2-7 想像から成る

 巳之口との楽しい飲み会の次の日、久留島を待っていたのは二日酔いだった。成人したてでひどい目にあってから、二日酔いになるまで飲むことはなかったのだが、疲労や不安、友人との気兼ねない飲みというのがタガを外したらしい。

 帰りもどうやって帰ってきたのか記憶がない。気づいたら自室のベッドで寝ていたので、意識がなくても地下に降りられるほどには、特視での生活に慣れたようだ。

 寝起きの痛む頭で巳之口に謝罪の連絡をいれると、「タクシー代返せよ」というメッセージと共に猫のスタンプが返ってきた。しっかり迷惑をかけたことに気づいて頭痛が増した。


 よろよろとダイニングキッチンに向かうと、すでに人の気配はなかった。いつも久留島が使っている席に、ラップがかけられた朝食がおいてあり「温めて食べろ」という男らしい文字が書かれたメモが貼ってある。なんとなく緒方の文字だと思った。


 特視は一般的な公務員と勤務時間は同じということになっているが、扱う案件によっては残業、長期拘束、連勤当たり前だと聞いている。その分、事件がない時は自由に過ごしていいとされ、職員の勤務形態はかなり変則的だ。

 久留島は新人ということで、まずは慣れることを優先に一般的な公務員と同じ時間を業務に費やしている。ただ、一般的な公務員よりもかなり緩い規則なので、遅刻しようが許される。気になるなら遅刻した分働けばいいというルーズさだ。


 こんなに緩いのに、給料は他より高いなんて良いのだろうか。そう、緒方が作ってくれた朝食を温めながら考える。

 実際に外レ者と対峙した場合は生きるか、死ぬかの選択を迫られると言うが、書類仕事ばかりの久留島には実感がわかない。調査報告書も久留島にとって未知の世界の出来事過ぎて、実際に起った出来事と言うより小説を読んでいるような気持ちになる。


「こんなので一人前になれるのかなあ……」

「君なら大丈夫だよ」


 独り言に返事きて、久留島は驚いた。風太がいたら指を刺されて笑われるほど、大げさに肩を震わせて声のした方へと体を向ける。

 ダイニングキッチンの入口には戸がない。代わりに暖簾がかけられており、その暖簾の下に足が見える。久留島と同じ黒い、緩めのジャージを履いた誰かが、暖簾の前に立っていることは分かる。しかし、その謎の人物は声をかけたきり、こちらに近づいてこない。


「えっと、どなたでしょうか?」

 不気味なものを感じながら、久留島は声をかけた。その怯えた声に正体不明の相手はクスクス笑う。


「ひどいなあ。もう忘れちゃったの。資料室で会ったでしょ」

「資料室……って、蜂屋さん?」


 久留島の問いかけに蜂屋らしき人は答えない。答えないが、この施設で久留島が顔を見ていない人間は蜂屋だけだ。


「入らないんですか?」

 本音を言うなら蜂屋の態度は意味不明で不気味だ。なんで暖簾越しに声をかけてくるのだろう。黙ってダイニングに入ってくればいい。


「ごめんね。人に顔を見られたくないんだ」


 困ったような声音に久留島の警戒心は少し緩んだ。完全に納得してはいないが、蜂屋は極度の人見知りだと聞いている。顔を見られるのが嫌で部屋に引きこもり、深夜にしか行動しないと言われれば行動の辻褄はあう。


「なんで、俺に声をかけたんですか?」


 だからこそ不思議だった。今は昼間だ。太陽光が差し込まない地下ではあるが、壁にかけられたデジタル時計は十時を示している。顔を見られたくないのであれば、他の職員が活動する昼間、しかも久留島にわざわざ声をかけてきた意味がわからない。


「挨拶ぐらいはしないといけないかなと思って、勇気を出して来たんだけど、いざ対面するとなると怖気づいちゃって」


 男か、女かも判断できない細い声。ずっと引きこもっているとすれば、体も細いに違いない。勇気を出してここまで来たと言われれば、これ以上不信感を抱くのは悪い気がしてきた。


 ここには特視の人間しかいないのだ。いくら変わり者だろうと、これから付き合いの続いていく先輩だ。直接会って話していないだけで、資料整理ではとてもお世話になっている。


「俺の方こそ、すみません」

「いや、僕が悪いんだよ。暖簾越しなんて気味悪く思って当然だよね」


 自覚はあっても、そうせざる終えない事情があるのだろう。


「失礼ですけど、顔に傷があるとか?」

「うーん、そういうわけじゃないんだけど、見られるのが恥ずかしくて」


 顔に強いコンプレックスでもあるのかもしれない。声も中性的だし、顔立ちも中性的で、そのせいで同級生から色々言われた。そんなところだろうか。

 久留島は見えない蜂屋の顔を想像する。性別の境が曖昧な整った顔立ちで、物腰が柔らかくて、線が細く、気弱な印象。チャットでのやり取りは強気な感じだったから、ネットとリアルでは性格が変わるタイプなのだろう。


「……ねえ、久留島くん。僕の顔、どんな感じだと思う?」


 蜂屋の問いかけに久留島はドキリとした。今まさにどんな顔だろうと想像したのがバレたのかと、居心地の悪さを感じる。思わず視線をそらしたが、蜂屋には久留島の姿が見えていない。久留島の動揺は伝わっていないだろうとひとまず安心した。


「どんな感じと言われても」

「想像したことを正直に教えて欲しい。人からどう思われているのかしれれば、僕も人前に出る勇気がわくかもしれない」

「それは俺よりも緒方さんや双月さんに頼んだ方が……」

「二人との付き合いはそれなりに長いから、客観的な意見が聞けるとは思えない」


 苦笑と共にそう言われると、たしかにと納得してしまう。付き合いが長くなるにつれて第一印象というのは忘れがちだ。久留島も巳之口と最初に出会った時は近寄りがたいと感じていたはずなのに、今はなぜそう思っていたのか思い出せない。

 人となりを知れば怖いと思った顔立ちも、格好よく見えたり、可愛く見えたりするのだから客観的な意見とは言えないだろう。


「そういうことなら……うーんと、気分を悪くさせたらすみませんが、中性的な印象です」

「中性的……顔立ちは整ってる方だと思う?」

「声を聞いた印象だと、中性的な美形かなって」


 大学時代、女子に王子様だと騒がれていたイケメンの顔を思い出す。目元にホクロがあった彼は同性から見てもイケメンで、細身でスタイルがよく、穏やかな口調で話す人だった。モテて羨ましいとも思ったが、あれはモテて当然だ。

 ろくに話したこともなく、名前すら忘れてしまった大学の有名人の顔と蜂屋のイメージが重なる。


「大学の先輩に蜂屋さんと似た雰囲気の人がいました」

「そうなんだ。どんな人だったの? 身長は?」

「身長は平均くらいでしたね。でも細くてスタイルがよくて、女子がキャーキャー言ってました」


 彼の事を思い浮かべれば思い浮かべるほど、目の前の蜂屋と重なっていく気がした。唯一見える、暖簾の下から見える足も彼と同じように細身で、スタイルの良さをうかがわせる。引きこもってないで外に出ればモテるだろうにと残念に思いながら、さっき見た足はこんなに細かっただろうかと違和感を覚えた。

 足だけ見えている状態はかなり奇妙だったから、驚いて脳裏に焼き付いている。もっとゆるめの、久留島が今着ているジャージのようなものが見えた気がしたが、今暖簾の下から見えるのはスタイルを際立たせる黒いスキニーを履いている。それは王子と呼ばれていた彼がよく履いていたもので、先ほど久留島が想像していたものと同じだ。

 寝ぼけて見間違えたのかなと久留島は目をこする。


「声は僕と変わらない感じだったのかな?」


 考え事は蜂屋からの問いかけで霧散した。久留島は彼のことを思い出す。といっても、直接話したことはないのだからハッキリとは覚えていない。


「男にしては柔らかい声で話すって印象でしたね。聞き上手で、女子の長い話も嫌な顔一つしないで聞いてて、こういう人だからモテるんだなって関心しました」

「へぇ、モテてたんだ」

「王子って言われてましたよ」

「その王子様の声って、こんな声だった?」


 蜂屋の声が少し変わった気がした。具体的にどこがと言われたら分からないが、久留島が思い浮かべていた王子の声とピタリと重なる。頭の中にあった声がそのまま現実に抜き取られたような現象に、久留島は数秒思考を止めた。


「どう? 久留島くん? 君から聞いた話から想像して声を変えてみたんだけど。こんな感じかな?」

「えっ、そ、そうですね。俺が思い浮かべた通りです」


 子供のようにはしゃぐ蜂屋の声を聞いて、久留島は慌てて返事をした。薄気味の悪さを一瞬覚えたが、偶然に違いない。蜂屋が大学の先輩と会ったことがあるわけないし、久留島の頭の中を覗いたわけもない。奇妙な偶然というやつだと自分を納得させようとしたが、少しずつ積み重なってきた違和感がぐらぐらと揺れて久留島に襲いかかってくる。


「……蜂屋さん、少しは俺、力になれましたか?」


 この奇妙なやり取りはいつまで続くのだろうか。変な人を通り越して、今は不気味に思えて仕方ない。これからお世話になる先輩にこんなことを考えてはいけないのは分かっているが、せめて顔を見せて欲しい。いつの間にか握りしめていた手が汗ばんでいることに気づいて、久留島はここから逃げ出したい気持ちになった。


「うん。すごく力になった。久留島くんのおかげだよ。君のおかげで僕にも綺麗な体が出来た」


 戸惑いの声をあげる前に蜂屋が動く。男性にしては細いが角張った、いっさい日焼けしていない白い手が暖簾をよけ、大学の先輩と同じ金髪が見える。先輩も同じようにキラキラした髪をしていたなと久留島が考えているなか、蜂屋の顔がハッキリ見えた。


「えっ」

 それはどこからどう見ても、久留島が思い浮かべていた大学の先輩と同じ顔だった。

 

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