第21話 正しい婚約破棄のやり方

南离は、他人の都合に振り回されることは絶対許せない性格だ。


それでも、この仙気門で大混乱を起こすことは、南离の心の中では決定事項だった。機会があれば門主夫人を殺す、と決めていたが、復讐を果たしても元の体の主に満足してもらえるかどうかわからなかった。


南离の目が明るく輝きだす。夕日の輝きよりも大きく、雄大に。そして、彼女の感情がいつもの通り、さざ波さえ起きない水面のごとく静まっていく。


彼女は善人ではない。今ここにからといって、この身体の元の所有者の恨みつらみを自分が晴らすつもりもない。この身体を彼女が無理矢理奪ったわけではないからだ。


それにしても、この身体の元の持ち主は、仙気門の聖女と何かしらの関係があると推測していた。そうでなければ、これほど不本意で悲しい感情がこみ上げてくるはずがない。


南离が身に着けていた衣服はすでにボロボロだったため、空腹を満たした南离はまず新しい服を探すことにする。今見つかってしまえば、この贅をつくした仙気門では言い逃れは不可能だからである。そのあとで、みんなが宴会で盛り上がっているすきを狙って、皇太子の馬車を彩る宝石を盗み取ると決めた。。


少々時間がかかりつつもはっきりしない記憶を頼りに、南离は制衣院にたどり着いた。彼女は他人の服を盗むつもりはなかった。盗み出せばその持ち主が騒ぎ出し、侵入者がいることが発覚する。そうなれば、この仙気門といえども蜂の巣をつついたような騒ぎになるのは明白だった。今騒ぎを起こせば、予定がすべて台無しになる、そう思った。


倉庫のような形の制衣院に入ると、壁一面に棚が備え付けられている。棚には、女性用の制服がきれいに折りたたまれて乗せられている。おそらく侍女のものだが、その侍女でも等級があるのか、形状、色、襟の刺繍などが異なっており、さらには武術の訓練用とも思えそうなものまであった。

山門の前で見かけた、夜君陵に「女々しい」と言われた少年たちの広袖長衣も見える。


どれがどの等級のものかわからず悩んだが、最終的に桃の花の模様の侍女服を選ぶ。贅沢を言えば、ボサボサになった髪の毛もほどいて結い直したかったが、古代の髪の結い方がまったくわからない。適当にやって逆に怪しまれたくなかったため、髪油のようなものを見つけて、それで軽く整えた。


ボロボロの服だった時よりは幾分マシになったが、髪飾りを一切つけていないため、まだまだ質素な生活を送る娘にしか見えないことに変わりはない。着替えている最中、もう一度自分の胸を見た。この作り物の皮膚の下に何があるかはわからない。でも、触れば、少し硬い紙のような感触がする。


この偽物の皮膚が肺を圧迫しているのか、常に息苦しい感覚がある。何か別の者の感じはするのだが、触っても本物の部分との違いどころか、その境目さえもわからなかった。


”まさか本物ってことはないわよね、、、”


色々気になって手を止めてしまったが、今はそんなことをしている場合ではない。やるべきことがある、と思い出し我慢する。




さて場所は変わり、荒涼とした偏院(敷地内の外れの意)である。本来の仙気門の敷地内の建物であれば、塀一面から緑の枝と花あふれ出しており、明るい光が差し込んでいるはずだが、この偏院では、まともな植物の気配はおろか健全なものも見えず、あたりは薄暗い。


中庭の景色も元々は素晴らしかったのだろうが、長い間手入れが一切されていないのか、荒廃感しか感じられない場所である。


今には揺り椅子が置いてあり、冷ややかな表情をした男がそれに揺られている。その表情は退屈そうな顔をしているが、近くによれば畏怖により冷や汗をかくほどの気配をありありと出している。


揺り椅子自体はさほどいいものではなかったが、ひじ掛けだけは小奇麗な白い絹の布がかけられており、彼は無意識にそれを細い指で撫でている。男の心の中には、あの女の汚れた顔と、とても輝かしい瞳が浮かんでいたのである。


彼は今までこれほど美しい目を見たことがなかった。目の形、色とかではない。その神秘性、その魂のようなものであった。彼女の瞳は、彼のものと全くの正反対。よどみなく流れる水のように澄み、太陽のように輝き、春の生命力の息吹を感じさせる。そして、彼にとっては、全てを破壊したくなる衝動を覚えていた。


いまだに、彼に殺してやると思わせておいて、それでもまた生かそうとさせる、それを何度も繰り返した後、彼を素っ裸にして、死人の布で簀巻きにしたやつはいない。


しかも、最後の最後で逃げ延びた。


20代前半の衛兵服の女性が、熱々の汁が入ったお椀を持って入ってきた。衛兵は軽装で、黒い服をまとっている。身体つきが繊細で、柔和な容貌をしている。


「王爺、いったい仙気門はどういうつもりなんですか!王爺をこんな偏屈なところに泊めるなんて理解できません!先日も、属下(上官の前で部下が使う自称)と隠影が贈り物を持ってきたときも、門主は贈り物には一切見向きもせず、あとの接待は一切幹事にまかせっきりで出てきませんでした。属下に対する態度は気にしていません。ですが、自分の婿になる相手の贈り物に見向きもしないとは、こんな冷遇は全く容認できません!」


彼女はそう言いながら、お椀を鎮陵王に持ってくる。彼はそのお椀を片手にとり、明らかに熱そうな汁を一気に流し込んで、椀を盆に戻す。


「簡単なことだ。本王が嫌がらせに負けて身を引くのを待っているだけだ。」


傍で待機していた衛兵服を着た男が持つ盆から、白い手ぬぐいを取り、口を拭くと盆の上に投げ返す。


「嫌がらせに負けて身を引くですと?王爺が自ら身を引くなど、彼らに何の利があるのか全く分かりません。かつて王爺に婚約を申し込んだのは、そもそも彼らだったはず。仙気門はその辺の権力者とは一味も二味も違うと思っていただけに、属下は残念でなりません。」


信頼があり普段から発言を許されているであろう、傍に待機していた男が口に出す。


「仙気門は王爺に身を引いてもらうとは思うはずがない。さもなければ、愛娘である聖女が恥をかくことになるのだからな。」


隠雪はさらに理解できなくなったと言わんばかりの表情で言い返す。


「隠影、それでは、門自ら王爺との婚約を破棄するとでも言いたいの?一体、誰がそんな大胆なことをさせてるのよ!」


「考えてもみろ。今日私の部下たちが、王爺が誤って山の裏にある大穴に落ちて、仙気門に助けを求めに行ったのに、なんだかんだと言い訳ばかりで一兵も出さなかったのはなぜだ。王爺は素晴らしい力のおかげで自力で脱出できたからいいものの、我々では見つけることさえ難しかったはずだ。」


”本王の力のおかげか。いや違うな。”


隠影の言葉に再びあの女のことを思い出し、男に問を掛けた。


「隠影、探し人は見つかったか?」

「申し訳ありません。まだ見つかっておりません。」

答えた隠影に戸惑いが見える。


”見つかる気はないということか”


「続けて探せ。」

「御意」


隠雪は二人の会話になかなか口をはさめないでいたが、先ほどの会話に戻らずにはいられなかった。


「王爺、もし仙気門が本気で婚約を破棄したいというならば、属下が彼らにわずかばかりの教訓を与えてもよろしいでしょうか?」


”王爺の婚約を破棄するなんて!命がいくつあっても足りないということを思い知らせてやる!”

主君に対する彼女の忠誠心はここぞとばかりに燃え上がる。


が、忠誠を誓った主の次の言葉は、その炎を一気に吹き消す。


「必要ない。むしろ、本王は彼らが一体どんな手段を取ってくるのか楽しみにしている。今回の旅は退屈だったからな。ただ、待っていればよい。」

「では、属下が聖女の様子を見に行くくらいならよろしいでしょうか?聖女が悟りを開いているか確認だけでもさせてください。それだけでも、婚約破棄する判断材料にはなります。もしも、聖女が悟りを開いていて、鎮陵王妃になるつもりがあるのであれば、属下は喜んで拉致でも結婚式の準備でも何でもしてさしあげましょう。」


フッ


隠影の鼻で笑う音が聞こえる。


「王爺がわざわざそんな人を拉致すると思うか?」

「隠影!あなたはわかってないのよ!」


隠雪は困っていた。王爺が幼少期にこの結婚を決めたのは行幸だった。この婚約がなかったら、生来からの運命を持つ主に嫁いでくれる女性を見つけるのは、明らかに難航すると思っていたからだ。

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