二章 見世終い

 二章 見世終い



「佐伯さん。昨日のお祭りでさ、見世物小屋ってあった?」

 食卓に朝食を並べながら、真弥がそう尋ねた。焼きたてのパンに伸ばしかけた手を止めて、佐伯は昨夜のことを思いだした。

「あったよ。参道から外れた……遊具のあるところから少し奥の大きな木のあたり。なにかあったの?」

 佐伯の問いかけに、真弥は、手に持ったスマートホンを何回かタップする。

「なんか、その見世物小屋で噛まれた人がいるらしくて。小屋から出てきた人の話を聞いた人の話らしいから、真偽は定かじゃないんだけど。あれかな。お化け屋敷みたいなのをこどもが勘違いしたのかな」

 真弥が差し出したスマートホンには、地元友人のグループメッセージが表示されていた。

 他愛のない情報交換の合間には「神社にきていた見世物小屋で噛まれた人がいたらしい」と、確かに書かれていた。オカルトめかした会話から、すぐに話題は変わってしまっていて、詳細は掴めない。

 ただの噂話なのだろうか。それとも、昨夜は地元民の他にも観光客めいた人間たちも多くいたから、そちらでなにかあったのだろうか。

 佐伯は自分のスマートホンを見るが、事件についての連絡は、なにもきていなかった。貞沼に一言二言メッセージを入れる。すぐに既読がつき、「オレも知らないです。見に行きますか?」と、返信がきた。

「あの神社、お祭りの時くらいしか人もいないしね。本当かどうかはわかんないし、ねえ、私も見に行こうか?」

 そういう真弥の目は、好奇心できらきらと輝いている。

 星屑のような瞳に、佐伯は目を眩ませる思いであった。

「危ないかもしれないからね。だめだよ」

 内心まるで穏やかではない佐伯が、落ち着き払ってそう返すと、真弥は自分のマグカップに紅茶を注ぎながら、肩をすくめてみせた。

 ミルクティーに、はちみつをスプーンに四杯。よくかき混ぜながら真弥は言った。

「でも佐伯さんに連絡がこないなんて変な話だね。普段なら、合鴨が道を塞いだって佐伯さんが呼ばれるのに」

「ねこが木から降りられないってのもあったよ」

 漂ってくる紅茶のいい香りを嗅ぎながら、佐伯はグリーンサラダに手をつける。レモン酢とオリーブオイルのドレッシングは、酸味で野菜の甘みが強調されて、爽やかだ。口当たりがよく、朝から血液が濾過されていく気分になれる。

 続いて、ベーコンエッグの乗ったトーストに歯を立てた。ざくりとよい音がして、カリカリに焼かれたベーコンのしょっぱみと目玉焼きにかかった黒胡椒の香ばしさ。噛むとじんわりと広がっていくトーストの甘み。三口で腹に収め、もう二枚同じものを食べた。

「よく噛んで食べなよ」

「はい」

 真弥の諌める口調が、母親に言われた言葉に似ていて面映い。なるべくゆっくり食べようと、はちみつのかかったヨーグルトをちびちびと舐めていると、

「見世物小屋って、今じゃほとんどアンドロイドがやってるんでしょ。アンドロイドが人を噛むなんて話、聞いたことないじゃん」

 真弥はそう言って、マグカップを両手で包んだ。

 佐伯は口に残ったヨーグルトを、コーヒーで流してから答えた。

「まずありえないんだけどね」

 佐伯の言葉に、真弥が顔を上げる。

「例えば、貞沼みたいに、遠隔処理する人間がいればいろんなことができるけど、ただのAIなら人間に危害を加えられるようにできてはいないよ。貞沼は俺のことをつねったりできるけどね。」

「うん……。佐伯さん、つねられてるんだ」

「いつもじゃないですよ。……でも、現在のショービジネスやセクサロイドとして使われているタイプはそうじゃない。ある程度想定された状況に合わせて行動するようになってるから、もし人工知能のイレギュラーが起きても、せいぜいアドリブの悪態くらいのはずで、そう簡単には相手が出血するような仕様にはできないから、バグが起きたらフリーズするはずだし、わざわざ誰かが攻撃的なプログラムを入れたのかもしれないけど、費用が大変らしいし……。貞沼の受け売りだけどね」

「SMのSで設定されているセクサロイドがいたとして、マゾ側がしてくれと頼んだら罵倒してくれるかもしれないけど、あくまでお店が仕様をそのようにしていなければしないってことだね」

「そう。もっと過激なプレイなら、同意として音声録音もされているだろうから、騒ぎにはならないだろうね」

 街の方で起きた凄惨な事件を思い出しながら佐伯は言った。

 それは、暴走した人工知能型生体アンドロイドが、客の肛門に腕よりも太いディルドを入れてそのまま押し込み、口まで突き抜いてしまった事件であった。

 生体アンドロイドが物である以上、業務上過失致死で経営者が罪に問われたが、誓約書に「プレイの最中の事故には、店には責任を負わせない」と書かれており、尚且つアンドロイドのアイカメラで録画しされた映像に「口から出そうなくらい激しく突いてくれ」などと懇願する内容が含まれていたこともあり、示談に終わったと、佐伯は記憶している。

 しかし、いくらなんでも、田舎町の奇祭に紛れ込んだ見世物小屋で、同意が必要なほどの展示をするとも思えなかった。

 昨夜、あのまま見世物小屋の中を覗いておけばよかっただろうかと、小さな後悔をおぼえる。

「昨日、もっと端っこまで回っておけばよかったな。昨夜はずっと佐伯さんウォッチングしてたから……」

 トーストにいちごジャムを塗りながら、真弥が言った。

「いかついイモマラ様に囲まれた佐伯さん、かわいかったよ。暑そうだったけど。ご苦労さま」

「へへ……ありがとう」

 話しながら、真弥の手は止まらない。

「見世物小屋なんかあるのわかってたら、もう絶対見たい……。ねえ、今日私が先にお客さんで入っちゃだめ?」

 たっぷりどころではない量のいちごジャムが乗ったトーストをかじりながら、真弥は佐伯の視線に対していたずらっぽく笑ってみせた。蠱惑的な愛らしい笑顔に、佐伯は頭を振った。

「だめだよ……!本当に咬まれたら大変なことですからね」

 好奇心と知識欲に任せて、真弥が救急車で運ばれるのを想像し、佐伯は身震いした。

 素知らぬ顔でジャムトーストを食べる真弥に、更に釘を刺す。

「そういうことなら、真っ先に貞沼と様子を見に行ってくるよ。だから真弥ちゃんは屋台ごはんと芋汁を食べに行くくらいにしておいてね」

 真弥から聞いた話を反芻して、小屋の中を想像する。様々な露悪的な展示物が浮かんだが、それでもそこから更にとんでもない予想外が三種類くらい出てくるのだろうと佐伯はげんなりした思いで朝食の残りを口に詰めた。

 こういう日は、なんとなく消化が悪い気がして、二杯目のコーヒーを飲むのをやめて、白湯を飲むことにする。

「はーん……」

 そんな佐伯の心労を知ってか知らずか、納得しているのかしていないのか、紅茶を飲み飲み、トーストを食べ終えた真弥は、食器を流しに運んでいった。

 追いかけるような気分で、佐伯も使った食器を流し台に置く。洗い物をしようとスポンジを持った佐伯に、真弥が後ろから軽く腕を回した。あたたかくてやわらかい感触がして、佐伯の胃がふっと軽くなる。

「佐伯さんも、ケガしないようにね」

 そう言って、背中にぐりぐりとひたいをこすりつけ、真弥は離れていった。

「うん、うん」

 スポンジを握りしめながら、佐伯は頭を縦に振った。嬉しくて耳が熱い。今日も頑張ろうという気持ちがみなぎってくる。

 顔を上げると、真弥はソファに腰を沈めて、読みかけだった厚い本を開いていた。本を覗き込みながら、

「佐伯さん、帰ってきたら」

 ページをめくりながら真弥は続ける。

「夕飯はハンバーグと、えのきとわかめのお味噌汁と、ほうれん草の胡麻和えだよ」

 滑るような髪の毛を耳にかけながら真弥は言った。佐伯にはハンバーグを捏ねてくれる真弥の幻覚が見えた。平穏の光景。今日も無事に帰ろうと思うには充分すぎる理由だった。

「最高じゃないか……」

 思わず口を衝いてでた。


 ◆


「気をつけてねぇ」

 家を出る時に、リビングから聞こえた真弥の声がまだ耳に残っている。あんなにしあわせでときめくような時間は、あっという間に過ぎ去ってしまった。

 どうにも嫌な予感を振り払えず、佐伯は制帽を取って頭をぐしゃぐしゃと掻いた。

「佐伯さんが苦手な現場かもしれませんね」

 貞沼が太い垂れ眉をますます下げて、佐伯に同情している。

 昼間に見る見世物小屋は、それだけならやはり板切れやトタン板を組み合わせて無理やり作ったあばら屋だった。一見して、倉庫と言われればそうも見える。ベニヤ板にペンキで「見世物小屋」と書かれていなければ、中に入ろうとはなかなか思わないだろう。

 いつ頃からここにあるのか定かではなかった。出入り口や、板切れの隙間を覆う日除け代わりらしい黒い布は墨色に褪せていた。

「オレが前にいますからね。大丈夫ですよ。あんまり怖いのが出てきたら、佐伯さんはオレの後ろから薄目で見ていてもらえればいいですし」

 貞沼の優しさに涙が出そうになる。情けないことに、身が竦む対象というのは生理的なものゆえか、訓練してもやはり、一歩だけでなく二歩遅れを取ってしまう。佐伯には、刃物を持った人間相手の制圧のほうが余程に気が楽だった。

「すまない……。幽霊とかクリーチャーみたいな感じじゃなかったら大丈夫だから……」

「なにかあれば、オレが盾になっている間に逃げて、周辺の市民の安全を確保してくれればいいだけです」

 あとは、オレに見えないものを見つけてくださいね、と、貞沼は微笑んだ。なんてできた後輩なんだろうかと、佐伯は沁み入るように思った。次に彼がゲームの発売日に休みを取りたいと言ったら、是非とも優先して有給を取らせてやりたい。

 小屋の入り口は、薄い扉が取り付けられていた。元は赤茶色だったのだろうが、表面のペンキがはげて、ほとんどくすんだ銀色になっている。ブザーの類はないので、ノックをして声をかける。中から缶が落ちるような音がして、じきに、いやに黒ずんだ肌の小男が軋む扉から顔を出した。

「警察の者ですが、お話を……」

 佐伯と貞沼が並んで警察手帳を出し、用向きを話そうとする声に被せるように、見世物小屋の主人は高い声を張り上げた。

「はいっはいっ。承知しておりますよォっ!けれど!噛まれたのはお客様ではなくこちらの生体アンドロイドでしてェ!」

「あの、あなたのお名前を……それとっ……」

 貞沼が録画録音している旨を告げるが、意に介した風もなく、小屋の主人だと名乗った羽佐田はドタドタと足音を立てて小屋の奥へと歩んでいく。

 建物の中は存外に広く、裸電球が吊るされた下に小さな丸椅子が十脚ほど影を落としていた。丸椅子は、黒い布をかけられた四角い箱状のものを囲んでいる。箱が置かれているのは一段高い場所なので、そこが舞台なのだろう。舞台袖の暗幕のひだに隠れて、物置と思しき部屋が続く作りをしている。

 羽佐田は布を捲り、隠れていた檻の中に背中を丸めて入り込む。しばらくごそごそとなにかしていたが、やがて奥にいたそれらを、ぐいと足で押し出して見せた。

「チョウズとオベンチョと言いましてェ」

 二体の姿が佐伯の足元に転がり出た。

 一つ目は、チョウズと名付けられているだけあって、人間のかたちを変形させて、和式便器を再現しようとしたのだろう。

 チョウズには、首がほとんどない。鎖骨の間に沈み込むように生えている頭部は、口が大きくなるようにいじられている。直径二十センチくらいあるだろうか。分厚い唇に縁取られた口をあんぐりと開けて、目線だけ俺たちに向けていた。

 胴体があまりにも短く、肋骨から足が生えているようだった。背骨がぐねぐねと湾曲させられており、なるべく顔と足の付け根を近づけようとデザインされている。

 消化器官が収まるスペースすらないのは、電源を使用するタイプのアンドロイドだからなのか。小さな手が、足の付け根あたりにちょこんと添えられている。

 下半身はというと、これも潰れたように短い両足を正座していた。ちょうど人間が正座をしたまま仰向けに寝たような状態だ。動かないようになのか、両膝に太い棒状の拘束具を貫通させることでしっかりと留められている。揃えた足の間には、なにもなかった。つるりとした股間が天井を向いている。

 自力での移動は困難に見えた。

 チョウズは、佐伯たちに目線を向けて、何事か言いたげに唇を動したが、ぱっくりと開いた歯のない口の中で、太い舌ばかりが魚のようにびちびちとうねっていた。空気の通る音ばかりが彼の喉から聞こえ、意思の疎通が図れるのかは怪しかった。

 一方、オベンチョは、カエルを思わせるような顔をしていた。大きな丸い目は黒目がちで愛らしいと言えなくもない。体の大きさは二歳児ほどだろうか。それにしては手足は極端に短く、恐らく二の腕の半ばと、太ももの半ばほどまでしかない。幼児用のロンパースを着せてあるので、余った袖の布に隠れて、手指があるかまではわからないが、一目見て異様な風体であることに間違いはなかった。ロンパースの股間部分は閉じられず、股間部が露出しているのだが、それはこどもの形状ではなく大人の女のものであった。

「この…オベンチョ号が噛まれたということですか。状況としてはどのような?」

 貞沼が平坦な声音で羽佐田に尋ねた。

 羽佐田はニタニタと黄色く汚れた歯を見せて笑うと、オベンチョの股ぐらに指を入れ、ぐいぐいと動かした。

 オベンチョは、ニャアニャアと猫のような声を上げると、太い指を差し込まれたまま、チョウズに向かって這う。途中、何度か硬直し、ブルブルっと体を震わせたが、じきに這い進み、チョウズの縁へと手をかけた。オベンチョが短い手足でチョウズにのぼり、口元へ跨ると、チョウズはオベンチョの股ぐらにむしゃぶりついた。

「ニャアん!あニャァん!」

 オベンチョは、チョウズにまたがりながら、腰をゆらゆらと動かす。

「いつもならここでェ、お客様におひねりを頂いてェ、オベンチョの、おマンと肛門にね、張方を挿入して遊んでいただくのですがァ」

 へへっ、と、羽佐田は青鼻をすすりながらうすら笑いを浮かべた。

「昨日のお客様がね。両方の穴に張方をズコズコやるものですからァ、血やら汁がぼとぼと落ちて、チョウズの目に入りましてね。チョウズが腹を立てたようでェ。オベンチョの陰核をガチッと噛みよったんですわァ」

「はあ、それは災難で」

 オベンチョはチョウズの顔面に股間をすりつけるのをやめ、股ぐらにチョウズの太く固い舌を挿入して腰を振っている。体液が醸す独特の生臭さと、風呂に入っていない人間の饐えたようなにおいの指し示す先を想像して、佐伯は無意識に腕をさすった。

 貞沼が佐伯を見る。案ずるような目線であった。佐伯は、大丈夫だと言うつもりで軽く右手を上げる。

「珍しいかたちの生体アンドロイドですね。人工血液を入れるアダプタはどこかな……」

 貞沼はそう言って、オベンチョたちを覗き込む。アダプタらしい物は、ひとつだって見えなかった。

「ないね……。それに、ひどく臭う」

 消化器官に当たる機能を搭載した生体アンドロイドも存在することを、佐伯は知っていた。しかし、それは特に高価な人工臓器を使用しており、富裕層がセクサロイドとして使用する事が多い。実際の女のような温かく柔らかい抱き心地だけでなく、殴れば内臓や骨の感触がするというような代物だった。

 ペニスの形状を覚えてあつらえたような完璧な刺激を与え、何をしても濡れそぼるヴァギナと肛門。男性型にも勿論、伸縮し持ち主に合わせて形状を変えるペニスも、腕一本を挿入されても耐え得る肛門も備え付けられている。口腔は入れ歯のように歯列が取り外しできるため、どんな口技も喉の奥まで存分に使える。そして彼らはみな、知能が高い。

 つまり、羞恥心を知る優秀な性玩具を虐待し、反抗を屈服、服従に変える楽しみがあると言う事らしい。

 そんなセクサロイドたちの中には、所有者が連れ歩き、外食をしたり品評会に出される物もいると聞く。食後に嘔吐させて楽しむ目的にも応えられるよう、胃袋にあたる部分に食べたものを貯蔵する事もできるが、一方で、腸にあたる部分では極限まで食品を取り込み、燃料のひとつとして使用する。そのため、食事を摂取したとしても排泄物はにおいも嵩も少ないのだ。

 そのような高額な品を置くには、あまりにお粗末な場所である。

 そして仮に、チョウズたちの形状が手入れしづらいために排泄物が拭き取れていなかったとしても、小屋に漂う生き物のし尿の臭いは強すぎた。

「佐伯さん、刈賀さんと神鳥さんを応援に呼んでおきます」

「ああ。奥も見ないといけなくなりそうだしね」

 佐伯と貞沼は、オベンチョの嬌声に紛れながら、そう小声で会話した。貞沼は、二人が現着するまでたわいも無い話で羽佐田との場を繋いでいる。羽佐田は、貞沼に聞かれること、聞いてもいないこともべらべらとよくしゃべっているようだ。嘘八百なのだろう。横で聞いていても辻褄が合わない言葉ばかりが耳に入る。

 このままどう動くにしろ、揉めるのだろうなと、佐伯は気が重く感じた。

 して、荒事の気配を感じたら、神鳥と刈賀を呼ぶに限る。

 神鳥行人は佐伯と同じく生身でありながら、恵まれた体格も相まって人間の制圧をさせたら余程の相手に力負けする事はなかった。人間相手ならば、まず神鳥が出、佐伯が補助に回る。本人たちもその立ち位置を自覚している。

 刈賀譲は、非常時に神鳥とペアを組むサイボーグである。さらりと分けた前髪と泣きぼくろが印象的な青年ではあるが、人妻と未亡人にしか欲情できない業を抱えていた。

 かのサイボーグ戦士の四番に憧れ、同等の火力が欲しいと身体改造を志願するような人間は刈賀の他にそうはおらず、試験的に僻地隊へと配属されている。

 貞沼のようにロボットの遠隔操作で身体面の脆弱さを補うならともかく、脳と生殖器を残して、人工物にそっくり置換する決心は、常人にはなかなかつくまい。

 武力制圧をするつもりならば、まず刈賀を一番槍に据える。その刈賀を援護するかたちで、頑強な貞沼を配置するのが、僻地隊のセオリーであった。

 単体でも頑健さに優れる貞沼が過去に破壊されたことはなく、田舎町には過剰な武力ではあれど、四人こっきりの僻地隊には、用心しすぎるということはなかった。

 佐伯は貞沼の様子を視界の端に入れながら、退路の確認と小屋の奥に続く空間を見やった。

 舞台横から続く、倉庫と思しきスペースは、灯りが消されて真っ暗であった。時折、呻き声ような音が聞こえて、嫌な想像が頭をめぐる。しかし、想像より一段上の残虐な事実がそこにあるならば、この目で見なければならない。現認は生身の警察官にしかできないことであった。

 佐伯は、身の毛もよだつ出来事の残滓に心の機微を殺せずにいる。職務だからと麻痺させられる感情を常に抱えていた。

 それでも、そんな責務に向き合うのが自分一人ではないと思えば、そんなすくみ上がるような気分も少しはましになる。二人は一人に勝る。それが四人ならなおのことであり、仲間によって佐伯は、心の均衡を保っていた。

 程なくして、神鳥と刈賀が合流した。貞沼から刈賀へと脳波無線を介して詳細は伝わっているので、そのまま羽佐田に奥の部屋の捜索の許可を願い出る。

「それでね、一応噛まれたって人が俺のところにきたから、噛む可能性のあるアンドロイドが他にいないか見せてもらわなくちゃいけないのよ。問題のある物はないって確認したらすぐに帰るからさ」

 神鳥が背中を丸めて羽佐田に話しかけている。そんな人間はどこにもいないはずなのだけれど、羽佐田には心当たりがあるのだろうか。しどろもどろに返答しながら、指をせわしなく動かしていた。神鳥の問いかけに、曖昧な肯定を見せたのを見逃さず、刈賀が言う。

「じゃ、奥見させてもらいます」

 そうして、貞沼と共に隣部屋へと踏み込んだ。佐伯もそれに続く。その後ろから、冷や汗を垂らした羽佐田が、足取り重くついてくる。そして彼をいつでも制圧できる距離に、神鳥が続く。

「佐伯さんたちじゃ暗いから灯りを……」

「こっちにスイッチありますね。これ、灯りですか?はい。つけます」

 貞沼と刈賀のやり取りが真っ暗闇の中から聞こえて程なく、ピン、ピン、と、弾くような音と共に、黄色くなった蛍光灯が室内を照らす。どこから電気を取っているのか定かでないから、電線がどう繋がっているかも後で確認する必要がありそうだ。

 黄色味がかった光に照らされたのは、冷蔵庫と、給湯器のついた流し台。壁に並んだ性的な責め苦を目的とした道具。汚れのついた点滴器具に輸血液のパック。三つ並んだ大型犬用のクレートだった。

「この辺りの輸血液パックは、オレが見ときますね」

 貞沼はそう言って、ゴミバケツの中に放り込まれた輸血液のパックを確認しに離れた。他のゴミとまざり、蝿がきているようで、薄暗い中に羽音がする。

「広いなぁ。よくこんな大きさの建物、こんなところに作ったね。あんたがやったの?大変だったでしょ」

 神鳥の言葉に羽佐田は喜んだ。

「いえね、こういうものを作るのは得意なんですよォ。もちろん、材料費なんかは出してもらいましたけどねっ。元々、農作業小屋があったからコンクリートも打ってあったし、簡単なもんですよォ。ガスも風呂もないのは困りもんですが、なかなかよい我が家です」

「へえ、すごいね。材料費出した人って誰?」

「あ、いえ言えませんよォ。プライバシーってやつですからァ」

 お調子者なところがあると見え、神鳥の褒め言葉に、羽佐田はぺらぺらとしゃべり出した。このまま調子良く核心的な部分に口を滑らせてくれればと、佐伯は思う。

 羽佐田の相手は神鳥に任せ、佐伯と刈賀はクレートを覗き込んだ。中を窺うと、オベンチョとチョウズのように、かたちを歪められた人間と思しき生き物が一人ずつ詰められていた。

 ひとつめは、男性器を鼻から生やした女児がクレートの中にうずくまっていた。見てみると、片手で顔に生えた男性器を扱き続けている。それはある種、強迫観念的な様相で、快感に恍惚としているわけではなかった。

 佐伯たちの視線に気づくと、手を止めたが、すぐにまた俯いて、鼻をいじることに耽っている。腕から伸びたチューブは、輸血を行っているようだ。

 佐伯たちが言葉に詰まっていると、羽佐田が嬉しそうに駆け寄り、説明を始めた。

「こいつはね、ハナチンですわァ。かわいい顔をしているでしょ。オベンチョのおマンに鼻を挿れさせて、こいつのオマンにクリコのチンボを入れるんですよっ。そうしたら、舞台を這わせて、棒の先に張方をつけたやつで、後ろからあいてる穴を狙って突いて遊んでもらうんですワ。いい声で悲鳴が上がると、おひねりをたくさんもらえるんですよォ」

 羽佐田が自慢げにそう声を張り上げた。

「ふぅん……」

 刈賀はそう言うと、目を細めて「次」と短く発した。

 次のクレートは、陰核を十五センチほどに肥大化された小さな女が入っていた。女の全身は五十センチほどなので新生児の大きさが近い。股間につけられた器具によって、ペニスのような陰核を吸引されながら振動を当てられているようで、もはや嬌声にもならない声で身体を震わせている。

 こちらにも輸血パックが繋がっている。

 人造血液とは違う深い赤色を感じ、佐伯は眉を動かした。その様に気づくことなく、羽佐田は目の前のクレートを指差した。

「こいつがクリコ。でかいチンボでしょう?これでハナチンのおマンを掻き回すと、こいつはあんまり気持ちよくて失禁しながらよがるんですワ。そしたら、後ろから肛門とおマンを狙ってね。この棒でズンズン突いてやるんですよ」

 羽佐田は、興奮したのか青洟をプクプク膨らませながら熱弁した。

「こいつです、こいつ」

 そう言って持ち出した棒付き張方なるものは、持ち手が一メートルほどの棒に、直径五センチ長さ二十センチ程のシリコン製ディルドがつけられていた。悪趣味に、丸い突起や返しのついたものだ。これで彼女らをかわるがわる突き回して、鳴き声を上げる様を見て面白がるのだろうと、容易に想像ができた。

「いいよいいよ、しまっときなさいよ」

 神鳥が羽佐田を制止する。羽佐田はまだなにか言いたそうに、棒を持ってキョロキョロしていたが、機嫌の悪そうな刈賀に後ろに立たれると、意気消沈して棒を壁に立てかける。褒められる期待を外したこどものようであった。

 三つ目のクレートには、手足を落とされた男が輸血を受けながら、頭を強く押し下げられていた。彼の頭と尻を大きな万力のような物で挟み、圧迫している。

 既に首は鎖骨の間に沈み込み、あぶれた背骨は皮膚を突き破らんばかりに背面に突出していた。どのような技法なのか、とっくに死んでいてもおかしくない形状である。それでも彼は呼吸をし、何事か言葉にならぬ小さな呻き声を繰り返し微かにあげている。

「こいつぁ、まだ作りかけでしてェ。だから誰かを噛んだとかそういうのはないんですよォ。ね、もういいでしょ?人間がこんなふうになっても生きてるなんてことないんだからァ」

 羽佐田が早く帰ってくれと、刈賀の背中を押すが、全身に銃火器を積んだ刈賀はびくとも動かない。

「ああ、なるほど。彼、見た事あります」

 しばらく潰された男を見つめていた貞沼が、悲しそうに言った。昨夜、本殿の前で撮影をしようとしていて、貞沼に止められていた金髪の男によく似ている。その男だとしたら、俺も見ている。

「動かさないほうがよさそうですね」

 刈賀がクレートを覗き込み、男の反応を見るが、男は虚ろな目をしたまま、よだれを垂らしているばかりだった。恐ろしく肥大化した彼の陰茎は歪な形をしていた。そして、先端にフックが刺さり、牽引されている。彼をどのような見世物にするつもりだったのだろうか。

「傷害……とりあえずそれの現行犯で。保護要請も頼む」

 佐伯がそう言うと、羽佐田がわなわなと身体を震わせて食ってかかってきた。

「いやちがうんだ、俺のじゃない。預かっただけなんだ。夢子の子供を世話してやっているだけェ!預かってるだけェ!」

「夢子……?」

「そう、夢子!夢子はァ、あの女は、串に刺して鞭で打つとヒィヒィよがるんだっ!だからその血が、だからこいつらも、同じ血が流れてんだ!よがってるんだからいいじゃあねえかっ!」

「夢子って誰なんです?」

 刈賀が羽佐田の首根っこを掴んでひょいと持ち上げる。首に体重がかかり、驚きと痛み、窒息感に羽佐田が目を白黒させる。

「夢子、夢子は……坂口の家で飼われて……あっ、あ……関係ねえよっ!俺にァ関係ねぇっ!」

 裏返った声が狭い部屋に響く。

「ふぅん……」

 神鳥が丸く膨らんだ羽佐田の腹に拳を当てる。羽佐田の視線が下に動き、怯えが走った。神鳥は素早く三度、音もなく羽佐田の腹を強く突いた。

「うっ、……」

 低いうめき声を発して、羽佐田の靴の先が床を探して踊っている。刈賀はわざと、ほんの少しつま先が床につく高さを維持して首を掴んでいるのだ。

「じゃあ、坂口がどこの誰かわかるまで、よく聞いてみましょうねぇ」

 羽佐田は、酸欠気味の真っ赤な顔に脂汗を浮かべながら、泣きそうな顔をしていた。

「はい。イチ、ニ。サン、シーゴ。ロク」

 神鳥が準備体操のような掛け声で羽佐田の腹に拳を打ち込んだ。

 膨らんだ腹部に拳がめり込む。腹の肉に埋まり込んで、握り拳が見えなくなる。宙に浮いたままの羽佐田は、踏ん張ることもできず首を支点に刈賀の腕の先で揺れるばかりだ。

「はい。シチハチ~、キュウ、ジュッ!」

 十のところで神鳥が思い切り横蹴りを入れる。丸太のような足が羽佐田の右側面に打ち込まれると、ぐらんと羽佐田が振り子のように揺れる。右肘が反対側に曲がっていた。

「神鳥さん、腹じゃないですよ、そこ」

「あらやだ。うっかりだわ」

「足が折れると移動がだるいんで、足の方は折ったらダメですからね」

「おっけーおっけー、了解」

 刈賀と神鳥の応酬になにを思うのか、羽佐田は、腕の折れた痛みに悲鳴をあげることもできず、身体をぶるぶると震わせて泡を吹いている。

「どう?羽佐田さん。言えそう?」

 足を床につかせてやり、首の締まりを緩めると、刈賀は微笑んでそう言った。

 こうして優しく微笑んでいる様は、化粧品の広告にも出られそうな顔立ちのきれいさである。泣きぼくろが嫌味なく絵になる男だ。広報部の方で使ってもらえれば、なかなか映えたポスターに仕上がるだろうにと、佐伯は他人事のように見つめていた。

 返事をしない羽佐田に焦れったくなったのか、刈賀は、二、三発羽佐田の顔を平手で叩いた。羽佐田の唇が切れ、歯のかけらが床に飛ぶ。刈賀の平手は右手ならマシンガンの銃口であるし、左手なら電磁ナイフである。うっかり頭を砕かれては困るから、血が顔に飛んだと憤慨する刈賀に、佐伯が口を挟む。

「刈賀が殴ると死んじゃうといけないからさ」

「だってこいつ、返事もしないんですもん。はいといいえくらい言ってもらわないと……指、先っちょから切っていいですか?」

 刈賀の言葉に羽佐田は、さっきまで真っ赤だった顔を、真っ白にさせて鼻血が混ざった鼻提灯を膨らませている。

「指はさ、ゴミが出るから。人肉をその辺に転がしとくわけにはいかないから、署の方に戻ってからね。神鳥、ダメそうなら残りは署でやればいいから、追い込みすぎないように。でも輸血パックの出所や病気の有無についてもよく聞いておいてよ」

「了解。保護担当の人らがくるまでにしておく。羽佐田さん、俺が聞くこと、ちゃんと教えてくれたらね、そしたらまた明日も自分の指でごはん食べられるよ」

「佐伯さん、あとは僕と神鳥がやっときます。いい時間ですし昼飯食べてきてください。なんか出たらまたすぐ知らせますんで」

「ああ、そうだね。俺たち、昼がまだだった」

 手を振る刈賀にそう返し、佐伯と貞沼は出口に向かって歩き出す。食事休憩は、僻地隊に課せられた優先度の強い義務でもある。

 打撃音を背負いながら部屋を戻っていくと、照明に照らされた檻の中で、オベンチョとチョウズが這いずっている。日頃から羽佐田に足蹴にされていたのだろうか。チョウズもオベンチョも、よく見ると、いくつか瘡蓋ができていた。特にチョウズは服を着ていないぶん、注射針の痕と思しい鬱血がそこかしこに見られる。

 暴力の行使による自白強要は、現認など条件が揃い、内容を録画録音し、深刻な後遺症を残さない内容ならば職務の範囲である。

 指の切断は勿論、耳、鼻などの切除や、四肢の切断があったとしても、後々整形手術と欠損部のサイボーグ化をすればいいだけのことであるから、実質的には、命を奪う以外の行使が僻地隊には許されていることになる。

 刈賀と神鳥なら、丁度いい加減で何かしらの情報を引き出してくれるだろうと、佐伯は信頼していた。そういう暴力についてはあまり心が痛まなくとも、足元を這う小さな瘡蓋と鬱血痕が心に引っかかっていた。

「ねえ、佐伯さん」

 貞沼が佐伯の袖を引いた。

「坂口って、隣町のマルサカ食品の坂口比呂人ですかねえ。息子が社長になってから、だいぶ手広く事業を広げていると聞くから、この見世物小屋もその一環なんてことないでしょうか」

「そういえば、駅前の映画館もマルサカが噛んでたよね。でも、だいぶ健全な作りだったはずだよ」

 マルサカというと、地方で生産した食品を都会向けに販売し、その儲けを地域に還元するというスタンスの地元企業であった。古くはマルサカ精肉という食肉加工会社だったと聞く。

 現在は生産、輸送、販売までをグループ内で一括しており、飲食店参入も好調であり、事実、赤馬町近辺が地方にしては比較的安定した雇用と高い給与形態を維持するのに一枚噛んでいる。

 しかし、その一方で、社長の坂口比呂人は、とかくセクサロイドを愛好しており、カスタマイズされたセクサロイドが専用の屋敷があるとか、ひどい扱いをしているだとか、メイドの代わりにしているだとか、抱いて寝ているなどの下世話な噂話も散見する。

 真否はどうあれ、御執心な事に間違いはなく、近いうちに同じく強い影響力を持つ製造業の会社と手を組み、事業にセクサロイド部門を設けようという話、世俗に疎い佐伯にも聞き及んでいた。

 金持ちの道楽としては、比較的派手な部類ではあるが、現在の道徳観念上、機械の延長であるセクサロイドになにをするかなど至ってプライベートであり、外野がとやかく言うことこそ無粋で無礼であろう。それが事業であって、必要な研究開発だと言われれば尚更だ。

 他に悪い噂がないぶん、多少奇異な目で見られてはいるが、セクサロイドの研究開発はそこまで特異な事業ではない。

 貞沼もそれをよく知っているから、うーんと唸りながら首を傾げた。

「これだけ変わった形を作るという話なら、多少なりとうちの実家にも情報が出てると思うんですよ。それに、人体改造でこういうのを作る、なんて話も聞いたことがないですよね。そもそも、内臓から骨から、手順を踏んで全身の機械化するならともかく人間そのものを殺さずにこの形状にするのは、オレも聞いたことがないです」

「彼ら、見たところ肉と骨だ。これは生き物であっておそらく人だよ……。坂口比呂人が一枚噛んでるだろうとは、俺も思うよ」

 いまだに交接し続けているオベンチョとチョウズを見ながら貞沼は眉を下げた。

「この子らがもし、人なら、すごくかわいそうな気がしてきて。動ける身体だったのに」

「脳がまともなら治す方法もあるだろうけど……これはどうなんだろう」

 言葉も無く、むずむずと身動ぎするようにしか動けない彼らを見て、貞沼はますます悲しそうな顔をした。疲れ切ったらやめるのだろうが、そうでなければ食うと寝る以外にはずっと続けているだろう。

「この小屋を無くした後、保護されたとしてどんな施設に行くんでしょうね……」

 佐伯が確信を持って答えられることは一つもなかった。オベンチョとチョウズが引き離されて、生涯出会うことがなくなったとして、それは彼らの幸福だろうか。様子から彼らが愛し合っているのではと想像する事もできる。

 また、同じ場所に収容されたとして、日がな交接して過ごすだけなのか。ならせめて、金を稼げる見世物小屋のほうがよいのではと、様々な感情が心を掠めた。

 どちらにせよ、自我がどれほどあるのかすらわからない以上、佐伯たちには、彼らの幸福どころか、不幸を推し量る事すらできないのだ。同じ人であるはずなのに。佐伯はもどかしく歯噛みした。

 引き戸を出たところで、保護要請を受けてやってきた職員らにはちあわせたので会釈をする。生身の人間が二人だった。刈賀か貞沼の映像を見て、これ以上の戦力も必要ないと判断されたのだろう。

 佐伯たちはそっと小屋を出た。窓がないためにひどく淀み、追い出し切れない屎尿のアンモニア臭から逃れた空気はうまかった。

 小屋の外に出ても、立ち入り禁止のテープが貼られるわけでもなく、人混みができているわけでもない。遠巻きにこちらを見ている人が伺えるが、あれは事件に興味があるのではなくパトカーを見ているようで、こどもたちの姿も見えた。

 今直面しているこの出来事も、山のように起きて忘れられる些末な事件のひとつだと感じさせる。

「おつかれぃ、佐伯さん。貞沼」

 少し離れたところから声がかかった。昨夜佐伯たちが座っていたベンチに真弥が座っていた。

 真弥は、さつまいものたっぷり入った豚汁と家から持ってきたらしいおにぎりを掲げて見せた。

 佐伯はひどくほっとして、真弥の前へと小走りにむかった。

「まだ芋汁配ってるよ。佐伯さんたちのももらってこようか?お昼まだでしょ?なにか屋台で買って食べる時間ある?」

 時計を見る。十一時半で、早めの昼食だった。目の前の丸く握られた大きなおにぎりに日常を感じてつい先程見た光景を忘れそうになる。

「うん、うん。もらおうかな。食べて、午後から書類仕事が待ってるからね」

 全身の筋肉が緩むのを感じる。日常。日常だ。自身の愛しい恋人と、温かい食事。料理は上手いのに、おにぎりだけはいつも丸くなってしまう彼女。空は晴天で麗らかである。あたたかい。

 貞沼も昼食を取る事に賛成した。大急ぎで、昨夜食べ損ねた屋台飯を買い集め、三人並んでベンチに腰を下ろして、まず一口お茶を飲んだ。

 冷えたペットボトルの緑茶が、鼻に残っている屎尿のにおいを流してくれた。

 たませんにかぶりつく貞沼の横で、芋汁に焼きそば、お好み焼きと、丸い爆弾鮭おにぎりを二つ。佐伯は頬張った。

 手のひらに余るほどの大きなおにぎりを前に、食える時に食っておける喜びを噛み締めながら食べた。まず食べなければどうもならない。食べ、飲み、嚥下しながら、ふと思った。

 食事。そう食事だ。オベンチョとチョウズ、そして他の三人は、食事を与えられていただろうか?炊事をするような場所も、給湯器すらないのに。なら、彼らは何を食べていたのか。

 佐伯が緑茶を飲み干し、貞沼に「もう一度中を見てきたい」そう言ったのと、ほとんど同時であった。

 刈賀でも神鳥でもない男の叫び声がして、発砲音が続いた。途端、立ち上がった佐伯と貞沼は、再び小屋に向かって走った。しかし、真弥を置いていくのが気がかりで、佐伯の足が止まる。

「真弥ちゃん、俺っ……!」

「早く行きな!仕事でしょ!」

 背後から飛んだ叱咤に、佐伯は背中を押された。家で待ってるからねと、大きな声が佐伯の背を追いかける。

「刈賀さん!神鳥さんっ!」

 貞沼が大声を張り上げたが、返事はない。再び発砲音と、物が崩れるような音がする。

 舞台にいたオベンチョとチョウズは、保護運搬用のケージに一緒に押し込められていた。交接せずに身を寄せ合っている様に、怯えの感情を想像させて嫌な気分になる。

「おい、刈賀!刈賀!」

 佐伯が名前を呼ぶと、刈賀ではなく神鳥がこちらの部屋に駆け込んできた。

「おい、やられたわ。保護応援のやつら、二人喰われた」

「はぁ?」

 素っ頓狂な佐伯の声に、神鳥はどこか悠長に首を掻いた。

「男は刈賀が射殺してるけど、射殺してるはずなんだが。なんか死なないのよ。舞台の上の檻持ってって、とりあえずその中に押し込むよ」

「了解です」

 貞沼が鉄製の檻をヒョイと担ぐ。倉庫の中には、先程すれ違った保護員二人が、顔面をかじり取られ、血溜まりの中で呻いていた。

 佐伯たちに気づいて振り向こうとした金髪男の体を、刈賀の指先が下から上へと指し示す。指先から発射された弾丸が男の体を跳ね上げる。

 床に落ち、動かなくなった男の髪の毛を刈賀が掴み、力任せに床に叩きつける。

 ダン、ダン、と、肉をまな板に落とすような音をさせて男の顔面がへこみ、床と壁に血飛沫が跳ねた。二、三度身体を震わせて再度動かなくなった男に馬乗りになると、こちらを向いて刈賀が笑った。

「お、ナイス。いい檻がありましたね」

 刈賀の硬い拳は、金髪男の肘と膝の関節を難なく砕く。四肢をあらぬ方向に曲げた男は、背骨も相まって、丸まった蛸のようだった。

「また動くようになるかもしれませんから、用心して」

 そう言って刈賀は、金髪の男を掴み上げて檻の中に投げ込んだ。大きな音を立てて転がった男は、血を流し、ひくひくと動いてはいるが、顔を上げるようなことはしなかった。貞沼が扉を下ろし、閂をかける。

「刈賀、佐伯たちのいる方に撃っちゃだめでしょ」

 神鳥が大きく息を吐いて言った。

「オートエイムがあるからいけるかなって」

「気をつけなさいよ、ほんと」

 佐伯は血まみれの男を見ながら、つぶやくように言った。

「それぞれ負傷は」

 神鳥は首を振る。

「なんにも。救護要請はしてありますから、あちらの二人もじきになんとかしてもらえるでしょう。息はありますから、顔面の修復を受ければ大丈夫かと」

 そう言って、刈賀は口をへの字に曲げながら檻を覗き込んだ。

「先程、順番に保護をと、クレートを開けに行ったんです。羽佐田も立ち会いをね。そもそも輸血なんか受けている程ですから、動かす事に障りがあるといけないんで」

 刈賀は、忌々しそうに羽佐田に視線を送る。

「男の番になって羽佐田が「安定剤を入れなければ」と言い始めまして。医療用にあるペン型のものでしたから、言葉通り鎮静剤の類かと思ったんですが、打った途端、男の四肢が生えて、保護員二名に噛みついた。その時点で僕が頭を撃ちました。二名の安否確認をして振り返ったら、保護対象二体を食い殺している。以降は佐伯さんたちが来てからと同じです。録画が僕の義眼に入っているので後で提出しますね」

「生えましたか……」

 貞沼が檻の中の男を見ながら言った。確かに無かった手足は生えているし、頭部に刈賀の.24口径とおぼしき痕が見て取れた。

「頭に当たって動くんだから、ゾンビパウダーだったのかもね」

 神鳥が、茶化すにしては抑揚なくそう言った。

「羽佐田、坂口比呂人との繋がりをしゃべったまではよかった。こいつらの母親が坂口比呂人のところにいて、ここでやってる輸血液はその母親のものだと。坂口邸に行くべきは間違いなさそうだ。で、ご本人は今はそこで、ヒイヒイ言ってらっしゃる。あいつも檻に入れるか殺すかした方がいいと思うのよね」

 見ると、手錠をかけられた羽佐田が横臥し、しゃくりあげるように泣いていた。

「こんな事になるとは思わなかった、ごめんなさい」を繰り返す羽佐田の尻を神鳥が蹴り上げる。

「ペン持てる左腕があったのが悪いのよねぇ。悪かったねえ」

「だから指だけ先に切っちゃおうって言ったのに」

 刈賀はそう言って、羽佐田の左右の指を、逆方向に一本ずつ曲げ始めた。ポキポキと小気味よく指が折れていく。羽佐田は脂汗を流しながら、床に突っ伏して嘔吐する。ただでさえ空気のこもった、蠅の飛ぶ室内に、吐瀉物の酸っぱいにおいが充満する。

「羽佐田さん。署でね。僕とゆっくりお話ししましょうね」

 そう言って、また羽佐田の首を掴むと、わざと引きずるようにして出口へと向かった。

「殺さないといいなぁ。刈賀、久しぶりの発砲で、気が立ってる」

「まあ最悪、脳だけあればなんとかなりますから……」

 顔を見合わせる佐伯と貞沼の肩を、神鳥が叩いた。

「じゃあ俺たち、羽佐田を連れて行くから、佐伯と貞ちゃんは応援の人たちがくるまで、ここに待機で頼むよ。俺ちょっとたばこ吸ってくる」

 神鳥はそう言って、刈賀の後を追いかけていく。

「お昼食べといてよかったですね、佐伯さん」

 貞沼が血みどろになった小屋の中を見回してそう言った。ひっくり返ったクレイトの向こう側に、クリコが三つになって死んでいる。

 耳元を蠅の羽音がかすめていった。

「本当だよ……。長くなりそうだ。真弥ちゃんに遅くなるって連絡しておかなきゃ」

 佐伯はスマートフォンを取り出して、メッセージを送信する。かわいらしいクマのキャラクターががんばれ!と言いながら踊るスタンプが表示された。

 ああ、絶対に、今夜は夕飯を食べに帰るのだ。

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