第3話 棺桶体験なるものをやる必要性

終活について調べていると、棺桶体験とかいうコントのような終活イベントがあった。その名の通り死んだ人になったつもりで、白装束を着て棺桶に入ってみるという体験会である。

その内の一つの写真を見てみたが、正直此れはやる意味があるのかと考えてしまう。なんといってもイベントなので、参加者が全員ニコニコしているのだ。もっと悲嘆にくれるとか、火葬場まで行くオプションが合ってもいいような気がする。

此れは恐らく、直葬を希望している私には不要なイベントなのであろう。棺桶にはいってもぼっち確定では、あまりにも空しいではないか。



とはいっても、棺桶に入ってみたい気持ちは実は少しある。其処で私は白っぽいどうでもいい服を着て、タオルケットで自分をミイラの様にぐるぐると包んでみた。

流石に棺桶には程遠いが、此れで目を瞑れば死体っぽい気分は味わえる。

私はこの状態で、今すぐ地球に隕石が落下しますようにと10回以上お祈りを捧げた。此れは私が寝る前に、必ずやっている習慣の1つである。彼是もう10年以上やっているが、未だに隕石は落ちて来てくれない。このウスノロのマヌケ野郎、さっさとしやがれと毎晩宇宙に怒りを投げかけている。



私は戦争映画やドキュメンタリーを観るのが好きなのだが、戦場で死んでしまった兵士はそのまま朽ちていくのがセオリーだろう。役職付きの偉い人はきちんと埋葬してもらえるが、モブ兵士はその場で土になるのを待つだけである。

実は私的には、その方が生き物っぽくて良いという気持ちがある。大事に白装束を着て棺桶に入る、そんなに遺体を丁重に扱う必要性はあるだろうか??

前に東南アジアのドキュメンタリーで、死体を積み上げて火を付けているのを見た。あれが一番理想的な様な気がしてならない。いろんな人間の燃えカスと混ざるので、もういちいち分けて埋葬する必要もない。そのドキュメンタリーでも、確か川に流して捨てていた。

死装束に棺桶文化はもう古い、令和の時代は積み上げて火葬がトレンディになってほしいものである。

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