第20話 呪龍の贄になる王爺

鶏の丸焼きだ!


南离は鶏の足を掴むと屋根から滑り降り、今すぐにもかぶりつきたい衝動を押し殺しつつも、あたりを見回し安心して食事をできそうな場所を探す。

都合よく中庭の岩場に死角が多そうなあったのでそこへ急ぐ。岩場の横には一列の陶製の甕が置かれていた。様々な大きさのものが並べられていたが、どれも口を布でふさいであるため、どれも漬物や調味料なのだろう。

幸いにもこのあたりは関係者以外ははいってこれないようになっているらしく、ひっそりとしていた。


”やった。御馳走だ!”


この丸焼きは素晴らしい仕上がりで、焦げる直前まで焼き切った皮の香ばしさ、鶏肉本来の肉の甘味と旨み、あふれ出る肉汁、それらを邪魔するどころか全てを引き出すように使われる不思議な調味料。すべてがそろった逸品であった。

もちろん、これまで見てきた仙気門の贅の尽くし具合を鑑みれば、他にも南离の舌と胃袋を満たすものは当然あるだろう。


満腹にはまだまだだが、とりあえず人心地ついた南离は、次は腹を満たすよりも、もっと特別な料理が探すことにした。


手についた脂を惜しむようになめとり、芝生から立とうとした時、二人分の軽い足音が聞こえてくる。まだ見つかりたくない南离は再び甕の影に身をかがめる。


「紅柚姐、本当に計画通りにするつもりですか?」


甕の影から様子を伺うと、話していたのは二人の少女だった。二人からは清香な脂粉の匂いがしてきている。最初に話し出した少女の声は黄鴬(コウライウグイス。名前の通り鶯の一種で黄色い)のような、美しく澄み切った声だった。


紅柚と呼ばれた少女はしばらく黙って考え込んでいたが、やがて、穏やかで落ち着いた口調で話し始める。


「そうじゃなかったらどうするの?」

「私は仙気門に残った方がいいと思うんです。」

「緑茵、あなたはまだ世間を知らない。私たちはまだ15~6歳だからここにいられるけど、あと2~3年にはどうなるかわからない。門主様には一人娘の聖女様しかいない。私たち全員で聖女殿堂(聖女だけのために作られた建物の意)で奉仕できるとは限らない。門主様の殿堂に行ければ最高だけど、ご夫人が同意してくれると思う?」


南离はなるほどと思った。古代では権力のある夫人が、浮気を警戒するあまり若くて美しい娘を主人のそばに置いておくことはほぼないからだ。


「しかし、今歌楽房にいる私たちは不自由なことなどないと思いますが、、、」


「あそこはただ男をを喜ばすためだけの場所。昨日だって、第二長老様があなたが踊っているときにお触りしてきたでしょう?あなた、本当にこんな人生を延々と送りたいの?20代になったら踊りなんかさせてもらえない。待っているのは、執事に嫁がされることよ。」

紅柚がため息をついて一区切り入れると、話を続ける。


「確かに、仙気門の執事は、その辺の官僚より裕福で権力もある。しかし、、、」


紅柚は次の言葉をためらったのか、黙り込んでしまう。

微妙な間が気まずいのか、先に緑茵が口を開く。


「しかし何ですか?紅柚姐、あなたは仙気門で育ってきたはず。愛着だってあるでしょう?」

「ないわ」

「紅柚姐の容姿なら、確かに鎮陵王の寵愛を受ける機会があるかもしれません。でも、、、」


緑茵の声は少し震えている。次の言葉もさっきより小声だ。


「でも、怖くないですか?」


そろそろここからお暇しようと考えていた南离だったが、思いがけず夜君陵の名前が彼女たちの口から出たことで、聞き耳をたてる。


「噂が全部事実とは限らないでしょ。」


紅柚の言葉の語尾が小さくなる。噂を思い出して、自分の決意が少し揺らいだのかもしれない。


「しかも、鎮陵王は聖女様としか婚約していないわ。聖女様以外あの方のそばにほかの女性がいるって話も聞いたことがない。噂ほど怖くないんじゃないって思ってるの。だから、結婚式のときに鎮陵王から一言いってもらえれば、私は聖女様と一緒に鎮陵王府に入れるわ。」


緑茵は言い返すように声を荒げる。


「でも、あそこは鬼王府(鬼の住処のような場所の意)ってもっぱらの噂ですよ?紅柚姐、なんで誰も入りたがらないところに、入ろうとするんですか?しかも自分から望んでなんて!」


”鎮陵王府は鬼王府?鬼が出るんなら面白そうだ。そもそも、夜君陵がいるなら鬼も近寄らないでしょうけどね。なんでかわからないけど、みんな彼を怖がっているわよね。それに聖女の婚約者って噂話もよくわからないし。


それにしても、聖女ってどんな人なんだろう?夜君陵の婚約者でしょ?興味あるわね。”


「そんなの、王府邸が乱葬崗(古代にあった死体捨て場のこと)の上にあるってだけよ。」


紅柚自身もだんだん自分に言い聞かせるのが辛くなってきたようだ。語気が小さくなっているような気がする。それに気づいた緑茵も追い打ちをかけるようにすかさず言葉を続ける。


「ここが一番大事なところですけど、紅柚姐は覚えているでしょう?1年後には鎮陵王は皇陵に入れられて、呪龍の贄になるということを。


その時、あの方に従っている人はどうなると思います?間違いなく一緒に埋められて殉死者にされますよ?それでもいいんですか?」


”鎮陵王が呪龍の贄になるってどうゆうこと?皇陵に呪龍がいるなんて訳が分からない。呪龍がどんなものかもわからないし。

待って、、、鎮陵王、鎮陵、陵墓、皇陵、、、もしかして、彼の称号ってそういう意味なの?


彼は皇子でしょ?犠牲にされる予定だからって、家を死体捨て場の上に建てる?一体どんな父親なのよ!”


理由はわからなかったが、南离は憤りを感じた。


甕の向こう側では、ふと二人の会話の音が小さくなり言葉少なになる。話が話なだけに少し警戒感が強まったのだろう。


「シッ、静かに。軽々しく話していいものとそうじゃないものがある。」

「でも、大夜王朝でそれを知らないものはいません。」

緑茵の声は小さくなったが、紅柚を諫める気持ちは全くおさまっていない。


「それが周知の事実だとしても、あなたがそれを口にするのはだめよ。他の誰かがそんな噂しているところを見たことがある?それくらい、このことは憚られることなの。それにしても、聖女様は鎮陵王と婚約してるけど、なんか言ってたの?」


聖女の話がでて、緑茵は少し落ち着いた。


「ごめん、もう言わないわ。でも、紅柚姐、聖女様は本当に悟りを開いたのかな。ちょっと前のあの人なんて、3~4歳の子供にしか見えなく、だいぶ前に顔を合わせた時なんて、私を「お姉ちゃん」って呼んだのよ?しかも、飴までねだってきたし。」


緑茵の言葉に、紅柚がおでこを強く叩いて叱る。


「こら!今言ったばかりなのにわからない子ね。それにしても、今日は聖女様の16歳の誕生日よ。知一天師の言葉が本当なら、今日悟りを開くはずよ。今夜の寿宴で聖女様も出てくるから、そこで全部わかるはず。」


「そうですね。それにしても、悟りを開いた聖女様が、自分の婚約者の鎮陵王があと1年の命と知ったら、大騒ぎになるでしょうね。」


「門主様とご夫人が何かしらの手を打って、婚約を破棄するかもしれない、、、もうこの話はおしまい。私たちが心配したって何も変わらないわ。厨房の人から漬物を取ってくるように言われたからここに来たのよ。さっさと戻りましょ。」


南离は考え込みながら、岩場の影から顔を出した。


”夜君陵は仙気門の聖女との婚約のためにここに来たはず。それなのに婚約者には合わず、さっさと自分に用意された部屋の方に向かってた。しかも、第二長老とのやり取りをみても、絶対に仙気門のことなんか大事に思ってないわよね?むしろ軽蔑してたくらいよ。門と家族になるんだから、少しくらい敬意を見せるべきなのになんでなんだろう?


それにしても、あの二人が言ってた通り、今夜の宴は見物ね。”


ふと南离の胸がわずかに熱くなる。徐々に経験したことのない奇妙な悲しみがあふれ出してきて、気持ちのやり場がわからなくなってくる。思わぬ感情の噴出に涙まであふれでそうになるのをこらえていた。


”なによ、これ!”


奇妙な感覚を歯を食いしばりながらも、南离は何かに見られているような気配を感じとる。


”なんか文句でもあるの?”


”それに気付けないから、あなたは殺された。”


”それとこれ、何の関係があるってのよ!”




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めったにはやりませんが、作中では書ききれませんでしたので、ここで補足します。19話までは「陵」の字を当たり前のように使ってきましたが、元来この字には”墓”の意が含まれるようです。宮内庁のHPには歴代天皇の一覧があり、そこには陵墓(天皇のお墓)が記載されております。


前置きが長くなりましたが、夜君陵は生来から不吉な由来の名前をつけられていることになります。今後の展開に重要な要素となりますので、記憶の片隅に置いていただければ幸いです。

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