演劇を続けたいというぐちゃぐちゃ
私、私わたしなんでこんなに生きるのが辛いんだろう。思春期はたくさん色んなことを考えるようになるってぼんやりとは知っている。自分のアイデンティティを見つけるための時間であるとも感じている。だからかな、ずっと、ずっと生きるのが苦しい。別に楽しいことがひとつも無いわけじゃない。毎日必ずひとつはいい事があって、毎日恵まれていることを実感して、それと同時にもうしわけなくなるのだ。
なんで私は努力ができないんだろう。生きるのが楽しい。楽しいは楽しい。私には演じるという生きがいが生まれたから、演じている時は、演技を研究している時はいつだって楽しい。でも苦しい。演劇を学ぶための勉強とかをする気力がわかない。親に大丈夫なのと言われて、それでも気力がおきない。なんで?なんで。模試のための勉強も、大学のための勉強も全部私のためで、将来演劇をするために繋がっているのになんで私はそれができない?覚悟が足りないのか、それとも思いが足りていないのか。
私はいつだって諦めが早かった。友達が離れていっても去るもの追わずで、ある物に一目惚れしてそれを絶対欲しいと思ったとしても一瞬だった。本当に必要なのか、これのためにお金を使う価値があるのか。一時どれだけなりたいと思ったものでも、1年経てばころっと変わったり、本当に目指す姿なのか分からなくなったりする。ずっと諦めの理由をさがして、ひとつでも見つかればそれのための努力を怠る日々。なんて哀れなんだろう。
私には才能があると思っていた。歌がうたえて、躍ることも出来て、ある程度容量が良くて、全校生徒を前にしたって堂々とすることができる。でも、天才とは努力のできる凡人だみたいな言葉を見かけて、私は天才ではないんだと気づいた。
小さい頃の私は将来表現者になって、日の目を浴びることを夢見ていた。今だって同じ。誰かに自分の才能を見せつけて、黙らせてやりたくてしょうがない。私は天才だと主張したくてたまらない。でも、それが叶った日は1度もない。だって私は天才ではないから。努力のできない、ただ"すこしだけ頑張ること"が好きな人。すこしだけ頑張った結果、すこしだけみんなより優れていて、そのすこしをたたえてくれる。それだけじゃ満足しないのに、それ以上努力することが出来ない。ああ、なんて哀れなんだろう。
最近、私が誰よりも、1番醜いと気付いて、自分が嫌いで嫌いで気持ち悪くなった。ずっと人を見下して生きてきたからだろうか、その見下していた人より私は優れていなくて、とても生きれない。特に文才がある訳でもないし、誰に見られたいとかそういうのはないけど、でも文字に書くだけで気分が落ち着くから。それをもし誰かが見てくれたとしたら、誰かが人間らしいねと言ってくれたなら私は私を少しでもましだと思えそうだから。だから私はこんなぐちゃぐちゃを必死に書いている。誰にも言えない生き辛さをただひたすらに書いている。
ごめんなさいお母さん、ごめんなさい。あなたが前まで褒めていた私は、実はすこし努力ができただけなんです。少ししか努力できないんです。すこし努力をしたらすぐ自分を甘やかしてしまうダメ人間なんです。あなたの期待に応えられなくてごめんなさい。ごめんなさい。私はもう消えたい。でも演劇を続けたい。演劇だけを、ただひたすら続けて生きたい。そんなこと無理だと分かっているから、それだけで稼いで食べていける自信が無いから、誰かに愛される気がしないから、私はもうこのまま消えてしまいたい。ごめんなさい。こんな、現実からすぐ逃げてしまうような娘で。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
私はずっとぐちゃぐちゃしてる はるかとおく。 @harukatooku
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