第4話 俺のスキル『りはーびり』

「ヒールッ!!」


 全身から光が溢れ出し、身体の隅々の細胞や神経組織まで、回復のエネルギーが満ちて…。

 ……。

 ……。

 ……いく筈もなかった。


「これじゃあ、ただの中二病だな」

 我ながら、苦笑いするしかなかった。


 まぁ、この身体自体は、中二病真っ盛りでもおかしくは無いのだが、精神のほうは三十路みそじのオッサンだ。

 この手のダメージは、精神のほうに重くのしかかる。


 しかし、多少くらいの言い訳をしても良いだろうか?

 異世界に転生して、怪しげな魔女の集団の儀式に立ち会った挙句、雷神か雷の精霊を宿した超能力者または魔法使い。

 一時はマジ物のファンタジー路線か?と思わせるような展開だったのだ。


 ただ、あの目覚めた時の大声を思い出すとき、10日間も寝たきりだった子供が出せる声量だったのだろうか?と思わないではなかったのだ。


 そうして、フッと下の胸元を見る。

 今は薬草か何かの膏薬が厚く塗られた上に、麻の布が幾重にも巻かれている。

 そう、胸には広範囲の火傷やけどの跡が、生々しく残されていた。


 膏薬を取り替えるため、包帯をほどいたことがあるのだが、その痛々しい火傷やけどの痕とその下地の焼けただれて歪んだ刺青いれずみが見えた時に、ある有名な絵画に似ているのを思い出した。


俵屋宗達たわらやそうたつの風神雷神図屛風じゃあないか!)


 元々の刺青いれずみは、王家のシンボルというべき、雄々しい牛の絵図が極彩色ごくさいしきに彩られてたそうである。


 ところが焼けただれてしまった結果、元の原型から大分遠ざかってしまったようだ。


 しかし俵屋宗達たわらやそうたつの描く風神雷神の顔は、まるで牛を擬人化したような顔である。

 その力強く描かれた発達した筋肉の描写などは、元々あった雄々しい牛の筋肉の盛り上がった様とよく似ていた。


御身おんみ火雷神ほのいかづちのかみ現身うつしみなりや?』


 脳裏にあのヤマト國の宗女サグメの声が、リフレインする。


 これは、だけは、かたくなに話たがらないマリアから、無理やり聞き出したことなのだが、どうやら落雷の際に胸の皮膚が焼かれる際に、炎が天高く立ち昇っていたのだと言う。


 まるで火雷神ほのいかづちのかみ様が立ち尽くすように…。


(そんなんで、良く生きてたな) 


 マリアはしっかりしているが、まだまだ幼い。

 見たもの聞いたものが、大袈裟に見えてしまうことも在るのだろう。


 しかし、そんな話を聞かされてしまったら、こんな考えが浮かんでくる。


(万が一にも、俺の身体に神とか精霊とかが宿されているのでは?)


 そんな風に思いを馳せて、血迷った振る舞いをしたところで、誰がこの俺を責められようか?


「俺自身だよ!」

 自虐ネタに一人突っ込みを入れて、再び言い知れようもない羞恥心しゅうちしんに襲われる。


「はぁ……、やっぱり地道にリハビリをこなすしかないか」

 そうして、足の指先から掌の指先に至るまで力が入らないか?動かせる箇所はないか?丹念に調べていく。


 そうして少しでも動く部分は、無理にでもより可動域が幅広くなるように、力の入らない部分にも少しでも動かせるようにと力を加えている。

 これが意外と根気のいる作業で、精神力と体力を容赦なくむしばんでいく。


「痛っ!」

 しかしこの激痛さえ、今は喜ばしく感じるようになってきた。


(んん?決して変態じみた性癖に目覚めた訳じゃないぞ!)


 痛みを感じるのは神経が通っている証左だ。

 無理にでも力を入れる練習を繰り返して続けていく。


「痛ててててて!」

 分かっていても、痛いものは痛いのである。


 ファンタジーが通用しないのならば、現代知識に頼るほかない。

 確かこうした神経系の疾患は、発症後2~3週間のリハビリが重要だったはず。

 既に10日間も寝たきりだった挙句に、体力が人並みに回復するまでに既に数日を費やしてしまっている。

 見えないカウントダウンの針は、刻一刻と進んでいるに違いない。


「痛っててててててててて!!」

 再び激痛に見舞われた。


 最近ようやく、首を捻れるようになってきた。

 上半身の一部は、既に何ヶ所か可動域を確認している。


 しかし、首だけは慎重に進めなければならない。

 首や脊椎には、体の全身に巡る神経系統が集まっているのだ。

 素人判断で、そうした大事な神経を傷つけてしまっては、元も子もない。


 一通り身体の隅々に力を入れてみたり、実際に動かしてみたりする。

 そんな一連の流れが終了する頃には、俺も汗だくだ。

 発汗も神経が働いている証左とも言える……言えますよね?


 今はこの地道なリハビリを、続けていくしかない。

 なにしろこの世界には、電気もなければ本すらない。

 身体の動かない俺にとっては、現状打破に繋がるのは、このか細い一本道しかないのだから。


「お兄様、お食事をお持ちしましたわ」

 引き戸の外から、マリアの声が聞こえる。


「ありがとう、入ってくれ」


 こちらの習慣には、ノックというものはない。

 問いかけて答える、実にシンプルだ。


「失礼しますわ、お兄様」

 マリアは行儀よく入室する。

 そんな所作しょさの一つ一つが、殺風景なこの部屋に品格と彩りを添えてくれる。


「あら?お兄様、こんなにお汗をかかれて。先に清拭のほうがよろしかったでしょうか?」


 清拭もずっと、マリアに任せている。

 最初はちょっと恥ずかしい思いもしたが、健気に妹が真剣な様子で体の隅々を拭いてくれてる姿を見ていると、恥ずかしさよりも寧ろ、その献身的な姿に心が洗われるような思いさえした。


 しかし今日は、マリアの申し出を軽く制して、用意していた台詞せりふを口に出した。


「マリア、ちょっと見ていてくれないか?」


 そう言い残してからが大変だ。

 まずは思い切り腹筋に力を込めて、最近動かせるようになってきた右肘に上半身の体重を掛けながら、首に負担が掛からないように、ゆっくりとだが上半身を起こした。

 そしてマリアのほうをゆっくり向いて、感謝の笑みを込めてこう言ってみた。


「マリアのお陰で、ここまで出来るようになったんだ」


 マリアは、まるで奇跡の瞬間を見るように目を見開いていた。

 やがてその瞳一杯に涙を浮かべたかと思うと、いきなり俺の胸に飛び込んできた。


「お兄様、ほんとうに、本当によかったですわ……!」


 そのあとは俺の胸に顔を埋めるように、ただひたすら嬉し涙にむせび泣いてくれた。


 そんな年相応の反応をみせる妹の姿を見ていて、こっちまでウルッとなりそうになった。

 そこで涙が込み上げる前にと、慌てて明るい声を装いつつ言葉を繋いだ。


「実は少しずつリハビリしててさ、やっとここまで出来るようになったから、真っ先にマリアに見て欲しかったんだ」


 マリアも涙を堪えつつ、俺のほうに向き直って応えてくれた。

「マリアはお兄様の妹に産まれてきて、とっても幸せですわ」


 そして、俺のほうに抱きついてきた。

 俺は慌てて止めようかとも思ったが、胸元に付いた湿り気はどんどん広がっていくのを感じたので、辛うじて動く右腕を引き上げて優しく頭を撫でてあげるのが精一杯だった。


 やがて泣き止んだマリアは、そっと顔を背けながら言った。

「ズルいですわ、お兄様」


 改めて振り向いた顔は、決意を秘めた表情になっていた。

「わたくしにも、り……?りはーびり?と言うのを手伝わせて下さいませんか」


 この世界には、リハビリなんて言葉はない。

 無いが、そのまま使った。

 俺とマリアが分かれば良いだけの用語なんだから、別に『りはーびり』で良いんだ。


「あぁ、もちろんだよ。寧ろこちらからお願いしたいと思っていたんだ」

 一息付いたところで、これからやろうとしてる事を、確認しながら説明した。


「これから清拭の折に、指先一本一本から揉みほぐすように刺激を加えていって欲しいんだ。長い作業になると思うから、マリアにとっても負担を掛けてしまうと思うけど、やってくれないか?」

 俺はマリアを見つめながら、そう言った。


「もちろんですわ、お兄様」

 マリアは涙を拭いながら、満面の笑みで応えてくれた。

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