2-5 かけがえのない友人

 風太のことは気になったが、せっかくの巳之口からの誘いを断るという選択肢はない。業務終わりの夕方、久留島はこの辺りで一番栄えた駅に立っていた。

 狸山駅に比べれば人通りが多く、周囲に建物も多い。世間と隔絶されたような生活を一週間続けていた身としては、普通の町並みにすら感動を覚えてしまう。


 キョロキョロと、上京したての田舎もののように周囲を見渡す久留島の姿はかなり不審に見えらしい。気づけば道行く人の視線が集まっていた。

 田舎出身だからこそ、田舎特有のよそから来た人間への警戒心の高さを思い出し、久留島は背筋を伸ばす。スマホを取り出し、人を待ってますよという雰囲気を出すと視線は徐々に減っていく。


 通行人の邪魔にならないよう駅の端に移動し、メッセージアプリを開く。巳之口にメッセージを送ろうとしたところで、聞き馴染みのある声が久留島の名を呼んだ。


 顔を上げ、声のした方を見れば巳之口が歩いてくるところだった。手を上げて存在をアピールしているが、そんなことをしなくても田舎に似つかない柄シャツはよく目立つ。近くにいた地元民に二度見されていたが、本人は気にせず悠々と歩いてきた。


「巳之口、変わらないなあ!」

「一週間で変わるわけないだろ」


 感極まって声をかけると呆れた顔をされた。巳之口からすればたった一週間だろうが、久留島からすれば数ヶ月、へたすると一年経ったような感覚だ。

 書類整理だけでこれなのだから、現場に出るようになったらどうなってしまうのか。考えると不安になってくる。


「どうした? 仕事大変なのか?」


 不安が顔に出ていたらしく、気づけば巳之口が久留島の顔を覗き込んできた。心配そうな顔を見て、久留島は慌てて頭を左右にふる。


「慣れなくて疲れてるだけで、先輩たちはみんないい人だよ」


 それは誤魔化しでもなんでもなく事実だ。慣れない久留島に気を使って声をかけてくれるし、今日ここまで送ってくれたのも緒方だ。


「いい人過ぎて、申し訳ない」

「お前、他人に気使いすぎだろ」


 肩を落とす久留島を見て巳之口は呆れた顔をした。それでも慰めるように肩を叩いてくれる。外見は派手な怪しい奴だが、改めて良い奴だなと久留島は思った。


「巳之口は仕事どうなんだ?」

「順調、順調。元々興味あった分野だし、楽しくやってるよ」


 そういって笑う巳之口は楽しそうで、本人が言う通り順調なのだと伝わってきた。学生時代から前向きで器用で、最初から友達だったみたいに初対面の相手とも親しくなる奴だったが、社会人になってもその能力は活かされているらしい。

 自分との違いに落ち込んでくる。


「……俺、今の仕事向いてないかも」

「まだ一週間だろ。向いてないかどうか決めるには早くね?」


 巳之口は不思議そうに首を傾げた。

 その通りで言葉に詰まる。慣れない環境に翻弄されて、先の見えない不安に弱気になっているだけなのだと冷静な部分はいう。しかし、このまま続けて一年後も同じ気持ちだったらどうしようという不安もある。

 言葉に詰まる久留島を見て、巳之口は仕方ないなという顔をした。同い年だというのにまるっきり年下を見る反応だ。近所に住んでいた兄ちゃんが同じような反応をしていたのを思い出し、自分は何も変わっていないのだなと更に落ち込んだ。完全に負のループに入っている。


「とりあえず今日は飲もう!」

 巳之口はそういって久留島の肩に腕を回した。そのまま強引に久留島をグイグイと引っ張って行く。


「飲むっていってもどこで? 俺、この辺詳しくないぞ」

「よさそうな店はお前が来る前に目星つけといた」

 

 ニヤリと巳之口は笑う。なんと抜かりのない奴だろう。若干怪しい風貌ではあるが顔も悪くない。それなのに浮いた話を聞かないのだから不思議なものだ。

 だが、彼女が出来たらこんな風に頻繁に会うことはできなくなるのだろう。


「巳之口に彼女出来たら、寂しくなるな」

「なんだ急に」

「いや、お互い彼女出来て、結婚したらこうして気楽に飲めなくなるだろ」


 気が早い話だが、もう社会人。大学中に付き合って同棲してる奴もいるし、早い奴なら結婚している。巳之口であれば仕事も結婚も器用にこなすだろう。


「安心しろ。俺は一生、久留島一筋だから」

「重っ」


 冗談に笑っていると少し気持ちが軽くなる。やはり友達はいいなと思いながら、久留島は巳之口に案内されるままに居酒屋に向かって歩きだした。

 仕事できたばかりにしてはやけに詳しいなと思ったが、巳之口だしなと深く考えなかった。



※※※



 久留島を駅に降ろした後、緒方はその足で贔屓の飲食店に向かった。居酒屋のようなメニューも豊富だが、子供向け料理も扱っている地元民にとっては憩いの店だ。

 助手席には双月が座っている。外食できるということで機嫌が良い。その機嫌の良さには、久々に友人に会えるというのも含まれている。それを知っている緒方は微笑ましい気持ちになり、車の動きすら軽やかに感じた。


 今回会うのは緒方にとってもかけがえのない友人のため、双月と同じく浮かれている。残念なことがあるとすれば、会う理由がプライベートではなく仕事だという点だ。

 

 目指す店は代々特視で利用している。味もよく、密談にちょうどいい個室席があり、姿が変わらないメンバーに気づいても気づかないフリをしてくれる理解ある店主が営んでいる。

 外観はよく言えば雰囲気があり、悪く言えば古臭い。チェーン店ではなく個人でやっている店なので、地元民しか知らないような穴場だ。

 

 駐車場に車を止め、店へと入る。事前に予約を入れていたためスムーズに中へと通された。すでに友人が来ていると店員に伝えられ、緒方たちは戸で仕切られた座敷スペースへと向かった。


 双月が戸を開けると、先に一杯やっていた男が上機嫌に片手を上げる。

 岡倉鎮おかくら しずめ。この国では三本の指にはいる名家、岡倉家の人間である。今日は仕事ではないのでラフな格好をしているが、日頃は見るからに高そうなスーツに身を包んでいる。高身長と年齢にそぐわぬ引き締まった体つき、立ち振舞が優雅で、いかにも良いとこの出身という一般人離れした人物だ。


 しかしオフになると、愛想の良い大型犬のような雰囲気に切り替わる。金髪に緑の瞳は輝いており、仕事中は年齢を重ねたことによる凄みを感じさせる顔立ちは、完全に緩んでいる。そうすると親戚にいる陽気なおじさんに見えるのだから、何度見てもギャップの激しいやつだと緒方は呆れた。


「雄介、双月、久しぶり〜。元気してたか〜」

「お前こそ元気そうだな」


 緒方はそういいながら座敷にあがる。双月は挨拶もそこそこに鎮の横に座り、鎮が頼んでいた料理に手を付け始めた。無遠慮ともいえる行為だが、鎮は孫や甥っ子でも見るような顔で、喜々として食事する双月を眺めている。


「お前らがこんなに仲良くなるなんてなあ……」

「お前、それ毎回言ってないか」

 鎮が上機嫌に笑う。酒でいつもよりも顔が赤いから、余計に楽しそうに見えた。


「あれから何年たったと思ってるんだよ。ずっと根に持つほど、俺は心狭くねえよ」


 鎮はそういって日本酒をあおるが、緒方からすれば何年経とうと根に持たれるような出来事だったと思う。それをあっさり水に流した鎮は心が広いし、なかったことにしてしまった双月は図太い。図太いくらいじゃないと生きられない境遇だったのもあるだろうが。


「なんか、泣けてきた……」

「いや、なんでだよ」

「年とると涙もろくなるってホントなんだな」


 唐揚げを頬張りながら双月が呆れた顔をする。見た目は高校生でも生きている年数は同じはずだが、見た目が若いと思考も若いままなのか。

 それとも、人ではなくなってしまったからなのか。


 緒方は嫌な思考を振り払おうと体を動かした。席に座り、メニューを開く。乱暴な動作を見た双月が不思議そうな顔をしたが、説明できるはずがない。


「とりあえずビール」

「双月は何飲む?」

「オレンジジュース」

「子供かよ」


 声を上げて笑う鎮に双月は不満そうな顔をした。双月は酒に強い。宅飲みであればこの中の誰よりも飲むのだが、いつ店員が入ってくるか分からない飲食店で飲むことは出来ない。だから今日は父親と一緒に食事に来た子どもという体裁を取っているのだ。


「今度、慎司しんじの家で飲もうぜ。今日だってひびきも慎司も来たがってたし」

「慎司はともかく、響は無理だろ」


 同級生の中でも特に忙しい男の姿を思い浮かべて、緒方は顔をしかめる。


「皆が集まるなら、無理やりでも予定あけるっていってた」

「ただでさえ多忙なのに、無理して大丈夫なのか?」

「そこら辺はうまくやるだろ。大人だし」


 そういって鎮は店員を呼ぶと追加の注文をする。テキパキとした言動は、日頃から会食席で仕切っているのだろうと想像できるものだった。

 店員が出ていったのを確認すると、鎮は突然真顔になって後ろに置いてあった鞄からファイルを取り出す。テーブルの上に置かれたファイルの表紙には「調査報告書」と書かれていた。


「楽しい飲みの前に、さっさと仕事終わらせようぜ」


 そういった鎮の表情は、仕事中の鋭利なものへと変わっていた。相変わらずの切り替えの速さだなと思いながら、緒方は枝豆に伸ばしかけていた手を引っ込めた。

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