1-2 短髪の少年
ひらり、ひらりと桜の花びらが舞う。もはや不吉なものにしか思えず、久留島は後ずさった。革靴が地面を擦る音がする。これも就職祝いに両親がかってくれた物だという考えが頭をかすめたが、すぐさま恐怖が塗りつぶす。
異常事態だと理解したが、どうすればいいのかが全く分からない。
「だ、誰か助けを……」
慌ててスーツの内ポケットからスマホを取り出した。連絡先の一番上、こんな奇妙な出来事を相談出来る相手といえば一人しかいない。通話ボタンを押し、頼むから出てくれという気持ちで祈る。
数秒の時間が数時間に感じられ、「もしもし」という軽い声が聞こえた瞬間、久留島は思わず叫んでいた。
「
『どうした、久留島』
いつも通り、緩い返事に久留島は心底安心した。
ピンク色の目を惹く髪を肩まで伸ばし、ハーフアップにしているチャラい男。常にガラものの派手な服を着ていたが、不思議と似合っていた。見た目の派手さで遠巻きにされることも多いが、喋ると明るい良い奴である。
田舎出身で、コミュニケーション能力が高いとはいえない久留島が友人を作れたのは、巳之口と知り合えたからといっても過言ではない。ついこの間、卒業記念に飲み、近いうちにまた会おうなと別れたのだが、こんなに早く電話をかけることになるとは思わなかった。
「就職先に行こうとしたら、意味不明な現象に巻き込まれてるんだ! お前、こういうの得意だろ!」
『それだけ言われてもよくわからんが、俺を頼るってことはオカルト案件?』
「たぶん!」
力強く久留島は叫んだ。その間も左手には無人駅があり、桜がひらひら舞っている。そこだけ見ればのどかな光景だけに、陥った状況に対する違和感が増す。
巳之口は派手な見た目に反して、オカルトサークルに所属しており、趣味の延長でオカルト雑誌に就職した。おそらく仕事中だが、オカルト案件となれば仕事といってもいいはず。そうであって欲しいと祈りながら久留島は言葉を続ける。
「駅に背を向けて歩いてるのに、気づいたら駅に戻ってくるんだ」
『へぇ、ループしてるってことか!』
言葉には出さなかったが「おもしろい」と思っているのが分かる反応だった。友人の危機だと言うのになんとも呑気である。
「こっちは必死なんだよ! なんで初日からこんな目に!」
久留島は頭を抱える。久留島の姿は見えていないだろうが、声の様子から焦りが伝わったらしく、巳之口は「落ち着け」といつもよりは焦った声をあげた。
『ループっていうのは大体、核みたいなものがあるはずなんだ』
「核?」
『ループ現象を引き起こしている存在か、物。それをなんとかすれば抜け出せる』
久留島は周囲を見渡す。景色に変化はない。懐かしさを覚えていた風景が不気味に感じること以外は、駅に降り立った時と変わったところは見つからない。
『とりあえず駅から探してみたらどうだ』
巳之口の言葉に少し冷静になる。わけの分からない状況でもやるべきことが分かれば気持ちは違う。久留島は深呼吸して気持ちを入れ替えた。
核といわれてもオカルト知識がない久留島には、どういうものなのか想像できない。巳之口に詳しくきこうと口を開きながら、駅の方へ視線を向けると、明らかに先程は存在しなかったものが目に飛び込んできた。
桜の下に着物姿の少女が立っている。現代で着物というだけでも目立つのに、この状況では嫌な予感しかしない。
少女は鞠をついて遊んでいる。規則正しく鞠がはねては少女の手に戻っていくが、一切ブレのない様子は短い映像を繰り返しているようで気味が悪い。
声をかけるべきなのだと思う。ループを抜けるために核を探さなければいけないというのなら、大きな変化である少女を無視できない。それは分かっているのに、久留島の足は動かない。
『久留島、どうかしたか?』
スマホから巳之口の声が聞こえた瞬間、少女の首がぐりんと動いた。人間とは思えない、なめらかすぎる動きはフクロウを思わせる。
ひぃっと短い悲鳴が漏れ、久留島は後ずさる。小さな石を踏む、じゃりという嫌な音が響いた。そちらに意識を持っていかれた一瞬、気づけば少女は目の前に立っていた。
あまりに驚くと声が出ないらしい。口から漏れたのはかすれた声。視線は目の前の少女から外せなかった。
小学生くらいだろうか。切り揃えられたおかっぱ頭。黒黒とした髪の隙間から大きな瞳が見える。その瞳には光がなく、人形のように顔立ちが整っているだけに恐ろしい。
「お帰りなさいませ」
少女は鞠を両手で抱えながらそういった。声は子供特有の高さを持っているが、まるで温度がない。
「お帰りなさいませ」
聞こえないと思ったのか、少女が同じことを言う。先程の声と重ねたら、ピタリとあうのではないかと思うような、機械的な声だった。
「お帰りなさいませ、お帰りなさいませ」
「お、俺はここに帰ってきたわけじゃ……!」
後ずさりながら久留島は叫ぶ。地元に似た空気に勝手に親近感を抱いたが、この土地に縁もゆかりも無い。名前だって、送られてきた資料で初めて知った。
久留島の返答に少女は首を傾げた。顔を動かしても視線は久留島から外れない。井戸の底を覗き込んだような暗闇が、じっと久留島を見つめている。
やがて少女は小さな口を開き、片方の手で駅を指さした。
「お帰りなさいませ」
そこで久留島はようやく意味を理解した。少女は久留島の帰還を歓迎しているのではない。ここから立ち去れと言っているのだ。
なぜという疑問が頭に浮かぶ。同時に駅に向かえば、この状況から抜け出せるのではないかという期待も浮かぶ。こんな理由の意味のわからない状況だ。逃げたって許されるはずだ。
そう思うと、久留島の足は駅の方へと向かっていた。少女が満足そうに頷く。人形みたいだった顔に初めて人間らしさが見えた。これが正解だと久留島は理解して、逃げるように駅に向かおうとした。
途端、空気が変わった。
少女がハッとした様子で顔を上げる。電話をつないだままの巳之口から「どういう状況だ?」と戸惑う声が聞こえた。
久留島は変化の発生源へと顔を向ける。そこはなんの変哲もない道だ。久留島が向かった方向である。その空間に謎の切込みが入っていた。布を切れ味の良いナイフで切ったらこんな風になるだろうという、斜めの切込み。しかしそこにあるのは布ではなく、切れた向こう側には田園風景が見える。
ありえない事態の連続に久留島の思考は止まった。スマホからは自分を呼ぶ巳之口の焦った声が聞こえるが、何も言えない。
少女もまた凍りついたように止まっていた。先程までの余裕が消え失せ、カタカタと震えている。
つまり、目の前の正体不明の少女が恐れるような事態が起こっているということだ。
「おい、これはどういう状況だ?」
どすの利いた声が切り込みの向こうから聞こえてきた。それとほぼ同時に切込みから人間の手が突き出す。それは裂け目を無理矢理広げるように引っ張るり、何かが身をかがめて入ってきた。
短髪の少年だ。緑の髪に猫のように吊り上がった瞳、不機嫌そうに眉を吊り上げているが、平凡な久留島からすれば羨ましいほど顔のパーツが整っている。
見た目は中高生といったところ。雰囲気は大人びているが、体格は小柄なので判断がつかない。部活の途中だったのかランニングウェアに身を包んでいる。
切込みからこちらに入ってきた少年はぐるりと周囲を見渡して、少女で視線を止めた。少女が体を震わせて後ずさろうとすると同時、威嚇するように声を張り上げた。
「観光客、化かすなっていってんだろ!! 狸鍋にすんぞ!!」
「鍋はいやだぁ!!」
少年が怒鳴ると同時、ボフンという間抜けな音が響く。先程まで少女が立っていた場所には白い煙が発生していて、それが晴れると中から小学生くらいの男の子が現れた。
Tシャツに短パン、靴はサンダル。切り揃えられたと言うよりも、適当に切りましたと言わんばかりの短髪。すっかり逃げ腰の半泣きで少年を見つめる男の子に、先程までの少女の面影はない。
どういうことだと久留島が戸惑っている間に、男の子の頭とおしりから何かが飛び出た。それは故郷でよく見た動物、狸の尻尾と耳に違いない。
『おい、どうしたんだ久留島』
スマホから巳之口の困惑した声が聞こえる。久留島は唖然としながらスマホを持ち上げ、耳に当てた。
「狸だ」
『は?』
意味が分からないという反応が返ってくるが、久留島だって意味が分からない。頭には疑問符ばかりが浮かんでいた。
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