3-7 逃走
少女の浮かべる笑みが、先程まで浮かべていた無邪気なものとは違って見える。哲也は寒気を覚えた。
いや、相手はただの女だ。怖がった自分を否定しようと頭を振っていると、少女が口を開いた。
「嬉しいなあ。こんなでも、遊んでくれるのね?」
そういった途端、少女の首がぐるりと回ってねじれた。美しい顔が上下逆さまになり、笑みを浮かべたまま哲也たちを見つめている。
先ほど見たのと同じ黒い瞳が、飲み込まれそうな深い闇に見えた。桃色の柔らかそうな唇が裂け、人間ではありえないほど大きく広がる。
ボコボコと体が盛り上がって腕が伸び、裂けた。それから体も伸びて盛り上がり、動物のように四つん這いになる。
昆虫のような体に美しい少女の体が逆さについている。体が膨れるにつれて裂けたセーラー服が、元々は人の形をしていたと主張するように引っかかっていた。
「ば、化物!」
忠が叫び、走り出す気配がした。その行動で正気に戻る。持っていた自撮り棒やコンビニ袋が床に落ちる音がしたが、そんなの構ってられない。今はあの意味不明なものから少しでも早く、遠くに逃げることが先だった。
「何だあれ、何だあれ、何だよアレ!!」
「しらねぇよ! 繰り返すな!」
焦った声で同じ言葉を繰り返す正樹に怒鳴り返す。そんなの哲也だって知りたかった。
走りながら振り返れば、化物が複数の手だか、足だかを振り回して追いかけてくるのが見える。ひび割れた声で「何デ逃ゲルノ? 遊ビマショウ?」といい、甲高い声で笑う。目があったと思った瞬間、哲也はがむしゃらに体を動かしていた。
先に逃げ出した忠が向かっているのは玄関だ。恐怖で動いても、冷静な判断力は残っていたらしい。真っ先にドアにたどり着いた忠は、ドアノブを捻ってガチャガチャやっている。
「何してんだ! 早くしろ!」
「うるせぇ! あかねえんだよ!」
「んなわけねえだろ! さっきは普通にあいたじゃねえか!!」
古くて立て付けが悪くなっていたが、ドアとしての役目は果たしていた。それがこんな状況で壊れるなんてあり得ない。ガチャガチャと乱暴にドアノブを動かす忠をせかす。その間にもズッズッという沢山の足をするような音が近づいてくる。
「なんでだよ! びくともしねぇ! 外から強い力で押さえ付けられてるみたいだ!」
「なんだよそれ!? 俺たち閉じ込められたのか!?」
不思議な力で出られなくなるというのはホラー映画でよくある話だが、あれはあくまで作り話。そう思っていた。
ビビる登場人物をだせぇと笑っていたが、当時者になるとひどく焦る。こうしている間にも床を擦る音は近づいてきている。
「三人がかりでぶつかれば壊れるんじゃねえか!?」
「それだ! せぇーので!」
「ドォスルノォ?」
聞きなじみのない、ひび割れた声が響く。妙に間延びし、やけに楽しそうな声に、哲也は気づけば振り返っていた。
気づけば床を擦る音は止まっていて、廊下へ続く曲がり角から女の首が覗いていた。逆さになったために、長い黒髪が床に垂れ下がり床を擦る。避けた口から白い歯と赤い舌がのぞき、見開かれた黒い瞳はハッキリと三人の姿を写していた。
「オ兄サンタチ、鬼ゴッコガシタイノネ」
裂けた口が弧を描く。それを最後まで見る前に哲也は走り出していた。
「おい! おいてくなよ!!」
「うるせぇ!! さっき真っ先に置いてったのはお前だろうが!!」
怒鳴りあいながらただ走る。幸い、化物の動きはそれほど速くないらしい。手足が多い分、動かすのに時間がかかるのかもしれない。
階段をかけあがる。どこか隠れられそうな場所がないかと探す。一度まいてから逃げられそうな場所を探して逃げるしかない。危機的状況で妙にさえた頭が告げる。自分さえ逃げられればそれでいい。正樹と忠がどうなろうが、逃げられればそれでいいのだ。
後を着いてくる二人の足音に舌打ちする。騒げば化物に居場所がバレる。だからといって怒鳴っても居場所がバレる。今度見つかったら、どっちかを囮にして逃げようと算段をたて、部屋の一つに転がり込んだ。
廃墟になる前は病室だったらしいそこにはベッドやカーテン、入院患者が使っていただろう床頭台が残っていた。一番奥、カーテンが引かれたままになっているスペースに逃げ込んで、三人で縮こまる。
「おい、これからどうすんだよ」
「黙れ。しゃべるな」
焦った様子で話す忠を睨み付けた。忠もこの状況で化物に見つかるのがヤバいのは分かるらしく、青い顔で頷く。正樹は先ほどから小さな声で「これは夢、これは夢」と呟いていて鬱陶しい。
なんで俺がこんな目にと哲也は唇を噛みしめる。どうにか逃げなければと病院の構造を頭に思い浮かべる。幸い、何度も通って動画を撮っていたから構造や部屋の配置は覚えている。化物をまいて一階に戻れば、窓から脱出も出来るだろう。二階であったら最悪飛び降りてもなんとかなるかもしれない。
そのためにも一度化物を巻かなければいけないが、奴は今どこにいるのだろうか。まだ一階なのか、二階に上ってきたのか。音がしないので全く分からない。それとも近くに来ているのに、自分の心臓の音がうるさくて聞こえないだけだろうか。
恐怖で思考が鈍る。ダメだ、冷静になれと自分を落ち着かせようとしていると、かすかな音がした。引き出しを開くような小さな音だ。
哲也は音のした方向を見る。そこにあったのは埃を被った床頭台。その引き出しの一つが開いている。
といっても、こういうちょっとした怪奇現象は今まで何度も見てきた。カメラに収めたからといって、特になんてことはない。哲也に幽霊は見えないし触れない。勝手に物が落ちようが、それだけだ。だから今まで対して気にせず、怪奇現象を動画に収めてこられたのだ。
だというのに今は気になって仕方がなかった。意味の分からない化物を見た後だからか、また何か出てくるのではないかという恐怖が消えない。
引き出しを凝視して固まっている哲也に気づき、正樹と忠も引き出しの方を見る。三人の視線がそろったのを感じ取ったかのように、引き出しはゆっくりと動き出す。固唾を飲んで見守る三人の目には引き出しから、人間の白い手が飛び出したのが見えた。
恐怖のあまり声が出ない。逃げたいが、今慌てて外に出て、化物に見つかったらどうしようという恐怖が足をすくませる。
そうこうしている間に引き出しは限界まで引き出され、ずるりと人間の上半身が這い出してくる。そんなところに人の体が収まるはずがない。それなのに、当たり前のように腕、肩、頭が順番に哲也の目の前に現れる。
這い出た人間と目があった。金髪碧眼の見目が整った男だ。その男は哲也と目があうと、楽しそうに微笑んだ。
限界だった。
「誰か助けてくれ!!」
我先にと哲也たちは逃げ出した。冷静な判断力なんてもう残されていない。どこからともなく響いた男の笑い声が、死に神の声に聞こえた。
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