第11話 死人の服
さっきの彼は、寒気に紛れ込んでいた寒毒の影響を受けていなかった?理性を取り戻したのか?
夜君陵は内心では驚いていたようだったが、攻撃をやめることはなかった。
そこに南离の媚功がきまる。夜君陵の強烈な蹴りに腰が折れるかと思ったが、何とか距離をとることに成功する。媚功で痛みを取り除きながら、少し前に見つけた掌紋(手のひらの形をした痕跡)のあったところに急ぐ。こちらにすごい勢いで迫ってくる怒気が背中からひしひしと伝わってくるからだ。
南离もイライラしていた。なぜここまで自分を殺すことに執着しているのかわからないのだ。
「夜君陵、もういい加減にして。こっちが我慢してるからって、調子に乗らないで!」
言い返している間にも飛んでくる攻撃に対し、南离は動きを読まれぬよう不規則な動きをして躱していく。うまくかいくぐった後彼の脇をスライディングしながら滑りぬけ、対面の壁のそばに立ち、苛立ちのこもった視線を向けた。
怪我した肩は真っ白な霜花に覆いつくされ、唇は依然として真っ白である。しかし、その瞳には今日幾度目かの春の温かみを感じる光が現れる。
夜君陵は元々常人よりも色白であったが 氷に覆われたその姿は寒冷地に置き去りにされた死体のようにも見えた。
「面白い」
「何がよ?」
南离は眉をひそめながら聞き返した。
「お前は今まで全力を出していなかったのだな。」
さっきの彼女の動きが、今までのものとは別物だったことに夜君陵は気付いていた。
現代にいたころ、南离は自分の身を守るためにいつも用意周到だった。習慣としていつも奥の手を一手、二手用意するのは当たり前だった。
「何もしないで死んだりなんかしないわ。」
言い終わると同時に、夜君陵の目に向かって小さくて白い何かを二つ投げつける。
袖を鮮やかに振り回しそれを受け止めたが、袖が邪魔して視界がふさがれる。それと同時に仕掛けが動く音と、人の走り去る音が聞こえてくる。
袖が視界を通り過ぎたころには、目の前の人影は飛び出した後だった。
”そうか。あの時仕掛けを見つけていたのか。”
夜君陵の目に仕掛けの波動が見えてくる。袖に刺さった2本の八重歯を見て、彼女がこれをいつ抜いたのかわからなかった。
”抜け目のない女だ。今まで見聞きしてきた女中の中でも群を抜いているだろう。”
そう考えながら、彼は残り少ない内力を振り絞り、その体を閉まりかけている石扉の中へとおどらせた。
ゴン
南离の手には重たそうな陶器の壺があった。地面に倒れた王爺を見て、足でつついてみた。気絶していることを確認すると、張り詰めていた緊張が解け、ふっと一息つきながらその場に座り込んだ。
彼女は兵器開発者である。現代にいた時は何でも作った。対人用の兵器から、大型の範囲攻撃用兵器、近接武器に遠距離武器、思いつくものは何でも作れた。武器の種類も豊富だが、その部品も多岐にわたる。極小の部品は髪の毛よりも繊細で細く、彼女はそれを取り扱えるだけの視力と注意力を持ち合わせていた。
壁にあった掌紋は色が紛れるように作られており、一般人がじっくりと観察しても見つけることはまず不可能だった。彼女が遠くからでもそれを発見できたのは、優れた視力と、修練を積んだ媚功のおかげだった。
仕掛けの先に飛び込んだ時もついていた。入ってすぐのところで手ごろな大きさの壺を見つけ、息をひそめて夜君陵を待ち構えることができたのだ。
壺を彼の頭に叩きつけた時の音は、非常に重かった。音を出した本人でさえも、思わず顔をしかめるほどだったからだ。
この男には一切手加減をかけてはいけない。大きく鍛え抜かれた肉体、肉体とともに練り上げられた内力、その二つを使いこなす決断力と行動力。この男を目の前にしてよく生き残れたものだ。
幸いだったのは、彼の体がすでに限界に達していたことだ。内力のほとんどを使い果たしていなかったら、彼女の奇襲は気付かれるか、当たっても気絶までしなかっただろう。
彼の強さには頭が下がった。霜花の仕掛けから身を守るためにすべての内力を注ぎ込んでいたにもかかわらず、粘り強く、そしてただひたすら強かった。
”彼をどうにかできたのは嬉しいけど、寒いのはどうにもならないわね。”
少しでも寒さをしのげるかと思い、穴だらけの服をギュッと引き寄せるが、気が紛れるほどしか変わらない。ふと、地面に倒れている夜君陵を見て、彼女に悪戯めいた閃きが訪れる。
”彼の服をもらえばいいじゃない。”
しかし、彼の服を触った瞬間にその思い付きが無駄であることに気付く。
彼の体温と内力で氷は融かされており、その服は全体がぐっしょりと濡れていた。周囲の気温がその水を氷る直前まで冷やしているため、こんな状態のものを見れば、今より彼女の体は冷えてしまうだろう。
あっさりと自分の閃きを諦めた南离は、冷えた体を温めるため周囲を動き回り始めた。体温が戻ると思考も動き出す。心にも余裕が出てきた彼女は、あたりを見渡した。
”地獄に仏とはこのことね。”
彼女のいる部屋の中央には大きな棺が置かれていた。どうやら棺の主は相当の権力者か位の高い人だったのか、そのまわりには数列の人影があり、跪いたまま動かない。
”殉葬者か。”
人影は全て棺の方に向かって跪いて頭を下げ、後ろ手に縛られたまま死んでいた。どうやってこの姿勢をとらせたのか不明だが、強制的に主と共に埋葬されたのだろう。
今の状況で、誰が埋葬されたかなんて全く興味はなかった。あったのは彼らの服だ。
殉葬者はみな同じ服を着ており、襟元に奇妙な符文が縫い込まれている。袖の裾は広く、腰には白い翡翠のベルトが巻かれていた。一見すると柔らかく上質な布であるのは間違いなさそうである。
”今は形振り構ってられない。暖をとれるなら死に装束だっていいわよ。まだあなたたちの仲間入りはしたくないのよね。”
彼らの服を借りようと決めた瞬間、ふと夜君陵のことが気になった。
後ろを振り返ると、そこには変わらず彼の体が地面に倒れている。まだ生きているのかさえ分からない夜君陵を見て、南离は自分に言い聞かせるように呟いた。
「情が移ったわけじゃないわ。この先も何があるかわからないし、道連れが欲しいだけよ。」
夜君陵のもとに戻り、彼の体を裏返す。その体は先ほどの死体よりも冷たく、あたかも雪山で遭難した登山者のごとく、表面を覆う霜はさらに分厚くなっている。
”さすがに無理か、、、”
諦め半分で指を首筋の頸動脈にあて、南离は驚いた。
”噓でしょ?”
並の一般人ならばこれだけ体温が下がれば脈もかなり弱くなる。しかし、彼の脈は弱まってはいるものの、彼女の指に鼓動を伝えていた。
”生きる意志だけでなく、心臓も強いのね。”
「今日の私は自分でも信じられないくらい優しいみたい。何度も私を殺そうとしたあなたを、今は助けたいと思ってる。
そうよね。あなたも私を助けるために怪我をしたんだから、恩返しみたいなものよね。
いまどき、私みたいに恩と恨みを分けて考えられる人なんて少ないんだから、少しは感謝しなさいよ。」
彼の身体に起きているこの奇妙な現象の原因はまだわかっていないが、彼の怪我と何かしら関係がありそうな気がしていた。あの時、自分をあの男に放り出していれば、今の状態にはならなかったはずだ。
彼女は恩も恨みも返す女である。
ここは寒いとは言っても、外の石室よりはマシなほうだ。ここは墓地であり、棺があり、殉葬者までいる。普段の墓地ならばもっと不気味なはずなのだが、なぜかここはそんな感じがしなかった。
殉葬者のそばに行くと、その中でも背の大きい二人の服を脱がしながら呟いた。
「ごめんね。人助けだと思って許してね。感謝します。」
二人分の服を確保した南离は、さっそく夜君陵の服を脱がして、死人の服に着替えさせたのだった。
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