第15話 死体が下で、王爺が上

夜君陵は何も考えず手を伸ばして防御しようとしたが、慌てて南离が彼を地面に押し倒す。


「触らないで。毒よ。」


急場なので言葉を極力短くしたが、さらに状況は急転する。

突然床が地震のように揺れだし、棺を中心に渦のように回転し始めた。その棺は、底の地面が抜けたようにゆっくりと沈み始めた。


理解さえ難しい事態の急変に、二人はしばらくその姿を消そうとしてる棺を見ているしかできなかったが、夜君陵は突然、片方の手で南离の腰を抱き上げる。そして、空いた手で、近くにあった跪いている死体を掴みパッと棺の上に投げ上げると、南离を抱えたまま自身も棺に向かって飛び出した。



ドンっ!


二人は無事に棺の蓋に着地した。

南离が下、夜君陵が上。

どこかで見たような光景だが、今回はうつ伏せになった南离のさらに下に干からびた死体があった。


背中側では元々地面のあったところが塞がっていっているのか、差し込んでいた光が徐々に弱くなり、途絶える。

正面には死体の顔がある。南离は体を少しでも反らせようと奮闘する。そうしなければかびくさい臭いだけでなく、唇が死体の口に当たってしまいそうだったからだ。


本当は手を突っ張ってやり過ごそうとしたかったのだが、棺の蓋に毒が塗られていて触ることすらできない。


ドーーン!


棺の沈下はまだ続いているが、上階は再び固く閉ざされたようだ。周囲に明かりになりそうな光源はなく視界はほぼない。必然と残りの4感が敏感になったように思える。

真下に横たわる死体は骨だらけで、落下の衝撃でいくつも痣を作ってしまったようだ。肌に触れる感触は冷たく、カビの臭いだけでなく死臭が漂っている。

さらに、背中に乗っている男は長身の筋肉質。肺が圧迫されて呼吸するのも大変だった。


夜君陵は考えなくても、十分に今南离が置かれている状況が理解できていた。そして、当たり前に怒り心頭だろうと思っていた。先ほどから振り回されっぱなしの彼は、逆に怒らせてやろうと彼女が罵倒してくるのを待っていたが、予想とは違う声がかけられる。


南离は、小鳥がさえずるように声をかけた。


「鎮陵王様、えっと3Pするのはいいんですが、せめて生きてる方にしてください。さすがについていけませんよ。」

「3Pとはなんだ?」

「3人でするから3Pって言うんですよ。」


夜君陵はすぐには意味が分からず悩んだ。そして、彼女のいったことが徐々に理解できてくると、整った顔の色がコロコロと変わる。赤から黒、黒から白、白から赤、まさに戦で使う手旗信号のよう変化した。

せっかく彼女を怒らせようと思っていたのに、逆に挑発されて悪態をつく。


「お前、絶対女じゃないだろ?お前みたいな不埒でふしだらな女は見たことがない。」

「私が女であるかないかは、後で服を脱がしてみたらわかるでしょ?」

「そこが不埒だと言っているんだ!」


”ったく、文句を言いたいのはこっちよ。どうせ、棺の中のものがどうしても欲しかったんでしょ?蓋に触りたくないから死体を投げた、死体に触りたくないから私を下敷きにした。大の男がこれだけ酷いことしておいて何よ!”


言葉に出して言い返してやりたがったが、今は議論している場合ではなかった。棺越しに伝わる振動はまだ止まっておらず、身動きは取れない。少しでも情報が欲しかった。


そう、棺は依然として沈下を続けていた。速度は変わっていないが、わずかに吹き込む風がジメジメとした空気と酸味を帯びた腐敗臭を運んでくる。


南离は足を延ばし、棺の外側を探ってみた。棺を上からぶら下げているなら足に引っかかるはずだが、何もなかった。棺が自由落下よりもゆっくり下がっているということは、この真下に昇降機のようなものがあるはずだ。


「動かないで」


夜君陵から低い声がかかる。


夜君陵はこんな時にも関わらず下半身の違和感を覚えた。二人の体は密着しており、南离が体をにじらせるように動いたため、一部を刺激してしまったようだ。


夜君陵に男の欲求がないわけではない。

ただ、他人に遊ばれた女が嫌いで、昔から遊郭や娼館の女など見向きもしなかった。かといって、良家から来た女は周囲の民と同様に、彼を悪鬼か猛獣と思っており近寄ってくることはなく、親密になるはずがなかった。


心を常に冷たく保ち、生理上の需要がある時は冷水をかけて緊張をほぐしてすませてきた。今までに欲求を感じさせた女はいなかったのだ。


今、彼の心中と下腹部には、今まで感じたことのない脈動が、繰り返し打ち寄せる波のごとく押し寄せていた。


”へぇ、こういう時もあるんだ。”


夜君陵が声をかけてきたあたりから、自分のお尻のあたりにあたっているものが何なのか彼女も理解していた。彼女も中身は現代の人間である。性教育だけでなく、濡れ場を含む映画もたくさん観てきた彼女にとって、理解するのは難しいことではなかった。


”獣め”と心の中で呪わずにはいられなかったが、口には出さず、ただ優しく諫めた。


「王爺、私に欲情してくれるのは嬉しいですが、今はそんな場合ではありません。辛抱してくださいね。」


こんな破廉恥な女はきっとどこかの遊郭の女に違いない。そう考えると、いつも通り心も体も冷え、いつも通りの自分を取り戻す。


”いや、違う。遊郭の女でもこんな大胆な言葉はでてこない。”


ふと夜君陵の耳にわずかではあるが、水草の上を流れる水のような音が聞こえてくる。


彼の耳は内力で鍛えられているため聞くことができたが、南离は気付いていないと思い声をかけようとする。が、先に南离から緊張した声が届く。


「下は水です。」


夜君陵は驚きに目を見開いた。

内力もなしになぜ聞くことができたの不思議だった。


「水深はそれほどではないので、浅い川です。ただ、このまま水に入れば私たちも無事では済みません。」

「なぜだ?」

「この蛟棺の劇毒はおそらく水溶性です。棺が水に触れればあっという間にあたりは毒の川と化します。毒入りの水浴びはお好きですか?」


南离の声はわずかだが無力感を漂わせていた。

彼女は現代にいた時、腕利きの盗墓者に会ったことがあった。彼は古代の墓の仕掛けにも精通しており、教えてもらった構造の一つに蛟棺があったのだ。もちろん、全ての蛟棺が同じ作りであるわけではないが、毒と水の組み合わせを見れば、自分の予想はほぼ間違いないだろう。


彼女の媚功は、まだ瞬時に毒を排出できるレベルまで到達していない。


夜君陵は彼女の言葉を聞きながら、棺の下を見下ろしていた。いまだにあたりは暗かったが、さほど遠くない距離に水面が見える。どこに光源があるのかわからないが、わずかに揺れ動くせせらぎの範囲は広く、足場になるような場所はない。


周囲を深い暗闇に覆われ、二人には頼れる足場も、臨むべき帰り道もなかった。


「どうやら、棺が水に触れないことを祈って、ここで待つしかないようだ。」


彼に暗視能力があることを薄々わかっていた南离だが、彼の言葉を聞き心が沈む。


”それにしても、なんでこの態勢のままなの?態勢くらいどうにでもなるじゃない!”


この姿勢になってからずっと彼女は死体に対して、顔をそむけたままの状態を維持している。首もそろそろ限界がくる。


死ぬ間際でも、死体との口づけは阻止すると誓う南离であった。

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