一章 神を食う
一章 神を食う
海からほど近い赤馬町の交番に佐伯國春とその同僚、貞沼衛士は勤めている。
赤馬町は、かつての領主が乗っていたという赤馬を由来とした町名である。下々の生活によく目を向け、赤い愛馬に跨りねぎらいの言葉をかけて回るほどの名君であったと伝えられている。
古くは城下町が広がり、領内にある湾は深さもあり、よく魚が取れる。水神伝説や、神仏絡みの伝承には事欠かない。
かつては漁業や交易が盛んであったが、今ではそれらもほどほどに廃れ、住むにはよいが少し不便な、そんな立ち位置の田舎町であった。
田畑が広がった見通しのいい区域には、浮島のように林や、神社を囲む鎮守の森が残っている。
穏やかな気候も相まって、人間の気質も割合穏やかな地域である。
佐伯は、物静かな平野に広がるこの町を気に入っていた。
田畑を四角に区切る農道には街灯は無く、遮るもののない月明かりが、閑かに首を垂れる稲を照らしていた。佐伯と貞沼は、暑さがおさまった夕暮れに、虫の声を聞きながら自転車を漕いでいた。
少し油の切れた自転車は、キコキコと音を立てていたが、それもまた小気味よく、滑るように稲穂のきらめきを抜ける。
東に月が顔を出し、西から赤い夕陽が俺たちの背を押す。
祭り会場である神社へと向かうに連れて、祭囃子と灯された光が気分を高揚させていた。貞沼も同じ気分らしく、どことなく浮ついた様子で自転車のスタンドを立てると、鍵をかける。
会場の隅に並んだ色とりどりの自転車は、だいぶ防犯意識が低いと見えて、ほとんど鍵がかけられていない。今日ここに来て、わざわざ自転車を盗もうなどという輩が稀なのはわかっているが、できればもう少し……と、佐伯は苦笑した。
今なお、日中の玄関の鍵は開けっぱなしが多いのが実情であるのだから、日常で起きる事件率の少なさは想像に易いことだろう。
佐伯たちの普段の仕事と言えば、こういった祭事や、町内の警邏。たまに起きる小さな事故や、道を塞いでしまった脱走牛の捕獲などが主な業務であった。
ゆえに、見知った顔の参列者はとても多く、彼らに差し出される御神酒を断り断り、それならと代わりに渡されたサイダーやさきいかを噛みながら、佐伯と貞沼は周りを見渡す。
じきに日が落ち、頬にひんやりとした、どこか香ばしい秋の風を感じる。
徐々に人手が増える中、佐伯と貞沼は程よい人混みを掻き分けていく。人が増えたと言っても、緊張感には程遠く、口元が緩む回数の方が多い。
普段なら人気のない夜の神社も、今日ばかりは並んだ提灯が煌々と境内を照らし、隣町からも人が出て実に賑やかであった。
「佐伯さん、町内の出店で、たませんが出てましたよ。後で買う時間ありますかね」
貞沼が佐伯に顔を寄せ、小声で言った。
たませんというのは、この地域では定番の屋台めしであった。楕円形の大きな海老煎餅を二つに割り、そこに鉄板で焼いた目玉焼きにソースとマヨネーズをかけたものを挟むのだ。価格次第では、たこ焼きを挟んだり、お好み焼きを挟んだものも存在する。海老煎餅の香ばしさと、ソースの味が存外によく合うのだ。
貞沼は県外の出身であるから、こちらにきてからはじめて食べてからというもの、たませんの味が随分と気に入ったようで、出店で見かけると好んで買い求めるのだ。
にこにこと太眉を下げ、町民に挨拶をする貞沼が腕にぶら下げたビニール袋の中には、飲み物が何本かと、菓子まき用の包みが二、三個入っていた。佐伯が見ている間にも、みたらし団子のパックが手渡され、袋の中に入っていく。
「食べ損ねても、この間岡田のじいさんがくれた海老煎餅があるから、あれで作ればいいよ」
「そういえばもらいましたねえ。茄子もおいしかったな」
貞沼が味を思い出すように唇を舐めた。
甘薯祭りに立ち並ぶ出店は、よくあるテキ屋のようなものとは違って、近辺の店が出しているものが多くあった。
値段の割に量の多い唐揚げは、肉の卸屋がやっているし、和菓子屋が水饅頭や水羊羹を並べている。
隣には地魚の干物にフライ。ラーメン屋が屋台を引いて、スチロールの器でラーメンを出している。
果実の飴や、焼いた肉の串。生しく仕上げられた、イカのプレス焼き。
写真映えするような煌びやかな売り物こそ少ないが、どれも味の保証がされた品ばかりであった。仕事の事さえなければ、一件ずつ丁寧に店を回って、出店料理を味わいたいと、佐伯はわきあがる食欲を宥めるべく、ソフトさきいかの残りを噛んだ。
子供達が練習に吹いている祭囃子の笛の音がなんとも風流であるので、この後始まるこども神楽をゆっくり見物するのもきっと楽しい。
額の汗を拭いながら、隣を駆け抜けるこどもたちに笑顔を返していると、貞沼が佐伯の前に白いビニール袋を突き出した。
「佐伯さん。プレス焼き貰いましたよ。少し食べて休憩しましょう。踊りまでは少し時間があるし。佐伯さん、砂利道は疲れるでしょ」
貞沼がパックに収められたイカのプレス焼きを袋から取り出してそう言った。察してくれたのか、神社の参道に厚く敷かれた玉砂利は、靴底が滑って歩きづらく、佐伯の足はだいぶ重くなっていた。
「ありがとう。少し座ろう」
砂場やぶらんこが近いベンチに、二人並んで腰を下ろす。夜の七時を回っていて、すっかり空は暗いが、小学生くらいのこどもたちが目につく。祭りだからと遅くまでの外出を許可されたのだろう。
気分が上がりに上がったこども達が、奇声を発しながら、伸びる紙の剣を振り回したり、綿菓子を口に詰め込んでいる。
なぜ子供は、目の前にあるものを全部口に入れようとするのだろう、と佐伯は思った。しかし佐伯自身が子供の時もそうであったから、子供とはやはりそういう生き物なのだろう。いつも腹を空かせているのだ。いつだって、唐揚げとどぎつい色の甘いジュースを口いっぱいに頬張りたいに決まっている。
「もう少し気をつけて食べて欲しいけど……、まあ、気持ちはわかるよ。俺もあのくらいの頃は、お祭りで好きなものを好きなだけ買うのが夢だったからね」
「そういえば、佐伯さんの学生の頃ってどんなだったんですか?」
貞沼が袋の中から、缶に入った烏龍茶を取り出し、ベンチの座面に置きながら言った。
「ン……。小学生の頃はあんなものだったよ。遊具に登って落ちたりは日常茶飯時でね。でも、親の転勤が多くて、いくつか転校をしたな。一時期この辺りに住んでいたこともあるらしいんだけど、それは小学校二年生くらいの頃だからあんまり覚えてないんだけど。公園みたいなところでよく遊んでくれた髪の長めの男の子のことはよく覚えてるんだけど……。名前は覚えてないな。別の学校だったのかもしれない」
佐伯はそう言って、爪楊枝にイカを刺して口に入れる。イカの旨みに生地のしょっぱさが広がる。奥歯で噛むほどに、イカの味わいが染み出し、あとを引く。
「へえ、いいですね。そういう思い出。オレはあんまり外で遊んだりしなかったから……。兄がかわるがわる遊んでくれるんですけど、さすがに九人いると、誰がなにしてくれたなんてそんなに覚えてないし。上の方は、歳も離れてましたしね。その子、どんな子だったんですか?」
貞沼も、イカ焼きをつまみ、口に入れる。
「なんていうんだろう。この、顎のあたりで髪の毛を切り揃えていて、女の子みたいな感じがしてさ。真ん中で分けたさらさらの髪の毛を、きれいな花の形のヘアピンで留めてるのがよく似合うんだ」
佐伯は、手を顎に添えて、このあたり、と、差して見せた。
「遊びの内容は、普通の感じだったよ。ボールだったりその辺の空き缶使ったり……。貞沼は、そういうので遊んだことは?」
イカ焼きにかけられた七味の唐辛子が、舌をぴりぴりと刺激した。
まだ冷たい烏龍茶で飲み下すと、食道にそって冷たいものが下っていって、心地が良い。まだ少し湿気の残る空気の中、汗ばんだ肌が冷えていくようで気分がよかった。
「そうですねぇ……。二年生くらいか……」
貞沼も、烏龍茶のプルタブを起こし、口をつける。
「その頃は、もうだいぶ身体に痛みが出始めていたんで、外遊び系はしなかったですよ。でも、長男次男あたりはもう成人してたので、よく本とかゲームを買ってきてくれましたよ。今思えば、小学生にそれは難しいでしょってゲームもたくさんありましたよ。五年生くらいからかなぁ。補助用のパワーアーマーを親父が作って持ってきて、はじめて兄たちとサッカーをしました」
まあ、それもすぐ使えなくなっちゃったんですけどね、と、そう言って貞沼はもう一度烏龍茶を煽った。
「ま、今は好きにどこにでもいけますし、なんでもやれるんでいいですけどね。佐伯さん、また釣りとかキャンプも連れてってくださいよ」
「そう言えば今年の夏は、鮎釣りにも行かなかったな。真弥ちゃんに塩焼きを食べさせてあげられなかった」
「真弥ちゃん、鮎が好きですもんね。今月中ならまだギリギリ炭火焼きもやってるかもしれませんし、川釣りも行きましょうよ。最近はどうなんです?仲良くしてるとは思いますけど」
貞沼の言葉に、佐伯の顔がだらしなくゆるんだ。
「じ、実はさ……。年明けには籍を入れようかなって……。まだ確定じゃないから、みんなには内緒ね。貞沼だけ……。とりあえず今度、婚約指輪プレゼントしようかなと思ってるんだ」
佐伯は、実に嬉しそうに、烏龍茶の缶を両手で握る。
「順調にいくといいですね。楽しみだな。式とかが決まったらまた教えてください。必要なら、実家の方に聞いて、ブライダル会場を使わせてもらえないか聞きますからね。貴金属も、グループ会社のだったらお値打ちなもの用意できると思いますし」
「なにからなにまで……これだから貞沼は。ありがとう。助かるよ」
イカ焼きを食べ終えた貞沼が、みたらし団子のパックに手を出す。甘辛い、濃いタレがたっぷりと絡んでいて、香ばしい。
冷めてもむちむちとした柔らかい団子は、串離れもいい。これは祭りが終わった後も、この団子屋はまめに訪ねなければならないだろう。
「祭りで食べると余計にうまい気がするね。おなかをすかせて食べるごはんは幸せだ」
竹串をパックに戻し、膨れた腹に手をやりながら天を仰いだ。
「外で食べるごはんは格別ですよ。オレも釣りで食べるカップ麺、大好きですし。はぁ、いいな。でも周りが明るくて今日は星が見えませんね。佐伯さん、星座は知ってます?」
「いや、詳しくないよ……。真弥ちゃんが教えてくれたから、オリオンの……ベルトは知ってる……。オリオンのベルトには宇宙があるらしいよ?」
「らしいよって、多分それ映画の話ですよ」
「……そうなの?で、オリオン座の三つ星から西にいくと……アルデバランっていう赤い星があるんだって。今日はあんまり見えないね」
いつもなら星空がよく見える時間だが、夜空を見上げてみても、明るい祭り会場の端では光量の少ない星は霞んで見えた。
それでも、月は煌々としていて、灯りのないところでも地面がよく照らしている。これなら、子供達が帰る時も足元がよく見えるだろう。
空を見上げていた目線を落とす。
ふと、飲食や雑貨の店から少し離れた薄暗がりに、ひとつ小屋が建っていることに、佐伯は気がついた。神社の敷地内から少し出たところなので、ちょうど植木に隠れるようになっている。
「あそこ、私有地かな?」
祭り時期でもなければ、地元民もそう用事もない位置だ。時折、人が出入りしているようだが、繁盛している雰囲気ではない。
「貞沼、あれ。なにが書いてあるか読めるか」
黒い外観の、物置めいた建物を佐伯は指差した。板切れか何かに書きつけてあるのだが、佐伯には暗くて読めなかった。
「ああ、少し待って」
貞沼の目が、微かな駆動音を立てる。貞沼は数秒、板切れを凝視してから口を開いた。
「見世物小屋ですね。最近増えましたね」
「噂には聞いた事があるけど、こんなところで見るのは初めてだな」
「オレもですよ。はぁ、こっちのほうでもやるもんなんですね。もっと都会の方だけかと……。仕事でなかったらああいうのも見てみたいですね」
「どんなもの出すのか気にはなるね。どうせならフワフワした……うさぎとかさ、ねこのアンドロイドだと嬉しいなぁ」
「昔みたいに、人間を前に出さなくても、生体アンドロイドで形状を作ってしまえばいいですからね。中に入ったら、オバケみたいなアンドロイドがいたりして」
「オバケって、お岩さんみたいなやつ?」
「お岩さんはだいぶ古いデザインですね。もっとこう、真っ黒い目の、映画に出てくるみたいなやつですよ」
貞沼は、そう言って邦画によくある怨霊を示唆して見せた。途端に、視界の端の暗闇から、恐ろしい顔が覗いてきそうな気がして、佐伯は身震いした。
「嫌だな。俺がオバケみたいなもの苦手なの知ってるだろ」
「佐伯さん、きれいなアンドロイドなら平気ですし、機械的な表情が原因とかでなく、単純に怖い顔がダメなんですね」
「まあ、まあそうだね……」
佐伯は、幼少期の頃からいわゆるジャパニーズホラーの怖い顔が苦手だった。
その苦手具合たるや、夏休みに行った映画館のポスターに描かれた、深淵のような真っ黒い目をした長い髪の女のデザインが怖くてたまらず、その場で泣きじゃくり、親に抱きかかえられてから夏休みヒーローもの映画を見た記憶もある。
今でも、ホラー映画に誘われた時は、頼むからスプラッタの方にしてくれと頼み込む方だ。
スプラッタに出てくる、血液が強酸の宇宙生物や、白黒ピエロや、蝋人形フェチの殺人鬼たちのほうが余程、佐伯にとっては恐ろしくない。
物理的なほうがフィクションみが強くて穏やかでいられるのだ。
布団をめくったら黒目だけの子供がいるとか、天井を見上げたら血走った目が……なんてのは、夢に出てきて翌日まで引っ張ることになる。
体験型のお化け屋敷なんてもってのほかだ。
一週間くらいは、部屋の端だとか、机の下に怯えて生活する事になるだろう。一人で風呂に入れなくなったらどうしたらいいんだと、佐伯は杞憂を繰り返している。
そうはいっても、アンドロイドを使った見世物小屋や、お化け屋敷は、最近の流行り物らしく、都会ではちょっとしたスペースを使って、さまざまな見せ物が展示されている。
もちろん、怖いばかりではなく、かわいいものや、少しアダルトなものに、子供向けにキャラクターを模したアンドロイドが中で握手をしてくれるのだってある。
しかし神社の端にあるあばら屋では、権利許諾のいらない悪趣味な展示であろう事は想像に易い。
現状、比較的簡易な人工知能を搭載し、特定パターンを繰り返すのみの人型生体アンドロイドは、倫理はどうあれ物扱いされている。ゆえに、商品化された人型生体アンドロイドを率先して導入したのは性産業であった。理由は言わずもがなであろう。
次点でショービジネスである。
バックダンサーなどの仕事が駆逐されると抗議活動が起き、結構な騒ぎになっていたが、アンドロイドアイドルなるものが流行り始めてから、やんわりと受け入れる方向に風が向いたようだ。今では半獣のアイドルと生身の歌手が並んでオリコンを飾っている。
現在は少しずつ医療や工業にも導入されつつあるが、性産業に従事するアンドロイドの数に比べれば、圧倒的に少ない。人間の手の技に追いつける日はまだ遠く、もしくは、単純な作業を人間型に担わせても効率は頭打ちなのだろう。
そういう意味では、見世物小屋というショービジネスに、露悪的な奇形型生体アンドロイドを展示するのはなんら不自然さもない。
それが例え、醜悪もしくは滑稽な造形、猥褻さを意図して作られた怪物だったとしても、それらに悲鳴を上げたり、指差して笑う事に、なんら法的な侵害はないのが現状であった。
「きれいなアンドロイドの店には何年か前に連れて行かれた事があるけど、確かに大丈夫だったな。不気味の谷だっけ。ああいうのはあんまり感じなかったよ」
「佐伯無傷伝説の事ですね」
「俺知らないよ、そんな伝説……」
「佐伯さんが知らないだけで、今や酒の席だと鉄板ですよ。酔った神鳥さんに捕まった佐伯さんが、生体アンドロイドの風俗店に引き摺られていって、中でおねえさんに説明して、時間いっぱい配信の地球ドキュメンタリー番組見て帰った話ですよね。翌日、神鳥さんを一本背負して、ちゃんとお金も請求したとか。本当になにもしなかったんですか?」
「なにもありません。俺には真弥ちゃんがいるから、大丈夫です」
実際、貞沼の問いかけに関して、佐伯は潔白もいいところだった。生体アンドロイドの完璧な均整を前にしても、佐伯の股間は微動だにしなかったのだから。
確かにその事件で様々な憶測が飛び交ったが、結果的に佐伯が恋人と同棲している旨を同僚たちに報告するいい機会になったのだから、世の中とはどう転がるかわからないものだ。お祝いにみんなからケーキももらい、人間万事塞翁が馬であると佐伯はポジティブに考える事にした。
「神鳥さんも面白がってそう言う事するからな……。大人しく駐在所に篭って、近くの畑を耕してくれてたらいいのに」
「たまに会うと面白いんですけどね。佐伯さん、普段浮ついた話もないですから、神鳥さんなりに気を回したんでしょう」
「だとしたらわかりにくすぎる気遣いだよ。あの時間のおかげで、人生ではじめて、ストレスで胃が痛むってことを知ったんだ。まったく、神鳥さんが人里に降りてくるとよくない事が起きる」
「そんな山の怪みたいな……。そういえば、この間三十キロの米袋と自転車を担いで走ってるのを見ましたよ。警邏してたらもらったけど、自転車に積めないから両方担いで帰るって」
「あの辺りの傾斜結構あるはずなのに……。ああいうのが、怪異として伝承されていくんだろうね」
「そう言えば刈賀さんの話聞きました?相変わらず未亡人を探しているらしくて……」
ふいに、こども神楽が終わり、ぱたりと音が消えた。釣られるように、行き交う人たちの会話が止まり、しばしの静寂。ではなく、虫の鳴き声と風が葉をそよがせる音。
こどもたちの声を挟み、トントコと太鼓の音が聞こえ始める。顔を向けると、朱色の服を着た厄男たちが、腰をふりふり太鼓を叩きながら並んで歩いている。
「始まりましたねぇ」
「少し見に行こうか。ちょっかいを出す人がいるといけないから」
「ゴミ捨ててきます」
玉砂利を踏んで、厄男たちの列に近づく。興味深げに見ているこどもや、写真を撮ろうと手を伸ばす人に軽く頭を下げながら、佐伯と貞沼は朱色の列を挟むようにして歩く。
――トントコ トントコ トコトントットット――
朱色の男たちが、篝火の灯りを受けながら腰をくねらせる。尻には、さつまいもで作られた巨大な男根がついていて、男らが腰を動かすたびにピョコピョコと揺れている。
この奇妙な祭りを甘薯祭りという。さつまいも祭り、実にストレートなネーミングだが、地元民はそれをイモマラさんと、だいぶ赤裸々に呼ぶ。
秋に取れたさつまいもの中から、特別大きいものを選んで、男根の形に彫りつけるのが、一番大切な準備である。筋やカリ首、浮き出した血管などもなるべく忠実に再現するのだ。
先端の皮を残すことで赤い亀頭も、きちんと表現されている。
時間が経つに連れて、黄色い部分に渋が浮いて茶色くなると、暗がりで見るならばなんとも淫靡な色かたちとなる。更に、睾丸を模して球状に整えた芋を結え、厄男の腰に結びつけられることで完成となる。
朱色の着物を纏った厄男、もしくはその腰の男根は、祭りの間イモマラ様と呼ばれ、丁重に扱われる。
元々は江戸時代頃から子宝祈願として行われていて、冬の時期に大根を使用したらしいが、なぜか時期がずれにずれて現在に至る。
いつからか子宝だけではなく無病息災、五穀豊穣に海難事故に対する厄除けというご利益の坩堝のような祭りになっていると、佐伯に教えてくれたのは、恋人の真弥だ。
真弥はこのあたりで生まれ育っており、、学生時代には、祭りなどの地域史を随分熱心に学んだらしい。
楽しそうに伝承について語る真弥や、その時のたエピソードを思い出すと、朱い男たちとさつまいも製の男根に囲まれながらでもなんとなく口元がゆるむ。
そんな佐伯の隣に寄ってきた貞沼が、「そんな大きい芋が嬉しいからって、ニヤニヤしないでください」と囁いた。ひどい言い掛かりである。
しかし、目の前にある一際大きなさつまいもで作られた男根。その太さ大きさは、鍛えられた男の前腕程もあり、さながら天をつく拳のようであった。
その質量がが朱色の着物を背景に、ユッサユッサと逞しく揺れるのだ。少し恐ろしいほど立派である。祭り独特の空気感も相まって、非日常に酔いそうだ。
腰を振る列の目的地は、本殿の前である。そこに到着すると、法被をきた町内の顔ぶれが、垂れ布を持ち出して仕切りを作り始める。観光客が近寄り過ぎないようにするためだ。ここからは撮影も禁止になるため、その旨も放送で伝えられる。
打ち鳴らされる小太鼓の数が増え、演奏に笛も加わっていく。男たちを囲むように作られた大きな篝火に藁束や薪が投げ込まれると火柱が上がり、赤い舌のような炎がごうと唸って揺らめき、その熱を持って観客の顔を舐め炙る。
佐伯は、顔が炎に照らされて熱くなるのを感じた。
崩れる藁束の火の粉を浴びながら、朱色の男たちが腰を振って踊る。金色に光る火の粉は風に煽られて身をくねらせる。
もし風下で化繊の服を着ていると、焦げてぶすぶすと穴があくので、見物するのなら、上下木綿の服がよいだろう。
榊にたっぷりと、度数の強い酒を含ませて篝火や男たちに向かって振るので、酒気と熱気に、男たちの汗の臭気が混ざってわけのわからないにおいが充満する。
どんどん上がる調子と気温に、男根が更に揺れる。男たちが汗で朱色の着物の色が変わった頃には、神社の空気はむっとした湿気を孕んでいた。
更に酒気を濃くしようとするのか、周りが酒や油を吹きかけるものだから、着物も男根もぬるついて、てらてらと光り始める。
そうなると、厄男たちは抱きつき合い、絡み合うようにして相手の腰についたイモマラ様を握ってさすろうとする。また酒と油が注がれ、小太鼓と笛の音に、性器を愛撫するようなねとついた水音が混じる。もしかしたら、かけている酒や油には粘りがつけてあるのかもしれない。
この頃には、褌に法被を着た参加者達が踊りに混じりはじめ、厄男の男根をさすろうと揉み合いになる。
……勿論、撫でさするのは芋の方のはずなのだが、なぜか毎回、褌がほどけたり、うっかり怒張した陰茎をさする事態に発展する。
こうなったところにあまり近づくと、法被を着ていなくとも巻き込まれてしまう。尻をさすられるくらいで済めばよいが、腰ゴムのズボンなんて穿いていようものなら、ずり下げられて股間をまさぐられる事態にも成りかねない。
しかし、ここに巻き込まれて実際に股間を撫でさすられれば、子宝に恵まれ、病気や事故には遭わないし食べる物にも困らなくなるというので、ありがたい話である。古く遡っていけば、観客参加型の祭事だったらしい。
しかし、今のご時世、よくない噂がたたないに越したことはない。
万が一にも望まぬ観光客が紛れ込まぬよう、垂れ布で区切るようになったのは、ごく最近の事だ。
初めて佐伯が祭りを見物に来た時は、酒を散々かっ喰らった見物人の男が厄男たちの中に飛び込み、ムチュムチュにされて下半身丸出しで出てきたのを見て、彼を公然猥褻だので捕まえて良いものか非常に迷ったのである。
実際に被害届が出ているわけでもなく、多分恐らくきっと酔った末の事故だからなぁ……として片付けたのが現状である。
ゆえに、無知な見物人が朱色の男たちの群れに紛れ込んで、野太い声を上げて射精せずに済むように、佐伯と貞沼はこの祭りを微力ながら見守る事にしているのだ。
頼りになる相棒、貞沼。佐伯は、貞沼が隣にいると安心した心持ちになる。
その貞沼に目を向けると、派手なショートパンツをはいた金髪の観光客に、撮影は禁止だと声をかけている。ここは聖域であるのだ。要らないものを持ち帰られてしまっては誰もが困ることになる。
貞沼ですら、録画機能をオフにしているのだ。
過去にうっかり録画をして帰ってしまった際は、それから一週間、貞沼は極彩色のめくるめくイモマラ道中の夢を見続ける事になった。ほとんど眠らない貞沼が悪夢にうなされるのだ。その霊験たるや、想像するだに恐ろしい。
地道な活動が功を奏して、今のところインターネットに大きく流出することもなく、小さな田舎町の不思議な風習、程度の話題性で済んでいる。世間はこんな奇妙な祭りより、オススメ品で溢れかえったSNSや、ガチャ結果のショート動画の方に興味があるらしいのは実に幸いだ。
汗まみれになった法被の男が一人、列から弾き出されてきた。酔っているらしく顔が赤い。褌が解けかかっている。男は酒を煽ると、再度イモマラ様へ挑むべく列へ飛び込んでいった。祭りも間も無く佳境である。
酒と汗のにおいに混じって、塩素系漂白剤のような栗の花のような、なんとも言い難い、しかし佐伯にも身に覚えのあるにおいがする。まこと奇祭である。
ゆっくりと篝火が燃え落ち、広い境内が一段暗くなっていく。
被るだけでも厄除けになるという、藁の灰をかけてもらい、佐伯と貞沼は「お疲れ様」と声を掛け合った。朱色の男たちが肩で息をしながら退場していく。
腰につけたイモマラ様も、天を向いてこそいるがどことなく疲れて見えた。神である時間を終えたのだろう。
腰に飾られたイモマラ様も、明日には一口大に刻まれて、芋汁となって振る舞われる。
神に踊りと精を捧げ、一体となり、一時的とはいえ御神体となったイモマラ様を人が切り分け、食べる。
言うなればこの土地の人々は、脈々と神を育て、殺し、食べて生きているのだろうか。その繰り返しの果てに今があるならば、神も人も、さぞ滋味深いことだろう。
汗を拭く佐伯の背を、祭りの終わりを知らせる、二、三発ばかりの打ち上げ花火が照らしていった。
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