2-10 神の血
「タガン様とはどういう神様なのですか?」
「豊穣の神様よ。タガン様のお陰で私達は飢えることがなかったの。どんな悪天候に見舞われても、タガン様のお力で乗り越えることが出来たのよ」
久留島から聞いていた話と同じ。隣で話を聞いている女性は、また始まったとばかりに眉を寄せているが、老婆は聞いてもらえるのが嬉しいとばかりに話し出す。
「タガン様は元々村娘だったのよ」
「そうなんですか!?」
初めて聞く情報に大鷲とセンジュカは目を見開いた。食いつきの良い反応に老婆は嬉しそうな顔をする。
「そうなの。とても気立ての良いお嬢さんで、ある日、山菜を取りに行って行方不明になったの。村人全員で探したけれど見つからなくて、動物に襲われたか、崖から足をすべらせたか。生きていないだろうと思われていたのよ」
老婆はそこで言葉を区切ると鳥居の方を見つめた。
「村娘が姿を消してから一週間ほど立ってから、村娘が帰ってきたの。ちょうどそこ、鳥居の場所に立っていたそうよ。みんな死んだものと思っていたから驚いて、家族はとても喜んだの」
大鷲は納得した。鳥居はちょうど村と山の境に建てられている。
昔、山は神の領域だった。山の恵みで人は生き、土砂崩れや野生動物といった山の脅威で命を落とした。だから人は山を畏怖し、崇め、山神と呼ばれる外レ者が生まれた。
タガンは死んだ村娘を発見し、体を得ることで神として祭られたのだろう。
「それからその娘はどうなったのですか?」
「帰ってきた娘は不思議な力に目覚めていたの。天候をよんだり、動物の行動を予測したり、田畑の恵みを増やしたり。奇跡のような力で私達を導いてくださったの」
老婆はすごいことのように語るが横で聞いている女性の反応は微妙だ。それがどうしたという反応である。
天気予報が当たり前に存在し、田畑を耕す道具も進化した。現代では畑仕事をしたことがない人間の方が多い。田畑の収穫が悪ければ冬を越せない時代など今は昔、タガンの力は現代人には無用である。だからこそ信仰が薄れたのだろう。
老婆は偉大な力のように認識しているが、理屈は単純。元々タガンは山に住んでいた存在。人ではない故に人よりも空気の流れに敏感で、山で育った故に動植物の生態をよく知っていた。その知識を村人に教えたに過ぎない。
理由がわかればなんとも簡単な話だが、タガンが生まれた当時は、今では当たり前のことも当たり前ではなかった。人は未知に恐怖し、未知を理由のある事柄にしようと理由を作り上げた。
それが神や妖怪などと言われる存在だ。
大鷲はセンジュカの様子をうかがった。センジュカは表面上はニコニコ笑っているが、内心つまらないと思っているのが付き合いの長い大鷲には分かった。大鷲からしても老婆の話はよくある話という印象しかなかった。
だからこそ疑問でもあった。
「タガン様という名前はどこから来ているのですか?」
タガンの能力は洗脳と擬態だろうと特視は推測している。名前の由来も「多い顔」ではないかと双月たちは考えていたが、今の話に顔にまつわるエピソードがない。
大鷲からの質問に老婆は嬉しそうに笑った。話を聞いてもらえるのが本当に嬉しいらしい。対照的に女性はうんざりした顔をしている。まだ話が続くのかという反応を見ながら大鷲は内心苦笑した。
「タガン様は多い顔と書く説が有力だけど、他の顔、多い願と書く説もあるとか」
「多い願いですか」
顔がまつわるのは予想通りだが「願い」も含まれているとは予想外だった。センジュカがいつの間にか取り出したメモ帳にペンを走らせている。
「どうしてそう呼ばれるようになったのですか?」
「タガン様は自由に顔を変えることが出来たの。亡くなった人の顔や姿に変わることも出来たらしいわ」
そういうと老婆は目を伏せた。
「もう会えない人の姿や顔、それだけでも見たいと願う人は多いわ」
「だから願いですか……」
元々はなくなった村娘の姿と体を得て、成った外レ者だ。その時点で他の人の姿を真似る能力は得ていたのだろう。
「きみが悪くはなかったのですか? 姿が変わる存在など」
センジュカが問いかける。黙って話を聞いていた女性もセンジュカに同意するように頷いた。故人の姿を真似る偽物など、化物と罵られてもおかしくない。
「タガン様が姿を変えるのは私たちのためだと知っているから。それにタガン様は失う悲しさをよく知っていらっしゃる。タガン様が最初に顔を変えたのは、亡くなった旦那様の顔だったと聞いているわ」
「結婚していたんですか!?」
「えぇ。お子さんもいらっしゃって。それなのに旦那さんが早くになくなってしまったから、お子さんを育てるために一人で二役を演じていたそうよ」
大鷲とセンジュカは顔を見合わせた。話がどんどんまずい方向に転がっていく。
「旦那って神様でしょ? 神様なのに死んじゃったの?」
「いえいえ、旦那様は人間よ。昔この村に住んでいた普通の人」
「えっ!? 人と神様が結婚したの」
興味を引かれたのか、今度は女性が老婆に話しかけた。こちらとしても聞きたい話だったので大歓迎だが、増える情報に大鷲は苦虫を噛み殺す。
「元は村娘、タガン様は現人神という認識なのですね」
「さすがお詳しいですね」
老婆は楽しそうに笑っているが、大鷲は全く笑えない。
「現人神って?」
「人でありながら神として讃えられ、祭られた存在のことを示します」
女性の疑問にセンジュカが答えた。そのセンジュカの表情も苦い。
外レ者は基本的には子孫を残せない。子孫を残すための条件が生物と違って複雑だからだ。だが、現人神であれば話は違う。神と讃えられようと元は人。実際のところがどうであれ、多くの人間がそう認識しているのであれば認識によって成り立った神は人と変わらず、子をなせる。
「タガン様とそのお子さんを村は総出で育てました。タガン様にはお世話になっていましたし、旦那様もとても良い方だったので。最愛の人を早くに亡くし、お子さんに寂しい思いをさせないようにと、旦那が生きているフリをし続けるタガン様の健気な姿に、村人は心をうたれたそうです」
女性が老婆の言葉に興味を持っているのがわかった。よくわからない神の話から早くに旦那を亡くしつつも健気に思う、強い母の話に変わった。神の話よりもよほど若い女性の共感を得られたようだ。
信仰が新たに生まれる感覚を得て、大鷲はまずいと思う。たった一人。神という立場を護るためにはあまりにも頼りない数だが、妙にざわつく。何か重要なことを見落としているような感覚がする。
「そのお子さんはどうなったのですか?」
センジュカの問いに大鷲はハッとした。タガンの子は神と人の子だ。子供がどちらの性質によるかは周囲の認識による。神の子として周囲が讃えれば神となり、人間だと思えば人となる。
「タガン様と村人の尽力により、立派な大人になり、素敵な奥さんをもらって、沢山のお子さんに恵まれたそうです」
「なんか、素敵な話だね」
女性は最初に比べると友好的に話を聞いていた。孫であろう女性の反応が良いことに老婆は喜んでいたが、大鷲はまるで笑えない。
「つまり……、この村の人間には神の血が流れていると」
「はい。私たちの誇りです」
老婆はハッキリとそう告げた。自分たちが神の子孫であるとこの村の人間は認識して、現代まで生きている。詳細を知っている人間が減っても、ここまで血が残っているのであれば特殊な血筋として成立する。
「これだから、田舎の信仰は嫌なのですわ」
小声でセンジュカが舌打ちした。今回ばかりはたしなめる気になれなかった。
「あっ、すみません。そろそろ帰らないと、お母さんが心配します」
はしゃいでいた女性がハッとした顔をした。気づけばずいぶん長い間立ち話をしていたように思う。まだ話を聞きたい気持ちはあったが、あまり長く拘束すると不審がられ、今後の調査に影響が出る。田舎では悪い噂は一瞬で回ると知っている大鷲は、名残惜しいが諦めることにした。
「お引き留めして申し訳ありません。大変貴重なお話、ありがとうございます」
「いえいえ。私も久しぶりにタガン様の話が出来て嬉しかったわ」
老婆は嬉しそうにそう微笑むと女性に手を引かれながら階段を降りていく。老婆の手を引く女性は手慣れている。よくここにお参りに来るのだろうとうかがえた。
二人が立ち去るのを見送ってから、大鷲は髪をぐちゃぐちゃとかきまわした。
「思ったよりも厄介なことになっておる! 通りで、土地神が土地を離れても能力が使えたはずじゃ!」
信仰が薄れているのにもかかわらず、何人もの人間に擬態できた時点でおかしいと思うべきだった。
信仰が薄れても己の血を引く人間が完全に途絶えない限り、タガンという神は存在出来る。それが分かっているからタガンは土地を離れ、久留島について来たのだ。このまま小さな村にとどまっていては、いつか本当に消えてしまう。その前に生存の可能性を探しに来たのだろう。
「田舎の神だと侮っていましたが、なかなか頭が回る様子」
「わしらも上手いこと利用されている気がするのぉ……」
認識で生存する外レ者は、認識するものが増えれば増えるほど力を増す。今回、久留島が特視所属になったことで特視はタガンを認識した。今回村を調査し、神の血を引く人間がいると分かった以上、今後も同行を見守るほかない。
「神の血を引いているとなれば、生まれながらにして外レ者に近いということ。切っ掛けがあれば簡単に外レます」
「羽澤家より素質は高くないじゃろうが、様子見てないと怖いのは一緒じゃな」
人間でありながら、外レ者に近い一族を思い浮かべて大鷲は深い息を吐き出した。あんな一族が増えたら特視の人間が過労死するのは目に見える。
「神の血を引く人間が、居ると認識し、姿を想像した。数十人の価値はあるじゃろうな……」
「数百じゃないといいですけど」
大鷲の呟きにセンジュカが笑えないことを言う。今のところ久留島の存在、体質は知られていないが、知られたらトラブルの種になるのは目に見える。不安定な外レ者にとって、自分を肯定してくれる存在は何よりも貴重なのだ。
「ホイホイ、名付けやら認識やらしないように注意せんといかんの……」
「言ったら余計意識しちゃいそうですけどね。話を聞く限り、普通の人間だと思って生きてきたのでしょう」
先ほど会った女性と老婆も、神の血を引く人間だとは言っていたが、本気では思っていないに違いない。そういう伝承がある土地の生まれくらいの認識で、本当に人ならざる者からみて価値のある血筋だとは想像もしていないだろう。
「タガンの目的が見えてきた気がするの……」
大鷲はそう言いながら息を吐き出す。センジュカの説明しろという視線が突き刺さった。
「一つは自分が死なないためじゃ。この村にとどまっても死に絶えると気づいたから、久留島くんについて来たんじゃろ」
「もう一つは?」
「わしらに保護してもらうためじゃろうな」
センジュカの麗しいと言える顔が不快に歪んだ。
「こんな事実分かって、わしらは無視できんじゃろ。出来れば血筋が絶えるまで見守りたいところじゃが、タガンはそれを良しとしない。となればタガンとは強力関係を築かなければならん」
認識するだけで外レ者を強くできる血筋を放置は出来ない。となれば全員の居場所を把握しなければいけない。久留島のように地元を離れている人間も全員。そのためにはタガンの強力が必須だ。土地神であり母であるタガンであれば、我が子がどこにいるか分かるはずだ。
「腹が立ちますわ。久留島零寿の採用から、すでに仕組まれていたとしか思えません」
「どういうことじゃ?」
忌々しげに舌打ちするセンジュカに問いかける。センジュカは実に不本意で不快で仕方ないという顔をしながら、低い声で答えた。
「公務員採用試験に、偶然、土地神の加護がある人間を見分けられる人がいるなんて確率、どれほどですか?」
「……なるほどのぉ……」
タガンの能力は擬態と洗脳。採用側に紛れ込んでいたか、採用側を洗脳したか。どちらにせよ、久留島が特視に配属されたことも仕込みだったというわけだ。
「神って名をもつものは、本当厄介じゃな」
「厄介じゃなきゃ、神にまで登りつめられませんわ」
「それもそうじゃの……」
だからこそ面倒なのだと大鷲は深く、長いため息をついた。
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