第2話 部活体験とおかしな先輩

 現在僕たち1年生は、先日熊野くまの先生より告知があった。新入生歓迎会を受けていた。

 サッカー部、野球部、テニス部と各部活の代表者。多分部長と思われる人たちがそれぞれのやり方で部活動の説明をおこなっていた。


 僕は、運動が苦手だ。

 50m走は8.5秒と女子とほぼ変わらないタイムだし、球技はいつも明後日の方向にボールが行ってしまう。

 できることなら体育の時間はいつも見学していたいもんだ。


『続きまして文化部の皆さん。発表の準備お願いします』


 いつの間にか運動部が終わり、文化部の発表に切り替わろうとしていた。

 漫研、茶道部、園芸部。へぇ、天文部なんてものもあるのか。


「ねぇねぇ、舞園くん」

 前に座っている星崎さんが後ろを振り返って小声で話しかけてきた。

「どうしたの。星崎さん」

「体育座り疲れたから正座に変えてもいい?」

「余計に前見えなくなるからやめてほしいんだけど」

「えぇー」

 周りのことも少しは考えてほしい。まぁ、後ろにいるの僕だけだけど。

「もうすぐ終わるみたいだから我慢しなよ」

「もうしかたないなぁ」

 なんで僕が悪いみたいになっているんだ。


 日を追うごとに星崎さんから僕に対する扱いが悪くなってるような気がする。

 まだ入学してはずなのに。


「前向いて星崎さん。まだ部活説明は終わってないよ」

「はーい」

 舞台のほうでは吹奏楽部が3年目の浮気を演奏していた。

 ....どういうチョイス?


    ◇


 新入生歓迎会が終わり、現在時刻は12時。昼食の時間だ。

「舞園くんは部活入る予定あるの?」

「写真部とか気楽そうでよさそうじゃない?」

「理由がちゃっちいね」


 僕たちは、本校舎屋上で昼食を食べていた。

 星崎さんはお弁当を忘れたらしく、購買であんぱんを5つと牛乳を買っていた。

 そんな食べるんだこの人。


「さっき紹介されてた部活のほかに、サークルとかもあるらしいよ」

「へぇー」


 この学園には部活としては扱われていないが、サークルというものがいくつか存在する。

 部員人数が足りなかったり、顧問が存在しないけど何かしら活動はしていたいと考えている生徒のために、生徒会が設けたシステムである。

 ただし、サークルは部活と違って定期的な活動報告を生徒会に行う必要がある上、部費というものが出ない。

 活動を広げるためには部費がどうしても必要になる。

 そのためには、生徒会にサークルを認めさせる必要がある。


「サークルが部活として認められる条件は、部員数が部長を除き3名以上かつ顧問が1人いることみたいだね」

「なかなか難しそう」

「部活として活動していきたい場合だけだけどね。個人で活動したい場合や、やる気ないけど進路活動をする際に学生時代していたこととして挙げたい人とかは、サークルのままでいいやってなるみたい」

「なるほほねー」

 星崎さんがあんパンを加えたまま答える。食べるかしゃべるかどっちかにしてほしい。

 気が付いた時にはあんぱん5つ食べ終わろうとしていた。はやい。


「星崎さんこそ入りたい部活とかあるの?」

「...うーん。料理研究会とかよさそうだよね。おいしいものいっぱい食べられそうだし。茶道部も和菓子食べられそうだからありだなぁ」

 星崎さんはこめかみに指を当て、ぐぬぬと悩んでいる。

 料理研究部。いろんな食材や調理器具を使って本格的な料理やお菓子を作るサークルらしい。


 よく食べる人だとは思っていたけど、こんなに食欲旺盛だったとは。

「そんないっぱい食べて太ったりしないの?」

「失礼だよ。舞園くん」

「ごめんごめん」

「私って昔からいっぱい食べても全然太らないんだよね。体質ってやつ?」

「あー、いるよね。たまにそういう人」

 基礎代謝が異様に高い人は太りにくい傾向にあるって昔テレビで見たことがある。星崎さんもその部類の人なのだろう。


 ふと自分のお弁当に目をやると、楽しみにとっておいたからあげが全部なくなっている。4つぐらいあったはずなんだけど。

 星崎さんのほうを見ると左手の上にからあげがあった。

 間違いない。僕のお弁当のやつだ。

 この人しれっと摘まみ食いしていたのか。


「何勝手に人のおかず食べてるの」

「おいしそうだったから・・・つい」

 てへっと言い星崎さんは右手を頭にあてると、唐揚げを食べた。

 謝罪とか返すという気概はまったくなかったようだ。

 この人、一応お嬢様だよね?。

 しぶしぶ僕は、残りのおかずとご飯を食べ進めた。


 ――――昼休憩終了のチャイムが鳴る。

「じゃあ放課後行ってみる?料理研究会」

「やったー」

 放課後の予定を決めた僕らは、そのまま本校舎屋上を後にした。


   ◇


 昼の授業も終わり、HRの時間に差し掛かっていた。

 ガラガラという扉を開ける音がすると、担任の熊野先生が教室に頭だけだしてきた。

「お前らー。今日特に話すことないからこのまま解散な。じゃ」


 そういい熊野先生は、扉を閉めてどこかに行ってしまった。

 この人担任としての責任を果たす気があるのか。

 そういえば、部活体験は熊野先生おれじゃなくて委員長の須藤すどうに言えっていってたな。

 面倒くさくて、有無を言わさず逃げる作戦だったか。最低教師め。


 須藤が教壇の前に立ち話し始めた。

「昨日、先生が言ってたようにもし体験したい部活があったら俺に言ってくれ。この後生徒会に行って許可証をもらってくるよ。サークルに関しては、特に許可がいらないらしいから各自個人でサークルの所に行って許可をもらってくれ」


 生徒数名が須藤の周りに集まっている。

 僕が向かおうとしている料理研究部は、サークルなので特に許可をもらう必要がない。

「それじゃあ、星崎さん。いこっか」

「そうだね」

 ぼくらは教室を後にし、調理室に向かった。


 調理室は、第二校舎1階にある。

 普段は調理実習で使われているが、料理研究部が活動する際にはこの調理室を貸し出され使用しているらしい。


 調理室の中から女性の叫ぶ声がする。

「あああああああああああああ。また焦げちゃった!!」

 どうやら失敗してしまったらしい。


「失礼します」

 僕らは恐る恐る建付けが悪くなった調理室の扉を開けた。

 そこには、真っ黒に焦げたパンを持った黒髪の女性がいた。

「真っ黒だね。舞園くん」

「そうだね。星崎さん」

 僕ら二人は、調理室の端から慌てふためく彼女を見ていた。


 そうこうしているうちに、彼女が僕らの存在に気が付いたようだ。

 黒いパン片手に近づいてくる。

 もしかして僕たちに食わせる気なのか?。


 身の危険を感じつつ身構えていると先輩が、

「君たちどうしたの?」

「私たち料理研究部の体験がしたくて」

「許可を頂きたいのですが」

「あーごめん。そういうことね」

 黒髪の女性はポリポリと頭をかいた。

「適当に座って頂戴。お茶出してあげる」

「「ありがとうございます」」


 玄米茶が入ったコップが差し出される。

「まず自己紹介から始めましょうか。私の名前は鏡ヶ咲きょうがさき ほたる。2年生よ。この料理研究部では副部長という扱いになっているわ」

「僕の名前は舞園 歩まいぞの あゆむです。1年です」

「私は星崎 由芽ほしざき ゆめと申します。同じく1年生です」

「君たちは何で料理研究部に?」

「おいしいものがたくさん食べられると思ったので来ました!」

 星崎さんが胸を張って答える。

 自分に正直すぎるでしょ、この人。

「正直でよろしい!、このパン食べる?焦げてるけど中はふわふわよ」

「食べます!!」

 焦げた部分を除けモサモサとパンを食べ始める星崎さん。

 パンからはほんのり甘い匂いがする。菓子パンだろうか。


「本日は部長さんこられるんですか?」

 ふと気になったことを質問してみた。

 鏡ヶ咲先輩がスマホを取り出し操作をし始めた。

「ちょうど今着いたみたいね」


 バンッという豪快な音とともに調理室の扉が勢いよく開けられた。

「はーっはっは!!。おはよう諸君」

 扉の建付けが悪かったのは、この人のせいかもしれない。

 鏡ヶ咲先輩が男性の隣に駆け寄る。

「もう夕方ですよ。何言ってるんですか、部長」

「冗談だよ。冗談」

「二人とも紹介するわね。この人が料理研究会部長の田中先輩よ」

田中 敦たなか あつしってんだ。よろしくな」

「「よろしくお願いします」」

「そして部長。この二人は料理研究会に体験に来た舞園くんと星崎さんです」

「ほう、体験かぁ。全然いいぞー」

 軽い。

「といってもうちは部活じゃなくてサークルだからな。部活体験とか言われても何もやることないぞ」

 そこを考えるのが部長の仕事なのでは・・・。


「君たちは料理得意?」

 鏡ヶ咲先輩が唐突に話を切り出した。

「僕は料理毎日してますね」

「いいじゃんいいじゃん、家庭的で。星崎さんは?」

「私は家政婦さんが料理してくれてるので、あまり...」

「あー、星崎さんってご令嬢さんなんだっけ?。噂で聞いたことあるかも」

「あはは...」


 そういえば、星崎さんについて何も知らないからとネットで軽く調べたことがある。

 ――――星崎グループ。食品周りの設備や機器を開発している企業らしい。


 1人無言を貫いていた田中先輩が、唐突に話し始めた。

「そうだ。試しに何か1品作ってみてくれないか?」

「え?、いいですけど...。食材はあるんですか?」

「そこの冷蔵庫に食材なら入ってるぞ」

 田中先輩が指さした方向を見ると、鎖でぐるぐる巻きにされ南京錠で止められた冷蔵庫があった。

「冷蔵庫にここまでする必要あるんですか?」

「何というか。ああいう風にロックをかけておかないと、食材が勝手になくなっていくんだ」

 なにそれ怖い。

 鏡ヶ咲先輩が冷蔵庫の南京錠をガチャガチャと開ける。

 冷蔵庫の中には、キャベツやタケノコ新玉ねぎといった春野菜がぎっしりと詰まっていた。

 先輩が冷蔵庫の中に頭を突っ込み何かを引っ張り出そうとしてる。

「あっ、前使ったがまだ残ってた」

 伊勢うどんとデカデカと書かれた袋を抱きかかえこちらに近づいてくる。


 伊勢うどん。一般的に知られているうどんとは違い、だいぶが特徴のうどんだ。


「これを使って料理したらいいですか?」

 田中先輩が椅子に腰かけ、不敵に笑みを浮かべる。

「頼む。お手並み拝見と行こうか」


 さて、どうしたものか。

 僕が顔を上げると対面に座って、ニコニコと笑みを浮かべる星崎さんと目が合った。

 あれ?、もしかして僕一人で作る感じ?。

「星崎さんは手伝ってくれないの?」

「私できること何もないよ?」

 食べること専門の人でしたか。


 僕はそんな彼女に呆れつつ調理台の前に立つ。

 この伊勢うどんは。なら、3分くらい茹でるだけで問題ないな。

 つまり今回僕がすべきことは、タレを作ること。

 冷蔵庫の中を見る。

 本来伊勢うどんはたまり醤油をベースとして使うのが一般的だが、ここには見当たらない。

 と書かれたボトルが入っている。醤油だ。濃口タイプの。

 これで代用しよう。

 使用する食材を台の上に並べていく。

「伊勢うどん、はさめず、ザラメ、雑節、みりん、昆布を入れた水、ネギ。...っと」

 うどんを茹でるのは後でいいとして、まずはつゆ用のだし汁を作る所からかな。

 鍋を取り出すために調理台の下の棚を開く。調理器具が整頓され保管されている。

 先輩たちは几帳面なんだろう。

 鍋をコンロの上に置き昆布の入った水を入れ、火をつける。

 沸騰する直前に昆布を取り出し、トレイに移す。沸騰したら雑節を入れ、改めて沸騰させる。

 沸騰したら火を止め、粗熱を取る。


 あれ?、こす用の布が見当たらないんだけど。

「先輩、布ありますか?」

 返答がないな。

 先輩のほうを見ると、僕そっちのけで3人で談笑していた。

 体験に来ている1年生に対する扱いではないな。

 ・・・ちょっとは気にかけてほしいんだけど。

 渋々僕は、自力で布を探すことにした。


 何とか布を見つけることができた僕は出汁作りを再開する。

 ボウルに布を被せ、鍋の出汁をこす。

 次は、つゆ作りだ。

 新たに取り出した鍋にみりんを入れ、煮切る。

 はさめずとザラメを入れとろみが若干出るくらいまで煮詰める。

 そろそろうどんも茹でるか。

 出汁作りに使用した鍋を軽く洗い、4人分のうどんを入れる。

 スマホのタイマーを3分にセットする。

 煮詰めたつゆを軽く混ぜてみる。若干とろみが出てきている。いい感じだ。

「まぁ、こんなもんでしょ」

 煮詰めたつゆに出汁を入れ、火をかける。


「そろそろできそう?」

 匂いにつられて3人が寄ってきた。

「あとはうどんの湯を切って、たれを煮詰めたら終わりです」

「私器持ってきますね!」

 星崎さんが上機嫌で食器棚のほうに向かっていった。忙しない人だ。

 戻ってきたタイミングで丁度良く煮詰め終わった。

 4人分の器にうどんをよそい、たれを入れる。

 最後にネギを刻み、それぞれの器に入れれば――――完成だ。


「「「いただきます」」」

「どうぞ、召し上がってください。お好みで七味もどうぞ」

 僕は、うどんを啜る3人を見つめていた。

「おいしいです!、舞園くん」

 星崎さんが目を輝かせながら、食べ進める。

 汁が飛ぶからもっとゆっくり食べてほしい。制服についちゃってるし。

「ちゃんと出汁も取れてるし、伊勢うどんに合った味付けにできてるよ」

 田中先輩が褒めてくれている。

 なんか恥ずかしいな。

「ほんとに料理できたんだ...」

 鏡ヶ咲先輩は何故かショックを受けているが気にしないことにしよう。

「口に合ってよかったです」

 初めて作ったけどうまくできてよかったな。


    ◇


 食べ終わり食器を片づけ終わったのも束の間、田中先輩が話し始めた。

「じゃあ改めて、料理研究部の活動内容を説明しようか。基本的には料理やお菓子を作ること、これがメインの活動になる。を作り、ブログやコラムなんかで紹介したりもするぞ」

 なるほど、だから伊勢うどんが大量にあったのか。

「料理研究部は正式な部活じゃない」

「サークルですよね」

「あぁ。だから部費が出ないためこういった食材はすべて自腹になる」

「じゃあ今日使ったものも...」

「気にするな。おいしく頂けたら無問題もうまんたいだろう」

「はい、ごちそうさまでした!」

 星崎さんが田中先輩に向かって手を合わせている。作ったのは僕だけど。


「毎日活動していたらさすがに金欠になる。基本的には週1あるかないかぐらいだな」

「正式な部活になれたらもっと活動幅広げられるんですけどねぇ」

 鏡ヶ咲先輩がため息交じりに呟いた。

「部員は先輩方お二人なんですか?」

 今日が活動日という割には人がいない。

「まぁな。そもそもだから人を集める機会がなかったんだ」

 割と最近なんだ。

「君たちが料理研究部に入ってくれたら部員数の条件は満たせるから、あとは顧問の先生を見つけるだけなんだけど」

「私たち入部します!」

 星崎さんがずいっと田中先輩に近づき手を取る。

 ――――私たち?

「まって。まだ僕は入部すると決めたわけじゃ...」

「え?入らないの?」

 さも当たり前みたいに言われても困る。

「そもそも僕は付き添いできただけであって、入るつもりはなかったんだけど」

「さんざん期待させておいて、入らないなんて」

「ひどいわ」

 継母に虐められる娘のごとく、床に倒れこむ先輩2人。

 そんな姿見たくなかったです。正直。

「舞園くん入りたい部活ないって言ってたんだし、一緒に入ろうよ。....だめ?」

 目をうるうるとさせて見つめてくる星崎さん。

 後ろからの先輩の視線が痛い。

「はぁ。わかりましたよ。入ればいいんでしょ」

『やったぁ』

 3人が抱き合って喜んでいる。

 星崎さんに関しては今日が初対面でしょ。よく抱き合えるな。


「入部届にサインしますから、持ってきてください」

 やれやれ。別に根負けした訳じゃないから。そこを勘違いしてもらっては困る。


 僕と星崎さんは田中先輩改め、田中部長から入部届を貰う。

 どうしてこうなったんだと、不満が口から出そうになるのを抑えつつ、僕は名前を記入した。


    ◇


 部活体験が終了し、僕と星崎さんは部長たちと別れ二人で帰路に就こうとしていた。

 時刻はすでに18時半を回っている。学園前から駅までのバスは50分後、すでに最終便を残すのみとなっていた。

「これは歩いて向かったほうがいいかもね」

「そうだね」

 僕たちは、徒歩で駅まで向かうことにした。


 田舎の中ではまだ都会よりではあるこの地域も、夜になってしまえば活気は消え静まり返っている。

「今日はありがとうね」

 無言を貫いていた僕らだったが、星崎さんがその沈黙を破った。

「急にどうしたの?」

「いやだって、舞園くん。正直料理研究会乗り気じゃなかったでしょ?」

 彼女の付き添いで行った料理研究会だったが、何故か一緒に入部することとなった。

「別にいいよ。正直どこでもよかったからね」

「写真部はよかったの?、最終的行ってないよね」

「気にしないで。楽そうだったからそこにしようかなって考えてただけだし。それに、料理するのは嫌いじゃないからね」

 毎日家族の料理を作ってる身からすると、ああいった場で得意料理のジャンルを増やす練習ができることは、割と悪い話ではないと今なら思える。

「やさしいんだね、君は」

「あれぇ?、もしかして惚れちゃいました?」

 ちょっとからかい気味に星崎さんに聞いてみる。

「さぁ、どうだろうね」

 星崎さんが歩くペースを少し上げる。


 僕と星崎さんの身長差、実に16㎝程はある。

 只得さえ歩幅が違うからちょっと普段よりペースを上げて横について歩いていたのに、ペース上げられるとさらに速く歩く必要性が出てくる。

 走りと歩くペースの間ぐらいの速度は、逆に余計疲れるからやめて欲しいんだけど。

 横につけようとする僕の頑張りは空しく、彼女は急に立ち止まり僕の方を振り向いた。

「月が奇麗だね」

 何を言い出すかと思えば、急に告白紛いこくはくまがいのことを言ってきた。

「どうしたの?急に」

「朝ネットニュースで見たんだけど、今日は満月らしいよ」

 僕は顔を上げ、月を見た。一切欠けることなく丸い月が空に鎮座していた。

 昼間は若干雲行きが怪しかったが、今となっては快晴の夜空になっている。

 星の数が少ない。月が明るいと星が見えにくくなるって聞いたことがある。

「昔、舞園くんと初めて出会った日も確か満月の日だったよね」

 え?、どこかで会ったことあったっけ。

「そうなの?、全然覚えてないんだけど」

「そっか。

 どういうことなの...?。彼女の発言に僕は訝しんでいると、彼女はどこか物悲しげに空を見上げて話し続けた。

「でも...いいんだ。の1つや2つくらい生きてたらできるものだと思うし。その思い出が楽しいものだったか悲しいものだったかなんて思い出さなきゃ判断できないからね。それなら初めから思い出さないほうが賢明な気がするよ」

「星崎さんがそう言うならそういうことにしておくけど」


「もし....。もし、君が思い出したとき私を嫌いにならないでくれると嬉しいな」

 彼女の瞳には、少し涙が溜まっているように見える。

 僕は、その一言に何も答えることができなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る