一限目:始業式

 「大丈夫ですか?犬田いぬた先生」

 机に突っ伏した犬田に理科担当の水上置すうじょうち理華りかがお菓子を差し出す。

 「ありがとうございます。ちょっと疲れました」

 犬田は学年全体や自身が受け持つ三年二組の準備で大忙しだ。


 「大丈夫ですか!僕になにかできることがあったら仰ってください!」


 「そうですよ。私も副担なのでできることがあればなんなりと」

 「ありがとうございます。でも、水上置先生も他学年の授業も受け持たれるのでお忙しいでしょう」


 「僕も陸上部や体育の授業準備がありますが、大丈夫ですよ!」


 「授業は昨年度も受け持っていたので、去年の資料を使い回しするつもなので、犬田先生ほど忙しくないですよ。大丈夫です。なんかあったら言ってくださいね」

 「ありがとうございます。その時は遠慮なくお願いさせていただきます」

 犬田を気遣った水上置は去っていった。


 (ん?なんか僕忘れられてないか、、、?)

 そんな違和感を走田は感じるのだが、彼の脳みそではそれ以上深く考えることができなかった。


 七時三十分。職員朝礼。

 「えー、みなさん、おはようございます。本日から新学期ということで本年度も忙しい年になるかと思いますが、よろしくお願いします」

 校長の高知が手を後ろで組み、腹を突き出して話す。

 異動の先生や新しく赴任してきた先生の挨拶が終わると異動の先生を送別する赴任式だ。




   ***




 赴任式では異動の先生の挨拶の後に新しく赴任してきた先生が挨拶がある。

 生徒たちは長期休み明けで落ち着きがなかったが、赴任式は滞りなく閉式した。

 大婆氏邸だいばあしてい中学校は赴任式を終えるとそのまま始業式をする。

 新しいクラスで落ち着かない生徒たちも担任発表では静まり返る。


 「三年一組、猫野葉二ねこのようじ先生」

 知らない新任の先生に動揺し、ざわつく生徒たち。

 「三年二組、犬田従女いぬたともみ先生」

 「きゃー!!やった!!」

 一人の女子生徒が声を出し、三年二組は騒がしくなる。石頭いしづ教頭の指導でまた静けさを取り戻した。

 「三年三組、走田蒼士陽そうだそうしよう先生」

 「えー!!」

 「よっしゃあ!!」

 女子生徒の反応はあまり良くないが、男子生徒は喜んでいるようだ。

 再三の石頭教頭から指導で彼らはその後は特別騒ぐこともなく、無事に始業式を終えた。


 「犬田先生人気でしたね!」

 「はは、なめられてるんですよ。走田先生もあんな反応でしたけど、男子生徒は喜んでましたよ」

 「ははは!なんか僕、生徒に人気あるんですよね!」

 犬田は走田を気遣ったつもりで言ったのだが、走田の的外れな反応で気遣い損した気分になった。

 犬田は各自の担当学級へ向かう中、少し前を歩く猫野の背中を見て嫌な予感がした。犬田はその予感が当たらぬことをひっそりと願った。




   ***




 それぞれの話が飛び交う教室。そこに水を打ったのは三年一組の窓に映った影だった。

 影が扉の前で止まると教室の緊張が一気に高まる。

 扉が開き、薄茶色のスーツをぶかぶかに着た気だるげな細身の男が姿を現した。

 猫背の男は教室を軽く見渡すと、教卓に向かって歩を進める。

 残念な猫背を伸ばせばそこそこな身長になるだろうが、サイズのあってないスーツのせいもあってか、中くらいにまとまっているように見える。

 

 腕いっぱいに抱えた資料をドスリと置くと、男は視線を前方に向ける。

 男は曲がった背中をゆっくりと伸ばし、小さく息を吐いた。

 沈黙の中、男が最初に発する言葉を聞き取ろうとクラス全体の集中が目から耳に移り変わる。


 「あ、そこの扉閉めてくれますか?」

 男は扉付近の女子生徒が扉を閉めるとありがとうございますと言い、前を向き直した。


 全体の緊張が少し緩むと、男は小さく喉を鳴らし、話す。

 「猫野葉二と申します。担当教科は社会科。よろしくお願いします」


 この男の登場は拍子抜けした感じだ。

 この男が醸し出す気だるげな雰囲気に気が抜ける一方で、男がなにかしでかしそうなのをクラス全員は本能的に感じ取っていた。




   ***




 「それでは、続いてクラス委員決めをしたいと思います」

 猫野は黒板にクラス委員の役職と対応する人数を書くと、立候補を募った。


 「最初に学級委員から決めましょうか」

 教室はそれまでの静けさからさらに沈黙に飲まれていった。

 

 「ねえねえ、芽愛めな。なにかやる?」

 「え?やるわけないじゃん。めんどくさいし」

 沈黙の中の生徒たちの囁き声は時間が経つほどに大きくなっていった。

 

 「学級委員の立候補者はいないようですね。それでは学習委員の立候補はありますか?」

 学習委員に関しても立候補者はいない。

 猫野は呆れるわけでも、苦笑いするわけでもなく、ただ、虚ろな眼差しでクラスを眺める。


 猫野はクラス委員の役職を一つずつ確認していった。そのうちいくつかは立候補があり、決まっていった。

 一回り立候補者を確認し終えると、黒板にはまだ決まっていない役職が七割ほどある。

 

 「他の委員は立候補がないということですね。わかりました。今決まっている、生活委員、美化委員、体育委員の方々は明日以降委員の仕事に移りましょう」


 猫野は黒板に書きだされた氏名をメモすると、ざわつく生徒たちに背中を向け、板書を消した。 


 「今日することは以上です。続いてはHRですね。しかし、HRを進めるはずの学級委員が決まっていませんので、HRはせず、下校時刻まで沈黙とします」


 この時間は生徒たちが学校の中で過ごしてきた中で最も長く感じた時間だろう。

 教卓横に椅子を置いて、本を読む猫野を生徒たちは睨むような、呆気にとられたような目で見つめていた。


 時間がくると猫野は本を閉じ、立ち上がった。

 「時間になりました。私は帰ります」

 そういうと、出て行ってしまった。

 生徒たちは呆然としていたが、一人が立ち上がると、一人一人と立ち上がり、教室を出て行った。

 

 生徒たちの猫野の評判は最悪だった。典型的な嫌味な教師で、ああいうのはみんなが静かになるまで〇分かかりましたとか消し忘れた板書の上からそのまま書き始めるようなことをする陰湿な教師だと生徒たちのなかで話題になった。

 生徒たちの評判はインターネットよりも早く回っていくもので次の日には学年全体の生徒が知ることになった。




   ***




 いつもここにくるのは緊張する。

 職員室の扉を二回ノックし、開けると、先生たちの視線が一斉に僕に向かって突き刺さる。

 「失礼します。二年、あ、三年一組の桧山ひやまです。猫野先生に用があってきました」

 今度は教師たちの視線はあの猫男に向けられる。

 三学年の机群の中から顔だけを覗かせ、あの虚ろな目がこちらを見る。

 猫野先生の手招きに促され、僕は猫野先生の机まで歩いていく。

 僕が机に着くと、猫野先生はのっそりと立ち上がる。

 近くで見るとデカく感じる。 

 「なんでしょう」

 「あの、学級委員の件なんですが」

 「ええ」

 「僕が立候補します」

 「そうですか。わかりました。学級委員は桧山学さんですね」

 そういうと、猫野先生は席についた。

 「あ、あの、クラス委員はどうするんですか?」

 猫野先生は意外そうな顔してこっちを見る。

 「どうするというのは?」

 「立候補者がでなかったら、誰が委員をするんですか」

 「立候補者がでるまで空席ですね」

 え?僕は絶句した。

 「え!?委員まだ決めてないんですか!?」

 猫野先生の向かいに座っていた犬田先生が声を上げた。

 犬田先生は僕の方をみると苦虫を嚙み潰したような顔をして、帰宅するように促した。

 

 「失礼しました」

 一体あの先生は何を考えているんだ。

 猫野先生が誰かを指名したりすることなく、このままクラス委員が決まらないと提出物や配布物、号令、等々をする人間がいないわけで、間違いなく困る。

 どうしたものか、、、 

 まあ、僕がやれることは僕がやればいいか。




   ***




 事件は次の日に起こった。

 学習委員がいない三年一組は春休みの国語の課題を集めておらず、犬田先生からお𠮟りを受けた。

 女子人気のある犬田先生は授業後に事のいきさつと猫野先生の愚痴を女子から伝えられたが、これはクラスの責任ということで犬田先生が態度を変えることはなかった。

 このようなことは体育、理科の授業でも起こり、その度に先生たちから𠮟られることとなった。

 

 帰りのHRの少し前、そこには数名の生徒が猫野先生を取り囲むようにして話していた。

 彼らはすでに委員が決まっている生徒たちだ。

 自分たちは委員が決まっているにもかかわらず、理不尽にも𠮟られたことが納得いっていないというところだろう。

 

 そして、HRは通常通り始まる。学級委員は僕で決まっていたので、僕が司会をする。

 「何か連絡はありますか?」

 すると、さっき猫野先生に嘆願していた生徒が手を挙げ、前にでてきた。

 「委員決めをしたいと思います。立候補はありますか」

 彼らは終始困った顔をしている。

 しかし、結果はやはり昨日と同じだ。

 「いないようですね。わかりました」

 猫野先生がそう言うと彼らは自分の席に戻ってしまった。

 「いや、でも、、、」

 つい言葉に出してしまった僕を猫野先生はちらりとみると、正面を向いた。

 「昨日はHRがなかったため、言いそびれたことがあります」

 「ここは君たちの学校です、ここは君たちの教室です。ですから、当然、私は何もしません」

 一気にざわつく教室。ひそひそと話す人達。彼らのフラストレーションはもう限界ではないだろうか。

 「なにか意見があるなら遠慮なくお伝えください」

 猫野先生は声のトーンさえ変わらない。

 

 「せんせー、それだと教師じゃないでしょ」

 「ちょっと!芽愛!」


 猫野先生は発言者の方に目をやる。虚ろな目は何も変わらない。ただ、僕の見間違いだろうか。猫野先生に一番近い僕から見ると常に無表情だった大猫の口角が初めて上がったように見えた。


 「いいえ、私は教師ですし、教師としての仕事も果たしている自負があります。佐倉さくらさんと私の間にどのように齟齬があるかはわかりませんが、教師というのは教え導く者ではありません。あくまで、教える者です。その教えに君たちが従うかどうかは知るところではありません」

 猫野先生は何一つ態度を変えずに虚ろな目で真っ直ぐに佐倉を見つめる。

 「だったら、何をするんですか」

 「教えますよ。授業しかり、世の中の生き抜き方でもいいでしょう」

 「おそらくですが、君たちはクラス委員について不満を持っているようですね。この件の私の見解としては、このクラスの運営がうまくいかなかったり、そのことで先生たちに𠮟られることなんて心底どうでもいいです。私は知恵は授けますが、クラス委員を指名するようなことはしません。なぜなら君たちがクラス委員に立候補しないということは、君たちの充実した学生生活にその委員は必要ないと判断したからでしょう?それも君たちが主体的に判断した結果だ」

 「は??」

 佐倉をはじめ多くの生徒が猫野先生の発言を理解していないわけではなく、言われたこともないことを言われたため動揺していた。

 「つまるところ、クラスや学校を楽しく、過ごしやすくするのは君たちです。私の役目ではありません」


 猫野の演説は当然、生徒たちに響くはずなどない。

 ただ、彼らは気付き始めた。

 「「「こいつは俺たち、私たちの面倒見るつもりないんだ」」」ということを。


 次の日の朝のHRですべてのクラス委員が決まった。どれも立候補だった。




   ***




 始業式当日、桧山の訪問後の職員室


 「ちょ、猫野先生!クラス委員決めてないんですか!」

 「まあ、はい」

 「いやいや、明日から通常授業ですよ?」

 「ですね」

 「いやいや、だから明日はどうするんです!?」 

 「授業をしますね」

 「こいつ話が通じないのか!?(委員がいないと提出物回収とか出来ないでしょ!)」

 「あ、犬田先生。心の声と発言が逆になってます」

 「ああ、すみません。走田先生」

 「でも、どうするんです?確かに犬田先生が仰るようにクラス委員が仕事しないと明日の授業は困りますよ?」

 猫野は初めて走田のまともな発言を聞いて、少し驚きつつ、二人を見る。

 「そうですね。先生方の授業で不都合が起こった場合はしっかり𠮟ってあげてください。このことは私たちの責任ではありません。彼らがした選択です。それによって教師に𠮟られるという結果がついてきたということは彼らにとって大切なことです」




   ***




 某所居酒屋

 「ほんとに理解できない!!」

 「まあまあ、結果的にクラス委員も決まったわけですし」

 「なんですか!?走田先生はあいつの肩もつんですか!?」

 「いやいや!僕はいつでも犬田先生の味方ですよ!!」

 「確かに、結果的に生徒たちは立候補したかもしれないですけど、それってただ𠮟られたくないからでしょ?そんなの自主的とは言えません!てゆーか!なんでこの結束会にも来てないんだよ!あいつは!どうおもいます水上置先生!?」

 「確かに飲み会来ないのはさみしいねー。それより、犬田先生大丈夫?少し飲みすぎちゃったかな?」

 

 「おい、葉二、あそこに座ってるの学校の先生っぽいぞ。知ってるやつか?」

 「いや、知らないな。てか、おっちゃん、おかわり」



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