1-3 鬼と化け狸

「さっさと結界解除しろ! 覚えた術、変なことにばっか使いやがって」


 少年はそう言いながら狸耳の男の子の襟首を持ち上げた。首根っこを掴まれた男の子は涙目で、どこからともなく取り出した葉っぱを頭に乗せると手をパンっと叩く。


 その瞬間、再び空気が変わったのを感じた。閉じていた空間が開けたような感覚。空が一層高く感じられ、風が吹き抜け、先程まで意識してなかった鳥や虫の声が鼓膜を震わす。


 ループから抜け出せたのだと久留島は悟り、安堵の息を吐き出した。

 一方、少年の方はもう用はないとばかりに男の子の襟首を離し、男の子はべしゃりと地面に落ちた。なかなか痛そうだったが、同情する気になれないのは散々脅かされたからだろう。


『おぉーい、久留島?』


 巳之口の声がスマホから響く。その声に反応するように少年が鋭い目をこちらに向けた。久留島は肩を震わす。見た目は中高生だが、すごい迫力だ。


「巳之口、ごめんな。落ち着いたらかけ直すから」

『えっ、おい、くる……』


 最後まで巳之口が言い終わる前に、久留島は通話終了ボタンを押した。ひどいとは思ったが、巳之口に事情を説明する余裕はない。久留島こそ何が起こったのか説明してもらいたい立場だ。


「あの、助けてくれてありがとうございます!」


 とりあえず感謝を伝えなければと、久留島は少年に深々と頭を下げた。少年は眉を吊り上げたまま久留島と、地面に座り込んでふくれっ面をしている男の子を交互に見る。しばしの間をあけてから疲れた様子でため息を付いた。


「忘れろって言っても無理だよなあ……」


 少年は眉を寄せ、頭を掻いた。面倒くさいと顔に書いてあるが、少年の言う通り忘れるなんて不可能だ。狸の耳と尻尾が生えた男の子は何者で、目の前の少年はどうやって切込みから中に入ってきたのか、説明してもらうまで少年から離れない意気込みだ。


「ざっくり説明はしてやるけど、その前に俺は人を迎えに来たんだ。ソイツが合流してからな」


 少年はそういいながら、逃げようとしていた男の子を踏みつける。加減はしてるのだろうが、なかなかバイオレンスな状況だ。今の御時世だと即通報されそうだが、男の子にとっては不幸なことに、この場には久留島しかいない。自分を脅かした存在を助けてやるほど、久留島はお人好しではなかった。


「人を迎えに?」

「そろそろ来るって聞いてんだけど……」

 そこまで話したところで少年は言葉を止め、久留島をじっと見つめた。


「お前、久留島零寿くるしま れいじゅ?」

「えっ、はい。久留島零寿ですけど……」


 思わず敬語で答える久留島を見て、少年は一瞬無表情になると、男の子を踏む足に力を込めた。ぐえっとカエルの潰れたような声が男の子から漏れる。さすがに不憫に思えて止めようとしたところ、少年の地を這うような声が響いた。


「てめぇ、なに、うちの新人を脅かしてくれてんだ」

「し、知らなかった! お前んとこの新人だなんて知らなかった!」


 男の子は必死な顔をしてジタバタと暴れた。しかし、少年の体はピクリとも動かない。荒事になれている様子に久留島は内心引いた。見た目は中高生だが、相当危ない子なのかもしれない。本気で反省しているようだし、そろそろ助けたほうがいいのではと久留島は考え始めたが、それより先に聞きたいことがあった。


「えっと、新人?」


 やっと口に出せたのはそんな疑問。男の子を見下ろしていた少年がこちらへ顔を向ける。それだけの動作なのに、妙に落ち着かない気持ちになった。とっさに引きそうになる体をなんとか押さえ、久留島は少年と目を合わせた。自分を助けてくれた存在を怖がるなんて罰当たりだと思ったのだ。


「俺の名前は双月そうげつ。特殊現象調査監視所に所属している」

「とく……」

 スラスラと語られた長い名称を頭の中で繰り返す。


「表向きの名前は自然現象研究所」

「えっ」


 それは久留島が今から向かおうとしていた職場に違いない。戸惑う久留島を無視して少年――双月は踏んづけていた男の子を再び持ち上げる。抵抗する気すら失せたらしい男の子は手足と、ふかふかとした手触りのようさそうな尻尾をだらりと下げて、死んだふりをする動物のごとく力を抜いていた。


「そして、コイツみたいなのが俺たちの調査監視する対象」

「えっと……どういう……」

「狸や狐は人をばかかすって聞いたことあるだろ」


 たしかに聞いたことがある。久留島が生まれ育ったのは、人間よりも鹿の方が多いような場所だ。狸や狐だって何度も見かけ、小さい頃は大人にこう言われて育った。

 山に入ると狐と狸に化かされて、帰ってこれなくなるぞ。


 これは小さな子供が好奇心で山に入って、迷子になることを避けるための嘘だ。狐も狸も、遠くから人間を眺めるだけで近づいてはこない。ましてや化かしたりしない。狐や狸が人を化かすのはただの昔話だと久留島は知っている。


 知っているはずだったが……。


 久留島は双月に持ち上げられた男の子を見た。その頭とお尻にはしっかりと狸の耳と尻尾がある。コスプレという考えも頭に浮かんだが、久留島を騙す意味もわからない。


「ほ、本当に?」

「疑うのも無理はないけどな。なんなら、俺だって人間じゃない」


 さらりと双月はとんでもないことをいう。疑問を口から出す前に、双月の額から一本の角が生えた。久留島からみて左側に人間にはありえない部位が現れたことに、久留島は息を呑む。つるりと固そうな表面は、どう見ても皮膚ではない。気づけば瞳も変化しており、白目だった部分が黒く変わっている。

 人間ではないと一目で分かる容姿に久留島が逃げ腰になった途端、それを感じ取ったように角はあっさり消え、瞳も元に戻った。


「わかりやすく説明するなら俺は鬼、コイツは化け狸」


 双月はそういって持ち上げた男の子をぷらぷらと揺らした。男の子はなんの抵抗もしなかったが、恨めしげに久留島を見上げている。そんな顔をされても久留島にはどうにも出来ない。


「ここではなんだし、研究所いくぞ。風太ふうた、お前は変化とけ。重い」


 再びボフンという音と共に男の子が光りに包まれる。風太というのは男の子の名前らしい。

 光が薄れたあとに現れたのは子狸だった。相変わらず恨めしげに久留島を睨みつけているが、見た目が狸な分、先程よりも愛嬌を感じた。


「ほら、いくぞ。お前は雄介ゆうすけに叱ってもらえ」

「やだ! 雄介のおっちゃん怖い!!」

「センジュカに頼もうか?」


 抱きかかえられたまま騒いでいた風太は、ピタリと動きを止めた。センジュカと呼ばれた人物が相当怖いらしい。


 風太が大人しくなったのを確認すると、双月は風太を抱え直した。襟首を掴んだままではさすがに可哀想だと思ったようだ。そのまま歩き出した双月を久留島はただ見送る。久留島の理解を越える現象の連続で、ついて行くという簡単な動作すら出来そうになかった。

 少し進んだところで、双月は久留島がついてこないことに気づいて立ち止まる。振り返った顔にはなぜ着いてこないと書いてあった。


「あ、あの、俺、いや、私は地方公務員に採用されて、ここに配属になったんですけど……」

「お前としては残念だろうが、一応俺も公務員だ」


 久留島は目を見開いた。双月は困ったように頭をかく。先程よりは安定した状態で抱えられている風太が、何の話をしているとばかりに顔をしかめた。見た目は狸なのに、人間みたいに表情が変わるのが奇妙であり、普通の狸ではないのだという事実を久留島に突きつけてくる。

 故郷で何度も見た狸は、風太のように人間くさい顔はしなかった。


「着いてからゆっくりと思ったが、お前は早く聞きたいみたいだし、説明しながら帰るか。極秘事項だから外で言うのは禁止なんだが、こんなところじゃ誰も聞いてないだろ」


 そういいながら双月は周囲を見渡した。

 見えるのは田んぼと山。ポツポツと立っている電柱や線路がかろうじて文明を感じさせるが、人の姿はまるでない。


「この世界には人ならざるものがいる。そいつらは人には理解できない理屈、ルールで生きている。幽霊、妖怪、都市伝説、神。いろんな呼び名で呼ばれているそれらを、俺たちは世界のルールから外れた存在、外レ者と呼ぶ」

「外レ者……」

「お前と俺の職場、特殊現象調査監視所、略して特視とくしは名前の通り外レ者の調査、監視が仕事だ」

「な、何で俺が、そんな部署に……」


 敬語を使わなければと言う思考すら消え失せて、久留島はぎゅっとスマホを握りしめる。風太に言われるがまま帰ってしまえばよかった。立派な社会人になって、安定した職業について両親を安心させたい。そのために公務員になったのだ。幽霊や妖怪の監視をするのが仕事ですなんて、両親に話せるわけがないし、きっと信じてもらえない。


「うーん……俺も詳しくは知らないんだけどな。お前はこのまま放って置くと厄介な事件を引き起こしそうだから、保護と監視も兼ねての配属だろうな」

「そうだ! そうだ! お前、臭いんだよ!」


 双月の言葉を受けて、黙っていた風太が騒ぐ。狸が人間の言葉を話す衝撃が、言われた内容で消し飛んだ。


「く、臭い!?」


 思わず久留島は自分の匂いを嗅ぐ。自分の体臭には鼻が麻痺して気づかないと聞くが、自分もそうなのかと嫌な汗が流れた。

 ゴッという鈍い音が聞こえて音の方を見れば、風太の頭に拳骨が下ろされている。ギャン! と悲鳴を上げた風太を双月が冷たい目で見下ろしていた。


「言い方が悪い」

「だってそうだろ! ここは俺たち化け狸の山なのに! お前、どこの土地神連れ込みやがった!」

「土地神? 連れ込んだ?」


 それは自分に向けられた言葉なのかと、久留島は自分を指さした。風太は「お前だよ! お前!」と騒いでいる。その口を双月が手で塞ぐ。


「落ち着け。そいつは気づいてないんだよ。自分にどこかの土地神の匂いがべったりついてるなんて」

 双月はそういうと、久留島の背後にいる何かの正体を見破ろうとするように、鋭い目を向けてくる。


「俺たちに見つかったのがお前にとって不運か幸運かはわからないが、見つけてしまった以上、無視はできないんだ。俺たちはそういう組織だからな」

 だから、ついてこいと態度で示し、双月は久留島に背を向けて歩き出す。


 全く意味がわからない。恐る恐る久留島は振り返ったが、後ろには誰もいない。田んぼに挟まれた道と線路が視界いっぱいに続いているだけだ。


 双月についていかず、風太の言う通りに電車に乗って地元に帰ろうか。そんな考えが頭に浮かんで、久留島は頭を左右に振った。ここで何も知らずに帰っても、気になって戻ってきてしまう予感があった。


「まってください!」


 久留島はリュックのストラップを握りしめて走り出す。双月が足を止めて振り返った。人ではないと先ほど知ったばかりだが、今は子供にしか見えない。それなのに、目を細めて久留島を見る姿が亡き祖母と重なった。その顔は久留島がお手伝いをした時に褒めてくれた顔と同じ。

 それに気づいたら、双月は少なくとも、自分を悪いようにはしないのではないか。そう根拠もなく思えた。

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