2-8 未知の体質

「せ、先輩?」


 戸惑いとともに口から出た言葉を聞いて、蜂屋はクスクスと笑った。口元に手を当てて上品に笑うその様が、遠目に見た名も知らない先輩と重なる。

 久留島の記憶からそのまま抜け出てきたような姿に思考が止まる。


「何言ってるの。君は僕のこと、蜂屋って呼んでいたでしょ?」


 柔らかな声に表情、それは全て大学で見たものと同じ。だからこそおかしい。ここは久留島が通っていた大学から離れた場所で、関係者以外は入れない。ならば蜂屋が偶然、先輩と同じ容姿をしていたのだろうか。


「よく似た兄弟とか……?」


 苦し紛れの問いかけに蜂屋は答えなかった。ただ優雅に笑うだけ。その姿を見て久留島は、なんとなく引っかかっていた違和感にようやく気づく。

 眼の前の男は一度も自分が蜂屋だと名乗っていない。


「誰だ!」


 声は震えてみっともない。少しでも距離をとろうと後ずさり、久留島は最後の意地で男を睨みつけるが、そんな久留島を見て男は困ったように笑った。


「あらら、さすがにバレちゃった。残念だなあ。名前も欲しかったのに」

 男はそういうと一歩近づいてくる。


「でも、こんな素敵な顔と体を貰えただけで感謝しないとね。美形の方がなにかとやらやすいって聞いていたから嬉しいよ! この顔、王子様みたいなんでしょ? 女の子にモテるんでしょ?」


 男はそう言うと自分の顔を指さした。子どもみたいに無邪気な表情だが、言っていることの意味がわからない。

 緒方か双月を呼ばなければ、そう思ったが、ジャージのポケットを探っても何も入っていない。部屋に忘れてきたと気づいて血の気が失せる。


「嬉しいなあ。ずっと体が欲しかったんだ。皆、自由に動けて羨ましかったんだ。僕、結構長く意識はあったのに、なかなか体が出来なくて、移動しようにも移動する力もなくてさ」


 男は満面の笑みを浮かべ、両手を広げながら近づいてくる。心底喜んでいるのが伝わってくるだけに気味が悪い。意味のわからなかった話が、少しずつ久留島にも理解できてくる。


「成りかけだったのか」


 外レ者は人間の認識から生まれる。狸が化けるという噂が広まった結果、本当に化け狸という存在が生まれたように、人間がそこにナニかが居ると信じ、信じるものが増えると外レ者は生まれる。

 眼の前の存在も認識の集合体。どんな認識に影響されて生まれたのか、どうして急に体を得たのかは分からない。それでも先程の問答が関係していることは、知識が薄い久留島でも理解できた。


「俺が先輩の姿を想像したから、先輩の姿に成ったのか」

「その通り。ありがとう! 素敵な人を想像してくれて!」


 外レ者は久留島にまた一歩近づいてくる。近づかれた分だけ距離を離しながら、久留島はどうすればいいかと考える。ダイニングキッチンの出入り口は一箇所。その前に男は立っている。逃げるとなれば男を突き飛ばすしかないが、眼の前の存在は久留島が体当りしてどうにかなるのだろうか。


「そんな怯えなくても。僕は久留島くんに感謝してるから、酷いことなんてしないよ」


 男はそう言いながら久留島に手を伸ばす。払い落とすべきなのか、逃げるべきなのか。判断がつかずに固まっている間に、白い手が久留島の眼の前に迫る。


 ドンッという音と、眼の前に迫っていた手が消えたのはほぼ同時。状況についていけずに固まっていると、うめき声が聞こえる。声のする方、下へと視線を動かすと、そこには男を押さえつける双月の姿があった。


「そ、双月さん!!」

「あー……はいはい、怖かったんだな。それはよく分かったが、もう少し抵抗しろ。固まってるとすぐ死ぬぞ」


 男の腕をとって捻り上げ、体全体で押さえつけながら、双月は呆れた顔を久留島に向けた。その態度がいつもと変わらないことに久留島は心底安心し、安堵したら力が抜けた。

 ずるずるとその場に座り込む。そんな久留島を見て双月はため息を吐いたが、とくになにもいわなかった。


 すぐさま双月の鋭い視線は男へと向けられる。大人しくしていた男はビクリと体を震わせた。押さえつけられたまま、双月を見上げる男の顔に浮かんでいたのは恐怖だ。余裕のないその顔は、久留島に向けられていたものとはまるで違っていた。


「どこから入った」

「入ってない。ずっと居たんだ」

「正直に話さないと痛い目見るぞ」


 双月が力を込めると男は苦しげにうめき声を上げる。双月は細身に見えて怪力だ。紙の資料がぎっしり詰まった段ボールも難なく運ぶ。

 そんな双月に全力を出されたらと考えて、想像だけで久留島は青くなった。


「双月さん! そのくらいに!」

「お前に危害をくわえようとした奴だぞ。何でかばう」

「かばうっていうか、そんな威圧感増し増しで尋問されたら、俺は怖くて喋れないです」


 自分が男の立場だったらと想像して久留島は震え上がる。双月はふざけてんのかという顔をしていたが、同じように震え上がっている男が大げさなほどに首を上下に振っているのを見て、大きなため息を吐き出した。それだけで男はビクリと体を震わせる。


「……なんで俺、そんなに怖がられてるんだ」


 不満そうな顔で双月は呟いた。それでも喋りやすいように、すこし拘束を緩めたのが分かる。逃げられないようにはしているだろうが、配慮に優しさを感じた。

 それが男にも伝わったのか、男はおずおずと喋りだす。


「ずっと見ていたので。双月さんがどれだけ強いか、よく知ってます。僕なんて、本気を出されたら一瞬で殺されちゃう。せっかく体ができてのに」

「さっきからなんだ、見てたって。俺はお前みたいなやつ知らないぞ」


 不快そうに双月は言い捨てた。知らない人間にずっと見ていましたと言われて喜ぶ人は居ない。当然の反応ではあるが、男は慌てた様子で言葉を続ける。


「違うんです! 見たかったわけじゃないと言うか、それしか出来なかったんです! 俺はナニか居そうって認識の集合体なので!」


 男の告白に双月の目は見開かれた。男は双月が聞く耳を持ってくれたことに気づいて、説明を続ける。その姿は随分必死に見えた。


「暗がりを歩いていると、ナニか居るかもって思うことあるでしょ? ただの道や、隙間、そういうところにナニかが居たら怖い。ナニかがいたら面白い。そういう恐怖心や好奇心から僕は生まれたんです」


 男が説明したものは久留島にも覚えのある感情だ。子供の頃は夜が怖かった。田舎の木造建ての一軒家は明かりが少なくて不気味だ。夜中に目が覚めて、ギイギイいう長い廊下を歩いてトイレに行くのは怖かった。大人になったら自然と怖くなくなるものだが、子供の頃は襖のちょっとした隙間とか、奥が見えない暗がりとか、壁の染みなんかにいちいち怖がっていた気がする。

 多くの子供が久留島のように怯えた結果、目の前の男は生まれたのだという。


「納得いくような、いかないような」

「納得して!!」


 久留島が眉を寄せて呟くと、男は泣きそうな声で叫んだ。眉は八の字に下がっており、今にも泣き出しそうな顔は中性的なだけあって可哀想に思えてくる。


「久留島が俺に体と顔をくれたんだから、責任とって護って!」

「責任って、俺が!?」


 男に顔と体を与えたのは自分だというのは、今までの流れでなんとなく分かる。分かるが、久留島は与えようとして与えたわけじゃない。どちらかと言えば利用されたのだと思う。


「資料室で久留島に俺の声が聞こえて、蜂屋と間違われたとき、体が出来た気がしたんだ。だから久留島ともっと話したら、もっとしっかりした体が出来るんじゃないかと思って」


 もはや半泣きで男は語る。いくら中性的といっても男の泣き顔を見るのは微妙な気持ちだ。どうしたものかと双月を見れば、双月は険しい顔で男を睨み付けていた。


「久留島と会話したことで体ができたのか?」


 男は大きく頭を振る。必死な様子を見ていると少し可哀想になってきた。どうにかならないものかと双月の様子をうかがうが、双月の顔は未だ険しい。その険しい顔をみた男は絶望的な表情を浮かべた。


「双月さん、なんとかなりませんか。利用されたことに関しては納得いきませんけど、害があるわけじゃないんですよね。ナニか居るって認識の集合体なら、そこに居るだけでしょ」


 久留島の助け船に男は天の助けとばかりに表情を明るくし、先ほどよりも激しく頭を上下に振った。あれほど饒舌だったのに恐怖で喋ることを忘れているようだ。王子と呼ばれた先輩の外見をしているだけに、その様子はなかなかにシュールで久留島は微妙な気持ちになった。


「……自分がどんな能力を持ってるか、自覚あるか?」

「えっと、暗いところとか隙間とかに移動できます」

「それだけか?」

「今のところ」


 双月は数秒男をじっと観察してから、男から手を離した。解放された男は信じられないという顔をして、立ち上がった双月よりもゆっくりと身を起こす。体が未だについていることを確認するように手を動かす姿を見て、久留島は人ごとながら良かったなという気持ちになった。


「お前に関してはしばらく様子を見る。逃げようとしたら、その時は容赦なく切るから覚悟しろよ」

「は、はい! 絶対逃げません!!」


 男は勢いよく返事をした。双月を本気怖がっているらしく、久留島から見れば大げさに思えるほどに喜んでいる。


「そこの奴はそれでいいとしてだ、問題はお前だ。久留島」

「えっ、俺ですか?」


 これにて一件落着だと思っていたら、急に矛先が飛んできて久留島は驚いた。久留島だけでなく、解放されたばかりの男も意外そうな顔で双月を見つめていた。

 そんな二人の視線を浴びた双月は眉間に皺を寄せ、男に向けていたものよりも険しい顔で久留島を睨み付けた。一体自分は何をやらかしたのかと冷や汗が流れる。


「そ、双月さん。俺が一体何を……」

「外レ者は人の感情の集合体。ナニかが居るかもしれないという恐怖からコイツが生まれるのは納得できる」


 双月はそう言いながら男を指さす。しかし久留島からは一切視線を外さない。鋭さを増した双月の目は久留島の体を硬直させるには十分だった。


「だが、集合体が人の形を得るには時間がかかる。コイツ、意識は長いことあったみたいだから、そのうち体も得られたかもしれない。だが、こんな急激に体を得られるなんてありえない。お前がコイツの声を聞いたのはいつだ?」

「昨日です」


 双月はますます視線を鋭くする。見られただけだというのに刃物を突きつけられたような恐怖を覚え、久留島はゴクリと唾を飲み込んだ。


「昨日、今日で急に体が出来るはずがない。コイツの体は自然に出来たものじゃない。お前が与えたんだ」

「俺が?」


 そんなことを言われても久留島には全く実感がわかない。ただ男と会話しただけだ。どんな姿なのか想像しただけだ。それで体を得られたのは男の能力なのだと久留島は思っていた。


「のんびりしてられなくなった。すぐにお前の体質について調べる。明日の朝、すぐに出かけるから今日の業務はほどほどにして、早めに寝ろ。俺は雄介と相談してくる」


 双月はそういうと久留島達に背を向けて、さっさとダイニングを出て行ってしまう。その後ろ姿を唖然と見送った久留島は、取り残された男と顔を見合わせた。


「……俺、これからどうなると思う?」

「たぶん、怖い人のところに連れていかれる」


 男はそういうと両手を合わせた。言葉に出さずとも「検討を祈る」という声が聞こえてくる。

 怖い人って一体どんな人とか、俺の体質ってなにとか色々聞きたいことはあったが、混乱した頭では言葉の一つも声に出すことが出来なかった。

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