第32話 【Side:一般魔族】ナゾのアラヤ総合医院
「──痛いよぅ……お父さん、お母さん……痛いよぅ……」
「も、もう少しの辛抱だぞ、カンナ。いま、ダークヒーラーを探しているからな」
ああ、なんという不運だろうか。
鬼人種の男、ヤキバは背中に背負う娘カンナを励ましつつ、内心で大いに嘆いた。
──今朝、五歳になる娘のカンナが、家の三階の窓から落ちて右腕を折ってしまった。
少し目を離したスキのできごとだった。カンナは蝶々に気をとられ、窓から身を乗り出してしまったらしい。それで地面へと真っ逆さま……鬼人種じゃなければ命が危ないところだった。
「あなたっ、この先の角を曲がるのよっ。そこにも鬼人種専門の診療所があるわ!」
「ああ!」
共についてくる妻アンナの言葉にあいづちを打つ。
そうして曲がった先にあるはずの診療所は、しかしその戸口の錠を重たく下ろしていた。
貼り紙がしてある。
" 戦地召集のため、しばらく留守にします "
「ウソだろっ、ここもかっ!!!」
戦争が、民間医療を圧迫しているのだ。
空振りはこれで三軒目。つまりそれは、ヤキバたちの知っている鬼人種専門のダークヒーラーはみな、王都にいないことを意味していた。
「痛いよぅ、痛いよぅ……!」
「あなた、どうしましょう……! このままじゃカンナが可哀想……」
娘と妻の言葉に、グッと息を呑む。
何とかしてやりたいのはやまやまだが、専門のダークヒーラーがいないのでは頭を下げて頼み込むこともできない。
他の、オーク種や淫魔種を専門とするダークヒーラーに掛け合ってみるか? いやしかし、そもそも彼らと鬼人種では体の構造がだいぶ違う……!
「(どうする……どうする……?)」
ヤキバが足元に視線を落としながら思考を回転させていると、
「ね、ねぇ、あなた……こんなところに診療所なんて、今まであったかしら」
妻のアンナがそんなことを言って向かいの道に面した建物を指さしたので、ヤキバはそちらに顔を向けた。
" アラヤ総合医院 "
「アラヤ…… " 総合 " 医院? 総合?」
「どういう意味かしら……医院ということは、きっとダークヒーラーがいるのでしょうけど。いったい何種を専門にするダークヒーラーなのかしら」
「アラヤ、アラヤ……いや待て、それ、ウワサの人間の名前じゃないか……!?」
ヤキバの言葉に、アンナがハッとする。
「確か、魔国へ亡命してきたダークヒーラーっていう、あのっ?」
「ああ。まさか、この魔都で医院を開いたのか……!? 正気じゃないっ!」
ヤキバは娘の手前、唾棄したい気持ちをこらえつつも言い捨てる。
……人間は魔国の、魔族の敵だ。そんなヤツがわれらの故郷で商売をするなんてっ!
「今日が開業日みたいね……すごい、開業祝いの花が飾られているわ」
アンナの視線の先、医院の外には立派な花束がいくつも置かれていた。
そこには送り主の名前とメッセージが書かれている。
" 祝開業 命を救ってくれてありがとう 吸血人種ギギ・ガンデス "
" 祝開業 盟友よ、この恩は忘れぬ 魔鳥種フォルテー "
" 祝開業 わが身、わが部下を救ってくれたこと、深く感謝する 鬼人種アギト "
「この名前……アギト様をはじめ、エルデンで大勢の一般魔族を救ってくれた
「な……!? ではまさか、人間のダークヒーラーがわれら鬼人種の誇りであるアギト様たちを救った、というウワサが本当だとでもっ!?」
人間なんていう知恵ばかり回って脆弱な種族が、魔国でも最強の一人に数えられるアギトを救えるなどとは考えられない。
だが、現にメッセージはここにある。
魔王城のすぐ側に開業しているあたり、とうてい嘘だとも思えない。
しかし、どうしても信じがたい。
「あっ、見てあなた、医院に誰か入っていくわっ」
「あれは……サキュバスの団体かっ!?」
見目麗しい美女と美少女たちがキャッキャと言いながら医院へと入っていく。
そうだ、中にいるのはアラヤとかいう人間の男。であれば、サキュバスにとっては恰好のエサとなってしまう!
「おいおい、搾り殺されるんじゃあっ?」
「あ、あなた、見て……もう出てきたわ」
一分もしないうちに、サキュバスの団体は肩を落として出てきた。
ほとんどが疲労に満ちた顔をし、中には悔しげに涙を流す者までいる。
「な、中で一体なにが……!?」
「サキュバスたちの誘惑をはね返した……のかしら? もしかして実は相当な実力者なの……?」
ヤキバたちが眉をひそめていると、
「どいてどいてっ! 急患ですよっ!」
赤髪のスーツ姿の女が、この通りにいる魔族たちに呼びかけて道を作っていた。その後ろを、屈強な男ゾンビが駆けてくる。その背には、大量に出血をしてグッタリとしている魔族の男がいた。よく見れば太ももの途中から片足を失っており、その足は男ゾンビが手に持っていた。
「ゾンビが患者を運んでいるのか……!? なんて速さだっ!」
「でも、あれは助からないわ。出血がひどいもの。止血をしても、あれだけ大きな傷口だと腐ってしまうでしょうし……」
スーツの女と患者を担いだ男ゾンビはアラヤ総合医院に入っていった。
そして一分後、グッタリしていたはずの患者の魔族が、意気揚々とした様子で外に出てきた。
「嘘だろ、足が繋がっているぞっ!?」
「信じられない、スキップまでしているわっ!」
魔族の男は本当に何も問題がないかのように、通りをスキップしていく。
それとは入れ替わりに今度はミイラのゾンビが別の患者を運び込んできて、その患者が治って出て行くとまた入れ替わりに際どいビキニ・アーマーを来た女ゾンビが新たな女性患者を運び込んでくる。
「……ねぇ、あなた。もしかしてこのアラヤ総合医院の " 総合 " って、すべての種族のダークヒールができるって意味なんじゃないかしら……?」
「……! まさか、そんな万能なダークヒーラーが人間の中にいたというのかっ? いやしかし、それであればアギト様たちを救ったという話にも説明がつく……!」
ヴァンパイアのギギ・ガンデス、鳥人種のフォルテー、そして鬼人種のアギト。すべての種族で身体的特徴は大きく異なるが、もしアラヤという人間がその種族全てを一人で治療できるほど万能であるならば、魔国が亡命者としてアラヤを受け入れるのも分かる。
……もしかして、ここなら娘のカンナも──
そう考えるヤキバの頭上に、ふいに影が落ちた。
「あっ、あなたっ、上っ!」
「……なぁっ!?」
バサバサと、大きな翼を羽ばたかせて道の真ん中に降り立ったのは、全長六、七メートルにはなろうかという飛竜とその上に乗る魔人だ。
それは子供たちのなりたい職業ランキング上位に位置する魔王城特殊警備部隊のひとつ、
飛竜が着地するやいなやのことだ。
アラヤ総合医院の扉が開き、中から白衣をまとった痩身の男が現れた。
……もしかして、あれが亡命者の人間──キウイ・アラヤかっ?
アラヤは飛竜の元へと駆けつけると、飛竜から降りてきた魔人と言葉を交わしていた。
その魔人の方に健康上の問題があるようには見えない。どうやら弱っているのは飛竜の方らしく、背中を丸めて地面へと伏せっていた。
アラヤは飛竜へと手を当ててしばらく悩んでいたようだが、しかしおもむろに白衣を脱いで地面へ放り捨てる。
「あ、あいつは何をする気だ……?」
「さ、さあ……?」
俺とアンナが見ている先で、飛竜が大あくびをする。
その瞬間、アラヤがちゅうちょなく、跳んだ。
──ゴポォッ!
「「「はぁっ!?」」」
俺と、アンナと、ついでに竜騎士の魔人全てが大きな声を上げてしまう。
アラヤは飛竜が吐きそうになって口を開いた瞬間を狙って、体ごと喉の奥へと入っていった。
当然、飛竜はのけ反って暴れる。しかしすでにアラヤの体はすっぽりと全部、飛竜の胃袋へと収まっているようだ。
──カッ! と。飛竜の胃の辺りから、紫色の光がほとばしる。その直後、
〔グロロロロロロロ──ッ〕
飛竜がゲロを吐いた。
飛竜が食べていたのだろう、まだ動いている溶けかけのゾンビが数体吐き出される。それとともにアラヤも流れ出てきた。
「おろろろろろ」
アラヤもまた、飛竜の胃液まみれになって吐いていた。
飛竜はそんなアラヤに怒り心頭……かと思いきや、
〔ギュロゥッ〕
飛竜はゲロの中のゾンビたちを踏み潰しただけで、アラヤに対しては何もしなかった。
その背筋はピンと張っていて、先ほどまでの弱った姿はどこにもない。
「飛竜の不調の原因はゾンビ……?」
「まさか、胃の中に直接入って、引っかかっていたゾンビを引きずり出したっていうの!?」
「体を張るにもほどがあるだろう……!」
医院の中から出てきたスーツの女がアラヤに代わって魔人から施術の代金を受け取り、大量の水と清掃用具を持って出てきた三体のゾンビがアラヤの元へと集まってきて道路の清掃を始める。
と、そんな様子を眺めているヤキバたちに、
「──おや、新しい患者かな?」
胃液まみれのアラヤの視線が向いた。
アラヤはベチョベチョと粘ついた足音を響かせて近づいてくると、
「ふむ、鬼人種か。運がいいな。鬼人種についてはアギト殿のおかげでノウハウも充分にたまっている。その程度のケガであれば数秒で治せるだろう。だが少々、医院内で待ちたまえよ。軽くシャワーを浴びて着替えたいのだ」
アラヤは飛竜の胃液まみれの服を脱ぎつつそう言って、悠々と歩いて医院内へと戻っていった。
「……アンナ」
「ええ、あなた」
俺たちは背中におぶるカンナを見やってから、互いに頷き合った。
「あの人間はプロだ。プロとして信頼できる」
「そうね。行きましょう……!」
鬼人種の親子はそうして、アラヤ総合医院の受診を決めた。
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ここまでお読みいただきありがとうございます。
次のエピソードは「第33話 来院者エメラルダ」(※)です。
明日もよろしくお願いします!
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