陶酔





それからしばらく、せんぱいと行き帰りを共にした。


道中は特に何かが起こるわけでもなく、もしかしてせんぱいが横にいるという効果だけで撃退できたのでは?と思うくらいだ。



社内の人間の可能性もある、と言われ、仕事にも何か影響があるかもしれないと思っていたが、こちらも特別なことは起こっていない。


強いて言うなら、あるひとりの社員さんからのちょっとした依頼が増えたくらいだ。




平凡な日々が続いている。

梅雨入りもし、毎日がじめじめしてきた6月。


いよいよボーナスだー、というところで、毎年行われている人事との面談のお知らせが今年も入ってきた。



「人事との面談いつ?」



「来週の水曜日です」



「水曜、てことは田中さん?」



「そうです!最近、資料の依頼とかたくさんしてくださってて、ぜひ仕事のことお話しましょう、って。田中さん、就活してたときにもお世話になったんです」



「⋯⋯ふうん?」




初めて参加した就活セミナーで、勝手がわからず右往左往してたわたしに気さくに話しかけてくださったのが、田中さんだった。



「ちなみに、面談どの部屋でやる?」



「会議室1だと思います」



「ふうん。何時から?」



「13時半開始予定です」



なんか、すごい聞かれるな⋯⋯?と思いながらも、あまり気にせず答える。


お昼もゆっくり食べれるかなあ、なんて考えていた。



「⋯⋯勝負だな」



「へ?な、なんのですか?」



「今は気にしなくていーよ」



今は⋯⋯?


言い回しが妙に引っかかったが、せんぱいに任せておけば大丈夫という絶大な安心感がある。



「そういえば、ストーカーも最近いないようですし、もう付き添い大丈夫ですよ⋯⋯?」



自分で言っておいて少し寂しくなりながらも、そう告げる。



「いや、撃退するまで安心できない」



「せんぱいがそばにいるだけで撃退できてるんじゃ⋯⋯?」



「まだ油断できない」



「そ、そうですか⋯⋯?でも、電車通勤、負担じゃないですか」



「ぜんぜん大丈夫」



せんぱいが頑ななので、おとなしく引き下がる。


わたしとしては、もちろんありがたい限りだ。



「じゃ、またあした」



「ありがとうございました。おやすみなさい」



「おやすみ」



いつものようにアパートの下でお別れし、ぺこりと頭を下げた。




「(ついに仕掛けてきたな⋯⋯)」




───のんきなわたしは、せんぱいが着々と撃退に向けて準備を進めていることなんて、知るよしもない。




୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧




迎えた面談の日。


少し早めに午前の仕事を切り上げ、ごはんを食べてから13時過ぎくらいに指定された会議室へ向かう。


と、ちょうど会議が終わったのか、中から企画部の方々が出てきた。



「おつかれさまです」



「おつかれさまです」



せんぱいもいるのかな⋯⋯?なんて、邪な気持ちが湧いてくる。


と、集団の最後尾にせんぱいの姿があった。



「あ、おつかれさまです」



「おつかれ。いまから面談か」



「はい」



「頑張れ」



「ありがとうございます!」



毎年のことながら、人事の偉いひとと一対一で話すのは緊張感がある。


入れ替わりで会議室に入り、軽く机の配置を整えて、田中さんが来るのを待った。




「おお、青葉さん、お待たせ」



「田中さん、おつかれさまです。きょうはお時間いただきありがとうございます」



「いやいや、礼儀正しいねえ。ま、座りましょうや」



「失礼いたします」



予定時刻ちょうどに田中さんは会議室に現れた。


向かい合うようにして座り、いよいよ面談が始まった。




違和感を覚えたのは、始まって20分を過ぎた頃。


今年からひとり暮らしを始めたことについて聞かれ、通勤の負担や仕事のやりにくさなど、去年までと変わったことはないか、という問いがスタートだったと思う。



「最寄り駅あそこでしょ?ここから近いし、いいとこ住んだねえ」



「あはは、ありがとうございます」



「アパートも駅から近くてセキュリティしっかりしてるし、女性には持ってこいだねえ」



⋯⋯なぜそんなことを知っているのか。


たしかに、住所変更の手続きはしたから、最寄り駅を知っているのはまだわかる。


でも、それだけで、住んでいるアパートの位置や詳しい情報まで筒抜けになるのだろうか。



「(もしかして、もしかする⋯⋯?)」



勘づいた途端、えも言われぬ恐怖が身体を駆け巡る。



「あそこの駅、美味しいごはん屋も揃ってるよねえ。よかったら今度一緒にどう?」



「あ、機会があれば、ぜひ⋯⋯」



「本当?うれしいなあ。さっそく今夜とかどうだろう?」



「あ、い、いや、今夜は、ちょっと⋯⋯」



「ああ、彼氏さんに先越されちゃってたかあ」



⋯⋯もはや仕事関係ないんだけど。


恐怖とともに嫌悪感も抱く。



いくら人事とはいえ、そんなことまで知ってる?

というか、職権乱用じゃない?



「ねえねえ、前橋くんとはどういうつながりなの?急だったよね?」



「⋯⋯こ、たえる必要、あり、ます、?」



「え〜、そんな恥ずかしがらないでさあ、せっかくの機会だし、教えてよ」



こっちが狼狽えてるのなんて関係なしに、前のめりになってプライベートに触れてくる。


このひと、こんなひとだったっけ!?


どうしたらいいんだろう、密室だし、とにかくこの部屋から出ないと、こわい⋯⋯


焦って冷や汗が出てきたし、顔も強ばっているだろう。



「ねえ?だんまりなんて、悲しいなあ〜」



どうしよう、どうしよう、ぐるぐる考えていると、そんな言葉とともに手がこちらに伸びてくる。



───いやだ、



反射的に身体を後ろに引いた、その瞬間。




───「失礼します」




ノックとともに、せんぱいの声が聞こえた。



「⋯⋯何してるんですか?」



「⋯⋯!」



「ま、前橋くん!?」



田中さんも驚いたのか、身体をびくりと揺らしガタガタと立ち上がる。



「い、今は面談の時間だぞ!?」



「14時までですよね?14時15分から我々の会議があるので、準備に参ったのですが、⋯⋯何されてました?」



「あれ、もうそんな時間か⋯⋯?

何してたって、だから面談だよ、面談」



「業務とは関係のないお話をされてましたよね」



「なっ、証拠は!?どこにあるんだ!」



「ああ、そういえば、午前中の会議で使った録音機、忘れていったんだよなあ、スイッチ入れっぱなしだ」



そんなことを言いながら、せんぱいが死角にある机に向かい、小さな機会を手に取る。



「録音機⋯⋯?」



「スイッチ切り忘れてたので、面談の内容まで録音されてしまいましたね」



「な、なに⋯⋯!?」



「すみません。でも定期面談だし、持ち出さない限りは支障ないですよね?」



⋯⋯策士だ。


というか、せんぱいはぜんぶ気づいていたのだろう。



どこかのタイミングで、ストーカーの正体が田中さんだと気づいた。


わたしの定期面談を田中さんが担当することを知った。


あえてその前後の時間帯に会議室を抑え、決定的な証拠を掴むため、わざと録音機を置いた。



⋯⋯完璧だ。



ストーカーをしているという決定的な言質は取れなかったかもしれないが、怪しさはじゅうぶんにあるだろう。



「これを上に出せば、あなた仕事なくなりますよ」



「⋯⋯っ、くそ⋯⋯」



せんぱいの顔が、これまでに見たことないくらい怖い。


田中さんはもう顔面蒼白だ。



「ひとつ聞きますが、あなた、青葉のこと付きまとってますよね?」



「いや、ちがう、あれは⋯⋯!」



「⋯⋯」



「あれは、ただ、待ち合わせを⋯⋯」



「⋯⋯まだ逃げるんですね」



「⋯⋯」



こっちはじゅうぶん証拠もってますよ、と言わんばかりの言葉だ。


田中さんもさすがに諦めたのか、もう言い返さなかった。



「⋯⋯これ、出してほしくないですか?」



せんぱいが録音機を掲げる。



「ああ、そりゃあ、もちろん⋯⋯」



「では、ひとつ約束。青葉にはもう付きまとわないでください」



「⋯⋯いや、だから、あれは⋯⋯」



「一度でも約束を破ったら、すぐにこれを上に出します」



「⋯⋯」



「⋯⋯いいですか?」



「わ、わかったよ⋯⋯」



「では、いったんは保管しておきます。ちなみに今の会話も録音されているので」



「⋯⋯」



ぬかりない。


これでようやく、ストーカー撃退に成功したようだ。



「では、そろそろ私たちの会議が始まるので」



「あ、ああ、じゃあ私はこれで失礼するよ、青葉さんも、すまなかった」



「いえ⋯⋯」



田中さんが慌てて会議室を出ていく。


その間もせんぱいは、田中さんをずっと睨みつけていた。




「あの、ありがとうございました⋯⋯」



「危なっかしいよなあ、ほんと」



「すみません⋯⋯」



そりゃあそうだ。


ストーカー疑いのあるひとを信頼し、簡単に密室でふたりきりになるのだから。



「本当に、せんぱいのおかげです、ありがとうございます⋯⋯」



「やっと任務完了だな。怖かったろ、大丈夫?」



「だい、じょうぶ、です⋯⋯あれ⋯⋯」



安心したのか、へにゃへにゃとその場にしゃがみこんでしまう。


音もなく目から涙が零れた。



「怖かったな。もう大丈夫だよ」



頭を撫でられ、さらに涙が溢れる。


そんなわたしを見てせんぱいもしゃがみこみ、包み込むようにぎゅっと抱きしめられた。


そのあたたかい体温とやさしい匂いに、心がほろほろと解れていく感覚がする。



───と、



「あ、か、会議⋯⋯!」



「ああ、大丈夫、半から」



勢いよくせんぱいを引き剥がしそう叫んだが、せんぱいはしれっと嘘をついていたみたい。



「なんだあ⋯⋯」



ほっとして思わず笑みが零れる。


それを見たせんぱいも、ふっと息を吐いた。



「おつかれ、頑張ったな。目もちょっと赤いし、少し休んでから戻りな」



「はい、あの、本当にありがとうございました」



「ううん、青葉が無事でよかった」



また頭をぽんと撫でられる。


きゅんと鳴った胸の音は、見ないふりをする。



「きょうもまた、エントランスで待ってる」



「え、でも、撃退できましたよ⋯⋯?」



「本当にもうしないか確認」



「⋯⋯いいんですか?」



「ん。じゃ、また後で」



「⋯⋯はい⋯⋯」



せんぱいの会議の時間も迫っていたので、最後にそんな約束を交わしてから、一礼して会議室を出た。




思っていた撃退方法とはちがったが、ついに、帰り道に平穏が戻ってくるだろう。


せんぱいと行き帰りを共にする理由がなくなってしまったのが、少しさびしい、なんて。



もう沼に片足突っ込んでしまっているじゃないか。




୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧




「おまたせしました⋯⋯!」



「おつかれ」



きょうはわたしの方が遅くなってしまった。


並んでエントランスを出る。



「本当にありがとうございました、電車通勤までしていただいて⋯⋯」



「ああ、意外に楽しかったよ。満員電車ってやっぱきついんだなーって体感できたし」



「あの、欲しいものとかないですか?よければ、何かお礼させてください!」



「え、いいよそんなん」



「だめです、わたしの気が済まないです」



「ふ、頑固だな」



「だって、本当に助かったんです!」



安心して家に帰れるというだけでどれほど心にゆとりが出るだろう。


本当に、命の恩人だ。


どうせこの縁はそう長くは続かないし、何か少しでもお返しをしたい。



「んー、じゃあ、この前言ってたアンノンのライブ、当たったら一緒に行きたい」



「え、ええ、そんなのでいいんですか⋯⋯?」



「そんなのって。前話聞いたときから行ってみたいなーって思ってたんだよ」



「死ぬ気で当てます⋯⋯!」



「ふ。頑張って」



せんぱいとライブ⋯⋯!


かみさま、すべての運を使い果たしてもいいので、わたしにアンノンのチケットを恵んでください⋯⋯!



「あの、でも、もし当たらなかったときのために、今すぐできることで、何か⋯⋯」



「いいって、お礼されたくてやったわけじゃないし」



「わたしがよくないです⋯⋯!」



「んー⋯⋯、じゃあ、あさっての夜、ひま?」



「金曜日ですか?今のところ何もないです」



「じゃ、飲みいこ」



「え!いいんですか!?」



「ふ、それこっちのセリフだろ」



いやいや、わたしのセリフですよ!


お礼がしたかったはずなのに、ただのわたしへのご褒美ではないか。



「それ、お礼になります⋯⋯?」



「なるなる、めっちゃなる」



「そ、そうですか⋯⋯」



「じゃ、今週の華金は一緒に楽しむ、てことで、いいっすか」



「ぜひ、お願いします、楽しみです!」



「おれも。仕事頑張れるわ」



だからそれ、わたしのセリフでは⋯⋯?


こんなわたしでも、せんぱいの頑張る理由になれるなんて。



電車に乗ると、せんぱいは必ず人混みから守ってくれる。


一緒に乗るのももう終わりかあ、と思うと途端にさびしく感じる己の現金さに苦笑する。



「とりあえず今週は電車通勤で様子見るわ」



「わかりました、ありがとうございます」



今週いっぱい。


金曜日に飲みに行ったら、いよいよ、この縁は終わりを迎えるだろう。



「(アンノン、当てたいなあ⋯⋯)」



心の奥底では、この縁が続くことを祈っている。




「特に何も無さそうだな。田中さんもいないし」



「はい、足音も聞こえないです。本当にありがとうございました」



「うん、もう何回も聞いた」



「何回も言わないと気が済まないです!」



本当に、それくらい感謝の気持ちでいっぱいだ。


無事何事もなくわたしの家に到着し、平穏が戻ったことを実感する。


そしてそれがせんぱいのおかげだということに、感謝が止まらないのは当然だ。



「じゃ、またあした」



「はい、おやすみなさい」



「おやすみ」



いつものようにアパートの前でお別れする。


階段を上がりながら、ふと、せんぱいのお家に泊まった日のことを思い出した。



「(ご飯、おいしかったなあ⋯⋯)」



あの日から、真似をして少し早起きをし、しっかり朝ごはんを食べるようにしている。


おかげで、心なしか体調もよくなっている気がする。



叶うのならば、せんぱいがつくったご飯を、もう一度食べたい。


そんなこと、願うだけ無駄だ。



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