1-6 先輩の祈り
自然現象研究所。その地下に存在する一室にて、特視職員である緒方雄介と双月は並んで座っていた。
職員が会議に使う部屋には、双月と緒方の姿しかない。数十人が入っても余裕がある空間は広々としているが、地下という関係上、窓が一切ないため息苦しく感じる。真っ白い天井や床も病院を思わせ、落ち着かないというものも多い。
といっても、長年ここに勤めている双月と緒方からすれば慣れたもの。誰もいないことをいいことに、緒方はコーヒー、双月はコーラとスナック菓子、お惣菜パンなどを長テーブルの上に広げていた。
二人の目の前には仕事用のノートパソコンや資料が置かれていたが、仕事前という堅苦しさはまるでない。
緒方がノートパソコンを操作し、リモート会議の準備を始める。隣で双月がパンの袋を開いたが気にしない。いつものことだからだ。
準備を整え、緒方がコーヒーで喉を潤していると、会議に誰かが参加したという通知が届く。すぐさま画面に現れたのは褐色の肌に灰色の髪を三つ編みにした、怪しい雰囲気の男である。糸のように細められた目や、画面では分からない百八十ほどの長身が怪しさを加速させるのだが、見た目にそぐわず中身は世話焼きで人懐っこい人物だ。
「雄介くん。お久しぶりじゃの。元気しとるか?」
数々の場所に潜入調査している間に、混ざってしまったという独特な口調。それもまた怪しさに繋がっているのだが、本人曰くチャームポイント。
怪しい人物から一度警戒を解いた人間は、相手を再び警戒することはないのだという。言われてみると納得の理由だが、計算しての言動と言うよりは、素で動いていたら副効果に気づいたというところだろう。
「こちらは元気にしています。大鷲さんの方はどうですか?」
「楽しくやっておるよ。わし、養護教諭、天職じゃったみたいじゃ」
冗談交じりに大鷲は語るがその表情は特視にいた時より輝いている。若いものを世話するのが好きだと日ごろからいっていただけあり、保健室の先生という仕事は性分に合っていたらしい。
現在大鷲は、とある学校の監視任務についている。外レ者の中でも上位に位置する、神に分類される存在を監視するのが目的だ。
拠点であるここに戻る頻度は減ったが、リモート会議が出来る現代ではとくに不便は感じない。
軽い近況報告をしていると、再び通知が届いた。すぐに画面に現れたのは真っ白い女。肌も髪も瞳も白。部屋着らしい白いワンピースも白いため、彼女の画面だけやけに光り輝いて見えて目に痛い。
隣でパンを貪っていた双月が「うわっ」と引いた声をあげた。
「来てそうそうなんですか。本当に礼儀がなってませんわね。これだから穴蔵育ちの常識知らずは」
双月のつぶやきを耳ざとく拾った女、センジュカが大げさな仕草でため息をついてみせる。双月が眉を吊り上げ、画面越しだと言うのに殴りかかりそうな勢いで立ち上がったのを緒方は手で制す。
「センジュカさん。生まれを貶すのは品が良いとは言えませんよ」
「それはそうですわね。申し訳ありませんわ。ただでさえ面倒な会議にわざわざ参加してあげたと言うのに、不快な声が聞こえたものですから、つい」
笑顔だけは麗しく、毒を吐くセンジュカに双月の顔がゆがむ。謝る気が欠片もないなら謝らないでほしいと緒方は思いながら、双月の腕を掴み名前を呼んだ。それで緒方の気持ちを読み取った双月は不機嫌そうに眉を吊り上げたまま、勢いよくパイプ椅子に座り直す。壊れるんじゃないかというきしんだ音を立てたパイプ椅子に、そろそろ変えどきかと緒方はしばし現実逃避した。
「わし、こう見えていま忙しいんじゃ。さっさと本題はいるぞ」
張り詰めた空気を払うように、大鷲がパンパンと手を叩いた。年長者であり、なにかとお世話になっている大鷲に迷惑をかける気はないらしく、センジュカと双月は大人しくなる。
お互いを視界にも入れたくないとばかりに、双月は横を向いてコーラのペットポトルを一気飲み、センジュカは体を横に向けて優雅にティーカップを傾けている。
反発するわりには行動が似てるんだよなと緒方は呆れた顔をしつつ、大鷲に向き直った。
「本日、久留島零寿が配属されました」
今頃与えられた部屋でぐっすり寝ているだろう新人のことを思いながら、緒方は報告する。
「どうじゃった?」
大鷲が身を乗り出す。体ごと横を向いていたセンジュカも顔を上げ、画面を見つめている。
「報告書にあったとおり、ナニかの気配を感じます。化け狸の一匹である風太が、気配に反応して追い出そうとしました。獣系からするとかなり臭うそうです」
「それはまた、面倒ですわね」
センジュカが嫌そうに顔をしかめた。大鷲も口には出さないが、似たような感想であることは表情から察せられた。
「風太によるとどこかの土地神。双月とも意見は一致しています」
「久留島くんの地元の神かの?」
「おそらくは。タガンというようです」
大鷲はタガンと小さく呟いた。記憶を探っているのだろう。センジュカも眉を寄せ、真剣な顔で何かを考えている。しかし二人とも無言。聞き覚えがないようだ。
「特視の記録を調べましたが、今のところそれらしき記録はありません。久留島の生まれ故郷のみで信仰される神のようです」
「つまり、行って調べてみんことには何もわからんということじゃな」
大鷲はそういうとため息をついた。
「危険性はありそうかの?」
「今んとこ気配だけ。俺と風太が接触しても特に何もなかった。そんなに強い力を持ってないのか、他に理由があるのかはわからない」
双月はそういうと肩をすくめてみせた。
外レ者が人間に、見る人が見ればわかる形で印をつける理由はいくつある。俺の非常食だから勝手に食うなという牽制や目印、気に入っている人間を不幸から護る加護。ただの気まぐれなど。
どういった性質のものが、どういう理由で執着したのかを知らなければ、いつどこでどんな地雷を踏むか分からない。神と呼ばれるまでに祀り上げられた存在は総じてプライドが高い。プライドが傷つけられたと感じたら、どんな行動に出るかわからない。
「わしが近いうちに様子を見に行ってくる」
「大鷲さんは忙しいでしょう。俺と双月で行ったほうが……」
「一度わしが行けば見えるからの」
大鷲がそういって目を開くと、頬に三つの目が現れた。それぞれの意思を持ってギョロギョロと動く目玉は、見慣れている緒方でもグロテスクに見える時がある。
「警戒が必要ってことか?」
双月が声を潜めて問いかけた。
大鷲の能力は遠視。一度行った場所であれば見ることができるというものだ。わざわざ大鷲が足を運ぶということは、定期観察を前提にしている。
「神様じゃからな。警戒しすぎて悪いことはないじゃろ。ごく一部で信仰される神となると、こちらの常識が通じないものも多いからの」
大鷲はため息混じりにそう言うと目を閉じた。先ほどまで頬に並んでいた目が跡形もなく消え失せる。どういう仕組みなのだろうと緒方は考えるが、考えたところで無駄だとすぐに思考を消した。
人から外レた存在に、人間の常識は通用しない。
「では、
「……センジュカ、観光でも散歩でもなく、仕事じゃからな?」
「言われなくてもわかっておりますわ。いざとなったら、私のか細い手で、あなたのでかい図体抱えて逃げて差し上げますから、安心してくださいませ」
センジュカは可憐に微笑んだ。大鷲はなにか言いたげな顔をしたが、「よろしくの」と苦い顔をしながら答える。こういう時に受け流せるのはさすがだと思う。
実際、危険な状況に陥れば戦闘向きの能力を持たない大鷲には分が悪い。センジュカの呪詛は強力なうえ、腕力や体力も大鷲より上だ。衣服が汚れるのを嫌うため滅多に本気は出さないが、いざとなれば白く細い外見からは想像できない力で外レ者を殴り飛ばす。見た目に騙されてはいけないというのを体現した存在だ。
「では、久留島くんの監視と教育はこちらで」
「よろしくの」
「貴重な新人、ダメにしないでくださいね」
センジュカの言葉に双月は鼻を鳴らす。お前に言われなくとも分かっているという態度だ。二人の相変わらずの様子に大鷲は呆れた顔をし、「ではの」という軽い挨拶にて会議は終了した。
「久留島くんは普通の生活に戻りたいんだよな?」
会議用のソフトを閉じながら隣の双月に問いかける。双月は食べていた焼きそばパンを飲み込んで頷いた。
「戻れると思うか?」
「本人の頑張りと、執着された相手次第だろうな」
手元の資料を見る。久留島零寿の経歴は記載されているが、タガンについての情報はまるでない。今のところは久留島の言う豊穣の神というのを信じる他ないが、外レ者は人間を騙すものもいる。
好かれても嫌われても、存在を認識された時点でろくな目に遭わない。それが外レ者だ。
「生き残れればいいがなあ……」
まだ二十代の青年が不遇な最期を迎えるのは見たくない。かといって、人間である緒方に出来ることといえば、不遇な最期を迎えませんようにと祈ることぐらいであった。
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