にテキパキと指示を出した。
俺は手を付けなかった食事の御膳にも目を遣った。
(あのロイロトとか言う侍従の仕込んだ罠であれば、この御膳にも毒が盛られている可能性が高いよなぁ……)
一通り指示を出したカラスさんは直ぐに、俺の元に戻って来た。
俺は新しい侍従について、尋ねることにした。
「カラスよ。あの新しい侍従を名乗っていた“ロイロト”って知っているか?」
カラスは、ロイロトに関して詳しくはなかった。
「最近になって侍従に取り立てた者ですな。確か長年仕えている侍従の推薦だったと記憶しております。更に
カラスも思案気に答えてくれた。
俺は食事の御膳を指さしながら、続けて言った。
「恐らくはこの御膳には毒が盛られている。誰も手を付けずに証拠として、保管するように伝えてくれ。これからあの呼び鈴の先に繋がる部屋へ行ってみよう」
カラスは俺が同行するのに反対していたが、俺が強く主張するとそれ以上は反論せずに、
人数が集まると、部屋に押し入った。
部屋には二人の男が床に倒れ伏し、息絶えていた。
そして毒蛇は一方の遺骸の上で蜷局を巻いて、鎌首を上げていた。
前に立つ
そして部屋をひと回り灯りで確認すると、跪いて報告した。
「
面を上げた
俺はオクウに労いの声を掛けて、奥の死体に近寄った。
(人の死体なんて目にするのは葬式以外では、あの老巫女以来だな…)
しかも、つい最近の出来事だ。
俺はこの時代の人の生死が思いの外、身近な出来事であることに遣るせない思いを抱いていた。
しかし考えるのは、未だ後のことだ。
衛士や侍従達が持ち寄った僅かな灯りの中で、今は検死の真似事を行うことにした。
侍従長のカラスを近くに呼びながら、一つづつ説明を始めた。
先ずはハブの乗っていた、死体の脈をとってみた。
脈はすでに途絶えており、瞳孔は開き切って最後の絶叫を発したままに、顔は歪んだまま固まっていた。
「この男が“ロイロト”と名乗っていた侍従です。恐らくは
俺はこの男の右手に、特殊な細長い横笛が握られていることを確認した。
(この場は、必要以上に多くを語るべきではないな……)
そして隣に横たえられてる、初老の男の死体を観察した。
薄暗がりの中で燭台に照らし出された顔は、今朝がた紹介されたばかりの専属侍従のカシハテであった。
「カシハテさん!」
俺は思わず、現代の口調で呼びかけていた。
カラスも直ぐに、カシハテの遺骸を抱き上げた。
しかし体温はすでに失われており、死後硬直が全身に始まっていた。
更に首には、手の後がはっきりと青く残されていた。
(確か死後硬直は死後2~3時間位で手足の末端から始まって、全身が死後硬直化するのは12時間くらいだったはず……)
俺は見知ったばかりとは言え、知り合いの死が、こんなにも心を締め付けることを初めて知った。
思わず、喉の奥から酸っぱいものが込み上げてきた。
俺は一頻り嘔吐きながら、身体が落ち着くまで待った。
カラスは改めて、カシハテの遺骸を丁重に横たえると、俺の具合にも気を使ってくれた。
その目からは止めども無く、涙が零れていた。
俺はふらふらな状態だったが、何とか嘔吐感が納まると専属侍従だったカシハテの傍らに跪いた。
「カシハテさ……“カシハテ”は昼過ぎには、“ロイロト”に首を絞められて殺されています。首に付いた手の跡と“ロイロト”の手の大きさを合わせれば、きっとピッタリと合うはずです」
(時間を遡ると、俺との紹介後に別れて間もなく殺されたのだろう……)
俺の暗殺に巻き込まれる形で命を奪われた事に、例え様もない失望感に襲われていた。
フッと気が付いて、傍らに控えるカラスに訊いてみた。
「この“ロイロト”を推薦した侍従は、俺の専属侍従として雇うように働きかけていませんでしたか?」
カラスは少し考えて、思い出したかのように答えた。
「そう言えば雇う折には、その様な話も出ておりましたが、
(端から俺の暗殺目的に引き入れたってことか……)
そこまで思いが至ると、再び悲しい思いが込み上げてきて、カラスに新たな指示を出した。
「カラスよ、至急に“ロイロト”を推薦した侍従を捕縛してくれ!」
後方に駆け付けた
しかし深夜の騒動の合間を縫うように、長く勤めていたという侍従も姿を消していた。
深夜の捜索は困難を極め、結局長く勤めていたという侍従を捕らえることは出来なかった。
長い長い転居の一日目は、東の空が白々と明け行くとともに、一旦の幕切れを迎えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます