2-2 不穏な朝食

 双月の後ろをとぼとぼとついて行く。時折気遣わしげに振り返る気配がしたが反応する元気がない。そうこうしているうちにキッチンダイニングにたどり着いた。


 特視のキッチンダイニングは複数人が仕様することを前提に造られている。キッチンスペースは広めで、成人男性二人が並んで作業しても余裕がある。冷蔵庫は共同の、大きなものだ。食べられたくないものには名前を書いて置くことがルールだと聞いた。


 ダイニングスペースには小さめなテーブルがいくつかおかれている。一人で食べるときはそのまま、複数人で食べる時はテーブルをそれぞれくっつける。給食の時間を思い出して懐かしい気持ちになるので、久留島はこの仕組みを気に入っていた。

 ここも地下なので窓はないが、代わりに絵画や観葉植物が飾られ、廊下に比べると生活感の感じられる空間になっている。


 キッチンスペースには緒方が立っていた。調査で外出することが多い緒方は、だいたいスーツを着ている。今日は休みなのか、サマーニットにスウェットという緩めのスタイルだ。久留島は自分のジャージ姿を見下ろして、給料が出たらもっと大人っぽい服を買おうと決意した。


 フライパンで何か焼いていた緒方は久留島と双月に気づくと「おはよう」と挨拶した。久留島が控えめに、双月は慣れた様子で返事をし緒方の隣にかけよっていく。隣に並んでフライパンの中をのぞき込む双月と緒方は、同僚というよりも親子に見える。

 見た目に騙されるなと言われたばかりだが、早速騙されそうになった。道程は遠い。


「なんだお前、朝からしけた顔してるな」


 ぼんやりと緒方と双月を見ていると、ダイニングの方から声がした。見れば小学生くらいの男の子が座っている。風太である。


「当然のようにいるね」

「いるに決まってるだろ。俺はお前を認めてないからな! お前から絶対目を離さないぞ!」


 椅子に座った状態で風太は腕を組み、ふんぞり返った。背が低いので足が床に届いてないし、ふんぞり返りすぎてバランスが崩れ、椅子が倒れそうになる。慌ててテーブルを掴み、倒れることを回避した風太は一部始終をみていた久留島を睨みつけた。完全に八つ当たりだ。


 風太はあの日から毎日のように特視に現れる。罰を兼ねて仕事を手伝わされているということになっているが、本人が言っているとおり久留島を監視するためという態度を隠さない。そんなに警戒するような匂いがついているのだろうかと、久留島は自分の体を嗅いでみるが、やはり分からない。人間には分からない匂いとなればお手上げだ。


 久留島はチラリと双月と緒方を見た。いつの間にか朝食の話から仕事の話にかわっていく。そうなると久留島には分からない。疎外感を感じた久留島は風太の元へと歩いていった。

 机をくっつけて座ると風太に嫌そうな顔をされる。それにちょっと傷つきながら、久留島はため息をついた。


「……なんだ、眠れなかったのか?」


 眉を寄せて風太は久留島の顔をのぞき込んだ。仕事があるため久留島ばかりに構ってられない双月と緒方に比べ、監視名目でつきまとってくる風太の方が一緒にいる時間は長い。おかげで先輩たちよりも先に気を許してしまっている。

 これも見た目に騙されているに入るのだろうかと久留島は重い息を吐き出した。


「俺、ここでやってけるのかなと思って……」

「おお! 出てくなら大歓迎だぞ!」


 目をキラキラさせる風太に恨めしげな視線を向ける。出会って早々追い出そうとしてきた風太に相談する内容ではなかったと気づくが、他に本音を言えるような相手もいない。

 巳之口だったら聞いてくれるだろうが、特視の存在を一般人に教えるのは禁止されている。オカルト雑誌に所属する巳之口なら尚更。仕事内容をぼかして伝えられる自信がなく、風太に化かされた時の話だって誤魔化すのに苦労した。

 いや、巳之口は気づいて触れずにいてくれているのだろう。人の気持ちなど分からない陽キャのように見えて、引き際をわきまえている奴なのだ。


「たとえば俺がここを離れたとして、俺に執着してるっていうタガン様は……」

「お前について行くな」


 風太は即答した。しかも真顔である。

 人間の子供にしか見えなかった風太の雰囲気が、獣の鋭いものへと変わる。じっと久留島を見る瞳には感情が見えず、久留島は居心地の悪さから目をそらした。


「なんでそんなに執着されてるんだ、俺」

「知らないけど、たぶん、お前が信仰を補強してくれる美味しいご飯なんだろう」

「ご飯!?」


 青くなる久留島を見て風太は楽しげに笑う。化かす生き物は人を驚かすのを生きがいにしていると緒方が言っていたが、風太も久留島が驚いたり怖がったりする様をみると機嫌がよくなる。


「神と呼ばれる存在にとって信仰は食事だ。人間だって食べなきゃ餓死するだろ。神だって食べなきゃ死ぬ。食べれば食べるほど強くなれる。特に神って言われるほどになった連中は大食いが多いんだって。だから美味しいご飯は絶対に逃さない」

「美味しいご飯って……」

「お前」


 風太はまたもや即答した。久留島の顔がさらに青ざめてもお構いなしだ。


「っていっても、俺達と違って神が食うのは信仰だから、お前は守られるよ。信仰するものがいなくなったら、神は死ぬ。だからお前が死なないように必死に守ってるんだと思う」

「えっじゃあ、いい神なのか」


 得体のしれないものだと思っていた久留島は胸をなでおろした。しかし、風太の表情は険しいままで、なにか問題があるのだろうかと再び不安になってくる。


「神と人間の感覚はズレてるからな。神が善意でやったことが、人間にとっては迷惑なんてこともある」


 いつの間にか双月が近くに立っていた。手にはできたてのご飯の乗ったトレーを持っている。それを久留島と風太のテーブルの上に置くと、そばにあったテーブルを風太と久留島の席にくっつける。緒方の分もくっつけると、いよいよ給食の時間に見えてきた。見た目が小学生の風太と高校生の双月が混ざっているせいで、授業参観みたいだ。


「それに神は自分のお気に入りしか興味ないからな。お前を守るためだったら、他の人間はどうなっても気にしない」


 机をくっつけるという、社会人からすると微笑ましさやら懐かしさを覚える動作をしながら、双月は恐ろしいことをいう。

 席についた双月は久留島の顔をじっと見つめた。


「神がお前を守るのに必要だと考えれば、お前の周囲に居る人間を皆殺しにすることだってある」


 久留島は息を呑んだ。知らない間に見たこともない存在に執着されている。そんな気持ちの悪さを感じていたが、不快ですむ話ではないのだと、双月の射抜くような目で理解する。


「あんまり脅かすな。それは極端な例だろう」


 呆れた声が聞こえて顔を上げれば、緒方がトレーを持って立っていた。声と同じく呆れた顔をしながら、緒方と双月のテーブルに朝食が並べられる。

 改めて見た朝食はご飯に味噌汁、ウィンナーにスクランブルエッグ。料理が得意ではなかった久留島からすれば、朝から朝食らしい朝食が出てくるだけで感動ものだが、話題のおかげで素直に喜べない。

 一方、双月と風太はウキウキしながら箸に手を伸ばしている。


「神といわれると何でもありに聞こえるが、神も含めて外レ者はルールに縛られている。食事をとらなければ死ぬし、食事を得るための能力もそれぞれ決まっている」

 緒方はそういいながら風太を見つめた。


「化狸の能力は変化。人を驚かすことを糧としている」

「驚いた人を見るとお腹が膨れるんですか?」


 どういう仕組みだと目を丸くする久留島を見て緒方は苦笑する。言いたいことは分かるという顔だった。


「正確にいうと、化かして驚かせることで化け狸という存在を人間に忘れさせないことが条件だ。お前も見たことはなくとも狸や狐が化かすって話は聞いたことあるだろ」


 久留島は頷いた。風太を見ると久留島の返答に満足そうに頷いていた。


「外レ者というのは存在が不安定だ。信じるものがいるから存在できる。狸が人を化かすという話が消えてなくなれば、風太たち化け狸は消える」

「死ぬってことですか!?」

「それはそうなってみないと分からない。元が狸という実在する動物だから、変化ができなくなったり、しゃべれなくなったりするだけで存在はできるかもしれない」


 緒方の言葉に風太は難しい顔をした。風太自身、自分がどうなるか分からないのだ。


「ここまでの話聞いてわかっただろ。生まれたからには死にたくない。だから外レ者は自分が生きる道にすがりつく」


 双月はそういいながら、ウィンナーを口に運ぶ。カリッという美味しそうな音が響くが、久留島は少しも美味しそうに思えない。食べられたウィンナーが哀れな未来の自分にすら見えた。


「つまり俺は……」

「一度執着された以上、簡単に諦めてはくれないだろうな」


 顔をしかめながらそういった、緒方の言葉が重くのしかかる。朝から最悪な気分だと、久留島は重苦しいため息を吐き出した。

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