第28話 初雨の決意
南初雨は鏡に映った自分を見ていた。後に慌てて皇太子と一緒に逃げ出した自分とは異なり、卵型の顔、杏のようにクリっとした目、桜の花びらのような唇、淡いバラ色の肌、今の自分は美しく若々しい要素がすべてそろっている。皇太子とともに反乱軍に殺された時のことを思い出すと、今でも震えが止まらない。
当然、彼女は鎮陵王がどのような人なのか知っている。彼女は今、ほかの誰よりも詳しく、そして正確に彼のことを知っている。
そう、彼女は前世の記憶を持ったまま、生まれ変わったからである。
前世の記憶があるからこそ、彼女は鎮陵王との婚約を破棄するわけにはいかない。今世では、絶対に彼の心を掴み、寵愛を受け、彼とともにあの最高の地位に上り詰めなくてはならない。あんな惨めな過去は繰り返したくない。
「もちろんよ。鎮陵王がどんな人なのかも知っているし、婚約の話もそれについてまわる噂も全部知っているわ。でも、絶対に破棄はさせないわ。」
南初雨はきっぱりと言い切った。
青桃と青杏は再び顔を見合わせる。主の意図がまったくわからないのだ。
二人がここに来る少し前に、鎮陵王が泊っている偏院で火事が起きていることを聞いた。外は大騒ぎで、消火に多くの人員が送り込まれているが、その最中門主夫人から、火事の話を初雨に知られぬよう口止めされていた。
しかし、目の前の小姐は、鎮陵王を婚約者だと断言している。ならば、婚約者の危機を知らせるべきでは?万が一鎮陵王の身に何かがあれば?と考えていた。
二人が火事について話すべきか迷っていると、南初雨は金糸が煌めく長裾を揺らしながら立ち上がった。
「宴会はもうすぐよね。一緒に鎮陵王をお迎えに偏院に行きましょう。」
「小姐、なんで鎮陵王が偏院に泊まっていることをご存じなんですか?」
青桃と青杏は初雨の言葉に驚いていたが、初雨も二人の質問に動揺していた。彼女が知るはずのない事実を知っているからだ。前世では、鎮陵王は偏院に案内され、彼に会いに行った父が何と言ったかわからなかったが、結果として、鎮陵王に婚約破棄を同意させていた。
このことを思い出して、初雨は焦り始める。
「お父さんとお母さんは今どこにいるの?まさか、婚約破棄させるために偏院に行ってないわよね?」
”婚約破棄は絶対にダメだとはっきりと伝えたのに、私の願いは通らなかったの?このまま同じ運命をたどるなんていやよ!”
初雨は青桃が答える前に、長裾をたくし上げて走り出した。青桃と青杏も慌ててそれに続く。
「小姐、お待ちください。」
偏院は、以前の人気のない静けさとは打って変わって、人と熱気であふれていた。火勢は増し、空の半分を赤く染め上げ、必死の消火作業にもかかわらず、鎮火の見込みはまだたっていない。
偏院だけならば、全焼したとしてもなんら損失にはならない。
だが、今日は鎮陵王がここにいるはずだ。彼の身に何かあれば、仙気門はその責をすべて負うことになる。たとえ聖女が鳳凰の命格を背負っていて、その伴侶が皇帝になったとしても、その伴侶が呪龍の呪いで死んでしまっては意味がないからだ。
南立松は何人もの弟子に命じて、濡れた布団をかぶって鎮陵王の捜索に当たらせていて、今はその知らせをまっているところだった。
洪氏の目は興奮で輝いていた。この火の勢いなら鎮陵王といえども助かるまい。死んでくれれば、わざわざ手間のかかる策を弄してまで、婚約破棄をする必要がなくなる。
自分の大切な娘、仙気門の聖女、鳳命を背負い、確実に皇后の座につけるというのに、なぜ皇陵に送られて呪龍の贄となる運命の、余命がたった1年しかない鬼王と結婚しなければならないのか。
”私は皇太子の義母になるのよ。いや、皇帝の義母になるのよ!”
ただ心配事もあった。木嘉がうまくやっているかわからないのだ。失敗した時のことは考えてある。鎮陵王を華池に連れていけなかった場合は、鎮陵王と一緒に火の中に葬ればよい。
うまく華池に彼を誘導できたのなら、この火事で計画を中断されるわけにはいかない。そう思った洪氏はいてもたってもいられず、南立松の袖を引っ張ってささやいた。
「旦那様、先ほど私は木嘉を鎮陵王の元へ行かせました。」
「木嘉に何をさせるつもりだ?」
木嘉は怡然坊の幹事である。幹事にした時は自ら指名してやった。容姿がとても美しく、知識も豊富だった。幹事にする前から狙っていて、幹事になる頃にはすでに彼のものとなっていた。
立松は、洪氏が木嘉のことを嫌っているのはかなり前から知っていた。夜遅くに何度か行った華池での秘密の逢瀬も、気づかれてはいないし証拠もない。その上、木嘉の制香技術は確かなもので、洪氏もその香料と香紛を手放すことはできなかったため、彼女に手を出すことはなかった。
しかし、今回は手を出した。
夫の緊張した表情に気づいた洪氏は、嫉妬で気が狂いそうになった。証拠はなかったが、夫とあの狐女が正当ではない関係にあることには気づいていた。そこで、今回は木嘉を使うことにしたのだ。鎮陵王は気性が荒いと言われているから、木嘉が怒りを買って、その手にかかって死んでも、夫は自分にその怒りをぶつけることはできないと考えたのだ。
かりに、木嘉がうまく自分の美貌を使って計画を成功させたなら、洪氏はかつてのことを水に流して、鎮陵王に彼女を捧げればいいのだ。
「私は何もしていません。ただ、木嘉に鎮陵王を華池で入浴させるよう指示しただけです。」
洪氏の嫉妬による怒りは外に出ていない。
「あなたも、木嘉の制香の技術は天下一と称賛していたでしょう?彼女が作った香と華池を合わせれば、鎮陵王も、、、」
”ふん、我慢できないでしょうね。”
洪氏は、さらに7人の美女を鎮陵王に奉仕するよう手配していた。念には念をである。
南立松は洪氏の意図を理解した。この女はこの手の策が非常にうまい。いや、これしかできない。だが、多くの場合で、男を相手にしては便利で、手早く、効果的だということは否めない。
その時、一人の弟子が火の海から出てきた。顔は煤で真っ黒になり、かぶっていた濡れた布団は一度火が付いたのか穴が開いていた。自分の主の姿を見つけると、息を切らしながら報告を始める。
「門主、庭には誰もおらず、鎮陵王の馬車だけが灰になって焼け落ちていました。」
”中にはいない?死んでいないのなら大丈夫だ。”
南立松は安堵のため息をつき、洪氏は密かに喜んだ。なぜ鎮陵王の馬車が燃えていたのかわからないが、木嘉の計画はうまくいっていると思っていいのだろう。
「旦那様、急いで鎮陵王を探しましょう。宴はもうすぐ始まります。鎮陵王は私たちの将来の婿殿なのですから、宴にいてもらわなくてはなりません。」
洪氏はひとまず鎮陵王に友好的な振りをすることにした。彼の安全と行方を心配している様子を見せておくのだ。
立松も一時的ではあるが、洪氏の計画に従うことにする。
「誰かあるか?捜索範囲を広げよ!鎮陵王を探すのだ!」
「はい。」
そこに急ぎ足でかけてきた南初雨が現れる。父の最後の指示が聞こえたのか、少しほっとしたようだ。
「父上、鎮陵王はご無事でしょうか?」
初雨の姿を見た立松は一瞬戸惑いを見せる。
「初雨、なぜ外に出てきた?」
本来ならば、正装して待ち、しかるべき時に宴会場に入り、すべての貴賓を魅了させるのが、彼女の仕事である。
「父上、鎮陵王に何かあったとお聞きしましたが?」
「彼は偏院にはいなかった。」
「それではどこに?」
今にも彼を探しに飛び出していきそうな初雨を、洪氏は慌てて制止する。
「あなたは戻りなさい。私たちはこれから彼を探しに華池に行ってくるわ。」
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