第7話 彼女をよこせ

南离には、不気味で鋭い暗器の先が半分露わになった胸に刺さるのを感じていた。

人の盾にされて死ぬなんて嫌だ。だが、迷甜花の毒が全身に回った状態では為す術がない。わからなかったとはいえ、昨晩、あの花の香りを吸いすぎた。変な男の言う通り、何もできやしない。

しかも、この王爺は自分を殺そうとしたり、助けたりでさっぱりわからない。そして、やっぱり最後は殺そうとしている。


”絶対、呪ってやる!”


暗器が下着を突き破ろうとした瞬間、彼女の体が後ろに引っ張られる。死を覚悟していた彼女は理解が追い付いていなかったが、背中に感じる彼の体が一瞬硬直し、血の匂いがするのを感じ取った。


暗器が引き戻される数瞬の間に彼女は頭を回転させた。

おそらく、夜君陵はこのあたりに罠が仕掛けられていることを知っていて、後ろに下がれなかったのだ。だから、この場を凌ぐには彼女を盾にするしかないと判断したのだろう。


人間は所詮身勝手な生き物。自分の身が最優先のはずだ。ましてやこの場にいる3人は何ら関係のないただの他人である。自分が傷つくか、他人が傷つくか選べと言われれば、普通なら他人を選ぶ。


”自分ならそうする。彼も途中まではそうだったのに、なぜ急に?”


「大丈夫?」

「お前には関係ない。それよりもさっきの言葉忘れるなよ。今からお前の命は本王の物だからな。」


南离は複雑な気持ちだったが、夜君陵は冷淡に言い放った。


二人の周りに暗器が飛び交っている様子はない。ただ、急に奥の方からわずかな明かりが広がってきて、あたりの空間を一瞬照らし出した。


その光景を見た南离は息を呑む。


変な声の主と思われる男の姿が見えた。半分うつ伏せに座っているようだが、体がなぜが小さい。侏儒(小人。見識がない人を嘲る場合にも使われる)かとも思ったが、すぐにその考えを改める。なぜなら、両足がなかった。いや、正確には両足は骨しかなかった。

髭と髪は伸びっぱなしで顔から肩まで覆われており、様子を伺うことはできない。


髪の毛の中から伸びる手は痩せこけ、服もボロボロで体にようやくぶら下がっている程度。腰から下には文字通り骨だけとなった2本の足が生えていた。そして、彼の座っているまわりの土だけが、血がしみ込んだかのように赤黒く変色していた。


手には3本の骨と縄で作った縄鏢が握られている。まわりに小動物の骨がわずかばかり散乱していることから、これで食いつなぎ、二人を攻撃してきたのだろう。


そして毛に覆われた男の顔に南离はぞっとした。

表情はわからなかったが、伸びに伸びた髪からのぞく眼窩はくぼみ、その中に見える瞳は生気を失ったかのような灰褐色だったからだ。その視線は、肉に飢えた獣のそれと何ら変わりがなかった。長期の暗闇生活はここまで人を変えるものか。


ここまでの観察で南离は男の生存戦術を理解した。

何らかの理由で足が動かなくなった男は、移動がほぼできない。そこで縄鏢の刃の部分を3本の骨で作り、これをフックのような形状にして、獲物を捕らえてきたのだ。


周りの空間は広くてあちこちに穴が開いているが、どれも彼女の太ももくらいのサイズしかなく、まともな大きさのものは一瞬では見つけられなかった。


状況が整理できてくると、南离の気分はさらに重くなってきた。もし、ここに出口があるのなら、この男はここに閉じ込められていない。おそらく自分たちと同じく上から落ちてきたのだ。その際に足を怪我して身動きがとれなくなった。これならつじつまが合う。


ふと夜君陵のことを思い出し、後ろを見ようとしたが、首の角度すら変えられない。腰に回っていた手は力が抜けていたが、自分の意識が向いたことに気付いたのか、再び力がこめられる。


「クヒッ。小僧、お前はさっきの俺の攻撃を避けて後ろの毒入りの仕掛けにはまったんだろ?そんな状態で半病人の小娘を連れていけるわけがない。せっかく明かりを点けたんだ。出口を教えるてやるから、小娘を俺によこせ。」


”明るくなったのはそのせいか。”

吐き気がおさまらない南离は、精一杯の力で笑いながら言った。


「ハハッ、馬鹿じゃないの?お前が出口を知っているなら、とっくにここを出てるでしょ?人どころか鬼にすら見えない姿で、ふざけたこと言わないでよ!」


「ふん、笑わば笑え。俺は落ちた時に足が折れたんだ。まわりは仕掛けだらけで身動きできなかったんだ。出たくないんじゃない。出られなかったのさ。」


何年もの間言葉を発していなかったのだろう。ただでさえ気持ち悪いのに、喉から絞り出すような男の口調は自分を憐れむようなもので、吐き気をひどくさせた。しかも、欲望を隠し切れないのか、その合間に舌なめずりの音さえ聞こえてくる。


「ここには食べ物なんてあるはずもない。俺がここに閉じ込められてから多分4年くらいになるが、入ってきた生き物と言えばネズミ6匹、蛇3匹、ウサギ2羽だけだ。それだけだ。この足を見れば俺がどうやって生きてきたかわかるだろ?」


男が憐れみを誘うようにひどい話をしながら、縄鏢で自分の足の骨をそっと引っ搔いた。その行為はガラスをひっかくような身も毛もよだつ音を出し、南离の吐き気を限界まで追い立てた。


夜君陵は黙って、男の話に何も反応しなかった。南离にぴったりと張り付いている彼の体の反応からは、怪我は芳しくないと感じた。


「小僧、小娘を俺に投げてくれればここから出られる。それとも、お前も俺と同じようにここに閉じ込められるのを選ぶのか?簡単な答えだ。小娘をこっちに!」


男はそう言い終わると何かを口にいれたようだ。ブチブチと気味の悪い音が聞こえ、南离の吐き気は限界に達した。


「本王は君ほど馬鹿なやつは見たことがない」


男と南离は夜君陵が何を言っているのか一瞬理解できなかった。それを察したのか、夜君陵は続けて、

「気持ち悪いなら見なければいい。見たくもないものを見るからひどくなるのだ。それとも、お前は気持ち悪いのが好きなのか?」


南离はやっと夜君陵が自分を嘲笑っていることに気が付いた。同時に怒りがこみ上げてくる。


”気持ち悪いのが好きだと?自分がドMかなんかだと思ってるの?”


こんなところで、やばいやつから目を離したら何が起きるか分かったものじゃない。


二人のやり取りに、無視されたと気づいた男が怒声を上げる。


「さっさと小娘をこっちによこせ!」


夜君陵は、わざとゆっくりな口調で答えた。


「欲しいなら、自分で取りに来い!」

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