尾緒神くんと存在しない友達関係

十六夜 つくし

第1話 知らないやつがやって来る

 学校生活は穏やかに過ごしたい。

 部活に入る気はない。運動部には特に入りたくない。中学の頃、幾つかの運動部に所属したが、あのような激しい人生は俺好みではなかった。率直にいってもう懲り懲りだと思ってしまった。あの競争社会の中では、俺は直ぐに疲れてしまう。運動は出来ない訳ではないが、汗水垂らしてまでやりたいとは思わなかった。俺は男ではあるが、外ではしゃがずに出来れば教室でゆっくりとしたい性格なのである。そちらの方が楽しいし、落ち着く。だからと言って、文化部にも入りたくはなかった。率直に言って、部活動という人間関係に嫌気が差している。その他にも理由を付けるとするのなら、まあやる気の問題くらいだ。こればかりは部活動に魅力を感じていないのだからしょうがない。


 俺は俺が陰キャである自覚がある。コミュニケーションは苦手だ。友達が出来るのは、クラス替えをしてから半年経った後なのがつね。しかし、別にクラスで話をする相手がいない訳ではない。話し掛けられれば応対すること自体は可能だ。変にどもったりはしない。この辺は中学の経験様々である。運動部で人に揉まれた所以ゆえんだろう。

 つまり、友達は居ないのではなく作らない性格たちなのだ。それに、薄く浅くの関係でいいのなら“友達”はいる。最も、“ちょっと話したことがある”“関係はある”程度の友達ではあるが。ここを深掘ると友達の定義の話になってしまうのでこれ以上はやめておく。考えるだけ面倒だ。


 しかし、“友達”とは厄介な問題なのである。親しい友達がいないことはそう見逃されることではない。孤立なんてしていれば、そのうち親が心配を始めてしまう。特に俺の家は、弟の方が広く交友を持つタイプなので、弟とは違って友達の話をしない俺が変に目立ってしまうのだ。親が担任に連絡を取れば、平穏な学校生活の崩れる音が軽快に鳴り出し始める。そして気づいたころには、足場がなくなるものだ。

 中学の頃、別に隠すことでもないと友達がいないことを親に公言していた俺は、教師やクラスメイト、親からの不要な善意で運動部にぶち込まれた。文化部に入れられなかったのは、根暗なところに根暗な息子を入れても状況を悪化させるだけだと考えた親の先入観からだった。文化部は論外、運動部に入らなければお小遣いを渡さないと脅され、財布が存在意味を失った。

 当時の俺はそれに酷く戸惑った。なんとか交渉をしようとしたが、上手くはいかず。後から友達はいると言っても、いない証拠を突きつけられて黙らされた。心の拠り所だったライトノベルが買えなくなってしまったことも起因してか、俺自身の心は段々と憔悴していった。周りの人間は『あなたのためだ』と自分を洗脳をしていた。俺自身、相手のそれが本心なのは分かっていたし、それが善意であることも分かっていた。周りに誰も悪役がいない状況、しかしストレスばかりは溜まっていく日常は、反逆する場所もストレスの吐き所も見つけられずに精神を摩耗させた。

 そして俺は、抵抗することを諦めた。全てを受け入れることで楽になろうとした。しかし結局、楽にはなれなかった。

 結局俺という人間は、根本からして運動部には向いていなかったのだ。

 俺を部活動に誘った善良なクラスメイト達は、部活に入れること自体が目標であり、それ以降の面倒は見てくれなかった。俺は、奴らの偽善に使われたのだった。


 そんな間違いはもう二度と犯してはならない。


 安寧の学校生活を手にする為に、高校生になった俺は教師をよく観察した。中学を卒業して、人間関係も一度リセットされる。やり直すにはいいタイミングだった。

 要は、友達のいない孤立した生徒とさえ担任に思われなければいいのだ。根本は親だが、そちらはどう偽ったところで見抜かれるのであまり意味が無い。そこは血なのだろう。どんなに上手くやってもバレてしまう。

 しかし、疑惑だけで問い詰めるような人ではない。つまるところ、証拠や共感する仲間を作らさなければあのような事件は生まれない。その為には、担任を騙すことが一番であった。

 学校生活の中で一番生徒個人と距離が近くなるのが担任である。その担任が尾緒神くんは孤立した生徒ではないと言えば、その発言はこの件において一定の効力を持つだろう。


 だからよく担任を観察した。そうしてみれば、小学校などと違って担任は常に教室に滞在している訳ではないことが分かった。だから、孤立していると思われない為には何も休み時間にまで友達といる必要はなくなっていた。中学の時には気づかなかったが、授業中にさえ孤立しなければ、孤立した生徒とは見られ難くなる。始めは担任の授業でだけクラスメイトと友好な関係を演じようとした。だが、教員の情報共有を舐めてはいけない。中学の頃、交流のない先生にまで心配されてしまっていたことを思い出してそれを止めた。全部の授業であからさまに孤立しないように気を付けた。

 また、クラスの中で目立たないようにすることにも注意した。孤立していると思われたくはないが、俺自身は一人の時間を好むのでそれを作りたかった。また変な目立ち方をして噂になってしまうことを避けたかった。クラスに居づらい状況は、とても穏やかな学校生活とはいえないだろう。自分の話題が出てしまうだけで寒気がしそうだった。その意味でも『担任の授業でだけ接しやすくなる奴』を演じなかったのは正解であったと思う。

 箸にも棒にも掛からず、あからさまに孤立した生徒でもない。誰にも気にされず、同情の目も哀れみの目も侮蔑の目も向けられない。休み時間に空気でいても誰も気にしないような薄い関係だけがある生徒。そんな存在に、俺はなりたかった。


 そんな俺の夢は、案外上手く軌道に乗ってくれていた。面白いもので、話はするが深くは関わらない人間の存在は意外と受け入れられるものだった。過去に参加した運動部内でもそういうものはあった。あまり話さない別グループの友達でも“友達”ではあるのだ。偶に話をする程度で、意外と孤独な奴認定は受けないものだった。

 以前、自虐的に友達がいない発言をしてみれば「尾緒神おおかみがぼっちって印象はないな。」と返された。俺は小さなガッツポーズを取った。

 授業中、あまり話をしたことがないからといって、グループワークでの話し合いに混ぜないような人間はいない。体育では、奇数人グループの連中を狙えば二人組には簡単になれる。そうして、“いつも一人でいる”という印象にさえならなければ、案外簡単に俺が欲しかった平穏は訪れてくれた。


 親が心配をしても、学校側が孤立した様子はないと言ってくれる。後はそれにのっかっておけば“友達”はいることになる。極度に薄い関係の“友達”が。


 勉強もそれなりに頑張っておけば、先生はわざわざ俺なんかには注目はしない。もっと気に掛けるべき生徒がいるからだ。その影に俺は潜む。きっかけがなければ、平穏な学校生活の崩壊は始まらない。いつも親しくしている友人がいるかどうかなんてことまで気にかけたりもされないだろう。


 その計画に綻びが生じ始めたのは、もう少しで七月が始まるという時期だった。自分がこれほどにまで純粋な悪意じゃない感情に弱いことに、俺は後になって気が付いた。

「お前が尾緒神おおかみ?」

 昼休み。俺は紙パック入りのコーヒー牛乳を飲みながら、昨日買ったばかりのライトノベルを堪能していた。タイトルと絵柄を見て思わずジャケ買いしてしまったそれは、俺の好みのドストライクだった。主人公は自分を犠牲に周囲の問題を解決する。しかし主人公には彼を支える彼の理解者がいて、それによって主人公自身も最終的には救われる。なんていい話しなんだ。現実とは違う。

 目頭に涙を溜め、機嫌がよかった俺の視界を、細長い腕が通り過ぎ、夢の時間が終わらされる。


ダンッ。


 ライトノベルとそれを持つ腕の間を通して机に何かが叩きつけられれば、嫌でも反応せざるを得ない。見えなくなった活字に、若干嫌な感情になりながらも顔を上げると、見知らぬ少女がそこにいた。桃色の長いストレートヘアに翡翠色の瞳。もう半袖の制服を着る学生が多い中、未だに冬服で赤いマフラーを付けている変な女。光を失った瞳が睨み付けるように俺を見下ろしている。え。なにごと?


 目は少しだけ吊り上がっている。見た目はガキ大将みたいなやつだなと少しだけ思う。見覚えはないが、制服を見れば同じ学校の生徒だということくらいは分かる。いや、同じ高校にいるのだからそれは当然か。大然たいぜん高校の名札は学年ごとに色が違う為、黄色いそれを見れば同じ1年生だということまでは分かった。しかしクラスまでは分からない。男子の制服には校章、学年章、組章(クラス章)が付いている為、それを見ればクラスまで分かるのだが、女子の制服には組章だけが付いていないのだ。それについて分かることと言えば、同じ一年五組のクラスメイトではないことくらい。同じクラスではないのなら、どこかで会っていたとしても覚えていない。大然高校の今年の一年生は八クラスある。そこに在籍する全ての生徒のことなど面倒臭くて一々覚えていられない。特別関わりがあるのなら話は別だが。

 名札には赤堂せきどうという名字だけが書かれている。ただ、それを見てもどこかで話した記憶など思い起こされなかった。この女は誰なのだろうか。俺はその疑問を率直に聞いてみることにする。


「えっと、ごめん。だ」

「お前、私のトモダチなんだってな。」

 誰?と言おうとした言葉が遮られるが、それには追求しない。ただし、あからさまに嫌な顔だけはさせて貰おう。それくらいの抵抗は許される筈だ。

「え。どこかで話したことあったっけ?」

篠崎しのざき先生が、お前は私のトモダチだって言ってた。」

 なんだその暴論は。先生が友達と言えば、知らない人でも友達なのかよ。俺には分からない感覚だ。

「へぇ。篠崎先生がそう言っていたのか。それはよかったな。」

 篠崎先生とは、数学担当の男性教諭だ。彼の担任クラスは確か一年二組だった筈。ということは、彼女は一年二組の生徒なのだろうか。もしかしたら体育かなんかの二クラス合同授業で話をしたことがあるかもしれないと思ったが、五組は六組と合同授業を行うため関係は無さそうだった。二組とは一年団集会や全校集会でしか一緒にはならない。そこでクラス間交流をする訳でもないのでたいした関わりはないと思う。

 うちのクラスの数学も篠崎先生が担当しているのだが、それが何か関係しているのだろうか。だが、あの先生と二人で話した覚えなどない。まあ、どうでもいいことか。


「トモダチなら、この紙にサインしてくれるよな。」

 そう言いながら、少女は机の上に叩き付けた紙をすっとこちら側に寄せてくる。俺は自然にその紙に目を落す。入部届けと書かれた紙を見て、心臓がヒュンとした。駄目だ、部活動関係の事柄にはトラウマがある。嘘でも入部届けなどみたくない。これは未来を呪う特級呪物だ。


NOノー部?」

んかもしろいことをしよう部だ。」

 目に輝きが戻らないまま、淡々と少女は言葉を紡ぐ。一方、俺は取り敢えず運動部ではなさそうところに心臓を落ち着かせる。いや文化部でも嫌なのだが、待て。そもそもこれは文化部なのだろうか。

 ローマ字にして略すことにも何とも言えない感情があった。何にせよ、俺は部活動に入る気などないのだから、その辺の疑問は解決する必要のないものだ。ここは正直にお断りをしてとっとと読書を再開しよう。


「ええっと。赤堂せきどうさん。悪いけど」

「胸、見たな。」

 そう言って彼女は感情なく、わざとらしく自分の胸を隠す。

「いや、名札を見ただけで」

「少しでも罪悪感があるなら、この紙にサインしろ。」

 隠した胸から手を離し、その指先は再び入部届けへと伸びた。これは、強引な勧誘ってことなのだろうか。なんと荒い勧誘の仕方か。そんなことを思いながら、ふとトラウマが蘇る。全く関係のない生徒からの悪意のない部活動勧誘。それは中学の時の記憶を引き出すには充分な条件だ。額に手を置いて眉間に皺を寄せる。

 もしかして、母さんが動いたのか?

 しかしその疑問には早急にケリを付ける。そんな訳がないと、そう思うしかない。


「もしかして、もう部活に入ってた?」

「いや、そんなことはないが。」

「じゃあいいじゃん。」

 よくない。

 とはいえ、嫌な予感は自己完結以外の方法でも否定したい。俺は恐る恐る彼女に訊ねてみることにする。

「どうして俺なんだ。部活に入っていない連中なら他にもいるだろうし、同じクラスの奴にでも頼めばいいじゃないか。」

 冷や汗が首筋を伝っていくのが分かった。

「篠崎先生が、お前は私のトモダチだって言ってたから。トモダチなら協力してくれるんじゃないかって。」

 一瞬だけ思考が静止し、すぐに全回で回り始める。彼女の言葉を噛み砕き、その意味をとことんまで考える。そして至った結論は、これはあの時とは違った偽善の押し付けであるということだった。当時は相手の偽善を押し付けられたが、今回は此方の偽善を押し付けさせようとされている気がした。だからといって安心出来る訳ではないが、親が動いたから勧誘されているという可能性は低くなっただろう。彼女は俺の為という感情は一切持ち合わせていないようだし。

 だとするのなら、次に嫌うのは『部活動勧誘には取り敢えず尾緒神を勧めとけ』という認識が教員の間にあるかどうかだ。そんな理由でトラウマを思い出さされ続けることはとても容認し難い。嫌なことは嫌だと伝える必要がある。

 だとするのなら、まず俺はこの女からどうして篠崎先生が俺の名前を出したのかを探る必要があるだろう。でもどうやって聞くべきだろうか。いきなりこんなことを聞いても変な奴でしかない。

赤堂せきどうさんは、俺のことを友達だと思っているの?」

「うん。だから、この紙にサインをして。」

「なるほど。どういったところで俺と君は友達なんだ?」

「え?」

 彼女がそれに関するエピソードを持っているのなら、『部活動勧誘には取り敢えず尾緒神を誘っておけ』なんて理由で勧められた訳ではないことが分かる。

「簡単に言ってしまえば、友達の定義の話だ。例えば、よく話をしていたら友達。よく家に遊びに行っていたら友達。心の中を全てさらけ出せたら友達。赤堂さんは、どういった関係を友達だと思って、それが俺と赤堂さんとで当てはまると思ったんだ。」

 面倒臭い質問だとは思う。大抵の連中はこの質問をするだけで面倒臭い奴だと毛嫌いしてくるだろう。でも別に、赤堂さんに嫌われたところで対したダメージはない。リカバリーの効く範囲内だ。

「周りから見て、友達に見えたら友達なんだと思う。そして、篠崎先生は私とお前をトモダチと言った。だから、私とお前はトモダチ。」

 なんとも言えない答えだ。それだと、『部活動勧誘には取り敢えず尾緒神を誘っておけ』という風潮がない理由にはなり得ない。

「なら、どうして篠崎先生は俺と赤堂さんを友達だと思ったんだろうな。だって俺達は、今日まで話をしたことすらなかったよな。」

 この流れならこれを聞いても自然な流れだろう。これで答えは分かるはずだ。

「うん。今日が始めて。」

 もしかすると、話したことがあるという嘘をでっち上げようとしたのかもしれない。そんな表情をした。しかし嘘は付かずに、彼女は素直に頷いた。そして続ける。

「適当にお前の名前を挙げただけなんじゃないか。」

 まあ、妥当に考えるのならその通りだ。だが。

「でも、それならどうして五組の俺の名前が挙るんだ。」

「え。」

「普通なら、赤堂さんと同じ二組のクラスメイトの名前を挙げると思わないか。それなのに、先生は全く関係が無さそうな五組、それも異性である俺の名前を挙げた。」

「それは、そうかも。」

 赤堂さんは頷く。よし、これで彼女が二組の生徒であることが確定した。

「同じクラスでも、同性でもない尾緒神の名前を、篠崎先生はなんで最初に出したんだろうな。」 

「ちょっと待って。先ず最初にって、赤堂さん、部活動勧誘は俺が一番最初なのか?」

「うん。私友達がいないからさ、新しい部活を作りたくても誰に声を掛けたらいいのか分からなかったんだ。部活を作るには設立メンバーが五人は必要で。それで先生に相談したらお前の名前を挙げられた。」

「……。」

 自分が担当しているクラスの生徒でもなく、彼女が女であることを気遣って同性の名前を取り敢えず挙げた訳でもない。それならどうして篠崎先生は俺の名前を挙げたのか。不味いな、『部活動勧誘には取り敢えず尾緒神を誘っておけ』という答えがしっくり来てしまいそうだ。

「その理由を知っていたりはするか。」

 どうにか別の答えが欲しくて赤堂さんに聞くも、彼女はかぶりをふる。

「分からない。けど、普段の行動とかそういうのじゃないのか。」

「でも、俺とお前は今日始めて会話をしているんだよな。」

「……。そうだな。」

 いや、そうだなじゃなくて。くそ、どうにかして別案を出して納得したい。この心のモヤモヤを解消したい。俺は顎に手を置いて思考を始める。

「あ。もしかして、一組と二組の生徒は赤堂さん以外全員部活動に所属しているとか。」

 仮に一組から四組までの生徒が全員部活動に入部しているのなら、入部届けにサインが出来る未所属生徒の順番は自然と五組まで回ってくる。だが、この回答だとどうして異性である俺の名前が挙がったのかまでは説明出来ない。このクラスの女子にはまだ部活動に入っていない生徒もいる。適当な生徒の名前を挙げるのなら、赤堂さんのことも考えてまずは同性の名前を挙げるのは普通の事ではないだろうか。何ら関係のない異性をいきなり勧めるとは思えない。

「そんな訳ないだろ。一組、二組の中にもまだ部活に入っていない奴はいるぜ。いや、いる。ます。」

 一度悪ガキのような表情を浮かべた赤堂さんだったが、直ぐにその顔は自粛するように元の感情のないものへと戻って行く。五組までの全員が部活に入っていた為に俺に順番が回ってきた。その仮説は、土台から崩された。いや、最初から無理矢理な考えではあったか。

 その後も少し考えてはみたが、それらしい思いつきは浮かばなかった。やはり『部活動勧誘には取り敢えず尾緒神を誘っておけ』ということなのだろうか。だとすれば、どうにかしてそれは嫌ですと伝え無ければいけなくなる。勿論、正面きって言いにいったりはしない。変に目立つ行為は避けたいのだ。

 いや、諦めるのはまだ早い。篠崎先生にはきっと、俺と赤堂さんの仲がいいと思うような何かがあったのだ。そうに違いない。でも、それらしき記憶もまた思い出せない。

 もし本当にただの勘違いなら、一体先生は何をどうして、俺を赤堂さんに推薦したのだろうか。

 “体育でペアになったことがある誰か”とか“昔仲がよかった友達”とかいう理由ならまだ理解出来るが、俺と赤堂さんにそんな関係はない。それでも篠崎先生はいきなり俺の名前を出して友達ではないのかと聞いて来た。

 ううむ。その理由とは何だろうか。俺は筆箱と自習用のノートを取り出す。それを赤堂さんに変に思われないように自然と入部届けの上へと置いた。

「なにをしているの?」

「ちょっと篠崎先生に誤解されるようなことを書きだしてみようと思ってな。」

 開けた真っ白のノートに鉛筆を降ろそうとするも、その筆先は紙に付かない。俺は鉛筆を鼻下と上唇で挟んで腕を組んだ。

 赤堂さんとは今日初めて会話をした。合同授業で一緒になることもない。彼女と俺で関係がありそうな事柄がなければ、勘違いをしそうなタイミングも思い浮かばない。

「どうして篠崎先生がお前の名前を挙げたのかがそんなに気になるのか。」

「まあな。だって不思議だろ?俺と赤堂さんにはこれといった関係がない。強いて言えば、同じ学校の一年生というくらいだ。学校外の塾が一緒で、塾の先生が学校が同じだからという理由で友達だと誤解するのならともかく、校内の先生が俺達のことを友達だと思うのは不思議でならない。」

 本当はただ『部活動勧誘には取り敢えず尾緒神を誘っておけ』と言われている可能性を潰したいだけなのだが、それを言う必要はないだろう。

 適当な考えを口にすると、自然と一つの可能性が現れる。

「もしかして赤堂、俺と同じ紅葉町中学なんじゃ」

「違う。私は東竜中学出身だ。というか、そこまで気になることか?どうでもいいとは思わないのかよ。」

 『部活動勧誘には取り敢えず尾緒神を誘っておけ』なんてどうでもいい考えで勧められているのなら困るから考えているのだ。

「思わないね。そんなことでは納得出来ない。第一、あまり仲良くない相手と同じ部活動に入ったところで嬉しくもなんともないだろ。」

「それは活動次第だと思わないか?」

「というと?」

「例え仲のいい友達がいなくても、自分が囲碁部に入りたければ囲碁部に入る。部活動にはそういう側面もあるだろ?」

 それは確かにそうかもしれない。でもなんで例えが囲碁部なんだ。いや、なんでもいいんだけど、こういう時は普通野球部とかサッカー部とかでやるのではないだろうか。

「それはそうだが。じゃあ何をするんだよ。そのNO部は。俺はNO部の活動内容すら知らないぞ。」

 粗雑に返事をすると、赤堂さんの瞳が少し輝きを見せた。な、なんだ。

「ふふふ。よくぞ聞いてくれたな。それは、探検とか虫取りとかだ!」

 両手を腰に、胸を大きく張りながら赤堂さんが活動内容を朗らかに叫ぶ。俺は急に元気になった彼女に呆気に取られ、五組のクラスメイトは何事かと此方に視線を向ける。その視線が気になったのか、赤堂さんは途端に縮こまった。

「やっぱり変かな。私。」

 元気だなとは思った。

「別に変ではないんじゃないか?元気なのはいいことだ。」

 そんな純粋な元気は俺にはあまりない。

「何だよそれ。てきとーだな。」

 はは、と赤堂さんは乾いた笑みで軽く笑う。

「ただ探検とか虫取りとか、そういった外遊びを俺が好まないだけだ。」

「そ、そうか。ところで尾緒神、探検とか虫取りを最後にやったのはいつだ?」

「え?たぶん小学生の頃とかじゃないか。」

「じゃあ今やったら面白いかもしれない訳だな。私次第で。」

「それはそうかもしれないが。」

「じゃあ問題はないな。」

 いや、そうはならないだろ。まあそっちのことはなんでもいい。俺にはそれより先に解決したい問題がある。思考を再開する。顎に手を乗せて考え込もうとしたことに何かを感じたのか、赤堂さんは表情を落して顔を覗いて来た。

「そんなに悩むほど嫌なのか。」

「あ?いや、どうして篠崎先生が勘違いをしたのかをまだ考えてるんだ。」

「え、まだそれなのか?」

 む。まだ考えていたら何か悪いか。

「あ!だったらこうしないか?私が自力でお前よりも先にこの謎を解決出来たのなら、NO部の入部届けにサインをしてくれ。」

「え。なんでだよ。」

「いいじゃんかよ。なんか、面白そうじゃないか?」

 俺は全く面白くないのですが。

「その勝負を受けても、俺に利益がないじゃないか。」

「私が負けたら、この勧誘は今日で止める。」

「それは俺にとって良いことなのか?」

「勿論。だってこの勝負を断られたら、私は毎日この教室に来る気だからな。」

「入部を断ってもか?」

「入ってくれるまで諦める気はない。」

「それは迷惑だな。」

「だろ?だからこの勝負には受ける価値が生まれる。」

「まさかここで勝負に価値を付けるために、今その迷惑行為を考えたんじゃないだろうな。」

「え。そうだけど?」

 なんて奴だ。でもそれくらいなら無視をすれば

「どうせだからな、勧誘ついでにここで毎日面白いことをしてやる。」

 なんだそれは。心底迷惑そうだ。それに、嫌な感じがする。俺の日常が壊されてしまいそうな、そんなおぞましさが。そうだ。俺は以前、悪意無き部活動勧誘に呑み込まれた。前回とは違う理由とはいえ、同じことをやられてしまうのは心にくる。しんどい。


「分かった。その勝負、受けよう。」

 そして叩き潰せば、こっちの件は解決出来る。

「それほんとか!?」

 力強く机に両手を叩き付け、お互いの息使いを感じてしまいそうなほど赤堂さんが身を乗り出して来たことに俺は驚いてしまう。

「あ、ああ。篠崎先生に直接答えを聞くとか、そんなズルをしないのなら。」

「絶対だぞ!約束だぜ!」

 目を輝かせた赤堂さんの顔は離れて行き、彼女は辺りをキョロキョロと見回す。何を始めたのかと思うと、あっ!と言って卓上のライトノベルを指さした。


「図書室、だと思う。」

「図書室?あっ。なるほど。」

 そうか、図書室か。なる程、それなら確かに俺も行く。大抵の場合、持って来たライトノベルは教室で読むのだが、図書室で読むライトノベルというのも乙なものなので、偶に持ち寄って読んではいるのだ。勿論、図書室の本を借りて読むこともある。そうだとすれば、同じ様に図書室で読書をする赤堂さんが偶然隣の席になっているところを見られている可能性もある。その機会が何度かあってもおかしくない。俺のことを読書好きと思われている可能性はあるだろうし、同じ本好きとして気が合うとでも思われたのだろう。その様子は簡単に想像できる。

「なるほど。それで解決か。」

 よかった。これで『部活動勧誘には取り敢えず尾緒神を誘っておけ』という理由ではないことが分かった。余計な労力を掛ける必要がなくなった。これからも部員集めに励む人達が取り敢えずにと送り込まれてくることもないだろう。

「よっしゃ!部員一人ゲット。」

 突きつけられる人差し指に、現実に引き戻される。心臓が跳ねる。あれ?そうか。こいつが解決したってことは、結局俺は部活動に。心臓の鼓動が早くなる。バクバクと動く心臓は痛みを発する。呼吸が不規則になって、正しいテンポが忘却される。体の異常に全身から汗が噴き出し始めて。

「やった!これからよろしくな!尾緒神!」

 両手を握られてぶんぶんと振られる。い、やだ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。その言葉は口には出さない。目の前で大喜びをするやつを前にしてそんな暗いセリフは吐き出せない。そんな分かり安い悪役になってしまえば、学校社会は俺を攻撃する。偽善が敵に回る。正義ぶった奴らに殺される。ああ。ああ。あああああああ。どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 負けた代償に、俺は部活動に入れられる。またあの恐ろしい学校生活が始まると思うと、吐き気がした。顔がぐちゃぐちゃになる自覚はあったが、それを抑えることは出来なかった。それでも不思議と、涙は出て来なかった。


「赤堂さんは、いつもどんな本を図書室で読んでいるの。」

 悪あがきが始まる。なんでそんな言葉が口から出たのかは俺にも分からなかった。負け惜しみを嫌みにならないように噛み砕いた後に出たのが、それだった。他に浮かんだものは、俺は図書室よりも屋上での方がよく本を読んでいる。だからこの推理は間違っている、というものだった。しかし屋上は出来るだけ行かないように学校から言われている。この場で不用意に口にしてクラスメイトからちょっとした異端児に思われるのは避けたかった。そんなことを気にしたところで、結局部活動には入れられるのだからもう意味もないように思えるが。俺はなにをしているんだろうな。

 ライトノベルは俺にとって日常的に所持しているもの。そのせいで、それが違和感だとは思えなかった。ライトノベルは今回の件において、俺が考える上でのとっかかりにならなかった。それが敗因ということなのがなんとも悔しい。

「え?私本なんてあまり読まないぞ?」

「え。」

 頭に浮かぶ後悔が、彼女の一言で一気に吹き飛ぶ。

「なんか変か?」

「変、ではないけど、それならどうして図書室で本なんか読んで」

「え。私、入学してからは授業以外で図書室は使ってないぞ。」

 はい?と頭が真っ白になる。え。だったら

「だったら、どうして図書室で赤堂さんと俺が友達だと誤解するんだ。」

「あっ。それはそうかも。私がいなかったら、勘違いのしようもないか。」

 赤堂さんはまた考え始める。く、首の皮一枚で繋がったのか。だらだらと流れる汗が、窓から入った微弱な風を敏感に感じさせた。

「なら、まだ勝負はついていないってことでいいんだよな。」

「当然だ。間違っていたのに勝ったなんて言わない。私は、正々堂々が好きなんだ。」

 彼女は握り拳を作って顔前に突き出してくる。全身を脱力感が襲った。思わず嘔吐しそうになったが、それはなんとか堪える。バクバクと煩い心臓を握りながら、沈まれと願った。


 一度、大きく深呼吸をする。

 こいつ、思いつきで納得をさせて来たのか。なんと恐ろしいやつ。

 だがまだだ。まだ安心は出来ない。一度確定してしまった負けがなくなっただけで、負ける可能性自体がなくなった訳ではない。早く冷静になってこの謎を解かなければ、どのみち部活動に入れられてしまう。落ち着け。落ち着け。手の平で自分の顔を握る。


 一度は納得させられた。ならば認めなければならない。

「赤堂さんの図書室の話が、一番信憑性が高いとは思ったんだけどな。」

「え。そ、そうか。」

 後ろ頭を掻きながら少しだけ嬉しそうにする赤堂さんを横目に、俺は多少の落ち着きを取り戻して椅子の背中にもたれ掛かる。焦っても思考は纏まらない。落ち着いて。ゆっくり、本気で考えないと。


「駄目だな。」

「ん?どうしたんだ。」

 立ち上がった俺に、赤堂さんが問い掛ける。

「ここで考えていてもどうにもならなそうだ。ちょっと校内を散歩でもしながら考えようかと思ってな。」

 情報が足りない。このままここで考えていても、俺に勝ち目はないだろう。そんな建前と、このまま座っていたら不安で押しつぶされそうだったという本音が混ざる。

 俺が歩き出そうとしたとき、丁度良くお昼休みの終了を告げるチャイムがなる。どうやら、現実は俺を逃がしてはくれないようだ。反吐が出る。


「時間か。続きは放課後でもいいか。」

「おう。それでいいぞ。あっ!」

 赤堂さんが何か思いついたような声を出す。思わず体が強ばる。先程同じ様なことでチェックメイトをかけられたばかりだ。しかしその不安は早計だったようで、赤堂さんはビシリと俺を指差した。

「放課後。17時半に職員室だ。そこで決着を付けよう。私とお前の運命は、そこで決まる。」

 ムフーッ、とドヤ顔で宣言される。俺はそれに、強がった微笑で返す。

「望むところだ。」

 こんなところで、俺の平穏な学校生活が終わらせられてたまるか。

 赤堂さんは俺の顔を見て、満足そうにしながら自分の教室へと戻っていく。ここに来たばかりの、死んだ目の彼女はどこへやらだ。どこで何が変わってあんなにやる気を出してしまったのか。本当に。本当に、厄介なことだ。


「ほらお前ら、席に座れー。授業の準備をしろー。」

 彼女と入れ替わるようにして社会科の先生が入室する。昼休みが終わるチャイムの五分後に授業開始のチャイムが鳴る。俺は席に座りながら、自習ノートの下に隠した入部届けを取り出す。それを二つ折りにしてノートの中に挟むと、そのまま鞄の中に放り投げた。


 中学と同じ失敗だけは絶対にしない。


 そんな思いを、胸に秘めて。

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