2-9 山奥の村
久留島の故郷は新幹線、電車、それからバスを乗り継いでやっとたどり着ける、山奥の小さな村だった。高齢化が進んだ結果人口が減り、あと何十年かしたら自然と消えてなくなるような寂れた村。
そんな場所に調査に訪れた大鷲の表情は暗く、センジュカはあからさまに面倒くさいという顔で美しい顔をゆがめていた。
現在、潜入調査中の学校に休暇申請を入れてやってきた大鷲の格好は、ウィンドブレーカーにトレッキングパンツという動きやすいもの。その隣のセンジュカも白く長い髪をポニーテールに結い上げ、大鷲と同じ動きやすさ重視の格好をしている。
おそろいは嫌だとセンジュカはデザインを変えているが、機能性を重視すれば格好が似てしまうのは致し方ない。現在の大鷲とセンジュカの関係は、大学で民俗学を研究している教授とその生徒もいうことになっている。大鷲が長期潜入調査にて着ている養護教諭の白衣、センジュカが愛用しているコルセットにロングスカート、ロングブーツという格好は田舎で浮いてしまうという理由での格好と設定だ。
調査のために仕方ないのだが、こだわりが強いセンジュカの表情は不満そうだった。
「ほんっと、人里離れた田舎って嫌ですわ。不便だし、美しくないし、虫も獣も多いし、変な信仰作り上げて、よくわからない怪異やら神やら作り上げてしまうのですから」
心底嫌だという顔をしながら、センジュカはそう呟いて肩にかかった長い髪を振り払った。大鷲は苦笑を浮かべながらセンジュカの文句を聞き流す。いつものことだからだ。
二人はバス停から、タガンを祀っているであろう神社に向かって歩いていた。ネットにすら乗っていないようなマイナー土地神だが、航空写真が見られるサイトで探したところ、鳥居がしっかり写っていた。
印刷してきた写真と眼の前の風景を比べながら、神社がどこか推測を立てつつ歩みを進める。
「実際、タガンは変な信仰の元じゃろうしなあ……。それに、久留島くんの体質についてもちょっと気になるしの」
写真を見ながら大鷲はつぶやいた。
村に着く少し前、双月から緊急連絡が届いたのだ。ちょうどバスで移動中だった大鷲とセンジュカは、送られてきたメールの内容に壮大に顔をしかめることとなった。
「意識だけだった成りかけが一日で体を得るなんて、あり得ませんわ」
センジュカが言うことはもっともだ。双月が聞き取り調査をした外レ者は「イル」と名付けられた。
本来、外レ者に名前をつけることは御法度とされる。
イルが久留島に認識されたことで体を得たように、外レ者は誰かに認識されなければ空気と同じ。外レ者に意識があったとしても、周囲に見えず、聞こえなければ存在しないものとして扱われる。
だからこそ名付けは存在の証明になり、不安定な外レ者を安定させてしまうのだ。鬼、神、悪魔。そういった人に畏怖される名前をつけられたことで、外レ者が力を増した事例はいくつも存在する。それにより外レ者に名をつけてはいけないという決まりが出来たのだが、双月は今回をそれを逆手にとったらしい。
「そこに居るだけの存在と名付けることで、能力を固定化させるとは、雄介の金魚の糞にしては考えましたわね」
「双月くんに当たりがキツイの、そろそろなんとかならんのか」
親戚じゃろと口からでかかって、飲み込んだ。親戚だからこそお互いに受け入れられないのだと大鷲は知っている。センジュカと双月が生まれた一族はいろんなものが捻れて、こんがらがっている。その影響を受け、しまいには人間から外レてしまった二人は、お互いに向けけて形容しがたい複雑な感情を抱いているのだと見ていれば分かる。
「無理ですわ。何年たっても躾のなってない、クソガキなんですもの。双子の兄っていうのも不快ですわ」
「双子って言っても、双月くんは完全な巻き込まれじゃろ」
大鷲の言葉にセンジュカは眉を吊り上げた。八つ当たりであることは本人も自覚があるらしい。自覚があったとしても許せないのだと言われてしまえば、外レた経緯を知っている大鷲にはこれ以上何も言えない。
「しかし、山に囲まれた場所じゃの」
空気を変えるべく、大鷲は周囲を見渡した。山を切り開いて作られたといえる地形は、右を見ても左を見ても山ばかり。何百年か前であれば普通であった光景に、大鷲は懐かしさを覚える。
「これだけ山ばかりとなると、タガンは山に関連するものでしょうか」
「そうじゃのう。山に住んでおったナニかという可能性が高いの」
久留島によれば豊穣の神。タガンのお陰で村人は飢えることなく、平和な生活を続けられたのだと聞いた。
神社があると思われる方向へ歩いていくと、山の傾斜に合わせて作られた田畑が見える。見事な作りに大鷲は感嘆の声を上げた。かつて人であった大鷲は田畑を一から作る大変さをよく知っている。
しかし人の減少に伴い、農作業を行う人間も減っているのか、何も植えられていない区間がちはほら見える。バス停からここまで人の姿も見つからず、この村が歴史を終えようとしていることをヒシヒシと感じさせられた。
大鷲とセンジュカは黙々と歩き続けた。資料用にと時折村の様子をスマホで撮る。そうこうしているうちに、木々の隙間から真っ赤な鳥居が見えた。山奥の小さな村にしては大きな鳥居に、タガンがいかに村人に慕われているのかが分かった。
だが、近づくにつれてその鳥居がずいぶん古びていることに気がついた。赤い塗料ははげ、一部は木肌が露出していた。周囲は草木が鬱蒼と茂り、ツタの一部は鳥居に絡みついている。
神社に続くであろう石段も割れ、欠け、雑草が隙間から生えており、綺麗とは言いがたい。
「神の気配がしませんね」
「久留島くんについて来ているにしても……」
センジュカのつぶやきに大鷲は顔をしかめた。村の歴史が終わるよりも前に、タガンの歴史は終わろうとしていたのだろう。土地神が土地を離れて久留島についてきた理由がわかった。すでにこの村はタガンという神を忘れているのだ。
老朽化により、一部がグラグラする石段を大鷲とセンジュカは慎重に登る。登り終えた先にある神社も予想通り寂れており、すでに神主も居ないのか、雑草が目立つ。
誰もいないと思われた空間に人影があった。こんな寂れたところでも人が来るのだなと感心していると、人影の方もこちらに気づいたようで振り返る。
二十代前半くらいの女性と老婆。老婆は随分シワが多く、腰が曲がっているが、どことなく女性と似た雰囲気がある。血縁者なのだろう。
女性も老婆も突然の来訪者に驚いたような反応を見せたが、女性の表情はすぐさま険しいものへと変わる。
「……この村の人じゃないですよね」
警戒しきった様子で女性が固い声を出した。大鷲とセンジュカを順番に見て、それから大鷲へと視線が戻る。黙っていれば儚げな美女より、褐色の長身男性の方が怪しいのはよく分かる。
大鷲は困った顔で頭をかいた。
「怪しいものじゃないんです。大学で民俗学を教えておりまして。隣りにいるのはうちの生徒です」
「ってことは、大学教授?」
女性の警戒心がすぐさま好奇心へと変わった。小さな村だ。娯楽もなければ話題もないだろう。都会からやってきた少し珍しい人物に、女性の心が浮足立っているのを感じた。
あまりにもあっさり警戒を解く姿は心配になるが、これは好機だと大鷲は話を続ける。
「知り合いからこちらに珍しい土着信仰があると伺って、調査に来たのです」
「珍しい……って、タガン様のことですか?」
女性は目を瞬かせ、ぼろぼろになった拝殿を見上げた。あと数年たてば廃墟になりそうな風体を見れば、珍しいとは到底思えなかったのだろう。地元の人間というものは、自分が暮らす街の価値や特異性を意外と認識していないものだ。
「嬉しいわあ。タガン様に会いに来てくださったのね」
今まで話を聞くばかりだった老婆が柔らかな声で話し出す。そのはしゃいだ様子は女学生のように軽やかで、老婆にとってタガンという神が特別なものだとうかがえた。
「出来ればお話を聞きたいんですが、よろしいですか?」
老婆のもとに近づいて、その場にかがんで大鷲は問いかける。突然の長身男性が屈んだことに女性は驚いたようだが、老婆は変わらずにニコニコと笑っていた。
「えぇ。いいですよ。みんなあれほどタガン様にお世話になったのに忘れてしまって、私と一緒にお参りしていた人はみんな死んでしまって。タガン様はさぞかしお寂しいだろうなと思っていたの」
老婆の言葉に女性は眉を寄せた。日頃からタガンのことな聞いているようだが、祖母の話を信じていないことは反応から読み取れた。またお婆ちゃんが理由のわからない話をしている。そんな呆れと面倒くささが混ざった視線を受けても、老婆は気にもとめない。
近づいてきたセンジュカがボイスレコーダーを取り出した。「調査のために記録していいですか?」と問いかけると、女性はそこまでするのという驚きの表情を浮かべたが、おずおずと頷いた。
多少の戸惑いがあっても見目が良いセンジュカに微笑まれると、大抵の人間は首を縦に振る。センジュカと双月の血筋の見目の良さと魅了の力は、事情を知っていると微妙な気持ちになる。
わかったうえで利用している立場の大鷲が文句をいえる立場ではないが、改めて血筋とは厄介なものだと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます