第23話 奇妙な目
南离は眉をひそめて少し考えると、静かにその二人に近づいていく。
入ってきたのは男と女の二人組で、男は30歳くらい、身につけた服からすると仙気門の幹事のようだ。女性は20代前半で、豊満な体をしており、南离がさっき制衣院で見かけた服を着ている。あまり枚数はたくさん置かれていなかったから、階級が上なのだろう。
”夜君陵の馬車で何をするつもり?”
夜君陵とは、苦難を共にし、助け合った(ついでに殺しあった)仲である。少しくらいは気を使ってやるかと思い、隣の厩に身を隠して様子をみることにする。当然に中にいた馬は彼女を警戒したのか、鼻息をならし、蹄で床を擦りながらいななこうとする。
南离は馬の真正面に立ち、まっすぐにその目を見つめる。生き生きとした眼差しからは威圧感が無限にあふれてくる。
”静かにしていてね。”
桔黄色(橙色のこと)の光が南离の目に斜めに差し込み、その光が宿るように淡い光の塊となる。背の高い馬はゆっくりと頭を下げ、瞼を閉じて、おとなしくなる。
幸いなことに、彼女の媚功はまだ使える状態だった。転生した彼女の媚功の力は低下していたが、鍛錬を続ければ再び同じ水準まで戻すことができる。そうでなければ、こんな古代武術が主流の時代では、彼女は一晩とて生き残ることはできなかっただろう。
二人組は夜君陵の馬車に近づいた。男は上に登っていき、女は緊張した面持ちでそれを見守っている。
「あなた、早くしてね。これ、鎮陵王の馬車でしょ。鎮陵王府は鬼王府だって噂だけど、この馬車にもなんかついてないわよね?」
女は話しながら周りを警戒している。見張り役としてきたのだろうが、夜君陵の名の威圧のせいか、目に見えない何かに怯え声が震えている。
馬車の中の男の声も、不気味な緊張感からか、普通の精神状態のものではない。
「急かすな!私が怖くないとでも思ってるのか?贄の鬼王のものに触れてはいけない、みんなが言っていることだ。呪龍は自分の贄となる彼に、邪気がこめられた何かしらの刻印をしてるかもしれないんだぞ。この任務が終わったら、仙草と一緒に沸かしたお湯で体を清めないと、頭がおかしくなりそうだ。」
「それ、私もやるわ。ねえ、怖いんだけどまだ見つからないの?」
「見当たらない。そもそも馬車に置いておくはずがないんだよ。絶対自分で持ってるさ。」
「木姐は夫人に鎮陵王に近づくよう命令されたそうよ。それに比べれば馬車の任務で済んでるあたしたちはまだマシなほうよね。」
女は神に感謝を伝えたいのか、手を合わせ空に向かって頭を下げる。
「木姐はもしかしたら死んじゃうかもしれないわね。鎮陵王に触ったらみんな死ぬって言われてるし。」
南离は思わず吹き出しそうになるのをこらえる。
”なんでこの時代の人ってみんな、夜君陵のことを怖がってるのかしらね。鬼王府とか呪龍の贄とか。彼の持ち物に触ったら邪気がうつるから、仙草で体を清めるとか傑作よね。
私なんかどうするのよ。あの深い穴と墓地でこれでもかってくらい触っちゃったわよ。しかも、足であそこまで触っちゃったし、、、”
昼間のことを思い出していると、鼻に熱いものがこみあげてきて、鼻血が出る。思わぬ体の反応に南离は混乱する。
”え?え?うそうそ!”
記憶にある足に残った感触で、頭の中はぼんやりと熱くなり、鼻血がとめどなくあふれる。
赤ん坊から高齢の爺まで、すべての男をからかって生きてきた南离である。人をからかうには自分に余裕があればあるほどよい。今までの人生の中で心が乱れることなどなかった彼女は、夜君陵をからかう時も十分に余裕があった。
だが、今になってその瞬間を思い出して鼻血を出すとは。
”勘弁してよ、、、こんなの人生の汚点よ!”
生涯かけて積み上げてきた名誉を、夜君陵の股間に侵された気分だった。
南离は馬にもたれかかりながら、顎を上げる。何かの時のために顔を隠そうと思って、制衣院からいただいてきた布切れを胸元から取り出し、鼻を拭う。
女の声が聞こえてくる。
「ねえ。見つからないのなら、あれ置いてさっさと帰りましょう?寒気もしてきたし、不気味で怖いわ。」
「そうだな。あれを仕掛ける。降りるから少しどいてろ。」
男が馬車から飛び降りるが、なぜか足元がふらつき地面に倒れこむ。女は叫びそうになるが、我慢して男を助け起こそうと慌てて近寄る。
「ちょ、ちょっと!本当に不気味よ!やっぱり鬼王のものには触っちゃいけないのよ。は、はやく帰りましょ!」
まるで幽霊でも見たのかのようによろめきながら離れていく二人を見て、南离は呆れた。
”飛び降りたときにふらついただけで、幽霊のせいになるとか。どんだけ怖がってるのよ?”
それにしても、二人組は馬車に何かを仕掛けると言っていた。おそらく碌な物ではない。あの二人組は間違いなく仙気門の者だ。だから、仙気門の行動は明らかに夜君陵に対する敵対行動だ。聖女と婚約しているはずなのに、その相手にする動きではない。
そして、またしても夫人の名前が出てきた。まさかこの件も門主夫人が関係してるのだろうか。
「ふっ」
鼻で強い息を吐きだすと、考えがまとまる。
門主夫人は彼女の仇である。仇の仇は味方。鼻に触れて鼻血が止まったのを確認した南离は、隣の厩から出てくると、夜君陵の馬車に近づく。片手で自分の目線よりも少し上の突起に手をかけると、一息で飛び上がり馬車に乗り込む。
馬車の中は想像よりも大きく、内装は柔らかくて温かみがあった。さっきの男は何かしらの照明を持っていたが、馬車に備え付けられているはずの照明が見つからず、窓からの薄明かりで探し物をすることになる。
突然胸に動悸が走り、彼女はゆっくりと2歩あとずさる。馬車の壁に作りつけられた柔らかい背もたれに視線を向けると、あるものを見つけ叫びそうになる。
”目?”
それは豆粒ほどの大きさで、本当にわずかにではあるが金色の光を放っていた。馬車の中があと少しでも暗ければ確認できなかったかもしれない。羽毛かなにかを詰め込んだ背もたれの中に潜り込んでいるのか、体らしきものは見えず、見えているのは頭のある部分だけのようだ。細かい部品をたくさん扱ってきた、南离の繊細な識別能力も貢献していたに違いない。
見れば見るほど不気味な感覚が大きくなる。その小さな頭らしきものは虫のようにも見える。しかし、豆粒ほどの目以外には何もない。
普通の虫ならばこんな感覚になることはない。それにわざわざあの二人が(自分たちが信じ込んでいる)禁忌をおかしてまで、馬車に忍び込み小さな毛虫を仕掛けに来るとも思えない。
そう考えた南离は警戒度をさらに上げ、さらに観察を深める。わかったことは2つ。金色の目には中心に黒目がある。そして、この黒目は南离が動かなければ動かない。南离が動くと、同じ方向に動く。
”もしかして、こっちを見てる?”
さっき鼻血を拭った布切れをそっと開いた。奇妙な虫に飛びつかれたくなかったからだ。
ただ、その瞬間、南离を見つめていた一対の目は消えてしまう。
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