第19話 花孔雀の皇太子
”プッ”
南离は吹き出しそうになるのを再びこらえる。
”そういや、夜君陵は婚約してたわよね。でも、婚約者がバカってどうゆうこと?あと、16年かけて悟りを開くってどうゆうことだろ?”
髭の男の顔はさらに不機嫌になり、声も低くなる。
「鎮陵王、言葉にはお気を付けください。聖女様はあなたが侮辱していい相手ではございません。」
「聖女だと?ハっ。聞くところによると、本王と婚約しているこの聖女は、今日の16歳の誕生日の祝いの祭に、改めて婚約者を選ぶそうだ。ということは、その聖女は本王との婚約を破棄するということだな?」
髭の長い男は一瞬戸惑って、慌てて言葉を返そうとしたときに、山道から別の馬車が登ってきた。隊列の前には騎兵が12騎、中央には様々な宝石で装飾された籠を8頭の馬に牽かせた豪華な馬車、後方には全身武装でそれぞれが立派な威厳を放つ騎兵が24騎ひかえていた。
隊列を見た髭の男はさっきまでの態度を一気に翻し、少年たちに合図を送った。12人の美少年は再び「仙人」に戻り、隊列を邪魔せぬよう道端に整列して跪く。髭の男もその列の一番前に並び同様に跪く。どうやら、夜君陵のことは後回しのようだ。
「仙気門第二位長老、明英、弟子を連れて皇太子殿下を歓迎いたします。皇太子殿下千歳千歳千々歳!」(皇帝に対しては万歳を使うが、それ以外の皇家に対しては千歳が使われる。)
南离は驚きのあまり目を見開いたが、この見世物の次の展開を見守った。
”生の王爺に続いて、生の皇太子を見れるとはね。でも、皇太子は王爺よりも見栄っ張りなのかも。馬車はとんでもなく豪華だし、連れてる衛兵も精鋭ぞろいっぽいし。とりあえず、あの馬車の宝石、なんとかいただいてお金にできないかな?”
とにかく目に付くのは馬車の宝石だった。しかも、彼女の優れた観察眼によれば、どれもこれもが本物どころか、品質も一級品ぞろいであった。
今の彼女は一文無しだ。お金どころか換金できるものもない。いや、なくはないのだが、翡翠の箱は絶対に売ってはいけない。その価値がまったくの不明だが、世界中が欲しがっているものの可能性すらあるものを、二束三文で手放す気にはならなかった。同じ理由で一緒に手に入れた絹布も売ることはできない。
現代にいれば、スイス銀行やケイマン諸島の口座に貯めこんだ無尽蔵の資金を使えたが、この時代では文無し生活から始めるしかなかった。
南离が色々値踏みをしていると、皇太子一行がやっと到着する。前方の12騎は両脇に分かれて整列し、花孔雀のように煌びやかな馬車が、鎮陵王の馬車の真横で止まる。
華奢な手が馬車の車窓にかかった帳の下を少しだけ持ち上げる。その後ろから誰かが帳を上まで引き上げ、車内に充満していた龍涎香の香りがあたりに一気に広がる。
距離をとって木陰に隠れていた南离の元にも、甘く動物的な匂いさえも感じさせる、強烈な香気が届き、くしゃみがでそうになった彼女は慌てて口と鼻を覆った。
宮人服を着た白い顔の宦官が最初に出てきて、馬車から駆け下り、背もたれのない小さな椅子のようなものを運んできた。それを馬車の横に置くと、手を出して尖った声で言った。
「殿下!どうぞお進みください。」
先ほど見かけた手入れの行き届いた手が彼の手に置かれ、男が身をかがめながら乗り出した。それと同時に、龍涎香の香りも一層強くなる。
皇太子殿下は、明るい紫色の錦袍(古代中国の一般服。日本の着物にも似ているが、指まで隠れるほど袖が長い)を着て、腰に金色の帯を巻いており、帯には翡翠の
”うわっ、金持ちを絵にかいたようね。”
皇太子のあまりに贅をつくした姿に、南离には彼がどんな顔なのか全く目に入ってこなかった。わずかに視界の隅に入っている部分だけで判断するなら、そう酷い姿ではなさそうだ。
「平身」(皇家が下の身分の者のあいさつに返す言葉。「楽にしてよい」の意味)
皇太子は笑顔で手を振り、立派ではあるものの、自分の者よりは豪華さに欠けるもう1台の馬車に目を向けて、淡々と言った。
「鎮陵、下りないの?君は相変わらず威勢がいいね。」
”この二人、兄弟じゃないの?皇弟と呼ばないにしても、せめて君陵と名前で呼ぶものでしょ?なんで、封号なんだろ?”
南离は木に寄りかかり、頬杖をつきながら、夜君陵の反応を見守っている。
彼の怪我はかなり重く、その上毒にもかかっていた。治療はすでに済んでいるが、二、三日は安静にしていなくてはならないはずだ。もしかして、もう姿を現せるほど回復しているのか?
そうならば、南离は彼らにさっさと動いてほしかった。先ほどまではこの見世物に対する興味の方が勝っていたのだが、そろそろ腹の虫は待ってくれそうもない。
馬車の中からは動きはなかったが、夜君陵の声がかけられる。
「皇太子が威勢をはっているのは、誰でも知っていることだ。八頭牽きで宝石だらけの豪華な馬車に36の京雲騎(皇太子の近衛兵)。どうせ、いつ襲われてもいいように、馬車の中でも金糸軟甲(金の糸を吐く蚕の糸で作られた、鎧の内側に着る防具。非常に頑丈で、国宝並みの贅沢品)でも着こんでいたんだろ。中では4人の侍女を侍らせて、脚をもんでもらったり、ぶどうを剝いてもらうのにもらうのにさぞ忙しかったんだろうな。我々はここで言い争うつもりはないので、ここでお暇します。
陰影、馬車を出せ!それとも、その辺で蛙を1匹見つけてきて、今の話が本当かどうか聞いてみるか?」
”プッ”
南离は思わず吹き出しそうになるのをこらえた。皇太子が臆病者で贅沢好きなことをわざわざ蛙に聞こうとしたからだ。
「ジャーっ」(中国語で、馬を走らせるときに使う掛け声)
馬車は一気に速度をあげて、山門を抜け仙気門へ入っていった。馬車を引いて走る馬は、まるで皇太子の顔を踏んづけながら走っているようにも見える。当の本人の顔もどす黒く染まり、目は殺意に満ちている。その視線は南离には見えていなかったが、殺意はひしひしと伝わってきた。
”なるほど。皇室に家族愛はなく、二人の間は完全に冷え切っているようね。”
仙気門の第二長老は皇太子の様子を見て、このままではまずいと思い勇気を振り絞って声をかける。
「皇太子殿下、客室の用意はすでに整ってございます。いつでもお越しくださいませ。2時間後には門主が宴を開きます。独自で醸した仙気門特産のお酒をご用意してございます。ぜひお楽しみいただきたく存じます。」
「よかろう。仙気門の地酒は昔からうまいともっぱらの噂だ。本宮(皇太子の自称)も試してみたいと思っていた。」
皇太子が馬車に戻り、皆が一礼して警戒が薄くなっている間に、南离は隙を見て山門から忍び込んだ。山門の外では別の馬の蹄の音が聞こえている。どうやら別の客が来たようだ。
”今日の宴会はかなり盛大にやるのね。ああ、さっき言ってた聖女の16歳の誕生日だから?”
南离は気を緩めることなく宮殿に向かっていたが、妙な戸惑いを感じていた。なぜかこの仙気門が初めてきた気がしないのだ。それどころか、むしろ、どこに何があるのかも全て知っている。戸惑いは忘れることにして、迷うことなくその足を大厨房に向けた。
外から見れば一つの宮殿にも見えるが、中から見るとさらに作りこまれた光景がひろがっていた。中庭付きの屋敷がいくつも建ち並び、それを渡り廊下が繋ぐ。渡り廊下からは美しい庭園がひろがり、その端々には亭楼(小規模の庭の休憩所のようなもの)、水が途切れることのない滝、そこから流れを作る泉、自然の美と人工的な美が融合しこの世とも思えぬ景色に、南离は蘇州で見たどの庭園よりも美しいと確信した。
大厨房はその一角に独立して建てられていた。上から見ると六角形の形をしているのか、多方向に同時にかつ速やかに料理が運べるよう、全方位に渡り廊下が接続している。
中を見れば料理人たちがひっきりなしに手足口を動かしている。それもそのはず、2時間後には向こう10年は同じ規模のものはないだろう、大宴会が催されるのだ。一切の阻喪が許されぬ料理人たちは必死の形相で仕事に取り組むが、あたりには最高の食材、調味料の香りが漂っており、南离の腹の虫を強烈に刺激する。
南离は近くの木から、先が二股に分かれた枝を取ってくると、周囲を慎重に警戒しながら屋根に上り、中に枝を伸ばす。
狙いは鶏の丸焼きだ。うまい具合に窓の近くのかまどで火にかかっており、色、艶、香り、全てが最高級品。
この後気の毒な目にあうであろう料理人に対する罪悪感などどこへやら、南离は一羽の鶏を器用に、ゆっくりと手元へ手繰り寄せたのだった。
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