第3話 チャンスは突然

次の日の朝、駅のホームに立ちながら、次の行動が浮かばないまま、電車が来るのを待つ私の心はざわざわしていた。でも、そんな焦りに負けたくない。


「次こそ、絶対に話すきっかけを作る!」


そう自分に言い聞かせながら電車に乗り込むと、なんと! いつも彼が座っているあの席の隣が空いているじゃないか!


心臓がドキッと跳ねる。普段なら絶対に座れない場所が、今日はまさに私を待っているかのようにぽっかりと空いている。運命だ、これは運命に違いない。頭の中で勝手に盛り上がりながら、私は少しだけ震える足でゆっくりとその空席に向かって歩き出す。


「これはチャンス……いや、絶対に座るしかない!」


けれど、どうにも緊張してしまい、彼の顔を見ることができない。だから、思い切って目を閉じたまま、えいっ、と隣の席に滑り込むことにした。


「ふぅ……成功!」


座った瞬間、私は小さくガッツポーズをする。よし、ついに彼の隣だ。心の中で小さな勝利の雄叫びをあげつつ、ゆっくりと目を開けて、横をちらりと見てみる。きっと、彼は今頃私のことに気づいて……


「……ん?」


何かがおかしい。隣にいるのは、彼じゃない。私の隣には、どこかで見たことのあるような小太りのおじさんが座っているではないか。しかも、おじさんは私と目が合った瞬間、にっこりと優しく微笑んでくる。


「うそ……」


私は思わず固まった。いや、何かの間違いだ。確かに、彼の隣が空いていたはずだ。慌ててもう一度電車内を見渡すと――


「ああ……」


目を疑った。彼はドア付近で楽しそうに友達と立ち話をしている。しかも、笑顔で。どうやら、私が席に座る直前に、彼は友達を見つけて席を立ち、ドアの近くに移動してしまっていたのだ。


「なんで!? なんでこうなるの!?」


心の中で叫びながら、私はさらにおじさんの方をチラ見した。おじさんは私に向かって、まだ微笑んでいる。いや、むしろさっきよりも笑顔が広がっている気がする。まるで「いい席取ったね!」と言わんばかりの笑顔だ。


「違うんです、おじさん……! 私が狙っていたのは、あなたじゃなくて、あの彼なのに……」


もちろん、声には出さず、ただ心の中で言い訳をするだけだ。それにしても、なぜ私はこうもタイミングが悪いのだろう。人生のいたるところで、チャンスを逃す特技でも持っているのか?


それから、しばらくの間、私はおじさんの隣で固まったまま座り続けた。おじさんも特に話しかけてくるわけではないが、時折こちらに視線を向けてくる。なんだか、このままでは変な勘違いをされるんじゃないかと不安になってきた。


「やっぱり、座るべきじゃなかった……」


心の中で後悔が渦巻く。だが、もう今さら席を立つわけにもいかない。隣に座った瞬間は「やった!」と思っていたのに、今では「なんでこんなことに……」としか思えなくなっている。


しかも、彼は友達と談笑しているせいで、私の存在には一切気づいていない様子だ。話し声は聞こえないが、笑顔で楽しそうにジェスチャーを交えながら会話しているのが見える。


「私、何やってるんだろう……」


そう自問自答しながらも、私はまだ彼の方を見つめ続けていた。彼の姿を見ているだけで、どうしようもない切なさがこみ上げてくる。ああ、せめて隣に座って、少しでも彼の視界に入っていたら、こんな気持ちにはならなかったのに。


そんな私の心情とは裏腹に、おじさんは相変わらずご機嫌そうだ。やたらとニコニコしているその顔を見るたびに、なんとも言えない気まずさと恥ずかしさがこみ上げてくる。


「もう、無理……」


限界だった。私は思い切って立ち上がり、隣に座ったばかりの席を後にすることにした。どんなに作戦を練っても、私の隣に座るべき人が彼じゃなかったら意味がないのだ。きっと、私の運が悪すぎたんだ。


ドアの近くに移動し、少しだけ肩をすくめて周りの景色をぼんやりと眺める。彼とその友達の笑い声が遠くから聞こえるような気がして、ますます悲しくなってきた。


「どうしてこうも上手くいかないんだろう……」


心の中で何度もそう呟きながら、私は次の作戦を考える気力すら失ってしまった。


電車が駅に到着する頃、私はすっかり疲れてしまっていた。何もしていないのに、こんなに気疲れするなんて……やっぱり、恋愛って難しいものなんだなぁと痛感する。


「でも、次こそは……きっと……」


諦めるのはまだ早い、そう自分に言い聞かせながら、私は彼の背中を最後に一度だけ見つめ、改札へと向かった。



++++++++++



電車での不発な朝を引きずりながら学校に到着した私は、まだ少し気が重かった。教室に入ると、すでに真由と他の友達が集まっていて、何やら楽しそうに話している。私はいつものように何気なく自分の席に向かった。


「おはよ……」


「凜!さっきの電車で見たよ!おじさんに笑顔振りまかれてたじゃん!何あれ?」


真由の声が教室中に響き渡る。私は一瞬固まった。


「えっ……えええ!?」


まさか、私のあの屈辱の瞬間を誰かに見られていたなんて!しかも、それを真由がこんなに早く話題にするなんて思いもよらなかった。顔から一気に血の気が引いていくのがわかった。


「ちょ、ちょっと待って!どうしてそれ知ってるの!?」


「いや、私もたまたま同じ車両にいたのよ。それで、見ちゃった。凜が隣に座った瞬間、小太りのおじさんがめっちゃ嬉しそうにニコニコしてたの、笑ったわ」


「いやいやいや、誤解だってば!私が座りたかったのはおじさんの隣じゃなくて……」


私は慌てて釈明しようとするが、真由と他の友達はすでに大爆笑している。


「いやー、あのおじさん、めっちゃ優しそうな顔してたよね。凜に対して特別な微笑みを送ってる感じだったし。まさか新しい恋の相手が見つかった?」


「やめて!そんなわけないでしょ!私はただ、彼の隣に座りたかっただけなのに……」


「でも、結局おじさんの隣に座っちゃったんだよねぇ?しかもさ、彼が友達とドアの方で話してる間、凜はずっとおじさんに微笑まれてたってわけでしょ?」


真由が楽しそうにそう言うと、他のクラスメイトも笑いをこらえきれずに吹き出している。


「……もう、ホント最悪……」


私は机に突っ伏し、顔を隠した。ここまで笑われるとは思ってもいなかった。電車での出来事は、ただの恥ずかしい失敗で終わるはずだったのに、クラス中の笑いのネタになってしまったことが、さらに私を追い詰める。


「まあまあ、落ち着いて。で、凜、その後どうするの?また作戦練ってる?」


真由が机の横にしゃがみ込み、私の顔を覗き込んできた。私はうつ伏せのまま、もごもごと声を出す。


「……今、考えてるところ……」


「そっか。でもさ、凜、なんだかんだ言ってアクティブだよね。私だったら、そんなに毎日挑戦しようって思わないかも」


「挑戦っていうか……毎回失敗してるだけなんだけど」


真由は肩をすくめて笑う。


「まあ、そうだけどさ。でも、そこが凜らしいっていうか、いいところでもあるんじゃない?」


私は顔を上げて、真由の顔をじっと見た。彼女は心底呆れたように見えるけど、同時に、私の行動力を少しは評価してくれているみたいだった。


「ありがと、真由……でも次は、もっと普通に、彼に話しかけられるように頑張るから」


「うん、そうした方がいいかもね。ていうか、作戦考えすぎて逆におかしなことになってる気がするし。自然が一番だよ」


そう言われて、私はまたため息をついた。真由の言うことは確かに正しい。何かしらの「偶然」を演出しようとして失敗するのが定番になっている気がする。彼にただ普通に話しかけることが、実は一番の近道かもしれない。でも、それが一番難しいんだよなぁ。


「はぁ……やっぱり恋って難しいね」

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