1-5 特視へようこそ
山なりに道を進み、たどり着い場所は研究所というより公民館といった雰囲気の、お世辞にも公務員が仕事をする場所とは思えない建物だった。
敷地内を囲む塀にはツタが絡まり、所々ヒビが入っている。建てられた年代と長らく整備されていないことを感じさせる状態に、久留島の顔は引きつった。
門には達筆な文字で「自然現象研究所」と書かれた看板がかけられていることを確認して、久留島は思わず「嘘だろ……」とつぶやく。故郷で、じいちゃんばあちゃんが井戸端会議に使っていた場所に似ていることに気づいたら、いろんな気力やらやる気がそげ落ちた。
双月はそんな久留島の反応にはお構いなしで、風太を抱えたままさっさと門をくぐる。慌てて後についていくと、兎小屋や鶏小屋、小さな畑が目に入った。ますますなんの施設だか分からなくなり、久留島は双月に慌てて問いかけた。
「本当にここですか」
「本当にここだ」
双月は無情にもそう言い放つと、さっさと引き戸を開けてしまう。中に踏み込むなり「新人連れてきた」と誰かに声をかけた双月に続き、久留島も中に入る。
土足でも問題ない造りになっているようで、靴を履き替えるスペースがない。デスクが中央に固まっていて、壁際には棚、奥の方には応接スペースらしいソファとテーブルが置かれていた。
といっても応接スペースとして使うことは滅多にないのか、ソファの背もたれには職員の物らしい衣服が無造作にかけられているし、テーブルの上にはお菓子が入った菓子鉢、マグカップ、新聞などが放置されている。
並ぶデスクは使う人物の性格がよく表れていて、綺麗に整頓されているデスクもあれば、ファイルや紙、本がぐちゃぐちゃと積み上がっているデスクもある。奥に続く廊下は一段高い造りになっており、足元にはサンダルなどが並んでいた。
双月が話しかけているのはワイシャツ姿の男性だった。年齢は四十代後半と言ったところ。紺色の髪は邪魔にならないようにか後ろを刈り上げており、双月と同じく鋭い目つきをしている。だらしないところがない引き締まった体型に、久留島は勝手に危機感を覚えた。するどい目つきはいかにもできる大人といった雰囲気で、頼もしさと同時に怒らせたら怖そうだという不安も覚える。
顔立ちは強面だが、格好だけみれば公務員と言われても違和感がない。ネクタイこそしていないが、ワイシャツにスラックス。市役所の職員の中に混ざっていても気にもとめないだろう。
この人は人間なのだろうかと久留島は考えた。思えば、ここに来てから出会ったのは化け狸に鬼。まだ人間には一人も会ってない。この部署は妖怪、双月の言うところでいう外レ者しかいなかったらどうしようという不安がわいてきて、リュックを掴む手が震えた。
「久留島くん、来て早々大変だったな」
「えっ、いや、大丈夫です」
考え事に没頭していた久留島は突然声をかけられて驚いた。男性は怪訝な顔をしたものの、それはすぐに久留島を労るようなものへと変わった。その様子を見て、いい人そうだとひとまず安心する。
「俺は
教育係と聞いて久留島は思わず双月を見る。てっきり、迎えに来てくれた双月が直属の上司なのだと思っていた。
双月は不思議そうな顔で久留島を見つめ返しており、腕の中の風太も首を傾げている。緒方は久留島の気持ちがわかったようで、困ったように頭をかいた。
「俺だと不満か?」
「いえいえ! 双月さんが直属の先輩なのかと思っていたので」
双月はそんなの考えてもいなかったという顔をした。きょとんとした顔は幼く見え、頼もしい姿ばかり見ていたので意外に感じる。
「俺と雄介はコンビで動くことが多いから、俺もお前の教育係と言えなくもないが、俺の仕事はお前の護衛だ」
「……俺、護衛が必要な状況なんですね……」
久留島の表情がひきつる。双月が苦笑を浮かべ、緒方には同情的な視線を向けられた。なかなかに辛い。
「それに、雄介は人間だからな。人間は人間に教わった方がいい。俺たちと感覚が違う」
「緒方さんは人間なんですね」
表情を明るくした久留島に、双月と緒方から微笑ましいものを見る視線を向けられる。子供を見るような反応は成人した男としては少々気恥ずかしく、今更だと思いつつも久留島は表情を引き締めた。
そんな久留島を観察してから、緒方は唐突な質問をなげかけてきた。
「久留島くん、双月は何歳ぐらいに見える?」
これは上に言っても下に言っても地雷原がある、恐ろしい質問である。久留島の頬は引きつった。双月に助けを求める視線を向けたが、双月は納得した様子で、なにかを喋ろうとした風太の口を素早くふさいだ。
「間違えても怒らないから感じたままに言え」
その間違えても怒らないも人によってはまるで信用できないのだが、双月に限っては本当に気にしないだろうと信じて、久留島は戸惑いがちに口を開いた。
「えっと……正直に言うなら十代前半に見えるんですけど、そうじゃないんですよね」
一応公務員。いくら人間じゃないとはいえ未成年は雇っていない。……と思いたいが、人間じゃないとなると全ての前提がおかしくなるので自信はない。
外見はともかく言動は落ち着いているし、久留島よりは歳上なのではないだろうか。
「二十五くらいですか?」
久留島の答えに緒方は満足そうに笑う。その反応を見て正解かと久留島の表情は明るくなった。そんな久留島を見て、緒方は双月の隣に並ぶとその肩を引き寄せる。並ぶと年齢差が一層際立った。
「残念。双月は俺と同い年。四十七だ」
「は?」
久留島は口をぽかんと開けて固まった。新人を驚かせる冗談だろうかと思ったが、そういうことを言わなそうな双月が何も言わない。それどころか、固まる久留島を困った顔で見つめている。
やっと拘束をとかれた風太が叫んだ。
「これだから人間はバカなんだ! どう見たって俺と同い年ぐらいだろ!」
「えぇ!? 風太も四十後半!?」
「風太さんと呼べ!! 礼儀のなってないガキだな!」
双月、緒方、風太を順番に見比べて久留島は再び固まった。みんなまとめて四十後半ですと言われて信じるものはいないだろう。久留島だってまだ悪い冗談だと思っている。
「見ての通り、外レ者は見た目と年齢が一致しない。見た目でだまされると痛い目みるからな」
緒方はそういうと唖然としている久留島の背を、軽くぽんぽんと叩いた。そのかすかな衝撃で正気に戻った久留島は、改めて双月と風太を凝視する。
いくら見ても中高生と子狸にしか見えない。
「……見分ける方法ってあるんですか?」
「外レ者との付き合いが長くなると、なんとなく分かるようになるぞ」
「具体的にはどのくらいの期間ですか?」
「十年……二十年くらいか?」
腕を組み、記憶を探るように天井を見上げた緒方を見て、久留島はそう簡単なことではないのだと理解した。
十年後、二十年後なんて、社会人になったばかりの久留島には想像もできない。
頭を抱えてうめき声を上げ始めた久留島に同情的な視線が集まる。風太ですら可愛そうなものを見る目で久留島を見つめているのだ。なかなかダメージが入る。
「とりあえず休め。いきなり色々あって疲れたろ。お前が休んでる間に、コイツのことはしめとくから」
そういいながら双月は抱きかかえていた風太の首を掴んで持ち上げた。再び不安定な状態になった風太がぎょっとした顔をしている。
来てそうそう休むなんてと、社会人として遠慮すべきなのかもしれないが、今の久留島は休息を求めていた。混乱した頭を整理する時間も欲しかった。だから遠慮なく双月の提案を受け入れて頷く。
「俺が暮らす宿舎って、麓にあるんですか?」
疲れた心と体で来た道を戻るのは正直億劫だったが、文句も言ってられない。そう思いながらの問いかけに双月と緒方は同時に下を指差した。
「いや、ここ」
「正確に言うなら地下だな」
「はい?」
困惑の声を上げ、久留島は足元を凝視した。これといった特徴のない、グレーのタイルが目に飛び込んでくる。
「上の建物はダミー。特視の拠点は地下にあるんだよ」
今日何度目になるか分からない衝撃の事実に、久留島は固まった。完全に停止した久留島を見て風太は「死んだか?」と失礼なことを言ってくる。
「そのうち慣れる」
いたわるように緒方が久留島の肩を叩く。「はぁ」と先輩に向けるにしては気が抜けすぎている返事をしながら、とんでもないところに来てしまったと久留島は途方に暮れた。
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