第6話 秘密の夜デート

 定時で仕事を切り上げ、会社の駐車場まで日野さんと歩く。

 日野さんが心底申し訳なさそうに俺の顔をのぞき込む。

「この間はごめんね、叩いてしまって。腫れてない?」

「い、いえっ、大丈夫です」

「でも、いけないことをしたのは俺の方だから。申し訳ありません」

 日野さんが頭を下げた。俺はあわてる。

「平気です、ほんとうに。叩かれるようなことをした俺がいけないんです」

 二人で顔を見合わせる。

「だからご自身を責めないでください」

 俺の言葉を最後まで聞き、日野さんはようやく口を開いてくれた。

「今日、ごはんを一緒に食べるんだけど、食べたい物とかある?」

 俺としたことが、てんぱって舌がもつれる。

「あ、や、何でも食べます」

「じゃあ、俺が行きたい店でいい?」

「は、はいっ」

 日野さんの車についていく。

 着いたのは全国チェーンのお好み焼き屋だった。俺が住む市にも支店があり、家族で何回か利用したことがある。

 二人で個室に入って、テーブルに作りつけられた鉄板を挟んで向かい合う。入り口には床近くまでのれんが垂れている。

「ここなら個室があるからね。焼ける音とかで隣の話し声も気にならないかなと思って」

「そこまで考えてたんですか」

「デリケートな話題も出るし」

 タブレット端末で注文し、ドリンクバーに飲み物を取りに行く。

 日野さんは冷たいウーロン茶を一口飲んでから話し出した。

「まず、聡の話からすればいいかな」

「サトシ?」

 飲んでいたコーラを置いて聞き返す。

「俺が愛してた人。ううん、今でも愛してる人」

「あの、去年亡くなったって方ですか」

「そう」

「余田さんは知ってるんですか」

「知ってるよ」

「今でも愛してるって言いましたけど」

「愛してることは余田さんには内緒。俺が今でも彼を忘れてないことを気に病んでるから」

「え。じゃあ」

「これは君だけに話すこと」

 お好み焼きの種が来た。二人で鉄板に落とす。

「俺のアパートにある聡の遺品は全部、余田さんの目の前で処分した」

「遺品?」

「俺を描いてくれたスケッチブック」

「絵が趣味だったんですか」

「イラストレーターだったんだ。今でも本屋に行けば彼が描いた表紙の本が売ってるよ」

「プロだったってことですね」

「そう。お別れ会を奥さんが開いた。それは報道されたよ」

「なに聡さんなんですか」

「三品聡」

 俺はスマホで検索する。画面上に本人のポートレートと、手がけたイラストがずらりと並んだ。児童書の表紙や、官公庁のポスターが多い。

「この、感染拡大防止のポスター、大学に貼ってありました。鉛筆描きで、珍しいなと思って」

「鉛筆で描くことにこだわってたんだ」

「この、武士が横向いてる本、確か国営放送の時代劇の原作じゃなかったですか」

「そうだよ。モデルは俺」

 日野さんと画像を見比べる。確かにそっくりだ。

「こんな有名人の恋人だったなんて」

「居合道場で出会ったんだ。俺はその時、彼女とセックスがうまく行かなくて、男として自信をなくしていたからね」

「うまく行かないっていうのは」

「挿入ができなかったんだ。聡ともできなくて」

 信じられなかった。精神的な問題でもあったのだろうか。

「原因は何だったんですか」

「彼女をほんとに愛してなかったこと。聡とは、俺がどうしても彼を受け入れられなかったこと」

「彼女さんとは最後までだめだったんですか」

「そんなことはないよ。ほんとうに別れるとなった時には成功した」

 俺は瑠璃子とは初回からうまくいった。市村先輩ともスムーズだった。

「もしかして、女性が恋愛対象じゃなかったからですか」

「今考えればそうだったのかもしれない」

「聡さんとは、どうやってしてたんですか」

「聡は、気にすることはないよ、気持ちがつながっていればそれでいいんだよって慰めてくれた。だから挿入しないでできることを二人で探した」

 余田とはどうなんだろう。気になる。

「あの――」

 日野さんが俺の分までお好み焼きを返してくれた。優しく聞いてくれる。

「半分だけ交換しない?」

「えっ。そんな、いいんですか」

「いいよ」

 二人で交換して食べる。

「あの、余田さんとは、どうなんですか」

「何が?」

「その、うまくできてるんですか」

「うん」

 聞くんじゃなかった。がっかりだ。

「余田さんは、すごく優しいんだ」

 信じられない。イケメンなのはしょうがなく認めるけど、あんないかついツラして、ドスのきいた声して、ベッドではどんな風なんだろう。

「聡さん、お亡くなりになったって伺いましたけど、病気とかですか」

「ガンだった。わかったと同時に余命も宣告されてた」

「――すみません」

「謝ることはないよ。俺が聞いてほしくて君を誘ったのだから」

「相手の奥さんと話をつけたっていうのは」

「彼がガンなので、奥さんから別れるように言われたんだ。彼に万が一のことが起きた時、俺では責任が取れないからね。奥さんに言い返せない自分がほんとうに情けなくて。そんな時に余田さんのことを遠藤くんから聞いたんだ。物流部門を馬鹿にする社員に反論してくれるって。だから俺も余田さんみたいに、奥さんに主張したんだ。聡と一緒にいさせてくださいって。でも、聞き入れてもらえなかった」

「その場に余田さんもいたんですか」

「いや、それは聡が亡くなったあと。聡が俺あてに遺した物を取りに来るよう奥さんから言われた時に一緒に来てくれた。日程を調整する時も俺の代わりに奥さんに交渉してくれて」

 喧嘩慣れしてるもと不良の面目躍如ってとこか。うまいことポイント稼ぎやがったな。

「聡さんのお墓参りとかはしてるんですか」

「お墓がどこにあるかも余田さんが聞き出してくれたんだ。聡が依頼してた弁護士さんに直接電話してくれて。そのあと俺をお墓まで連れて行ってくれた」

 ――やっぱり俺には余田と同じことをするのは無理だ。

「日野さんの元カレなのに、よくそこまでできますよね」

「相当、無理をしていたみたい」

 日野さんと俺のコップが空になったので、俺が二人分のおかわりを取りに行った。俺と同じでいいと言ってくれたので冷たいミルクティーにする。

 ミルクティーが入ったコップを切なそうに見つめて、日野さんがつぶやく。

「ミルクティー、聡がよく飲んでいて、俺にもよく買ってくれた」

「甘いもの、苦手でしたよね」

「ミルクティーだけは別だよ」

「余田さんも、知ってるんですか」

「彼には伝えてない。悲しむから」

 日野さんの綺麗な目から涙がひと粒流れる。

「俺……聡と出会っていなかったら、何も知らないままだった……」

 涙の粒がいくつもいくつもなめらかな肌を滑る。

 俺は困惑する。こんなシチュエーションは初めてだ。

「日野さん、泣かないで」

 日野さんは首を横に振る。

「ごめん……泣かせて……」

 泣いている姿もすごく綺麗で、俺は不謹慎だけど見とれてしまう。

 こういう時、どうすればいいんだ?

 こんな湿っぽい場面、経験したことない。出会ってメシを食ってベッドに入って別れる流れしか俺は知らない。

 日野さんがミルクティーに向かって口を開く。

「聡と出会って、俺は、初めて、愛することを知った……」

 愛なんて俺にとっては重くて甘くて気持ち悪い代物だ。でも、日野さんにとってはそうじゃない。愛する聡さんとの大切な物なのだ。

 顔を覆って嗚咽する日野さんの隣に俺は行った。床まで垂れ下がるのれんがあるから廊下から俺たちは見えないはずだ。

 俺は日野さんを抱きしめた。

 日野さんが泣くのをやめて顔を上げる。ハンカチで顔を拭き、俺を見た。

 俺はあわてて抱擁を解く。

「大丈夫ですか。ミルクティー飲みます?」

「――うん」

 日野さんにコップを渡す。一口飲んでから日野さんが俺に笑顔で言った。

「ありがとう」

 俺は返答できない。無理して浮かべたであろう笑顔がとても切なかったから。

「もう出ようか。君と行きたい場所があるんだ」

 どきっとした。

 行きたい場所があるって、まさか。

「どこですか」

「ついてきて」

 日野さんが支払った。ごちそうになるのは缶コーヒーに引き続き二回目だ。俺は恐縮しながら日野さんのあとについて次の目的地に向かった。


 俺たちは書籍や文房具の販売だけでなくDVDもレンタルできる全国チェーンの書店に入った。

 残念だと感じる反面、ほっとする。

 今どの程度日野さんに性衝動を覚えているかというと、いつもの五十パーセントくらいだ。それなのにしらけない。飽きない。むしろこのままずっと日野さんといたい。

 児童書のコーナーに二人で立つ。

「これが聡が亡くなった直後に販売された作品」

 日野さんが本棚から取り出して俺に示したのは上中下巻の『三国志』の一冊だ。

「三国志じゃないですか」

「そう。俺に内緒で描いてたみたい」

「驚かせたかったのかな」

「多分ね」

「日野さんはこれ持ってるんですか」

「うん」

「聡さんがプレゼントしてくれたんですか」

「余田さんが買ってくれた」

 あのもと不良、またうまいことポイント稼ぎやがったな。一瞬そう思ったが、疑問が生じた。

「今カレの元カレが描いた本を今カレにプレゼントするなんて、よくそんなことできますね。俺なら絶対無理だな」

 日野さんが俺にほほえみ、『三国志』を本棚に戻す。そのあと二人で店を出て、車に戻った。

 日野さんが俺に優しく言った。

「今日はありがとう。楽しかったよ」

 そんなこと言われるの初めてだ。俺としたことが固まってしまい、言葉が思いつかない。どうにか返事をしぼり出す。

「こちらこそ、ごちそうさまでした。すみません、二回もおごっていただいて。次は俺が払わせていただきます」

 次があるかどうかわからなかったがそう言った。

 日野さんが俺のことを、幼い子供をほほえましく見守るおとなみたいな目で見つめる。

「今度は君が行きたい所へ行こうよ」

 一瞬、時間が止まった。

 今、耳に入った言葉を脳内で繰り返したあと、実際に声に出す。

「俺が行きたい所……」

「どこでもいいよ」

「今……決めなきゃだめですか。あの、連絡先交換しません? そしたら家に帰ったあとゆっくり」

 日野さんが悲しそうな目になる。

「ごめんね。それだけはできないんだ」

「余田さんがいるからですか」

「そう。今、一緒に住んでるから」

 俺は余田に一瞬だけ殺意を覚えた。

「そんな……余田さん、知ってるんですか? 俺たちが二人でメシ食って、本屋にも行ったってこと」

「ごはんを一緒に食べたところまでは伝えようと思う。本屋のことまで言うと、聡のことを話さなきゃならなくなるから。そうすると余田さんは苦しむ」

「じゃあ……だめじゃないですか。俺とまた会ったら」

「どうして俺が君を誘ったと思う?」

 真面目に日野さんは尋ねる。

「話を聞いてほしいからと伺ってますけど」

「それだけじゃないよ」

 日野さんはあくまでも真剣だ。

「君は愛することができないのじゃなくて、愛することを知らないだけなんだと思う」

 初めてが多すぎて脳がパンクしそうだ。

「だから一緒に愛することを学ばない?」

 何も考えられない。ただ日野さんの言葉を受け入れるしかない。

「俺はね、聡から愛することを教わった。君と関わって、聡との経験が君に役に立つのじゃないかと考えたんだ。だから一緒にやってみない?」

 ごくりと唾を飲む。

 な、何をやろうというのだろう。

 日野さんは俺をまっすぐに見つめる。

「どう?」

「余田さん、ほんとに、いいんですか」

「彼のことは気にしないで」

「そんな、浮気することになりませんか」

 日野さんの綺麗な目に俺が映っている。

 無言で見つめあったあと、日野さんは言った。

「俺も覚悟を決めてるから」

「覚悟」

「君が愛することを知るまでそばにいると」

 俺の脚は無様に震えている。

「どこに行きたいか、明日、会社で教えて」

 うまく動かない舌をどうにか動かして答えた。

「今、言えます」

 日野さんは俺の返答をじっと待つ。

 俺は息を吐き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る