久留島零寿の怪異事件ファイル
黒月水羽
ファイル1 迷い道
1-1 桜の誘い
その日、
山間の小さな村にある、地元民しか知らない神社。そこにはタガン様という神様が祀られている。タガン様は心優しいお方で、村に豊穣をもたらしてくれるのだそうだ。貧しい時代も、タガン様のおかげで乗り越えることが出来たのだと、祖母は久留島の小さな手を引きながら語った。
神社は村の中で一番高い所にある。大きな鳥居をくぐり、石段を登ると村人たちが総出で建てたという拝殿が見えてくる。祖母と同い年くらいのお年寄りたちが集まっており、一番若いのは久留島で、久留島以外に子供の姿はなかった。
神主が現れて、なにかを祖母たちに語っているが、幼い久留島には意味が分からない。もう帰りたいという意志表示のために祖母の服を引っ張ったが、祖母は両手を合わせて神主の言葉に聞き入っている。周囲のお年寄りたちも似たようなもので、誰も久留島を気にしない。
これだったら抜け出してもバレなさそう。
そう思った久留島は人混みをすり抜けて歩き出す。初めて訪れた神社が興味深く、久留島は意気揚々と進んでいった。
お年寄りたちの横を通り過ぎ、神社の拝殿の横を通り過ぎ、裏まで回った久留島は人影を見つけて足を止めた。
そこにいたのは美しい女性だった。
まだ男女の差もよくわかっていない幼い久留島ですら、よくわからない高揚を覚えて丸い頬を赤らめてしまうような、絶世と言える美女。
母と祖母が特別な日にしか着ない着物を着ているのも、久留島には特別に見えた。黒地に金色の花が映える着物は、物の価値が分からない久留島にも素晴らしいものだとわかった。
しかし、着飾られた女性の表情は曇っている。途方に暮れる迷子のようでもあった。ぷらぷらと足が揺れ、ちらちらと白く、細い足が見える。なんだかいけないものを見ているような気持ちになって、久留島の顔は赤くなった。
すっと通った鼻筋、伏せられた瞳。自分を見てほしいと久留島は思い、気づけば一歩踏み出していた。
砂利を踏む音が静かな空間に響き、女性がこちらへとゆっくり顔を向ける。あともう少し、もう少しで顔が……。
ガタンという車体が揺れる衝撃で、久留島零寿の意識は浮上した。パチパチと目を瞬かせて、先ほどまで見ていたのが夢だと気づく。
状況が理解できずに周囲を見渡すと、久留島がいるのは電車の中だった。
夢の中の幼い自分から、現実の、成人した自分へと意識が戻ってくる。今日から久留島は新社会人。今は職場へと向かっているところだ。
第一印象が大切な初日に、通勤途中の電車でうたた寝してしまうという失態に気づき、久留島は慌てる。うっかり寝過ごして終電までいかなくてよかったと、今度は胸をなでおろした。
少し離れた場所に老人が座っているのに気づいた。うたた寝していたのを見られたかもしれないと、今更ながら衣服を直し、ずり落ちていたリュックを抱え直す。
車内には久留島と老人以外の乗客はいない。都内の人が溢れる光景を見慣れてしまったあとでは、人の少ない電車の中が奇妙なものに思えた。元々は人がいない田舎に住んでいたのに、慣れとは不思議なものだ。
外を流れる景色は田んぼ、山に森。数時間前まではビルが立ち並ぶ都会にいたとは思えない、自然豊かな光景が広がっていた。
それが大学を機に離れた生まれ故郷と重なる。さきほどまで懐かしい夢を見ていたこともあり、親近感とこれから向かう先への期待が膨らんだ。
そうしている間に電車はゆっくりと減速していく。もうすぐ目的地につくのだ。
久留島は両頬を軽く叩いて気合を入れた。
久留島が降り立ったのは、人気のない無人駅だった。ホームには屋根もなく、改札と待合室を兼ねた古びた建物がポツンとホームにくっついている。
駅には「狸山」と書かれていた。住所を聞いたときも冗談みたいな名前だと思ったが、それが駅に堂々と書かれていると奇妙な気持ちになる。
立ち止まって駅名をしげしげと眺めいると、一緒に乗っていた老人が降りてきた。慌てて久留島は道を譲る。老人は穏やかな顔で「ありがとう」と笑う。その姿に気分が上向きになった。
見知らぬ土地にキョロキョロと周囲を見回している間に、久留島を乗せてきた電車は発車する。気づけば一緒に乗っていた老人の姿もない。
電車がなくなってしまうと視界に広がるのはどこまでも続くような田園風景と、遠くに見える山々だけ。
「この感じ、久しぶりだなあ」
久留島は目を輝かせて周囲を見回した。上京して早数年。このまま都会で生きていくと思っていたので、就職先が故郷を思い起こさせる田舎だとは思わなかった。
久留島はスーツのポケットからメモを取り出す。そこには新しい職場の住所が書かれており、スマホに住所を入力すれば、ここからの道のりが表示された。電波が無事に通じていることにほっとして、久留島はリュックを背負い直す。
「今日から社会人だ」
そう自分に言い聞かせるように宣言すると、無人の改札を通り抜ける。世間に取り残されたような場所に建っているのに、改札はしっかりICカードに対応していた。自分の故郷はどうだっただろうかと記憶を掘り起こしつつ、久留島は駅を出た。
駅を出ると桜の花びらが目についた。駅の脇に生えている桜の木は満開で、風が吹くたびに花びらを舞い散らせる。久留島の元へひらりひらりとやってきた花びらに、歓迎されているようだと浮かれたことを思った。
茶色の髪に垂れ気味の目尻。これといって特徴のない、どこにでもいる平凡な顔立ちだちの二十二歳。
就職祝いに両親に買って貰ったスーツはシワ一つない新品だが、それだけに服に着せられている感じも否めない。そのうち似合うようになるだろうというのが母談で、久留島もそうであればいいと思っている。
だからこそ、初日である今日を必ず成功させてやるという意気込みは十分だった。たとえ、配属された先が自分の希望とは違う、意味の分からない部署でも。
自然現象研究所。
それが久留島が配属された部署である。公務員であることは間違いないようだが、詳しい業務内容は分からない。送られてきた通知書には「この書類に書かれた内容を他言することを禁ずる」という恐ろしい文言が書かれていた。おかげで知り合いに相談することも出来ずに今日を迎えてしまったわけだが、ここに来て、大がかりな詐欺だったらどうしようという不安がわき上がる。
不安を払いのけるように頭を振って、久留島は再び気合いを入れた。本当にヤバいところだったら逃げればいいのである。田舎の山育ち。いざとなったら山歩きで培った体力と筋力を見せつけてやろうと、久留島は意気込んだ。
職場への道は間違えようのない一本道。田園を抜けてた先にポツポツと民家があり、それを抜けて、山道を道なりに登っていけば研究所はあるようだ。
不安はあっても、久しぶりに感じる田舎の空気は久留島の心を癒やした。高い空や空を飛ぶトンビ。田植え前の水の入っていない田を見ると春を感じる。来月辺りになれば水が張られ、元気な稲が植えられるのだろう。その光景を想像すると田舎に帰ってきたなという気持ちになる。
久留島の故郷とはまるで違う場所なのに不思議な気持ちだ。山も空も全てが自分を歓迎しているような錯覚にすら覚えて、これからの仕事も上手くいくような気持ちになった。
軽い足取りで久留島は進む。右手の方に見える山や、点々と見える民家を眺めながら足を動かし、今度は左の方を見てみようと顔を正面に戻したところで違和感を覚えた。
左手、正面に先ほど出発したはずの無人駅があった。
あまりのことに久留島の思考は固まった。そんなのはあり得ない。久留島はたしかに駅を出て、左手の方に歩きだした。それからまっすぐ前に進んだのだから、正面に駅があるはずがない。
久留島は慌てて振り返る。視界に飛び込んできたのは今まで見てきたのどかな田園風景。おかしな所など何もない。
「……疲れてるのかな……」
引っ越しで忙しかったし、慣れない環境への不安もあった。昨日だって早く寝ようと思ったのに、不安でなかなか寝付けなかった。寝不足のままに泊めてくれた友人の家を出て、ここまでやってきたのだから疲れていないとは言えない。
「寝不足で幻覚でも見えてるのかな……。じゃなきゃ、無人駅が俺についてきたとか?」
ハハハと乾いた笑い声を上げるが、ここには久留島一人しかいない。乾いた声が虚空に消え、むなしさや焦りが湧き上がってくる。久留島はリュックのストラップを掴み、今度は早足で駅を通り過ぎる。
先ほどと同じように桜がひらりひらりと久留島の方へとやってきたが、今度は歓迎されているとは思えなかった。変な場所に誘われているような気がして、恐ろしさすら覚える。
「気のせい、気のせい」
そういいながら久留島は正面を向いて、ただひたすらに足を動かした。視界には目的地である山や民家が見えている。あそこまでいけばいいのだ。そう思うのに、歩いても歩いても、そこまでの距離が縮まらない。
早歩きは次第に早足になり、最後には必死に走っていた。中高と運動部だったし、大学で所属していたのはアウトドアサークル。体力には自信があったのに、気づけば息が切れていた。急激に心拍数を上げる心臓に走り続けることができなくなり、久留島は胸を押さえて荒い息を吐く。
買って貰ったばかりのスーツが重く、シャツが汗で肌に張り付く感覚がする。額の汗を拭いながら顔をあげた久留島は、信じられないものを目にして固まった。
正面、左手。そこに無人駅がたたずんでいた。
次の更新予定
久留島零寿の怪異事件ファイル 黒月水羽 @kurotuki012
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