第8話 媚功第四層

全く力を発揮できない南离は悔しい思いをしていた。手元に無限がないことも影響している。あれがあれば、今頃この王爺の顔面を地面に押し付け尻の下に敷き、優越感に浸っているところだ。


この情緒不安定な王爺に振り回されて、南离は嫌気がさしていた。自分を殺そうとしたら次は助ける、助けてくれたと思ったら次は殺気が飛んでくる。そして、今は怪我をしてまでも助けてくれたのに、今度は自分を差し出すようなことを言い出した。


”取りに来いって何よ!”


「本王のそばに使えないやつは置いておけない。お前に呼吸10回分の時間を与えよう。あの男から出口を聞き出せ。うまくいったらお前はここから出られる。さもなければ、その柔らかい肉はあの男の腹に収まることになる。」


その言葉を聞いて南离は思わず唾を吐きかけてやろうかと思ったが、そんな暇はないと判断し、冷静に作戦を考え始めた。


呼吸1回はせいぜい2~3秒。10回なら30秒がいいところだ。あの男の空腹具合から見て交渉なんてまず無理だし、そもそもこれ以上口を利くのも気持ち悪かった。


「冗談でしょ?」

「本王は嘘も冗談も言わん。発した言葉がすべてと思え。」


夜君陵は、目の前の男に冷ややかな視線を送りつつも警戒しながら、剣で後ろの壁をゆっくりと数えるように叩き始めた。


「呼吸じゃわからぬ。この剣が30回鳴る前に聞き出せ。さぁ、始めよ。」


ガキン、ガキン、ガキン


南离の体がこわばった。鎮陵王はある意味自分と似ている。やるときは徹底的にやる、冷血無比、自分のために他人を犠牲にすることを厭わない。つまり、彼は冗談を言っていないのだ。


”やらなきゃ死ぬ”


目の前の気味悪い男は、今にも飛びついて彼女の首に噛みつきそうな勢いでこっちを睨んでいる。幸いなことに彼にそうすることはできないが。


”生き延びるんだ”


スッと彼女の目が明るく光り、澄んだ瞳から水蒸気のようなものがわずかに漏れ出てくる。その様は、まさに秋の朝方に湖から立ち昇る霧のように。


南离をずっと睨んでいたはずの男は、突然頭の中に霧がかかったように、彼女の美しい瞳以外何も見えなくなった。男にはただ一点しか見えておらず、そうしているだけで幸せに思えていた。


逆に南离の頭は針で刺されたかのように痛みを覚えていた。原因はわからなかったが、おそらく相手の意思か内力が強く抵抗されているのだろう。

彼女の媚功第4層は強力で、現代の一般人なら苦も無く魅了することができるが、功夫を積んだ古代の武者相手では効果は五分五分といったところだった。


このまま続けて抵抗されれば、酷い反動を受ける。


ガキン、ガキン、ガキン


壁を叩く音は依然回数を増やしている。


「小娘、何かしているのか?」

男は苦しそうに口を開く。前より声はかすれどうにか言葉にしたようだ。


夜君陵は少しだけ眉をひそめたが、壁を叩く手は止めない。残された回数はあと5回ほど。


「ねぇ。」


南离の口から明るい声が漏れる。

心地よく、親しみがあり、いたずらっぽく、まるで知り合いのわがまま娘が耳元で囁くように。


「出口はどこ?」


その魅力的で甘い声に、少しを距離を置いている夜君陵でさえ耳元が熱くなり、ドキッとさせられる。


この時、彼は南离の真後ろにおり、彼女の瞳がまるで金の蓮花のように輝いているのが見えていなかった。しかし、彼女の向こう側にいる男は、まるで何かにとらわれているかのように表情筋をすべてだらけさせたまま、ゆっくりと動き出した。


夜君陵の最後の剣戟がなろうとした時、男はゆっくりと手を上げて彼らの方向を指さした。いや、正確には二人の後ろを指さしていた。


ガチャ!


何かの仕掛けが起動する音が響くと同時に、目の前の地面から何十本の矢が飛び出し、気味の悪い男の体を貫いていく。すでに致命傷とも思える数の矢を受けていたが、男の表情はかわらず脱力しており、矢は絶命するまで続いた。


南离はその様子を見て唖然としていたが、突然腰に回った手にしっかりと抱きしめられ、その体は夜君陵に連れられ後ろに飛び上がる。


二人の体が、先ほどの矢の仕掛けと同時に開いた出口に足から滑り込み、真上からはとてつもなく重そうな石扉が下りてくる。


ドォーーーーン


あと一瞬遅ければ整った美しい鼻がぺしゃんこになるところだった。

後ろの石扉は軽い土煙をあげていてビクともする気配はなく、あの気味の悪い男とは完全に隔絶された。


土煙がおさまると、あたりの薄暗い光が閉ざされた石扉に二人の影を落とした。やっと全てのことを理解した南离は、怒りを抑えながら詰問した。


「王爺、あなたは出口が自分の後ろにあることを最初から知っていたんですよね?」

「勿論」

「では、あの30回の理由は?」

「仕掛けを解くための余興だ」

「では、扉があいた瞬間、仕掛けから矢が放たれることもあいつが死ぬことも、勿論ご存じだったんですね?」


怒りのおさまらない南离は、こめかみに筋がたちそうになるのをこらえながら、あえて笑顔で質問していた。


”つまるところ、石扉が開いたらあいつは絶対死ぬんだから、全く気にする必要はなかったのね。”


夜君陵は、先ほどの空間より10倍以上大きいのではないかと思うほど広い、今の空間を観察しながら、まるで南离の怒りは一切に気にした様子もなく答える。


「本王の力をもってすればあそこの仕掛けがどんな仕組みなのか、理解するのは容易いことだ。当然結果もだ。」


”自分は最初から最後までいいように遊ばれていたってこと?仕掛けを解く方法を知っていたのに、わざわざあいつに出口を聞くように命令したの?”


抵抗を受けながらも無理矢理媚功を使った彼女は、いまだに酷い頭痛に悩まされていた。しかも、男に媚功を使った後万が一のために解毒にも使っていたため、頭痛は増すばかりだ。


頭の痛みと怒りにこらえながらも冷静に質問する。

「もう一つ。最後の最後に私が失敗していたらどうしてました?」

「本王は優しいからな」


夜君陵は冷ややかに言い放った。

「お前を投げ出して、あの男と仲良く地獄に送ってあげてたよ」

「どこが優しいのよ!」


”自分にユーモアでもあるとか思ってるの?”


と思った矢先、腰に回された手が離され、力の入らない彼女の体は地面に座り込むようにストンと落下した。が、あまりもの地面の冷たさに反射的に体が棒立ちに戻る。


「ひやあっ」


夜君陵は目をわずかに細めて、警戒するように彼女を観察した。彼女は迷甜花に侵されており、反射的な反応はできないはずだ。


「迷甜花の毒性はお前には効き目が弱いようだな。」


彼女が毒を盛られたふりをして自分に縋ってきたのかもしれないと思うと、再び心の中に殺意が芽生えてくる。彼女が毒に侵されていなかったのなら、わざわざ助けるために自ら石扉にぶつかり、背中に怪我をする必要はなかったのだ。


このような見知らぬ土地でいらぬ怪我をするものではない。仕掛けが何かわかったからいいようなものの、下手な病気や毒にかかれば、危険な状況に陥る可能性はいくらでもあるのだ。


南离は南离で、今の今まで迷甜花の毒性が抜けていることに気が付いていなかった。現代で毒にかかった時は媚功を使って排出していたのだが、かなりの時間を要するので、あの状況では使う勇気がわかなかったのだ。


しかし、なぜか今回はいつもより短い時間で毒を排除できた。もしかして、この身体は媚功を修練するのに適した体質なのかもしれない。


この可能性に気付いた南离はひそかに喜んだ。現代にいた時、彼女は媚功を習得するのにとても苦労した。長い年月をかけても第4層までしか突破できなかったのである。


”この身体なら、、、”


心では喜んでいたが、そんな気持ちは出ないよう、南离は無邪気に驚いた表情をしながら夜君陵に答えた。


「そうですね。もしかすると、私は子供のころから働いて体を動かしてましたから、そのせいかもしれません。」


いつも冷酷で冷静であるはずの夜君陵だったが、彼女の無邪気な表情を見て心のどこかが和らぐような感覚を覚えてしまった。が、それを打ち消すように冷たく言い放った。


「警告したはずだ。本王に妖術を使うなとな。今すぐ消えろ。その忌々しい顔を二度と見せるな。」


”またこれの繰り返しか、、、”

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