捜査編(Bパート)

 新宿区歌舞伎町内のビル『株式会社黒崎興行』が、黒崎会というヤクザ組織の本拠地であった。

 二十名ほどの組員が常に詰めており、その出入り口は監視カメラに電子錠までついた堅牢なものだ。歌舞伎町という煌めいた街にそぐわない重厚さは、それをもって異質と捉えることができる。

 即ち、ヤクザの事務所だろうということがまるわかりだ。そんなビルの最上階、会議室内で、舎弟頭の河本シゲルと数名の幹部達が膝を突き合わせ、今後のことについて話し合っていた。

 その中で更に異質だったのは、アウトドアスタイルの派手な色のパーカーに動きやすそうなボトムス姿の女性──黒崎あかねが混じっていることだった。

 帰りたい。

 そう思っても、さすがに出ていくわけにもいかない。あのあと結局そのまま雨が止まず、キャンプに出発しようとしたのは今朝になってからだった。

 しかし、その出発しなに河本の使いから佐藤の死を知らされた。黒崎会の今後のために、姐さんの意見を無視できないという理由で、このなんの興味も沸かない幹部会に着のみ着のまま引きずり出されたというわけだ。

「佐藤の若頭カシラが亡くなった以上、河本のオジキに組を継いでもらうってことでいいんじゃねえですか」

「馬鹿野郎! 若頭の喪が明けねえうちにそんなことできるかい!」

 喧々諤々の言い争いの中、河本は静かに口を開いた。

「……とにかく、おめえらに聞いときたいのはよ。若えのに連中はいねえってことでいいな?」

 幹部たちは一斉に押し黙る。河本はつまり、佐藤を独断で殺した人間がいないかどうかを懸念しているのだ。

 それは私だ。

 あかねは口に出すことも顔に出すこともなく、つまらなそうにそう思った。連中は単に他人や身内に佐藤が殺されたことに対し、悲しさより先に『組織としてメンツが立つかどうか』しか考えていない。人間を見ていないのだ。

「オジキ。若頭をどう思おうが、兄貴分を殺そうなんて連中は黒崎会にゃいませんよ」

「他の連中もどうだ? 先に言っとくが、殺っちまったもんは仕方ねえんだ。もちろんケジメはつけてもらわなくちゃならねえが、その前に黒崎会の顔が立つようにしなきゃならねえんだからな」

 誰も何も言わなかった。あかねには滑稽に思えて仕方がない。この場に存在しない人間を探しているのも同じだからだ。

 その時だった。

 下の事務所から慌てた様子で下っ端の組員が走ってきて、会議室に飛び込んだのだ。

「オジキ! 大変です!」

「なんでえ騒々しい」

警察サツが表に来てます!」

「……四課の中村の旦那じゃねえのかい」

「一課の三条とか言ってますが。そういや、旦那から先程別の人間が来るっつってツナギがありました」

「馬鹿野郎。そいつを早く言え」

 河本は口元を抑え、無精髭をざらりとなぞる。捜査一課といえば、殺人事件が担当だ。抗争デイリなら四課が中心になって動くはずだが──。

「分かった。入ってもらえ。言っとくがチャチャ入れんなよ。余計な腹を探られてもつまらねえ」

 あかねは何を言われたわけでもなく、ぎゅうと拳をももの上で握りしめた。警察に会う予定なんてなかったのに。

 数分もすると、男女の刑事が案内されて入ってくる。当然、あかねや河本も含めていい気分はしない。警察なぞ信用に値しない──それはヤクザであるがゆえの勝手な先入観ではあったが、そうした人種がテリトリーに入ってくる以上、警戒せざるを得ない。

「ご案内どうも。わたし、捜査一課の三条つばめと申します。四課の中村さんが担当だとは聞いていたのだけれど、まあいろいろあって。お話伺えると嬉しいのだけれど」

 二人の刑事は会議室の手前の椅子に陣取ると、警察手帳クロパーを見せながら腰を掛けた。

「んだァ? まだるっこしい話し方しやがってよ。クネクネしてそれでも刑事デカか?」

 若頭補佐カシラホサの伊藤が茶化しながらへらへらそういったのへ、相棒の女刑事が眉根を寄せて立ち上がる。つばめはそれを手で制し、ふう、とため息をついて長い脚を組み直した。

「……あなた。あなたが一番年長者なのかしら?」

「……そうだ」

 河本は唸るように──威嚇混じりにそう答えた。簡単に名乗りなどしない。ヤクザの看板はそう安くはない。

「天下の桜田門組を相手にしてケンカがしたいのなら止めないわ。でも四課の中村さんからは、あなた方それどころじゃないってことは聞いているのだけれど」

「んだ、コラァ!」

「ナメてんのかオラ! やったるぞコラ!!」

「いけません!!」

 どの組員よりも大きな声を出しながら立ち上がったのはさくらであった。

「人の言葉を遮ってはいけません!! よくありませんよ!!」

 鼓膜を突き破るのではないかというほどの大音声に気圧されたのか、河本まで目を剝いて押し黙る羽目になった。

「……というわけよね。さくらちゃん、座って結構よ。それであなた。お名前は?」

「舎弟頭の河本だ。うちのモンの態度は勘弁してくれ。オヤジの四十九日も明けんうちに若頭まで殺られてる。ピリピリしてんだ」

「あ〜、それそれ。若頭の佐藤さん。現場から直に足を運んできたの。ちょうどそれでお話を聞きたくて──その、黒崎あかねさんに」

 急に水を向けられたことで、あかねは困惑しそうになった。顔には出てしまっただろうか。三条という刑事は眉を持ち上げて、少しだけ笑みを見せた。

「テメェ、姐さんを疑ってやがるのか!?」

 伊藤がまたも吠えるのへ、河本は視線でそれを止めるよう言い、口を開いた。

「……三条の旦那とおっしゃいましたね。うちの姐さんは確かに黒崎錦之助の奥さんだ。素人とは言わねえが、ヤクザもんじゃねえ。あんたそのへんよく分かってモノを言いなさってるのかい。うちにもお抱えの弁護士はいるんだぜ」

「あら、勘違いしないでくださる? 普段の組対四課のやり口がどうだが知らないけど、私はちゃんとした仕事で来ているの。あかねさん、あなた昨日、若頭の佐藤さんと料亭──なんて言ったかしら」

「孫の手です!」

 さくらが愛用の桜色の手帳をめくりながら、よく通る声で言った。

「そう、孫の手。そこで二十分ほど会ってらしたという証言があったの」

「この私を疑ってるわけ?」

 錦之助の教えが、あかねをただの女から極道の妻に引き上げた。認めたくねえことは、ハッタリだろうがなんだろうが認めるんじゃねえ。決して引くんじゃねえ。極道もんは、嫌われてなんぼだ。いい子になることはねえ──。

「こっちの河本や伊藤が言うとおり、私はカタギよ。発言には気をつけることね」

「カタギだろうがなんだろうが、我々刑事は疑ってかかるのが仕事なの。気を悪くしたらごめんなさいねえ。……で、佐藤さんとはどうして会ってらしたの?」

 河本達の視線が痛かった。佐藤からは、秘密にするようにと強く言われていた。これで彼に肩入れするようなことがあれば、彼女の立場は悪くなったに違いない。

「佐藤に呼び出されたのよ。『自分の跡目を推してほしい』ってね。くだらないことで呼び出すなって啖呵切って出てきたわ。それでおしまい。満足した?」

「それじゃ、あなたはその後佐藤さんには会ってない?」

「さっさと車乗って帰ったもの。追いかけて来たのかもしれないけど顔は見てない」

 つばめはそれを聞いて、指で唇をなぞりながら、少しだけ沈思黙考する。まるでクイズ番組の結果発表を聞くようだ──とあかねは奥歯を噛み締めた。

「……な、る、ほ、ど、ね……佐藤さんはお車で来てらしたのかしら?」

 あかねは答えず、伊藤へ視線を向けた。彼も同じく河本へ目を向け、仕方無しに口を開いた。

「うちの若いのが車を回してた。佐藤の兄貴は、時間に厳しくてよ……『自分が呼ぶまでぶらついてろ』っていう割に、早く来ててもキレるし遅く来たらそれはそれでぶん殴ってくるんだ。仕方ねえから、十分くらいかけて行ったとこにある立体駐車場に停めてたみたいだぜ」

 伊藤が言うには、運転担当の組員は料亭の閉店まで粘ったが連絡がなく、不審に思ったので彼に一報を入れたらしい。伊藤もまた同じく不審には思ったが、タクシーで移動したのかもしれないし、なにより『連絡されたくない』事情があるのかもしれない可能性に思い至り、帰るように指示したのだという。

「連絡されたくない事情っていうのは何かしら?」

「……思うに、落ち着いてご飯を食べたいのではないでしょうか!? 友達とわいわいご飯を食べるのも良いことですが、私も一人でご飯を食べたくなることが……」

「さくらちゃんの外食事情は聞いてないから後で教えてくれるかしら。で、どういう意味なのかおわかり?」

「女だよ。兄貴は女好きでな。夜に何度も連絡入れた時に女遊びの最中だったら、舎弟なら半殺し、兄貴分だろうが関係なくキレてた。それ以外で連絡がとれなくなることはねえから、一回連絡入れて返事がないときは本人からの連絡を待つっつうのがルールになってたんだ」

 伊藤の話を聞きながら、改めて若頭としての資質のなさに情けなくなり、河本はため息をついた。一方のあかねは心を無にしていた。キャンプの最中に焚き火を見るとき──あかねはその場の自然と一体になったような気持ちになる。

 リラックスだ。落ち着かなければならない。今慌ててもなんの意味もない。

「ところで三条の旦那。佐藤を殺った野郎の検討はついてるのかい。先に釘を刺しとくが、うちのモンは違う。俺や伊藤は事務所詰めだったし、他の若いのも違うと言ってる」

「捜査中だし、それはお話できないわね。あなた方を怪しいって思ったらもちろん事情聴取しなきゃならないけど、そう何度もお話するようなことでもないかもしれないわ」

 つばめはそう言って苦笑し、席から立ち上がった。それにつづいて、河本や伊藤も立ち上がった。帰ると思ったのだ。

「あ、そうだ。気になったことがひとつ……あかねさん、素敵なパーカーね。わたし、極道の妻なんて呼ばれる人たちは、映画みたいに着物でキメてると思ってたわ」

「……別に。一人でキャンプとか行くから、こういうのも持ってるわよ」

「あら、ソロキャンってやつかしら。テレビでよく見るわ。流行ってるものね! それじゃこれから行かれるのかしら」

「そのつもり。あなたの話聞いてたら、余計に嫌になっちゃったから」

「まあ、そうなの。それじゃ昨日は着物を着てらっしゃったの?」

「……よそ行きの服が着物なら、全員逮捕でもするっていうの?」

「まさか。わたし、細かいことが気になっちゃうと夜も眠れなくて……スキンケアって、睡眠の質がとっても大事じゃない? あ、また話長くなりそ。また今度にしましょう。それじゃ、また……」

 つばめは優雅に立ち上がると、さくらを伴ってそのまま会議室を出ていった。嵐のような人間──河本達は単に変人の類だと思ったろう。

 あかねは違った。

 何か不気味なもの──自分が透かして見られたような気持ちになって、気づいたら静止も聞かず、事務所を後にしていた。

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