第3話 感染症

「はい。」


ワンテンポ遅れる形でトマキが返事と共に縁側の障子をやっと開けた。

聞こえるかどうか何時も不安な気持ちで待っている健斗は大きく息を吐きだした。

トマキが優しく呼んだ。


「お父さん、健斗君」


トマキの声を待たずに少佐郎は笑顔で答える。


「どうしたかや」


又何かあったかと思考を巡らす。


「爺ちゃん、椎茸が殆んど開いてしまって売れそうにない!」


健斗は赤の他人と言っていい少佐郎を爺ちゃんと呼ぶ。

それは、田舎の若いものの特権的言葉と少佐郎も解釈してる。

悪意がない、信用しているの証なのだ。


「それはほだ木が乾きすぎじゃ。」


ゆっくりと縁側に出て立ち姿のまま健斗と対峙した少佐郎が続けて言った。


「浸水はきちんとやっかや?」


原木に種駒を打つ前に等サイズに切ったほだ木と呼ばれる丸木をしばらく浸水する。

十分に水を含ませないと原木が乾いて椎茸の傘が開いてしまう。

そうなると椎茸の旨み成分である胞子が全て落ちてしまい、椎茸そのものの値打ちが下がるのだ。

大きければ美味いと勘違いする事が多いのが椎茸である。

健斗は、熱くなった表情で言った。


「ちゃんとやったよ!」


噛みつきそうな勢いだ。

その答えに少佐郎は空を仰ぎ逡巡してから答える。


「そうか、この異常気象でもう4カ月近く雨が無い。健斗、ほだ木の周りの土に給水ポンプで水を流せ、溜まるくらいじゃ、子実体には絶対当てるなや」


少佐郎は健斗よりも若い口調で指示する。


「子実体ってなん?」


椎茸農業2年半の健斗には理解できない言葉だった。


「椎茸の事かや!」


少佐郎の見下す事のないやさしい口調に恥ずかしさを余計に感じて健斗はすぐに山へ車を向けた。

子実体の傘などに水滴が付着するとその部分が黒ずんで売り物にならなくなる。

農業は理屈だけでは生産はできない。

自然のなんたるか、それを体で感じ取ることが大事だと少佐郎は健斗に身を持って教えたつもりだった。






この町に細菌が入り込んだのは2か月前の事だった。

西町に一件しかない診療所に声がかすれて喋り難いと言う女性の患者が来院した。


「先生、昨日から息が苦しい感じで声を出すのに無理しないといけないほどなんです。」


診療医の積田医師は、喫煙者であったその患者に伝えた。


「扁桃が少し腫れてますね。今度取りましょうね。」


安易な判断でうがい薬を処方した。

しかし、帰宅したその患者がその日の夜に息を引き取った。

享年31歳だった。

積田医師はおかしいと思ったが、下気道呼吸器感染症による細菌性肺炎の死亡診断書を作成した。

LRTI(下気道呼吸器感染症)は発展途上国の幼児の症例が多い。

それがこの国でしかも大人でというのはなかなか考えにくいものだった。

次の日には同じ症状の患者が5人来院した。

症状が喉の痛みで扁桃に若干の腫れがあるという事、全員が喫煙者である事から不信感を抱きながらも、明確な診断としては喫煙による扁桃の炎症と判断するしかなく扁桃炎と診察した。

摘出も視野に入れ、帰り際に症状が悪くなったら時間外でも診察するからと伝えることしかできなかった。

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生か死か 138億年から来た人間 @onmyoudou

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