第10話 形は変われど、戦は続く
彼が怪物でないのなら、なぜ体が氷に覆われ、冬のようにあたりが寒くなるのか。
彼が怪物でないのなら、不気味なくらい、コロコロと気持ちが変わるのか。
彼が怪物でないのなら、彼の手を離れた剣の傷が凍るのか。
南离は無理矢理体を引き起こした。
地面がどんどん冷たくなっており、薄着の彼女には耐えられないほどだったからだ。靴底はまだ無事で厚手に作られているので、まだマシだった。
先ほど投げ放たれた剣は後ろの壁に突き刺さったのか、刺さった時の振動で音叉のような音を出している。ちらっと振り返ってみれば、彼の背ほどもある大剣が半分くらいまで突き刺さっていた。あんな状態になるには、どれほどの膂力と内力があればいいのか想像したくもなかった。
南离は苦笑いした。
一緒に虎と戦い、一緒に穴に落ち、一緒に洞窟に落ち、一緒に足のない男を気持ちが悪いと思い、そして、一緒にこの石室へとやってきた。なのに、彼女の運命はまだ彼の手のひらの上で、未だに逃げられそうにない。
氷の魔人にも思える姿の夜君陵が、手のひらを南离に向け、何もない空間を握りしめる。すると、彼女の体が何かに引っ張られるように動き出し、彼の方へと滑り出す。
手足を振り回し抵抗するが、どこを掴まれているのか全く分からないため、わずかに速度を落とすくらいしか効果がない。
暗闇に染まった彼の目には微塵の感情の揺らぎもなかった。怒り、切迫感、そして殺意でさえも感じられない目をしていた。
ただ、冷静に、南离の目を見て夜君陵は尋ねた。
「お前は死を恐れていない。」
疑問形ですらない。ただ確信したことを口に出しただけのようだ。
これを聞いた南离の目に笑みが浮かび上がるのがわかる。
その微笑が彼女の目を再び輝かせ、澄んだ瞳にロウソクの光りが灯ったようにも見えた。この目はまずい。
彼がそう思った時には、すでに彼女は優しくも妖媚に、笑いながら口を開いていた。
「死を恐れない人はいません。ただ、あなたは私を殺さないと思っただけです。」
”自分が彼女を殺さない?”
いや、確かに彼女は少し特殊で、少し役立ちそうだ。使える部下は何人いてもいい。育てて試練を乗り越えれば、彼女を隠字輩に入れ名を授け、隠影、隠雪とともに手元においてやればいい。だが今はそれよりも南离の血が必要だ。熱い血、それがなければ生き残れない。隠影、隠雪よりも大事なもの。だから彼女を殺す。
殺意が再び蘇る。しかし、次の瞬間、夜君陵は何かがおかしいことに気付く。
もう殺すと決めたのに、なぜ、まだ色々と考えているのだろう。いつから人を殺すのに、自分を説得しなければならなくなった?
しかも、鬼気迫るこの瞬間に南离を隠字輩に入れ、側近にしようとしているんだ。
”おかしい。この女、また妖術を使ったな。”
そう思い始めた時にはすでに遅かった。
南离の体はすでに彼の懐に入っており、その右手で彼の右袖をしっかりと握りしめていた。体をクルリと反転させ上半身が後ろ向きにお辞儀をし、代わりにかわいらしいお尻が跳ね上がると、いともたやすく夜君陵の巨体が浮かび上がる。
ドーン
長身の男は背中から地面に叩きつけられる。
南离は投げた勢いそのままに体を反転させ、下腹部に膝蹴りを喰らわせながら、同時に顔面に強烈なパンチを叩きこむ。
自由に使える時間は約3秒だと、彼女は直感的に理解していた。その時間を有効利用すべく、水の流れのように淀みなく、稲妻のようにすばやく、そして嵐のごとく激しくダメージを与えていく。
”ここでやれなければ、もうチャンスはない。”
バキバキッ
顔面に向けられた南离の拳は彼の耳をかすめ、その下にあった地面に命中する。背水の陣を決めたその拳は威力が自分に跳ね返り、指の関節があっさりと砕け散る。その痛みと地面の冷たさに、南离は顔をしかめ体を震わせる。
毒づきながらも反撃を恐れた南离は慌てて距離を取ろうとするが、その時には夜君陵の腕がしっかりと彼女の腕をつかんでいた。体重差を生かして二人の位置の上下関係を入れ替えると、空いていたもう片方の手で彼女の顎のあたりを押さえ、その繊細で細い首を露出させた。
「お前は他ではそう見かけないくらいいい度胸をしている。懲りずにまたもや妖術を使うとはな。」
「ふんっ、そういうあんたは妖怪か怪物でしょ?」
間髪入れず言い返す。抵抗しなければさらに追い込まれる。たとえ自分の命がほぼ彼の手中にあったとしても。
黒く幽暗な瞳をした夜君陵は、彼女の腕と顎を押さえたまま身をかがめ、口を開けて細首に噛みつこうとしてきた。
”怪物は怪物でもバンパイアってこと?”
まさかの行動に驚いた南离は、その歯から逃れようと必死で身をよじりもがいた。
体の下からは冷え切った地面の冷気が、そして上からは下からのそれよりも数倍冷たい冷気が伝わってくる。しかも、体重差のある相手に組み敷かれているため、肺が悲鳴をあげる。
「やめて!この痴漢!変態!」
肺に残された少ない息を振り絞りなら叫ぶ。手をバタバタと振り回しながら、お腹の上にできたわずかな隙間に片膝を滑り込ませ、急所である下腹部に押し当てる。
”まだよ。まだやれることはある。諦めちゃだめだ。”
「痴漢?変態?」
白い歯が柔らかい細首に触れる直前、夜君陵は、まるで初めて聞く言葉を聞いたかのように動きを止めた。
しかし状況は好転しない。股間に差し込んだ膝は丸太のようながっちりした太腿にはさまれ、今度は両腕を頭の上に押し付けられる。
「王爺、提案があります!」
夜君陵はその冷気のせいか歯まで氷のように冷たく、首筋に当たると悲鳴を上げそうになったが、それをこらえながら、柔らかく少しだけ悲しげな口調で話し出す。
「少しだけ聞いていただけませんか?体を温めるもっといい方法があるんです。しかも、安全で二人とも楽しめるやつです。どうです?」
動きを止めた夜君陵に言葉を続ける。
「ここには私たち二人しかいません。男女二人でできる盛り上がる方法をご存じでしょう?抱き合って、口づけをして、触りあって、、、これならあなたさまの体を温めることができます。しかも、一滴の血も流れません。興味ありませんか?」
夜君陵は自分の耳がおかしくなったのかと思った。こんなことを口にする女は見たことがない。
「お前は本当に女なのか?」
南离はわざとまばたきの回数を増やしながら答えた。
「もちろん女です。しかも、あなたさまに力では到底勝てません。押し倒すのが簡単な美女ですよ?」
夜君陵の目からすれば、汚い顔をした少女で、あまりもの寒さでその顔は青ざめ、唇の色はすっかり失われていた。なのに、なぜか妖艶さが絶えない。まばたき1回にさえ可愛さを感じていた。
しかし、口から出た言葉が釣り合っていない。
「本王はお前ほど破廉恥な女を見たことがない。」
「今の状況でそれは関係ありますか?男歓女愛、それは自然の営みです。
王爺、まずは私を触ってみてください。もしお好みに合うようでしたら、押し倒していただいて構いません。」
「恥知らずが」
夜君陵は彼女を追い払いたくなってきた。彼女の嗜好についていけず、そんな女に触れることさえ嫌になってきていた。
押さえていた腕を引き上げると、空中に浮いた彼女の体に蹴りを入れて吹き飛ばした。
吹き飛ばされた軽い身体は何回か地面を跳ねた後、急にその体が受け身をとり、彼から離れるように走り出す。その様子を見て一瞬困惑したが、自分のミスに気付くと凄まじい怒りがこみ上げてくる。
怒りは原動力となって足に伝わり、力強く蹴りだされた一歩は巨鳥のごとく飛び上がる。
こいつは実に狡賢い女である。訳のわからぬ妖術にしてやられていなければ、とっくに細首を食いちぎり、無駄口を聞く必要もなかったはずだ。
”どうやったら防げる?”
そう考え始めると、何か気付いた夜君陵は足を止めるのだった。
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