第3話 少女は先生を誘惑する。

「先生、すこしいいですか」

放課後、少女――「彼岸彼方ひがん かなた」は、その抑揚のない声で、自らの担任に声をかける。

「ん、あぁ、彼岸さん。なにか用ですか?」

担任の返答に、彼女は短く首を縦に振る。そして、ただ……と言葉を繋げる。

「ここでは話しづらいので、どこか――」

少女の夕日を宿した瑠璃色の瞳が、担任を捉える。そして、少し考えるそぶりをしてみせた担任は、彼女に告げる。

「……それでは、教室で話を聞きましょうか。」

少女は再び短く首を縦に振った。


――それから数分。

二者は自分たちが普段使用している教室にて、対峙する。

「――それで、話たいことというのは……」

ガチャッ、カチ

言葉半ば、いきなり明かりが消え、教室に小さく響いた音に担任の男はその音の方へ顔を向ける。その視線の先には、先程入ってきた側の扉の側に立つ少女の姿があった。彼女の両手は背中側……つまり、扉側にあった。先程の金属質な音はこの少女が扉のロックを閉めた音なのだろう。と男は考えた。

(だが……何故?)

「え?ええと……彼岸さん?何故カギを……」

あくまでも悟られぬように、慌てたフリをして彼女に問いかける。だが、その言葉を完全に発する前に少女が男に駆け寄り、両腕を腰に回して抱きつく。

「……ひ、彼岸さん!?」

突然の行動に、男は困惑する。視線を下げ、己の腹部に頭をうずめ、擦りつける少女を捉える。よく見れば、その華奢な肩で荒く息をしているのがわかるだろう。

「せんせぇ……わたし、もう……もう――」

少女がうずめていた頭を上げる。

その顔は、薄く頬を朱に染め、瑠璃色の瞳の輝きは、辛うじて理性を留めているような、とろりと呆けた色をしていた。

「せんせ……すき……」

一瞬、担任の男はたじろぐ。だが、すぐに正気に戻り、彼女を両手ではねのける。

「彼岸さん!あなたなにを……」

その言葉の半ば、少女は更に男へ身体を近づける。

「せんせいは、わたしのこと、キライ……?」

少しばかり荒い息で、男へ問いかける。

男は少したじろぎ、視線を外そうと目を横に向けようとするが、少女はそれを逃さず、更に身体を近づける。

「せんせい。わたしを、見て。」

「っ」

男と少女の視線が重なる。

少し、少女の頬が朱色に染まる。

「これが、本当の、わたし」

男の手を掴み、自身のスカートの中に入れる。

そして、手を自らの柔肌になぞらせながら、ゆっくりとその手を上に動かして――

かつ、

と男の手に変な感触が宿る。

少女の柔肌の感触でも、そのうちに辿り着くであろう布の感触でもない、硬い感触。

そして少女はゆっくりともう片方の手をそこへ向かわせ、

(ッ!?)

わずかに聞こえた金属質な音に、男が反応した。なすがままにされていた手に力を込め、引き抜こうとする。だが、抜けない。全力だ。全力で抵抗しているはずなのに、目の前の少女のか細い綺麗な手からまったく逃れられない。

「せんせい」

少女が、淡々とした声で男を呼ぶ。

男の顔から首に、汗がつたう。

「にせものは、よくない。」

少女がそれを一気に抜く。そのまま勢いで腕を上に振り上げる。

「ぁ゙、ッがぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!」

男が血を左脇腹から右肩にかけて血をにじませながら絶叫する。少女が引き抜き、斬りつけたそれが、教室の窓の外の月明かりが、それを輝かせる。

少女の手には、包丁が握られていた。

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