1-7 八百万の国

 風太はえらい目にあったとブツブツ文句を言いながら、四本脚で山道を歩いていた。すでに日は暮れ、辺りは闇に包まれている。人間であったら木々が生い茂り、月明かりも届かない山道を歩くのは困難だろうが、夜行性である狸には関係がない。嗅覚が発達した風太には闇がどんなに濃かろうと、周囲の状況がよくわかる。


 生まれ育った山だ。今更恐ろしいと思うものもなく、道に迷うこともない。化け狸に勝てる野生動物はいない。

 さきほどまでバツとして掃除をさせられていた特視、奴らがいなければ山は化け狸たちの天下だった。

 

「なんで姫様はあんな奴ら受け入れるんだ!」


 風太は怒りで低い唸り声を上げる。

 このあたりに暮らす化け狸たちは、姫と崇める存在を中心に生活している。一番最初に変化を覚えた偉大なお方で、愛くるしい容姿から姫と呼ばれている。何百年と生きているが、見た目は可憐な少女のまま。実年齢に触れたり、変化を解いた真の姿を見たものはひどい目にあうと噂されている。


 特視がここに本拠地を立てたのは姫が受け入れたからだ。それ以来、協力関係が続いていると聞いたが、風太は納得できない。


「なんで俺達が隠れなきゃいけないんだ。もともと山は俺達のものだったのに!」


 怒りの声が響く。驚いて何かが離れていくガサガサという音がしが、風太は気にしない。寝床に向かってズンズンと歩き続ける。

 山を削って、生活圏を奪って、化け狸の存在を忘れてしまったのは人間だ。科学だかなんだか知らないけど、今こそ狸はいるのだと知らしめてやるべきじゃないのか。しかし、大人たちにそれを言うとみんな一様に困った顔する。

 変化ができるだけの狸に力はない。存在を隠してひっそり生きた方がいいのだと。


 それが風太は不満だった。変化だけと言うが、特視の連中だってできることは偏っている。大鷲は見るだけだし、双月は切るだけ。センジュカの呪詛は強力だから怖いけど、緒方に関してはただの人間だ。悪魔と呼ばれる恐ろしい存在に気に入られていると聞いたことがあるが、風太は悪魔なんて見たことがない。臆病者の大人が大げさに言っているだけに違いない。


「あんなよそ者まで連れてきて」


 風太の怒りは久留島に向かう。

 特視に新しい奴が来ると聞いたから、どんな奴かと顔を拝んでやろうと待ち伏せしたら、現れたのはとんでもなく臭いやつだった。あの匂いはわざとだ。

 人間に匂いをつけるような外レ者であれば、気配を消すことだってたやすい。それなのに、わざと気配を色濃く残しているというのは気づいてほしくてやっているのだ。風太は喧嘩を売られたとしか思えなかった。


 苛立ちのまま寝床に向かって歩き続ける。バツとして資料整理を手伝えと言われたが、素直に聞く気はない。久留島も一緒にやると聞いているから、脅かして追い出してやろうと考えた。

 目尻の下がった、気弱そうな顔を思い出して鼻を鳴らす。あんなやつ、俺が本気になればあっという間に追い出せる。二度とここに来ないように怖がらせてやろう。そう風太は考えた。


 そう決めたら少しだけ気分が上向いた。どんな脅かしをしようか考えるのは楽しい。怯える久留島の顔を想像して、風太はニシシと笑った。


 ガサリと音がする。

 山の中で音がするのはおかしなことではない。風太以外の化け狸、夜行性の動物たちが動き回っているのだ。音が聞こえるのは当たり前のことで、聞こえない方がおかしい。

 それなのに、風太はなぜか音が気になった。さっきは気にせずま立ち去ったのに、振り向かなければいけないという直感が働いた。


 慌てて振り返るとそこには人間の男が立っていた。なんだ人間かと、安心したところでおかしいことに気づく。


 人間は山を歩くのに適していない。周囲を明るく照らすライトが必要だし、動物たちに比べると大きな音を立てて歩く。だから山の動物達は人間が入ってくるとすぐに気づく。匂いだって独特だから、嗅覚が発達している狸の風太が、接近に気づかないはずがないのだ。


 それなのに、男は風太から一メートルもしない距離に立っていた。こんなに近づかれるまで気づかないなんてありえない。

 風太の喉から威嚇の唸り声があがった。


「そんな警戒するなって。ちょっと挨拶に来ただけなんだから」


 男はのんびりした口調でそう言うと、風太に一歩近づいてきた。

 桃色の髪をした細身の男だ。やけに派手な柄物のシャツにサンダルを履いている。山歩きには全く適していない恰好なのに、服や足が汚れた様子がない。


 おかしいと風太は後ずさった。匂いは人間のものだが、まるで安心できなかった。風太の奥に眠る獣の本能がこれは人間じゃないと告げている。


「何者だ! なんの用があって俺たちの縄張りに入ってきた!」


 風太は唸り声を上げる。すぐに逃げ出したい気持ちだったが、逃げるなんて無様なこと出来るはずがないというプライドが、風太の足を踏みとどまらせた。

 隙を見せたら喉元に噛みついてやろうと睨みつけるが、男はまるで気にした様子がない。その姿を見て確信する。やはりこいつは人じゃない。人に化けたナニかだ。


「仕方ないんだ。俺の力だけじゃ零寿を守れないから」


 男はそういうと肩をすくめてみせた。

 零寿という名前に一拍遅れて風太は気づく。今日来たばかりの新入りの名前だ。


「お前がアイツに執着してる土地神か!」

「そうだねえ。一応、神の末端に座らせてもらっているよ。といっても、君も知ってのとおり、この世界には神は星の数ほどいる。八百万なんて言葉があるこの国には、本当に数え切れないほど」


 そこで男は困った様子でため息を付いてみせた。喋り口調は軽く、まるで困ったようにな見えないが、外レ者と呼ばれる存在の一端である風太には言いたいことはわかる。


 この世界に存在する本物の神は輪廻転生を司るカミサマのみ。他は人間が神と呼び、認識しているからこそ存在できるまがい物だ。それでも信じるものが多ければ、まがい物は本物になる。そうして神や妖怪、怪異は生まれる。

 逆に、信じるものがいなければ神といえど一瞬で消え失せる。ありとあらゆる物に神が宿ると信じられるこの国では、神が日々生まれ、消えていく。


 生まれたからには死にたくない。それは意思を持って生まれたものの本能。だから生まれたものは必死に生きようとする。時には自分を生んだ存在を食らってまでも。


「お前にはあの人間が必要なのか」


 風太の問いかけに男はゆるく微笑んだ。それが答えのようなものだ。そもそも、必要のない存在のために土地神が生まれた地を離れるはずがない。

 久留島零寿は眼の前の存在を神たらしめるために必要な存在だ。


 そう悟ったとき、風太は嫌なことを思い出した。

 神にとって信仰は大切だ。不安定な神という器を強固にし、力を増すために必要なもの。多く名が知られている強い神ではなく、ごく一部でしか信仰されていない神であればなおのこと。風太だって自分の餌を人から横取りされたら怒り狂う。


 そんな存在を風太は追い返そうとした。


 パキンとサンダルが小枝を踏む音がした。男がゆっくりと近づいてくる。その表情は暗い山の中にいるとは思えないほど落ち着いており、風太を脅威だとは思っていないことが伝わってくる。

 だからこそ恐怖に身が震えた。


「俺が守ってやれればよかったんだけど。神と呼ばれても、村程度の信仰じゃ全然足りない。零寿と一緒に村を出てわかったよ。外には俺より強いやつがいっぱいいる」


 のんびり話しながら近づいてきた男は、固まる風太の首を掴んで持ち上げた。双月に持ち上げられた時とまるで違う。双月はあれでも風太を配慮してくれていたのだと、物のように持ち上げられて初めて気がついた。


「俺じゃ無理。だから強い存在に守ってもらうことにした。そのためにいろいろ頑張ったんだ。だからさ」

 男はそういうと風太の顔を覗きこむ。


「邪魔するならお前を食って、俺の糧にする」


 感情の読めない瞳が風太を見つめる。丸呑みにされそうな恐怖に震えながら、風太はやっと理解した。


 八百万の神が住むこの国で、化けられるだけの狸なんてちょっと珍しいくらいの価値しかない。眼の前の土地神に力がないと言うならば、風太にはもっとない。逃げる力も、勝てない相手に喧嘩を売らないという知恵もない。


 外レ者の世界において、ヒエラルキーは絶対だ。自分より強い存在を前にしたとき、弱いものは無様に食べられるのを待つほかない。

 大人がいうことは正しかった。天敵に見つからないようにひっそりと息をひそめて生きる。それこそが化けることしか能がない、化け狸にとって正しい生き方だったのだ。


 震える風太の姿を人間の姿に化けた神は微笑みながら見つめている。その瞳には、一切の温度がなかった。




「ファイル1 迷い道」 終

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