2-6 先輩と後輩
鎮が取り出したファイルを開く。双月はちらりとこちらを見たものの、すぐさま食事を再開した。詳しいことは後から聞けばいいと思っているのだろう。
食事が優先なだけで真面目な気質なのは分かっているので緒方は触れず、ファイルを読み進める。そこには上京してから特視に所属するまでの、久留島の交友関係などがまとめられていた。内容をざっと流し見し、緒方は顔をしかめる。
「相変わらず、岡倉は怖いな……」
「便利に使っといてよく言うよ。って言いたいけど、怖いのも否定しない」
鎮はそういうと酒を口に運ぶ。双月がなんか食えと言わんばかりに、塩きゅうりの乗った皿を鎮の方に押しやった。鎮は苦笑しながら、きゅうりに箸を伸ばす。
「内容を簡単に説明すると、久留島零寿の周囲には身元不明の奴が多すぎる」
「はあ?」
味変とばかりに卵焼きに手を伸ばしていた双月が声を上げる。声こそ出さなかったが、緒方も同じ気持ちだった。
「隣に住んでいたアパートの住人、同じバイト先の後輩。現住所不明。久留島と関わる前にどこにいたのかも不明。実在していた人間かどうかも不明」
「そんなことありえるのか?」
「ありえてるから困ってんだよな」
鎮はそういうと肩をすくめてみせた。
双月は眉間にシワを寄せてファイルを引き寄せる。呑気に食事している状況ではないと思ったらしい。
「……久留島以外も認識してるのか……」
「久留島だけに見えてるなら、話は単純だったんだけどな」
双月のつぶやきに緒方はため息をつく。
消息不明。というか、実在している人間だったかも不明なアパートの隣人、バイトの後輩は久留島以外からの目撃情報がしっかりある。なんなら、アパートにはきちんとお金を払っていたし、退去の手続きも問題ない。
バイト先も就職活動があるからという、至って普通の理由でやめており、働きぶりも問題なかったという。
「洗脳系の能力か?」
「それか擬態」
「両方なんじゃね?」
双月と緒方の会話に鎮が加わった。きゅうりを食べている姿がこれほど似合わない奴も珍しい。
「まず、人型なのは確か。でもって、いろんな人間の姿をとれる。そのうえで、唐突に人の輪に入り込んでも違和感を抱かせない。隣人も後輩も、関係者は気づけば親しくなっていたが、切っ掛けが思い出せないって言っていた」
鎮の報告を聞いて緒方は顔をしかめた。
長く生きた外レ者は社会に紛れ込む術を知っているが、それとは別の技術だ。久留島につきまとっている存在、おそらくタガンは人間の認識を変える能力を持っている。
「後輩も隣人も、タガンってことだよな」
「正体不明の存在に複数狙われてる説よりは、同一の存在の方が可能性が高い。というか、複数同時に人外につきまとわれてるなんて、会ったこともない久留島くんが哀れになる」
鎮はそういって顔をしかめると口直しとばかりに酒を飲む。そこそこ良い値段のする酒だったと思ったが、高給取りの鎮には痛くもかゆくもないかと緒方は触れないことにした。やけ酒したい気持ちも分かる。
「タガンって、もしかして多い顔って書くのか?」
「なるほどな、ありそうで嫌だな」
双月の発言に鎮が嫌そうに顔をしかめた。緒方も同じ意見だ。
「久留島に執着しているのは分かるが、目的は何だ?」
気に入った人間を他の外レ者から守っているにしては行動が謎。報告書を見るにバイトを真面目にやっていたらしいし、働いたお金で家賃を払っていたようだ。相手の認識をゆがめる力があるならば、払っていると誤認させるだけで良かったはず。わざわざ面倒なことをした理由がわからない。
「なんか、人間のマネしてるみたいだな」
報告書を睨み付けて双月が呟いた。
「人間に紛れて生活してる外レ者は多いんだろ?」
「多いが、あくまで必要があるからそうしてるだけだ」
鎮の問いに緒方は眉を寄せながら答えた。
外レ者が食べるものは様々だ。神と呼ばれる存在は信仰、化け狸は知名度。他にも感情や幽霊など、特定のものを食べるモノもいる。食べるモノによっては人間との交流が不可欠であるため、食事をするために巧妙に人間社会に紛れこむ。
だが、タガンにはそれをする必要を感じない。洗脳と擬態で事足りるのだ。
「神の気まぐれってやつか?」
「ないとは言い切れないのがなあ……」
緒方は深く息を吐き出した。生活に余裕ができた長寿の外レ者は暇つぶしに遊び始める。その対象はだいたい人間で、遊びの種類は外レ者による。本当に些細なものから、人間社会を脅かすものまで本当に様々だ。
そんな神の気まぐれとも言えるものに振り回された人間たちが、少しでも自分たちの生活を平和にしようと創設したのが特視である。理不尽で厄介な隣人たちを監視、調査、ときに交渉し、人間の被害をできるだけ少なくしようというのが目的だ。
といっても、主な任務が監視と調査の時点で分かる通り、出来ることがたかが知れている。本気になった化物相手に、人間はあまりにも無力だ。
「引き続き、調査と観察続けるしかないな。交渉出来るようならしたいところだが……」
「どこにいるのか分からないのがな」
パラパラと双月は資料をめくり、久留島の交友関係一覧を開いた。名前と顔写真、久留島との関係に現住所などがまとめられている。その中の何人かには経歴不明という言葉がつづられている。おそらくはそれがタガン。その数が一人、二人ではないことに緒方は頭痛を覚える。
「タガン様が久留島に執着してるとすれば、ついてきてるよな」
「隣人はアパート解約、後輩もバイト辞めてるからな」
「……特視の中に紛れている可能性は?」
緒方の言葉に緊張が走った。鎮は難しい顔をして双月と緒方を見比べている。双月はしばしの沈黙の後、頭を左右に振った。
「その可能性は低い」
「根拠は?」
「鎮が違和感に気づけたことだ」
双月の返答に鎮は目を丸くした。説明してくれという意図を込めた視線に、双月は自分の考えが正しいと確かめるように、ゆっくりと話し出す。
「タガンの能力は自分の周辺にしか適用しないんだと思う。離れればはなれるほど効力が薄れる。だから久留島についてきた」
「それは納得がいく推測だな」
土地神がわざわざ土地を離れたのも、そういう理由であれば納得がいく。タガンは久留島に対して、なんらかの洗脳をしており、それが解けるのを恐れたのだ。だから自分が一番本領を発揮できる土地を離れて、久留島についてきた。
「鎮が違和感に気づけたのも、聞き込みが出来たのもタガンによる洗脳が薄れていたからだ。洗脳されたままだったら、タガンに都合が良いように事実が捻じ曲げられて、俺たちは違和感に気付けなかったはずだ」
「言われてみればそうだな」
鎮が納得した様子でポンッと手を叩く。
「確実に久留島の近くにはいるはずだ。ここまで面倒なことをしておいて、急に興味が失せることなんてないだろ」
「ってなると、久留島に接触しやすい立場にいるということだな」
緒方は改めて久留島の交友関係一覧を見つめる。双月と鎮も無言で調査報告書を凝視していた。
「今日、大学の友達と飲むっていってたよな」
資料を睨みつけていた双月がつぶやいた。緒方はその言葉で双月が言いたいことを理解した。
「友人ポジなら就職しても接触しやすいな」
「俺達もこうして時間見つけてあってるしな」
緒方のつぶやきに鎮が同意する。三人の視線は一つの名前に注がれていた。
「巳之口右京」
「大学の同期で一番親しい友人」
「今日あってる奴、多分こいつだよな。オカルト雑誌のライターって、今の久留島だったら話したい相手に決まってるし」
機密喋ってねえよなと双月がうめき声を上げる。真面目な性格だから意図して喋ることはないだろうが、酒が進めばウッカリ話してしまうこともあるだろう。
だが、巳之口の場合は……。
「ある意味関係者だから問題ないんじゃないか?」
双月が目を見開いて、それから嫌そうに眉間にシワを寄せた。
「こっちの状況はある程度、把握してるだろうし、今更なんじゃね」
鎮が酒を飲みながらのんびりという。緒方もその意見に同意だった。
「本物のオカルト記者じゃないから、むしろやりやすいかもな。藪をつついて蛇を出すような真似はしない」
といっても、自分の都合の良い話を流して情報操作する可能性はあるが、それは様子を見ていくしかない。タガンの本当の目的は不明なのだから。
「はぁ……めんどくさい後輩できたなあ……」
「俺達が入ったとき、大鷲さんと緒方さんは同じこと思ってたと思うぞ」
すでに引退した義理の父の姿を思い浮かべ、緒方は苦笑する。二人とも態度には微塵も出さなかったが、厄介な事情を抱えた緒方と双月に何も思わなかったはずはない。
双月もそれは理解しているのか、不満そうな顔をして唇を引き結んだ。
「先輩に迷惑かけたお前らが、今度は後輩に振り回されるのか。因果だなあ」
「楽しそうにすんな」
日本酒の入ったおちょこを掲げて、鎮は楽しそうに笑う。そんな鎮に双月が噛みついたが、その反応すら楽しいというように鎮は笑った。
「俺達がこうして生きて、後輩教育に悩めるようになったのは偉大な先輩たちのおかげだ。恩返しってことで励もうぜ」
おちょこを掲げる鎮のいうことは最もで、緒方も双月も黙り込む。この年まで生きてこられ、こうして友人と酒盛りできるのはここまで見守り、鍛えてくれた先輩たちのおかげに違いない。
「今度は俺達が護る番か……」
そうつぶやきながら緒方は資料を見下ろした。そこには楽しそうに笑っている巳之口の写真がある。隠し撮られた写真には久留島の姿も映り込んでいた。その姿は巳之口と同様楽しそうで、隣に立つ人間を信頼しているのが写真越しでも伝わってくる。
それが仕組まれたものだなんて、久留島は想像すらしていないだろう。
「難題だな……」
緒方はため息混じりにそう呟いたが、後輩の未来のために戦おうと決めていた。
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