3-3 期待
立て付けが悪く、ギィギィという不気味な音を立てるドアを開け、久留島たちは中へと入った。中は外以上にナニかが出そうな雰囲気なうえ、窓が少ないために薄暗く、物が散乱していた。なぜか缶ビールなど、最近誰かがきたであろう痕跡も多く、壁には落書きがされている。
「よくこんなところに来て、落書きできますね」
室内に入ったとたん、温度が下がった気がして久留島は二の腕を撫でた。
久留島の後ろに張り付いてビクビクしていたイルは再び目を輝かせている。風太も興味深げにキョロキョロと周囲を見回しているが、恐怖を感じている様子はない。
双月と緒方はいつの間にか取り出したスマホで写真を取っていた。報告書や会議で使うのだと聞いた気がする。自分も撮った方がいいのかと考えたが、どこをどう撮ればいいのかがわからない。
詳しいことは後で聞こうと思い、とりあえず周囲を見回すと、廊下の奥にクティが立っていた。久留島と目があうなり、無言で階段を登っていく。
ついて来いということらしい。
「緒方さん、双月さん! クティさんが上に」
「ほんっと説明しねぇな!」
クティが消えた方向を指差すと、双月は苛立ち混じりに怒鳴り、不機嫌を体現する大股で階段へと向かっていく。緒方は相変わらず呆れの滲んだ苦笑を浮かべており、はしゃいでいたイルと風太はクティの存在を思い出してまた小さくなった。
「なんで俺たち、ここに呼び出されてんでしょう」
割れた窓ガラスが足下に散乱している。それらに気をつけながら進みつつ、久留島は疑問を口にした。隣を歩いていた緒方が考える様子を見せる。
「ここはクティって言うより、マーゴの餌場に見える。クティの餌場は繁華街とか、人が多いところだからな」
「マーゴっていうのは?」
「クティの弟子みたいな外レ者だ。捕食対象は幽霊」
幽霊とつぶやきながら久留島は周囲を見渡した。カーテンは裂けてボロボロになっているし、タイルはところどころ剥がれたり、壁に穴が空いたりしている。
病院だった頃の面影を残しつつも、もう誰も必要としていないことを感じさせる朽ち果てた光景は、見る人に哀愁や恐怖を感じさせる。久留島には幽霊なんて見えないが、いるんだろうなと漠然と思った。
幽霊を食べる外レ者の餌場として、これほど適した場所はないだろう。
「ここの土地と建物、名義がクティなんだよな」
「えぇ!?」
双月からもたらされた衝撃の事実に久留島は大声を上げた。双月が顔だけでうるさいと主張してきたから一旦落ち着く。それでも疑問を口に出さずにはいられなかった。
「外レ者ってもっとアングラなイメージだったんですけど、土地持ってたりするんですか? お金は? どうやって契約したんですか?」
矢継ぎ早に出る質問に双月の眉間にシワが寄る。双月ではなく、緒方が苦笑いしながら答えてくれた。
「長く生きてる奴らは、人間社会に溶け込む方法をよくわかってる。お金の稼ぎ方も知ってれば、身分証偽造のツテなんかもある」
「不法侵入繰り返すより、買った方が面倒事が少ないって判断だろうな。訳あり廃墟を手放せるなら、相手が多少怪しくても売るだろうし」
緒方の説明に双月が顔をしかめたまま補足した。
「人間じゃないのに面倒事とか考えるんですね」
「そりゃそうだ。神や妖怪が大手を振って歩ける時代は終わったんだ。四十くらいしか生きてない俺でも分かるんだから、千年くらい生きてるクティなら痛感してるだろうよ」
千という途方もない数字に久留島は息を呑む。千年前って何時代だっけとバカなことを考える久留島だったが、背後のイルと風太は妙に静かだった。
振り返ると二人とも神妙な顔をしている。
「……あんなに強い外レ者でも、俺達の時代は終わったって思ってるんですか……」
ショックを受けたようなイルの呟きに双月は眉を寄せた。緒方も困った顔でイルと黙り込んでいる風太を見つめている。
そんな二人の様子から、外レ者が生き残るための条件を思い出す。彼らは誰かに認識してもらえないと生きていけない。幽霊や神、妖怪といった存在を誰も信じなくなったら、彼らは消えてしまうのだ。
「……昔に比べて人間が俺達の存在を嘘、幻覚だと思ってるのは事実。特視の記録を見ても、外レ者の数は減ってる」
久留島よりも風太たちの気持はよく分かるだろうに、双月の返答は無情だった。
双月の言葉にイルは肩を落とし、風太の顔は強張っている。いつもはギャンギャンうるさいやつなのに、黙り込んでいるから何を考えているのか分からない。それが不安で久留島はなんとかしなきゃと思った。
「いや、でも、クティさんとかすごい人は残ってるわけですし!」
「お前、こいつらが大人しくするよう監視する立場だって自覚あるか?」
重苦しい空気に耐えかねての発言は、双月にド正論で返された。双月のいうことは最もだが、もう少し優しくてもいいんじゃないかと恨めしげに双月を見つめる。双月はなにか言いたげに眉を吊り上げたが、何も言わなかった。
「特視の立場から言えば、人がどうにも出来ない存在はいなくなるべきだな」
緒方があっさりと酷いことをいう。非難を込めて緒方を睨みつけたが、目があった緒方は柔らかい笑みを浮かべていた。予想していたのと全然違う表情に、久留島は驚いて言葉を飲み込む。
「仕事としてはそうだが、俺個人としては双月も風太も、せっかく話せるようになったイルがいなくなるのも寂しいよ。俺一人の認識じゃ、お前たちが生き続けるだけの糧には全く足りないんだろうがな」
そういって緒方は肩をすくめた。
「だが、俺みたいな奴が今までたくさんいたから、信仰ができ、記録が残り、お前らは今日まで生き続けてきた。きっとこの先も、姿形が変わったとしても生き続けるだろう」
「お、緒方さん!!」
感極まった様子でイルが叫んで緒方に抱きついた。緒方は驚いた顔をしたが、口元に笑みを浮かべてイルを撫でている。風太が同じように抱きつきたいような雰囲気を見せたが、眉をつり上げて耐えている。体できたてのイルと違って四十年生きているという矜持があったのかもしれない。見た目は小学生なのだから甘えても良いだろうにと久留島は思ったが、化け狸としてのプライドがあるのだろう。
「お前はまた、変なのに懐かれて……」
「変なのとは失礼な!? 僕はちゃんと見てましたからね! 双月さんも緒方さんにに懐いたが……」
最後まで言う前にイルの口は双月の手で塞がれた。両頬を片手で掴み、「何かいったか?」とすごむ姿は見ているだけでも迫力がある。イルが青い顔で首を左右に振る姿を眺めて、緒方は苦笑いを浮かべていた。
「茶番はそれくらいにして、そろそろ登って来いよ」
呆れた声が聞こえ、声のした方を見れば階段からクティが顔を出していた。一度登ったが、久留島たちがなかなか来ないために戻ってきたようだ。
「お前が置いていくのが悪い」
「マーゴが上でピーピー泣いてんだよ。ほっといたら可哀想だろうが」
「マーゴが?」
緒方と双月がそろって驚いた顔をする。だが、すぐに双月の眉間には深い皺が寄せられた。
「最初から事情を説明してくれれば、すぐに向かった」
「そうしたらお前らの雑談タイムがなくなるだろ。なあ、緒方雄介」
クティは意味ありげな視線を緒方に向ける。
「お前は俺やマーゴが死んでも寂しいよな? 死なないで欲しいよな?」
「おい! 言質とろうとするな!」
「いいだろ。お前はいつも名前呼んでもらえるんだから、たまには俺たちにおこぼれくれたって。男の嫉妬は醜いぞぉ?」
クティはそういってケラケラ笑うと顔を引っ込めた。今度こそ階段を登っていってしまったらしい。
やり取りの意味が分からずに緒方を見つめると、緒方はため息をついた。
「
「……俺を見たときに、この展開も見えてたからあえて先に行ったってことですか?」
「そういうことだ」
ほんっと厄介な能力だよなと呟く緒方に久留島は同意した。手のひらの上で転がされている感じがすごい。
「クティの能力も万能ではないからな。分岐はどんどん変わる。今回みたいにすぐだったらともかく、数日後、数年後となればズレが大きくなるみたいだ。代わりに過去に関してはすでに確定しているから、久留島の過去は全部知られてると思って良いぞ」
「ひぃ!」
思わず悲鳴を上げて久留島は自分の体を抱きしめた。知られて困る過去はないが、赤の他人、しかも人間じゃない存在に知られているという状況は落ち着かない。秘密はないが恥ずかしい記憶なら色々ある。あれもそれも知られたのかと一人で慌てていると、特視に来た日、電車でみた夢の光景を思い出した。
「もしかして、クティさんに聞けば初恋の人のことも分かる……?」
「初恋?」
「えっ、何それ面白そう。意外と久留島くん肉食系だった?」
思わず口から漏れた呟きに双月が怪訝な顔をし、イルが楽しそうに目を輝かせる。野次馬根性むき出しのイルから視線をそらし、久留島はクティが登っていった階段の方を見つめた。
「小さい頃の記憶すぎてハッキリ覚えてないんですよね。ものすごぉーく綺麗な女の人だったことは覚えてるんですけど」
「イルの外見といい、お前面食いだよな……」
双月の呆れた視線を感じたが、それよりも久留島は初恋の人のぼやけた輪郭をたどる方が重要だった。すごく綺麗で優しくて、大好きだった記憶はあるのに、顔も声も、何を話したのかもぼんやりとしか思い出せない。そのくせ完全に忘れることは出来なかった初恋の女性。クティに頼めば手がかりの一つぐらい見つかるかもしれない。
「……一応言っておくが、クティに頼むのはオススメしないぞ」
「有り金むしり取られた上に体も魂も持ってかれるぞ」
「こっわっ!!」
双月と緒方の真顔に久留島は思わず悲鳴を上げた。イルと風太も「やめとけ」といつになく真面目な顔と声でいう。
四人の言うとおりだと分かっているのに、久留島は浮かんだ期待を完全に消し去ることが出来なかった。
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