詩潟志々乃とアレナ先生②

 憂鬱な気分にさせる扉を開くとそこは職員室だった。

 私の大嫌いな大人たちが蔓延る空間に足を踏み入れる。入室時の挨拶を忘れていたけど、誰もそんなことは気に留めていない。みんな私に興味なんてないから。

 上等だよ。そう心の中で呟きながら、アレナ先生を探すため歩を進める。


 ガサツな男教員の机にはお菓子があり、神経質そうな女教員の机には化粧ポーチがある。

 別に「先生が化粧したり、お菓子食べてるけどいいんですかー?」なんて使い古された揚げ足取りをしたいわけじゃない。


 でも校則をちゃんと守って毎日頑張っている生徒がほとんどなんだから、そんな生徒達にもう少し気を遣えよとも思う。


 存在しない被害者を作って、喋ったこともない教師を無理やり批判する。そうでもしないと、私の大人へのイライラが収まることはない。これが私なりの生き残り戦術なんだ。そう自分に言い聞かせた。


 そうやって職員室をうろちょろしてると、すぐにアレナ先生は見つかる。

 無表情でパソコンと向き合うその姿は昨日公園で見た時と違って、とても退屈そうだった。鼻でため息を吐きながらひたすらにタイピングしてるその姿から、集中力を切らしているのが一目でわかった。


「アレナ先生」


 先生はこちらを向くとちょっとだけ微笑んだ。目尻を垂れ下げて、ほんの少しだけ口角を上げる。弱々しげなその表情は、またもや見たことのない先生の一面だった。


 「詩潟。来てくれたんだな。こっち来てくれ」


 先生はノートPCを閉じて立ち上がり、私を来客用ソファに座らせる。先生は気だるげに座るけど、どこか楽しそうに見える。


 「さて。進路の話をしよう。詩潟は九綺くき女学院が志望校ってきいたんだが、間違いないか?」

  ――調べてくれたんだ。ちょっと嬉しい。


 「はい。バンドやってみたくて。それでこの辺に軽音部があるのがクキジョだけなんで」


 私は三者面談で話した内容をそのまま伝えた。あの時よりも言葉が弾んだ。

付け加えて、私の身の上話もしたんだ。ほとんどが家族のことだけど。


 「なるほどね。確かに九綺女なら今の成績でも大丈夫だろうしな、納得したよ。でもな。君は……」


 私の期待とは裏腹に先生は、他の連中と同じように私を否定し始めた。この変態女教師に何を私は期待してたのだろう。そうだ。この人も他の大人と同じなんだ。期待して損した。


 「九綺女の軽音部で、自分はやっていけると思うのか?」

 「思いますよ。だってバンドやりたいし。それともなんですか?アレナ先生は音楽をやるには、理念とおっきい動機が必要だとか言う感じですか?」

 

 先生に勝手に失望して、つい口答えしてしまう。


「そんなものは自分を苦しめるだけだから必要ない。私が言いたいのはね。今の詩潟がこのまま九綺女でバンドを初めてもきっと ってことだよ」

「挫折……?」

「そうだ。今日詩潟の話を聞いて同情もした。君の怒りの源泉も把握できたよ。やっぱり君は私の見立て通り強い側の人間なんだ。そう思える」


 ’’強い’’そう評してくれたことにむずむずする。昨日はなんとなく雰囲気に流されて泣いちゃったけど、今日は単純に疑問が湧き出たからだ。

 怒りを保ち続けることがなぜ強さに繋がるのだろう?私の疑問は態度に出ていたと思う。だけど先生はそれをよそにして、話を続ける。

 

 「仮に君が九綺女に進学したとしよう。自分のやりたかった音楽活動を共有できる仲間ができて、最初のうちは楽しいだろう。けどその楽しさはすぐに消える。そうなった頃に壁にぶつかるんだ。自分の持ってる演奏や歌唱の技術が追い付かなくなって、周囲から努力を強いられるようになる」

 

 努力という言葉を聞くと、胃が掴まれるような不快感が迫る。私がずっと逃げてきたことだから。


「すると君は苦しむことになる。下手くそな自分が許せなくてね。けど周囲はどんどん先に進んでいく。なぜこんな状況になるかわかるか?」


「私に才能がないからってことですか……」


「違うよ。そもそも中高生で音楽に身を置くことのできる人間というのは、がほとんどだからだ」


’’恵まれた者’’。その単語を聞いた時私の中でふつふつと湧き上がるものを感じた。歯を少し食いしばって、拳を握る。わざと爪を立てて小さな痛みを自分に与えて、言葉にならない衝動を抑え込んだ。


「君がこれから出会うと期待してる仲間は親から愛された子達だ。経済的にも余裕があり、広い自宅で自室を与えられて、そうやって周りに支えてもらっているから、努力を努力だと思わずに楽しんで日々を過ごしてる。そんな子達だよ」


 明らかに悪意を持った声音で子どもを批判するその姿は大人げがない。でも言葉を通して伝わってくる思いは、私が大人に対して持っている気持ちと似ていて親近感が湧く。



「かたや君はどうだ?昨日送り届けた時に自宅を見させてもらったが、古くて狭そうなアパートだったな。あのような場所では楽器の練習なんて厳しいだろう?」


「そんなの、家じゃなくて外で練習するし……その方が楽しいと思うし」

「君の母親はそんな自由な時間を許してくれるのか?」

「それは…」


 言葉につまる私を見てアレナ先生は話を続ける。


「そして仲間達は言うだろう。『みんな頑張ってるんだから、志々乃ちゃんも頑張ろうよ』『私たち仲間でしょっ』って。無邪気に楽しそうに、君の苦しみなんて理解できずに。そんな状況がずっと続くんだ。詩潟はきっと耐えられなくなる」


 先生の話してくれる私の未来図はとても鮮明で説得力があった。パラレルワールドでも覗いてきたんじゃないか?って思えるぐらいに。


「だから音楽を楽しむなんてことは…恵まれた者たちの特権なんだ」


 先生は悔しそうな顔をして、ソファの背もたれに重心を掛けた。


「じゃあ私は……やめといた方がいいんですね……」


「そうだな。でも詩潟にがあるなら、話は別だ」

  

「何の覚悟ですか……?」


「もっと強くなる覚悟だ」


 先生は身体をこちらに乗り出して、私の目を見る。


「私は君が強いことを知っている。でもそれは誰にも気付けないものだ。だからまた別の……連中に知らしめるための強さが必要なんだ。そうすれば君の世界は変わる。私は君なら出来ると思っている。君がやるというなら、応援してやる」


「死ぬほど勉強して良い高校にいくんだ、それができたなら努力が怖いことなんかじゃなくなる。バイトでお金を稼いで、自分のことは自分で面倒を見て、自分の実績で母親を説得するんだ。そうやって必死に生きていればな、自分が腹の底から一緒にいたいと思える仲間ができる」


 初めてだった。こんなふうに期待をしてもらえたのは。今まで生きてきてずっと辛かったけど、私がずっと欲しかった言葉をアレナ先生はくれた。

 じゃあ答えは決まってる。


「やります。死ぬ気で勉強します。何でもします」



 とは言ったものの、ほとんど不登校の私が偏差値を上げるのは辛かった。

 でも弱音を吐いても先生は根気強く私に付き合ってくれたから頑張って行けた。

 私の中にも変化が生まれてきて、辛いって言わなくなったし、考えがよぎることもなかった。

 

 楽しいことだってあった。

 ご飯に連れてってくれた。褒めてくれた。いっぱいよしよししてくれた。



 おかげで志望していた平誠高校に入学できた。


 入学してからずっと勉強も続けてる、バイトも始めたよ。

ギターだって練習し始めたし、もうすぐバンドが組めそうなんだ。

 

 一度中学に行ったんだけど、先生に会えなかった。辞めたのか異動になったのか。どっちだとしても、もう会えない事実は変わらない。

 

 もう会えないのか。そう思った時に気付いてしまったんだ。


 アレナ先生のことが好きだってこと。


 でも弱音は吐かないよ。

 私が欲しかったものをくれたのは、全部先生だったから。

 もっと強くなるからさ。応援しててよね。



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