第34話 ばぶぅ

「──よし、これにしよう……!」



俺はエメラルダへの要求を決定した。

それは──口の中、頬の内側に綿棒をこすりつけての " 細胞 " の採取だ。



……ククク、完璧だ。



この要求ならば不敬なことは何もなく、それでいて限りなく短時間で、負担もかけず、それでいてエメラルダの全てを知ることが可能である。



「ずいぶんと熟考なさっていましたね?」



エメラルダは変わらず診察室の患者側の席で、悠然と足を組み直す。



「さて、お聞かせくださいますか、アラヤ院長? アラヤ院長はいったい、どんなことを私にお求めに……?」


「ええ、それでは……」



俺は立ち上がった。



「エメラルダ様、さっそくで恐縮ではございますが、お口を開けてくださいませんか」


「……口をっ?」



エメラルダは目を見張り、そしてアゴへと手をやって考えるようにした。

そしてしばらくして、



「アラヤ院長……それは " 口で " ということですか?」


「ん? まあ、はい。そうですね」


「あの……私、エッチなお礼はダメですよと申し上げたつもりだったのですが……」


「エッチ?」



どうやら口はエッチでダメらしい。

口は過激な要求に分類されるものだったのか……難しい。



「それでは " 鼻の穴 " でお願いしたいです」


「アラヤ院長、部位を変えたからよくなるというものでは……ん? え、いま何と?」


「口に入れたかったのですが、ダメならば鼻の穴に入れたいなと」


「……いや、何を言ってるのかしら? 入るわけ……というかそれ以前にっ! ナニをドコに入れようとしているのかという──」



俺は細長い鼻腔用綿棒を取り出した。



「ご安心を。用意に抜かりはありませんとも」


「……え、めん……ぼう……?」



エメラルダはキョトンとしていた。

もしかしてこういった鼻腔用綿棒を入れる、という経験がそもそもないのだろうか?



「これを粘膜にこすりつけることで、エメラルダ様の細胞の一部をいただけたらと思ったのですが、マズかったでしょうか……?」


「さいぼう……細胞っ???」


「ええ。そうです」


「そ、そんなものをもらって、どうするというの……?」


「それはですね──」



実は診察をしているかたわらで、俺は他の魔族の細胞も集めてコッソリ培養ばいようしたりしている。

細胞があれば単純にダークヒールの効果を試すことができるようになって便利だ。

しかし、それだけではない。

細胞に対して魔力を流すことでDNA構造の分析ができ、どの種族と近いDNA構造を持っているかが分かるようになる。その分類ができるようになれば、これまで俺が治療経験のない魔族についても、同分類の種族の治療法を参考にして初見で有効的なダークヒールが可能になるかもしれないのだ。



……いずれこういった個人の生体情報などの取り扱いについては法規制が入りそうな気もするが、今のところはどこの国でも明文化はされていないだろうし、セーフだろう。であれば、やれる内にやっておかなければ。



「──ひと言でいうと、ダークヒール技術の向上のため、でしょうか」


「そう、なのね……」



エメラルダは少し顔を朱く染め、ホッと胸をなでおろすようにすると、



「私ときたら……大変失礼な勘違いをしておりましたわ。申し訳ございません、アラヤ院長」


「あ、そうでしたか」


「細胞? くらいでいいのであればぜんぜんどうぞ」


「本当ですかっ!」


「ええ、どうぞ。お好きに取ってくださいまし」



エメラルダはそう言うと、にこやかに俺の方へと顔を向ける。

おお、大変にありがたい。

俺はエメラルダのアゴへと手を添えて上を向かせる。

そして、



「それでは、入れますよ」



鼻腔用綿棒を構えた。



「え、ちょまっ、細胞なら口のでも──フガッ!?」



スッと綿棒を鼻の奥まで入れると、エメラルダが苦しそうな声を上げる。

まあ慣れてないとちょっと息苦しいのだよな、コレ。



「ちょっとジッとしててくださいねー」


「ウッ、ウッ、ウッ──!」


「少しグリグリしますよー……」


「んがっ、オェッ……ふがっ」



鼻奥の粘膜に十分にこすりつけた後、俺は綿棒をゆっくりと引き抜いた。



「よし」



テラテラと光るその綿棒の先を見て、俺はつい拳を握ってしまう。

やったぞ。

エメラルダの細胞をゲットした!






* * *






「──アラヤ院長は、女性の扱いが雑すぎますわ……」



チーンと。鼻をかみながら、涙目になったエメラルダが言う。



「申し訳ない。つい新しいデータを前にして、がっついてしまいました」


「まあ、『お好きに取って』と言った私にも責任はあるので、怒ってはいませんが……でも少し疲れましたわ……」



エメラルダが頭を押さえる。どうやら頭痛がするようだ。

もしかして……

俺がはしゃぎ過ぎたから、だろうか?



「エメラルダ様、診察してみても?」


「え……でも、いいのかしら。もう診療時間外でしょう?」


「構いませんとも。体を悪くしている方を診るのが、私の元々の本分ですから」


「ありがとう、それじゃあ……お願いするわ」



まあ、普通に俺の責任でもありそうだからな。

遠慮がちにコクリとうなずいたエメラルダの頭へと、俺は手を当てて魔力を流し込む。



……これは。



「あり得ないレベルの体中の凝りと血管の拡張……恐らくは睡眠不足に起因するものかと」


「あぁ、かれこれ四十日以上まともに寝られていないから、かしら」



エメラルダから大きなため息が出た。

その表情には来院したときのような、いかにもデキる秘書のような雰囲気は微塵もない。まるで疲れ切った女性社会人といった様相だ。



「……少し横になってください。初めて触れる体ですので時間はかかるでしょうが、ダークヒールで体中の筋肉の緊張を解いていきます。そうすればだいぶ頭痛も疲れも良くなるでしょう」


「えぇ……ありがとう……」



俺はエメラルダの手を取って、診察室のベッドへ移動するのを手伝う。そして、そのまま仰向けに寝てもらった。



「あの、アラヤ院長……手……」


「このままでお願いします」



俺の手の片方はエメラルダの左手を握ったままその体へと魔力を流し続けている。体の凝りの位置を特定するためだ。そしてもう片方の手はエメラルダの頭へとやって、血管へのダークヒールをおこなう。

俺は手を、前頭部から側頭部へ、そして頭頂部を通り後頭部へと動かして、マッサージするようにまんべんなく魔力を送り込んでいく。



「な、なんだか照れますわね……あ、頭をなでられているようで」


「もし嫌でしたら、他の手法もありますが……」


「いえっ、別に嫌というわけではないんです。ただ……少し、懐かしい気持ちになります」



エメラルダはそれから眺めるともなく天井に目をやってジッと俺の診察とダークヒールを受け入れる。次第に筋肉の凝りと共に緊張も解けていったのか、体から余計な力みが消えていった。



「……それにしても、本当に変わった方ですね、アラヤ院長は」



ポツリと、エメラルダがこちらに少し顔を傾けてつぶやいた。



「ふしぎな雰囲気……ダークヒーラーの方は、みんなこんな感じなのでしょうか」


「お知り合いにはいらっしゃらないのですか?」


「ええ……私の一族は、本来そういった病やケガとは無縁でしたので」



ほう、種族の体質に関係することみたいだな。とても気になってしまう。

深く踏み込んでもいいのだろうか?

しかし……いや、今は治療を優先しよう。ダークヒーラーであり、アラヤ総合医院院長である身としては。



「フゥ……なんだか、体中が心地よくなってきました……」


「もしよろしければ、そのまま眠っていただいていてもいいですよ。施術が終わりしだい、起こしますので」


「ふふっ……殿方の前で、私が寝るなんて……」



エメラルダがおかしそうに笑う。

その目はしかし、少しトロンとして眠たげだ。



「今日ほど女扱いされなかったのは、とても久しぶりです……」


「それはなんというか、失礼しました」


「いいえ。だからこそ、かしらね……少し、落ち着けるのは……」



エメラルダの開いた目がだんだんと薄く、閉じていく。



「……こんな風に男の人に……頭へ触れられるのも、いつぶりか……」


「そうですか」


「……温かい……」


「眠っていいですよ」


「……うん」



呼吸は次第にゆっくりと、そして深くリズムを刻み始めた。

スゥスゥと小さな寝息が立つ。

俺が握っていない方のその手が顔に向かい……エメラルダはその親指をしゃぶり始める。

そして、



「……パパ……」


「え、パパ?」


「……んむぅ……ばぶぅ」



まあ……うん。

疲れていればこういうこともあるだろう。

俺はそう思うことにしてダークヒールを続けた。






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ここまでお読みいただきありがとうございます。

次のエピソードは「第35話 芽生える自我」です。

明日もよろしくお願いします!

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