台南とわたし
押田桧凪
第1話
台湾南部・台南に来て二か月が経つ。首都の台北から台南まで
日本にいた頃の私はとかく生き急いでいた。待つことを知らなかった。食事を、文化を、人を、台湾という国・場所を知らなかった。
バスが定刻に来ないのは日常茶飯事、おまけに「早着」(早めに到着しそのまま乗客を待たずに去っていく謎の現象。そんなのアリ?!)なんてのも起きる。教習所で「みだりに鳴らしてはいけない」と習ったクラクションが台湾では「きいつけてや」程度の気持ちで押しているのか、そこかしこで鳴り響く。タクシーの運転は荒く、揺れる。歩行者に人権が無いかと思うくらいの車の交通量、横断歩道の切り替わる間隔の短さ。右側通行に慣れず、二段階右折の待機場所に移動するバイクに轢かれかけることもしばしば。トイレットペーパーを流せるのは一部のトイレだけ。
そんなTHE海外な状況に直面した時、私はそれでもこの国を信じた。(日本で思っていたはずの)贅沢を捨てた。物質主義の世の中、欲しい物が手に入り、お金を使うことで経済を活性化させていく日本と外国を比較して日本を特別視することをやめた。台湾が好きで、足しげく訪台する日本人が多くいる理由が分かった。台湾には台湾の良さがあった。そんな台湾の魅力を台湾滞在中の私がここに記したいと思う。
一・食事
台湾でビックマックを買うと75元。味も特に変わらず、日本より200円程安い計算になる。「ビックマック指数」という言葉が一瞬脳裏をよぎるが、私たちがサービスを受ける際の対価である、この「安さ」が日本で得られないものだと私は思っている。台湾では物が安い。あまりに安いのだ。
例えばコンビニの数と並ぶくらい多くの種類のドリンクスタンドが立ち並ぶ台湾では、紅茶の
また、注文の際には必ずと言っていいほど「
もはや片手にドリンクを持ち歩くのは一種のファッションのようなもので、布製や保冷用の「専用ドリンクホルダー」が様々な場所で売られている(お土産で有名な
最近では環境への配慮からプラカップから紙カップへの大転換がなされ、公共施設(図書館・博物館など)ではウォーターサーバーが各階に設置されている。常に紙カップとマイボトル(水筒)──この二つを携えて歩く人であふれる光景を見るのが、台湾に来た当初、とても新鮮に感じた。
こんなにもマイボトルが普及していて、『持備飲料杯 省〇〇元/○折』(マイボトル持参で○○元引/○割引)という文字を色んなお店でよく見掛ける台湾って、「実はあんなにSDGsを事あるごとに叫んでいる日本よりも進んでるのでは……!?」と思ったくらいだ。
そして、フルーツ。南国だから穫れるマンゴー(かき氷でお馴染み)、パイン、ドラゴンフルーツ、パパイヤ……。
正直、私はスイカやメロン(種をいちいち出して食べる系)があまり好きな方ではなかったのだが、台湾に来てそれらを食べてみて、「これは……、美味しい」と頷いた。むしろ、「種があっても食べたい」という気持ちになったのは初めてだった。フルーツを売りにした物だと、
中華料理もそうだ。冷凍の餃子は安く日本でも売っているが、アツアツのその場で作ってもらえる餃子・小籠包・焼売がそれも50元で?! とこちらも何かおおごとを私は過去にしでかしていてその罰として現実と境が見分けられない幻覚を見せられているのではないかと疑った。この安さで、こんなに美味しいものを食べられる環境──この場所を楽しみ尽くそうと私は決意した。
100元あれば昔ながらのお店で一食分買うと十分な量のおかず、美味しいご飯が手に入る台湾。日本で私の思っていた「ちょっとした贅沢」──お洒落なお店のランチ一食あるいは喫茶店のスイーツ一つにも満たない金額でお腹を満たすことができる「豊かさ」と同等のものにどうやら今触れてしまっているらしい、と私は気づいた。
日本の安いお店だとワンコイン定食があると思うが、台湾だと同じ値段で
この値段で提供してくださってありがとうございます。だから、潰れないでください。いや応援させてください。そんな気持ちで、地域に根付いているお店を訪れ食べることを経験するのも私にとっては初めてのことだった。
日本同様、こちらでも物価高騰の傾向にあるだろう現代──物がありふれた中で、それでも「ここで続ける」という店主の決意や、数年前のGoogleマップに投稿されたメニュー写真からも変わっていない値段から「値上げすまい」という覚悟を感じて、私はより応援したくなった。
ちなみに、私は「黒ゴマ」が大好きなのだが、日本ではなかなか見かけない黒ごま製品を多数見掛けて歓喜した。ゴマあんまんを始めとして、ごま
二・文化
台南の有名観光地、
この期間中、お供え物をしたり(紙銭を燃やしたり、お香を焚いたり)、様々なタブー(聞いたところだと「夜に服を干してはいけない」「夜に名前を呼ばれても振り向いてはいけない」など)を守ったりするそうで、どれくらいの人が気をつけて生活しているのか気になった。私の場合、知っていてもうっかり破ってしまいそうで心配である。そうした一つ一つにも、「霊が服について取り憑かれるから」「霊に名前を知られて特定されるから」という、なるほどと納得するような理由があって興味深く感じた。ちなみに、霊のことを台湾では「
目に見えない存在、だけどそれは確実に存在していて、だから大切にしないといけない。そんな強い思いを現地の人たちから感じた。名は体を表す、と言うように、台湾では「文字は大きく、目に入った方がいい。常に見えるところに貼っておけばその文字の通りになる」という思いからかお店や家の前など至るところにステッカーが貼られているのを目にする。具体的には「發」「福」「招財進寶」「萬事大吉」といった縁起の良い漢字を、旧正月に『
先述したお盆で「霊を寄せ付けるから」と忌避する行動があったように、逆もしかりで、「福をとにかく呼び寄せたい!」という気持ちが街中からあふれ出ていて、エレベーターに『不壊』と書かれたシールを見た時はさすがにびっくりした。「こわれないで!」という念を込めて貼られたであろうそれは、褪色しているものの剥がれずにいて、幸運といった目に見えない授かるものに留まらず、「遂に物にまで手を出しちゃったか……」と思ったほどだ。
台南は
中学時代の美術の先生が、「(作品紹介カードの)手書きの名前を見るだけでも、その人がどんな絵を描くか何となく分かるものよ」と言っていたのを今でも折に触れて思い出すが、字って大事だなとここでも感じた。同じ漢字を使う文化圏にいて、日本にも「
しかし、日本にはそういう信仰(信念)や慣習を肌で感じる機会があまり無いように思う。ハロウィンやクリスマス、バレンタインはいずれも外来文化の影響を受けて今や企業の経営を支えるイベントとなっている。お年玉は中学生にもなると臨時支給くらいの感覚で受け取るようになってしまうし、書き初めや標語もイヤイヤ書いている子供の姿しか目に浮かばない。
台湾で祝日となる「中秋節」には月餅を大々的に売り出すが、日本では「お月見」と銘打ってチェーン店各社が競い合うように新商品を出す流れとなっている。あれは果たして行事なのか?! と首を捻りたくなるが、月見○○という文字から秋の到来を予感するようになっている自分が悔しくもある。そしてこんなことを書いていると、不意に月見バーガーが食べたくなってくるのだ。
ちなみに、台湾のお月見は文旦(
三・場所、人
台湾ではマナーが特に無い、と言うと聞こえが悪いが、とにかく自由だ。「ドリンク片手に」が基本だと先ほど言ったが、つまりお堅いレストランを除いては他店の飲料を持ち込んで食べるのはOKだし、雑貨屋や家電量販店にも堂々と持って入っていいということだ。こぼしそう? いえいえ、大丈夫。紙カップはプラフィルムで覆われているのでご安心を。(このフィルムを貼る機械がもはや台湾全土の飲食店で覇権を握っていると言っても過言では無い。日本でも流行らせてほしいと密かに思っている。)
路上駐車? 歓迎します、むしろ有料スペースを作って稼ぐよ。自転車乗るならコレ使って! どこでも使えるYoubike(レンタサイクル)。公園は深夜も使っていいよ、大人も使える運動器具を置いておくから。台南市内の学生は無料にしとくよ、観光名所を巡ってね。バイクの二人乗り? そんなの当たり前、いけそうな時は子供2人
そんな自由さや奔放な行動を逆手に取ってか、市やお店は禁止するのではなく良い方向に活性化させようと工夫した施策を行っているところに遊び心が感じられて私は面白いと思った。看板に至っては、『錄影中, 請微笑』(監視カメラ作動中。こっちを見て笑ってね!)と書かれていたのを発見して、不用意に警戒心を抱かせないこんな上手い書き方があったかと思わず膝を打った。この言葉に、思わずクスリとしてしまう。
それは、のびのびと育ちやすい環境とも言え「子どもひいては市民にひらかれている」場所があると言い換えてもいいかもしれない。
例えば、「国立台湾歴史博物館」に行った時、まず着いてから目に入ったのは入場口の下でレジャーシートを広げてお弁当を食べている家族。キャッチボールをする親子。スクーターで駆け回る子たち。それも公共施設の、敷地内で! 確かに緑もあるし裏には人工の湿地池もあって鳥がいるし、でも私はここまで市民にひらかれているとは思いもしなかった。中に入ってみると、もっと分かった。
迫力のある展示、触ると音の鳴るディスプレイ、衣装を着て当時を語るスタッフ、子ども用の音声ガイド……。楽しませることを中心にして、しかし中身は十分に大人も楽しめる設計・展示でありながら飽きさせない工夫が随所に散りばめられてある。私はただ一言すごい、と思った。博物館を雨の日レジャーの選択肢の一つとしてではなく、「一日中遊べる場所」として裾野を広げ、子どもも気軽に立ち寄れる場所にしているところに感動した。
その翌日には台南駅から電車で一駅、「奇美博物館」にも行ってみた。昨日の衝撃からして予想はしていたが、ここも敷地面積が相当広く芝生に寝転がる姿、走る子、池の周りをゆっくり散歩する老夫婦、噴水で遊ぶ子、シャボン玉を吹く親子……。様々な人であふれている。博物館内の常設展、特別展は料金がいるが(それもたったの70元。日本だったら1000円は払っているだろう豪華な展示でいっぱい)、敷地の散策だけならお金は不要だ。
芸術鑑賞の場であり、「大きな公園」と考えれば子どもの遊び場として最適な環境が整っている。なんて素晴らしい場所だろう、と思わずため息を漏らさずにはいられない夢のような空間だった。展示品の前でお菓子をボリボリ食べる子どもを見た時は「これも、許されるのかっ?!」とさすがに閉口したが……。
話を戻すと、人についてだ。台湾人はあったかい、と聞く(特に南部に行けば行くほど)。しかし、実際にはコンビニや飲食店の店員さんの顔は一見むすっとしていて、だけど意外と親切だ。この無表情の「むすっ」というのが、ここでのポイントである。今まで私たちが日本で受けてきたサービスの全てが「愛嬌」や「営業用スマイル」という仮初であったことにようやく気づく瞬間であろうから。
だから、むすっとしているのは当然であるし、それが義務で「お店のため!」と躍起になっていた日本での接客は何だったのだろう……と逆に虚無を感じるまである。それが悪いとは言わない、ただ温度感が違うというだけだ。
例えば、台湾のコンビニでサンドイッチを温めてもらった時に、店員さんがやけどしないよう、ナプキンに包んで渡してくれた。私はおおっと思った。こっちのコンビニでは当たり前の行為、マニュアルにある一行動でも、むすっとした態度から入ったがゆえに親切な行為に「(こんなことをやってくれるなんて)意外だ」と思わされるからだ。
巷では「お財布を落としましたよ」と声を掛けるのか観察するドッキリがあるが、本来はこうした「包む」ような行為こそが外見や国民性、倫理観から判断する親切なんかとは違う、真のやさしさなのではないかと不意に私は思った。あるべき親切とは、常に私たちの身近なところに落ちているもので「私が拾ったんですよ」とアピールする類のものではないと思うからだ。
それから、客として退店する時にチェーン店の場合は「ありがとうございました!」という挨拶等は特に無いというのも新鮮だった。これはこれで肩の力がお互い気が抜けて楽な気がするし、今まで無意識に(たとえそれが義務的に言わされていたものであっても)感謝を浴びていたことに慣れきっていたと知る機会にもなった。
でも、逆にありがとうを言わないのも気分が晴れないので、言える時は「
ちなみに一応補足だが、逆に店員さんは子供に対してはとても優しい。「これ、すぐに飲む? 袋に入れないで出しておこうか?」「どの味が好きなの?」と子供の目線で、親子連れの子供の方を見て親身になって話しかけている場面をたびたび目にして、「ほな一個オマケしたるわ」的人情を感じて、ほっこりした。そんなレジのやり取りを見ながら、私は後ろで待機しているわけだが、不思議と日本で「はよ順番こんかなあ」と募らせていた気持ちがここでは湧いてこない。待つことに、浸る。これも一つの豊かさなのだろう。
四・最後に
取り留めもなく、ここまで台湾に来て気づいたこと、すごい!良い!好き!だと思ったこと、その魅力について書いてきた。
まだまだ書き足りないこと──台湾デザートの「
そして、ドラえもんやちいかわ、すみっコぐらしに鬼滅にコナンにポケモン……。街中が
ただ正直、顔だけでは台湾人(日本人)ですら見分けがつかないことが多いので、口を開いて喋るまでは注文の時に中国語でずっと捲し立てられることは多々ある。だけど、日本人(外国人)だと分かるとゆっくり話してくれたり、英語あるいは片言の日本語で説明してくれたり、ジェスチャーや翻訳アプリの画面を見せてくれたりする人もいるし、観光地や夜市では団体のツアー客の中で日本語を喋っている人を見て、おっ、と共同体意識が勝手に芽生えるなんてこともある。
だから、何も考えずに飛び込んでみるのもきっと面白いはずだ。歴史を知って(台南の場合だとオランダの植民地となり、日本統治時代を経て発展している)、言葉を知って、人を、食を、文化を知る。良い意味でも悪い意味でも色んな刺激が、待っていることだろう。私の初海外は韓国、その次はタイだったけれど、初めての一歩として治安や情勢の観点からも「台湾」はぴったりだと思うのでコロナが明けた今、是非にとおすすめしたい。
では。謝謝~byebye~!
台南とわたし 押田桧凪 @proof
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